辻・ツマ合わせ
梶田向省
辻・ツマ合わせ
お仕事の方は、何をされてるんですか? と訊かれると、非常に面倒だ。ひとくちにその職業を答えて、理解してもらったことは未だない。しまいには、「申し訳ありません、存じ上げなくて……差し支えなければ、どんなご職業なのか、伺ってもよろしいですかね?」と、妙に気を回される始末である。「まだ、見習いに過ぎませんから。ハハハ……」と、謙遜してみたところで、相手がその段階に追いついていないことも多い。
「泡坂の方で、整合士の営業所に勤めております」
整合士。依頼者の指示通りに、物事の辻褄を合わせる――物理的に。
「お世話になっております――泡坂営業所の辻と、彼は研修社員の永褄です。本日は宜しくお願いします。あっ、お邪魔します」
辻所長は、ドアが開くやいなや、名刺を差し出しつつ、承諾もなしに室内に踏み入った。
永褄は、あくまでも礼儀正しく、「失礼します」と言いながら後に続く。
哀れな依頼者の川畑さん――と思われる、気弱そうな中年男性は、気圧されつつも「あ、宜しくお願いします」と小声で言う。
「えっと、あの、データがですね……」
「あ、依頼内容は電話で伺っておりますので結構です。問題のPCというのはどちらでしょう?」
業者が依頼者の話を遮るという行為が許されていいのだろうか。ともかく川畑さんは、戸惑いながら自身のPCを指し示した。夜9時の、静まり返ったオフィスの一角だ。沈黙するPCがずらっと並ぶ中で、1つ、デスクの上で発光するものがある。
辻は足早にPCに近づき、状態を調べ出す。「永褄君、早く」と急かすので、これはパワハラではないかと考える。
鞄からPC用の取り付けタイプのものを取り出し、所長に手渡す。金属音を響かせて金具でディスプレイに固定すると、辻は「それ」の操作を始める。
これが、いわゆる「辻褄」だ。時計のような形をしているが、文字盤はなく、歯車やその他の部品がむき出しになっていて、その実かなり複雑なつくりになっている。壁掛けのタイプもあれば、床に設置する為の大きなもの、また、整合士が業務中に装着を義務付けられる、腕時計タイプの「腕辻」と呼ばれるものもある。
今回、川畑さんの依頼は「仕事で誤ってデータを消してしまったミスを、なかったことにして辻褄を合わせたい」という内容のものだったので、PC用の辻褄を用意して会社のオフィスにやって来たというわけである。
辻は一心不乱に辻褄を合わせている。ステンレスの調和棒を使っているので、やはり長引くのかもしれない。川畑さんが気まずそうにたたずんでいる。馬鹿にしてやがる。空気を和らげるのが俺の仕事だとでも?
「僕は、まだ見習いなんですけど、来週、試験があるんですよね。受かればようやく、正式な整合士として認められるんです」
知名度こそ低いが整合士は国家資格であり、営業所への2年の勤務と、国家試験の合格によって免許が取得できる。辻免と呼ばれるその免許を取得することで、初めて辻褄の操作が許されるのである。永褄は、先月2年の勤務を終え、試験を来週に控えていた。
「へぇ――なるほど、そうなんですね」
「……」
なぜか川畑さんも話を広げない。彼にも憎しみが湧く。俺にこの空気をどうしろと?
「永褄っていうんですけど、普段みんなからは『ツマ』って呼ばれてるんです」
場をつなぐためにやむを得ず、永褄はなぜかあだ名の話を始める。
「所長の辻さんとバディを組んで業務に当たるときは、辻褄コンビ、なんて呼ばれたり」
「面白い呼び名ですね」
「でも本名は永褄なんで、「永」が消えてるんですよ。どこに行ったんだって話で、それこそ辻褄が合っていないというか」
「ははは……」
愛想笑いが尻すぼみになって消える。異様に盛り上がらない。永褄は今すぐ帰りたいと考える。柔らかい布団にくるまって心ゆくまで眠りたい。
「あの、これって」と、川畑さんが口を開いたので内心安堵する。
「なんでしょう、あの、僕がデータを消したという事実? を、改変するんですかね。過去に、手を加えるという認識ですか」
「あー、それが、微妙に違ってきまして」
整合士の行う辻褄合わせは、あくまでも辻褄合わせであり、現実そのものをねじ曲げているわけではない。普通の人間には分からないように、巧妙に真実を誤魔化しているだけに過ぎない。
「年表で例えると、年表に書かれている出来事を、書き換える行いが歴史を改変することだとしたら、我々のしていることは、そこに書かれた文字を、滲ませて読めなくしているようなものなんです」
「あー、なるほど」
川畑さんが納得したところで、辻が脈絡もなく「よし! 終わりました」と声をあげた。腕辻とは別に、右腕に付けた腕時計を確認する。2分58秒。
「これで、私のミスは……」
「ええ、まあ、向こう3ヶ月は、同僚の方々に露見することはないでしょうね。データは消えたままですので、ご自身で復旧なさって下さい」
「はい……」
川畑さんは肩を落としてうつむく。辻が、永褄に目配せをする。
永褄が撤収の挨拶をしようとした瞬間、川畑さんが恐る恐る口を開いた。辻がもどかしそうに見つめる。
「あの、息子との縁を切ることってできますかね?」
「はあ……内容によりますが」
「……ここから先は、私事になるんですが」
辻が、露骨にうんざりした様子で天井を仰ぐ。せめてもう少し隠す努力を見せてほしいものだ。
「妻と離婚して、もう5年になります。高校生になる息子がいるんですが、まあ、お恥ずかしいことに、口喧嘩が絶えないんですね。男所帯だと」
川畑さんは、ぽつり、ぽつりと自分語りを続ける。その間47秒。
「あいつが行きたがっている私立の大学の学費を、私が出してやれそうにないのも、一因ではあるんですが。――今朝も口論になりましてね。初めて「死ね」と言われました」
辻は諦めたのか否か、神妙な顔で人生相談に耳を傾けている。
「子どもを二十歳まで養える責任感や能力もねえなら、最初から産むなって。私その時、妙に納得してしまってね。何も言わずに家を出てきたんです。あいつはあんなに私を嫌ってるんです。私が親でない事実があった方が、よっぽど気楽だと思うんです。だから、あの、養子としてもらってきたという設定で」
「申し訳ありませんが、そちらの依頼は、当方ではお受け致しかねます」
辻が、唐突に宣言した。
「え」
「法律で定められてるんです。違法または、整合士が尺度を越えるような責任を問われるような辻褄合わせは、これを認めない、と」
「いや、でも、責任に関しては私が持つので」
「恐れ入りますが、判断する立場にあるのは私です」
夜のオフィスに静寂が訪れる。PCの明かりが、唇を噛んで視線を床に落とす川畑さんを映し出す。
「ではこれにて業務終了となりますので失礼します。料金ですが、指定の口座に、期限までの振り込みをお願いします」
辻は淡々と言うと、永褄の背中にそっと触れる。「ツマ」後ろ髪をひかれつつも、出口に足を向ける。
真っ暗な廊下で、歩を進める。腕の辻褄だけが、反射してぼんやりと光る。
「なあ、ツマ……あの、息子のくだりは、差し引いてもいいだろ?」
「――まあ、いいでしょう。認めます」
「よし! だとすれば――室外に出た時点で4分57秒。俺の勝ちだ」
エレベーターを待つ。暗闇でも、辻が手を差し出してきているのが分かる。
営業所を出発する前に、彼が言い出したことを思い出す。「俺くらいのレベルになると、今日の仕事なんか、5分で終わらせられるね」なぜか、あれよあれよと、金を賭ける流れになっていた。絶対に不可能だという確信があったので、賭けに乗ってしまった自分も自分だが。
「いや、逃げ切れませんよ? 辻さん」
エレベーターが到着し、光が溢れ出す。照らされた所長の顔が固まる。
「タイムが5分を切るように、辻褄合わせてますよね? 腕辻触った瞬間、見てたんですよ」
辻褄合わせの原理を、川畑さんに説明している際、左手首に手を伸ばす光景を、しっかり捉えている。
「いや? え? あの、時計が……」
「辻さん、時計は着けてないでしょう」
辻は瞬時に表情を瓦解させ、「いやー参った。よく気づいたね」とこぼしながら財布を取り出す。3000円もの大金を騙し取るつもりだったのかと思うと、恐ろしい。
みるみる減っていく階数表示を見つめながら、無言の空間を埋めるように、永褄は話す。
「支部の確認も取らずに、依頼を断ってよかったんですか? 確かに、冷静さを欠いている感じはありましたけど」
永褄と同じく階数表示を眺めながら、辻の目は、ここではない遠くを見ているようだった。
「電話が来た時点で、依頼者のことは調査してある。川畑真輔、彼は、3年前に別の会社に依頼して、自分とその息子が、実の父子であるように、辻褄を合わせている」
「え……? じゃあつまり」
「ああ。本当の親子ではない。息子は、川畑と再婚した母親の連れ子だ。彼と息子の間に、血の繋がりはない」
エレベーターが止まり扉が開くと、そこには暗黒が広がっている。
「一度、本物の親子でありたいと願った彼らを、どうして引き裂けるんだ?」
辻に問われて、永褄は何も答えることができなかった。
今夜が、試験前では最後の出勤となるので、その旨を伝えて、家に帰ることにする。
「――辻さん、最後に1つだけ、いいですか? 気になることがあるんです」
「ん?」
事務所への道を辿りかけていた辻は、足を止めて振り返る。
「今日、賭けのイカサマをした時とは別に、もう一度、あなたが辻褄を合わせている場面を目撃したんです」
コンビニの光に当てられた辻の顔が、たちまち表情を失う。
「依頼者の川畑さんと、初めて顔を合わせた時です。なぜですか? 辻褄を合わせたい理由、例えば、僕に見られたくない、反応でもしたんでしょうか」
辻は沈黙を貫く。永褄にとっても、それは、緊張の一瞬だった。
彼はふぁっ、と小さく笑った。まただ。また、あの瓦解。
「『死ね』――だっけ? まあ、奴にとっては深刻なんだろうけど、反抗期だからな。俺なんてあいつに、『兄さんが生きてる限り、俺は死ぬ』って言われたんだぜ? そっちの方が悪質な脅しだよな」
永褄は、息を止めた。川畑を思い浮かべる。年齢から考えて――
「――弟、ですか? 辻褄を合わせたんですか?」
また、長い長い間が訪れて、ふと、辻は微笑んだ。前を向きながら「ツマ、試験頑張れよな」と言って歩いていった。
後ろ姿の悲哀さだけが、目に焼き付いた。
辻・ツマ合わせ 梶田向省 @kfp52
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