第四話 最後の晩餐

「あ、あなたは、いったい――」


 静かに見つめる美優に対し、和人は震え声で尋ねた。


「私? 私は普通の女性ですよ。料理が好きな、ただの女性です。――ただ、少しだけ、特別な力があるの」


 微笑む彼女の瞳が妖艶に輝く。その笑顔は今まで和人が見てきた天使の笑顔とはまったく別のものへと変貌していた。


「特別な力?」


 問いかける和人に美優がゆっくりと近づく。


「私の料理には特別な力があるのよ。食べた人の生命力を、少しずつ私に移してくれる力がね」

「そんな力が……。嘘…では、ないのか――?」


 声がかすれる。目前の美女が、得体のしれない化け物に見えた。そんな和人に、美優は首を傾げ、まるで子どもに優しく説明するように囁く。


「ご飯を食べれば、元気になるでしょう? 私の料理は逆なの。相手の“元気”を、少しずついただくことができるの。だから、あなたも全てを私に頂戴。このスープを飲んで――」

「うあーっ!」


 近づく美優から逃れようと、和人はソファーから立ち上がった。ところが、足がもつれそのまま床に倒れ込む。


「ふふ、さあ、最後のお食事をしましょうね、鈴木さん」


 美優が和人の前にそっとしゃがみ込み、手にした皿からスープを掬い上げる。


「さあ、あーんして。美味しいですよ。今までのあなたの感想を参考にして仕上げた最高の逸品ですからね」


 肉の塊がごろりと乗った銀のスプーンを和人へと差し出す。


「やめろ、やめてくれ……まだ死にたくない。僕にはまだやりたいことが――」


 顔を背け、叫ぶ和人。その様子に、美優は不思議そうに首を傾げた。


「やりたいこと? ――あなたのような平凡な人間に、やりたいことなんてあるの?」

「え……」

「あなたたちのような取るに足らない存在は、私のような美しい存在のために生きることに意味があるのよ。ふふ、喜んで、あなた、今までで一番の“食材”だったわよ、鈴木和人さん。最後の一滴まで、私に生気をちょうだい」

「そんな――!?」


 今までの美優像が全て崩れ落ちる。彼女は美しい天使ではなかった。優しさで手料理を振舞っていたわけじゃない。自分をただの食材としてしか見ていなかったのだ。すべては自分の糧となる最高の料理を仕上げるため……


「くそ、この化け物が――」


 和人は逃れようとするが、体がもう言うことをきかない。皿から立ち上る芳醇な香りが、まるで媚薬のように和人の脳髄に沁み込み、彼の肉体から気力を奪っていた。


「さあ、どうぞ」

「やめ…あ、あぁ……――」


 スプーンが口の中に入ってくる。料理は驚くほど美味しかった。味覚ではなく、細胞の一つ一つが絶品だと告げている。それと同時に、何かが奪われていく。それは、生命力――細胞に染み渡ったスープが、全身から和人の生気を抜き取っていった。


「あ……」

「どうです、鈴木さん。このスープの味は? 感想を聞きたいけど――もう無理ね。ふふ、残念」

「……」


 美優の声が遠くなっていく。視界がぼやけ始め、何気なく手を見下ろすと、確実に透明になっているがわかった。向こう側の床が透けて見える。

 和人は最後の力を振り絞って、美優を見つめた。自分を死へと追いやる相手をしっかりと睨みつける。


「…………」


 その顔は確かに美しかった。この世のものとは思えぬほど神々しく輝いている。彼女の肌は陶器のように滑らかになり、瞳は星のように潤んでいた。

 自分から吸い上げた生気が、彼女を完璧な美の化身へと変貌させたのだと気づいた和人は、死の間際であるというのに思わず美優に見とれた。


 美しい……。でも、それは人ではない。何か別の――……


 そこで、和人の意識は途切れた。彼の肉体はほとんど透明になっている。


「ああ、完璧ね。――鈴木さん、ありがとう。あなたのおかげで私はさらに美しくなれましたわ。ふふ、ふふふ……」


 美優は微笑み、消えゆく和人の姿を一瞥してから手にした皿をテーブルへと置いた。そしておもむろに床に落ちた手帳を取り上げると、そこに新たなデータを書き加える。


「えっと…、鈴木和人――最終結果は、透明化完了。過去最高の美味。っと、ふふ、さて、次はどうしようかしら……」


 結果を書き終え、手帳と閉じた美優の頭からはすでに和人の存在はなくなっていた。床に倒れた彼の姿も、もうすっかり消え失せている。食べ終えた料理には興味はない。考えるのは次の新たな食材のこと――



○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○



 翌朝、美優は新しい服に着替えて外出した。もちろん次なる食材を探してである。さらなる美しさの為には、新たな生気を補給する必要があるのだ。


 駅へと向かう途中、鏡のあるショーウィンドウで自分の姿を確認した。昨日よりもさらに美しくなっている。これなら簡単に次の男性を見つけることができるだろう。


 通勤ラッシュで賑わう駅のホーム。


「さて……、あ、あれ、いいかも。たまには若い子も……」


 通学途中の高校生に目をつける。少し疲れた感じの、地味な、目立たない男の子。その子に美優は近づき、後ろから肩を叩く。


「ねえ、君、このハンカチ、落とさなかった?」


 新しい狩りが、今始まろうとしていた。



おしまい


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女の手料理はどんな味? よし ひろし @dai_dai_kichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ