ボク

サブ部長

ボク

 ――――ありったけの思いを無視してボクは人の首を絞めた。




 初めての経験だ。こんな経験複数あってたまるものか。非常に気持ちが悪い。


 指越しに大動脈の震えが伝わってくる。ドクン、ドクンと。今まさに脳に血液を送らんと、普段より狭くなった通路が必死に動いている。生命の証が、生きたいという思いが、今己の手に握られているのだ。そして今それを止めようと己の意思は働いているのだ。


 自分は世間一般で言う「普通の感覚」を持っている人間だと自負していた。


 生憎ボクは殺人に快楽を覚えられそうにない。そして、何も感じずに機械的にこなすこともできそうにない。一度行動に移せばあとは勢いで何とかなるというのは希望的観測でしかなかった。


 ずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと、腕が力を緩めようとする。脳が記憶を呼び起こしてくる。どれも殺人を否定するものだ。今の行動を否定するものだ。ボクは叫んでそれを誤魔化すしか無かった。


 生まれて気づけば知っていた「人を傷つけてはいけません」「人を殺してはいけません」「それらは悪いことです」といった教え。悲しいかな、それらは今ボクの意思が込められた肉体に刻まれたものであることに間違いないが、ボクのものではない僕の記憶である。ボクはボクではない過去の僕に行動を制止されているのだ。


 その事実が、ボクの心に重くのしかかる。これなら生身でマリアナ海溝にでも沈んだほうがマシだとすら感じる。こんな辛い記憶でもいいから正真正銘、過去の自分が作った自分の所有物であって欲しかった。


 その迷いがボクに隙を作った。ボクによって首を絞められていた――――僕がありったけの力を使ってボクの体を押しのけた。勢い余って近くの全身鏡にボクは体をぶつける。鏡が割れる。その鏡に映っているのは一人の人間の二人分の姿だった。


 双子ではない。正真正銘一人の人間が二人分だ。一人は本物、一人は偽物である。偽物は言わずもがなボクである。


 ドッペルゲンガーの噂を僕は知っていたようだ。ある日突然現れるもう一人の自分。そいつに出会うと殺されてしまうらしい。


 過去の僕は殺される理由を知らなかったらしいが、今のボクにはそれがわかる。簡単な話だった。ボクがのだ。


 本物と同じ体を持ち、本物と同じ記憶を持ち、それでありながらボクは存在を否定される。今目の前にいる人物がいることによって。


 棚に飾られたトロフィーが目に入る。数年前、小学生の時に獲得したものだ。ボクはそのトロフィーを初めて触ったときの喜びを知っている。思い出せる。だがその記憶はボクが作ったものではない。ボクにとっては他人が勝手に作ったニセモノの記憶でしかない。なのにそれは間違いなくボクの持っている記憶だ。


 ならば今思考を回しているこの意思は何なのだろう。ボクが生み出しているのか、はたまた僕が生み出しそうなことを予測して生み出されているのか。先ほど感じていた気持ち悪さは、誰が感じたのだろう。ボク? それとも僕?


 鏡の破片が僕の前に滑った。縁が尖っており、ちょうど持ちやすい大きさをしている。人を傷つけるには皮肉なほど最適だ。


 僕も同じことを思っていたらしい。自身の手が傷つくのを気にせずそれを握り、叫びながらボクに向かって振り下ろしてきた。


 僕も、気持ち悪さを感じているんだろうか。記憶と戦っているのだろうか。この期に及んでぼーっと俯瞰しながら考えている自分がいる。


 そして、怖い、殺される、ボクは今こう思っている。いや、本当にボクが思っているのか?


 はっきり分かっているのは、僕にとってこの涙を流している生物は化け物以外の何物でもないということだけだった。

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ボク サブ部長 @sub_bucho

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