彼は今

白川津 中々

◾️

 都会の喧騒に嫌気が差したという月並みの理由で山暮らしを始めてから三年、ようやく生活にも慣れ、生業としているハーブ栽培も軌道に乗ってきたのだった。


 山間に、ぽつんと顔を出しているのが私の住処である。麓の街まで車で三十分。周りには他に何もなく、草木の掠れる音や動物の声が聞こえるくらいで静かな場所である。元々人との付き合い方が上手い方ではなかったためこの静けさと孤独感が気に入り生活を始めた。他者と関わらない時間が増えたのは自分にとって想像以上に快適だったのだが、やはり生きていく以上繋がりは切れず、否が応でも会話を交わしたり頭を下げたり下げられたりする場面があった。水道電気ガスなどは人の手によって整備されているから都度に対応をお願いしなくてはいけないし、育てたハーブも買ってもらわなくてはならず、運送の手配もある。真なる一人にはなれないのが、人の世の煩わしさであろう。


 けれども不思議なもので、そんな私であっても顔を合わせるのに抵抗ない人がいた。

 彼はお得意さんで、ハーブを買い付けにトラックでやって来る。会話はとくにない。品物を渡し、納品をしてから金をもらって、それで終わり。そのやり取りの中で、私は彼に好意を抱いていた。人嫌いには人嫌いの波長分かる。彼もまた、私と同じく人間が好きではないのだ。


 その彼が、ある日ボソリと呟いた。


「恐れ入りますが、買い付けは今日限りといたします」


 残念だったが「分かりました」と返し、彼とはそれきりになった。

 それから一年ほど経つと、戸が乱暴に叩かれた。何かと思えば警察だった。どうやら、私が育てているハーブが栽培禁止となっていたらしい。なんでも、特定の手順で加工すると強い幻覚効果と依存性を発揮するとの事だった。大々的に報道もされていたようだが、外界の情報が入ってこない生活をしている。知らぬ存ぜぬを通し、徹底的に部屋を調べてもらったおかげで執行猶予がついた。廃業となったが死ぬまでの金は蓄えていたのでなんとでもなる。私はあっさとハーブ園を潰し、季節の野菜を育てる畑に転換してしまった。世間的も何もない生活、それで全てが事足り、終わる。


 気がかりなのは、あの彼だった。


 きっと、ハーブを麻薬として売り捌いていたのだろう。今は潜伏しているのか、あるいは捕まってしまったのか。いずれにせよ、人の目を気にし、付き合いたくもない輩と付き合っていかなくてはならないのだから同情を禁じ得ない。悪人であったかもしれないが、私は彼が好きだった。もう二度と会えないだろうが、どうか息災であってほしいと、願うばかりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼は今 白川津 中々 @taka1212384

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ