傷痕

Kei

傷痕


!!


すれ違った男の左腕に大きな傷痕があった。

忘れもしない。あれは私がつけた傷だ。



三十年前、私はとある家に住み込みで働いていた。

その日は真夜中に不穏な気配を感じて突然目を覚ましたのだった。


階下で物音がしていた。

私は静かに階段を降りていった。店の中は道路から差し込む街灯の光で薄明るかった。入口のスライドドアが開いている。奥のカウンターの陰で何かが動いていた。

私は壁に立てかけてあった箒を手に取り、近づいていった。


カウンターのそばまで来た時、突然、何かに躓いた。

それは店の主人だった。体がねじ曲がり、開いたままの目が空を見つめている。そして私が足を引っかけた音とともに、カウンターの後ろから男が立ち上がった。手に現金を掴んでいる。特徴のない顔が不気味だった。


男は私に飛びかかり、とてつもなく強い力で首を絞めてきた。私はもがきながら男の股間を蹴り上げた。一瞬、手の力が緩んだ。私は首を必死で振った。そしてたまたま口にあたった男の腕を思いきり噛み…噛みちぎった。


男は体を振るわせて飛び下がり、腕を押さえながら店の入口に突進し、そのまま走り去っていった。


警察は通りすがりによる無計画な犯行と判断した。

犯人は捕まらなかった。しかし驚くほど早く捜査は打ち切られた。



事件の後、私の人生は大きく変わった。殺人事件に遭遇したという経歴は重く響いた。「縁起が悪い」と長く置いてもらえる場所はなかった。



私は腕に傷のある男を追いかけた。

通報しなくては…。しかしそれよりも見失ってはいけない。


男は足早に角を曲がって行った。

続いて角を曲がったら、男が目の前に立っていた。



「あんた、俺を尾けてるな?」



気づかれていたのだ。こうなっては仕方がない。

私は男にあの事件のことを突きつけた。



「俺があんたを襲った? この傷が証拠…」



男は少しの間考えていた。そして何かに気づいたようだった。



「ああ、そういうことか」



男は肩ごと左腕を取り外した。



「この腕はな、ある男から貰ったものさ。そいつがあんたの…」



そんなことが…? 私はその男について聞いた。



「そいつはとある保安会社の警備員だったんだ。表向きは他のモデルと変わらない」


「しかしチップが違っていた。新しく開発されたものだったんだ。本来なら稼働実験後に搭載されるものだが、その時はろくに検証もせずにリリースした。あんたも知っての通り、競争の激しい業界だからな」


「そして案の定、チップは不良だった。学習させた強盗の行動プログラムが暴走して、あろうことか担当エリア内の家を荒して回った」



その警備員に私は遭遇したというのか… しかしそれなら他にも被害者がいたはずでは…?



「もちろんいたさ。しかし会社が警察に金をバラ撒いて事件化させなかった。殺人にまで至ったのが一件だけだったのは幸運だったよ。あんたにとっては不幸だったがね」



…その警備員はどうなったのか?



「俺がバラしたよ。チップの開発者からの指示でな。…そしてその時、この腕は貰っておいたのさ。規制前の力を出せるんでな」


「しかしまさか、表面の傷で気づかれるとはな」



??



「さて、大体のことがわかったところで… あんたには壊れてもらうよ。俺も会社の雇われなんでね。随分昔のこととはいえ、今更表沙汰にされては困るからな。あんたも引退の時期だろう?旧型の家政婦ロボットだしな…」



が再び迫ってきた。

私は首を絞められながら傷痕を見ていた。ゆっくりと視界が閉じていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

傷痕 Kei @Keitlyn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ