破章「強襲」

―有馬将介、尾形洋仁 十三時二十四分 名神高速道路―


「もうすぐ着きますよ」


運転席の尾形がそう告げ、目を覚ました。左腕に巻いた時計を見ると、大津から出発して大体一時間が経過していた。少しの仮眠だったが、かなり疲れが取れたような気がする。


助手席の硬い背もたれを起こしながら、足元の鞄からノートパソコンを取り出す。膝に置いて起動した後、ポケットから取り出したUSBを側面に取り付けた。


デスクトップには執務室で開いたあの『00:00:05:36』とカウントダウン画面が浮かび、こうして見ている間にも刻々と秒数は減っている。その一連を横目で見ていた尾形は、運転中にも関わらず両目を見開き、画面を凝視していた。


「え、有馬さんそれって……」


「俺のノートパソコンだ。」


「いや、それは分かってますよ。有澤本部長が『証拠品は全てこっちに引き渡してもらう』って言ってませんでしたか?」


有澤が部下を連れて執務室へ入ってきたあの時、山本の体内から見つかったUSBを、俺はパソコンから引き抜いて、椅子に掛けてあった上着の内ポケットに滑り込ませた。


リアルタイムで発見された新しい証拠を、奴が気づいて押しかけて来た訳がない。加えて、あの時は尾形と班長が表に立っていたのが、上手い具合に隠れ蓑になっていた。


「バレたらやばいんじゃないですか、それ…」


「証拠の一つも無しに捜査なんてやってられるか、バレる前に戻しておけばいいだろ」


「俺、執務室で本部長に噛みついて、最悪飛ばされるかもしれないのに、有馬さんまでそんな事したら、そんな事したら……」


尾形がハンドルに顔を埋め、深くため息をついた。


「前見て運転しろ」


はい、と力なく返事をして、尾形はギアを一速から二速へ入れた。


「前から思ってたんですけど、なんで俺たちの車ってマニュアルなんですか?」


「他の部署はほとんどオートマに代替わりさせてますよね。理由があるんですか?」


答えて良いものか返答に悩んだ。真面目な尾形にこの事を話せば、あの人の信頼を落とすかもしれない。


試行の結果、黙ってはぐらかす方が不審と判断して、噛み締めていた口を開いた。


「………班長の趣味で、変更を遅らせてるんだ。車種も、既定と違う」


「班長の趣味……?芳村班長のですか」


「噂で聞いた話だが、昔、自前で車を選んでは社用と登録して、乗り回したらしい。これはその名残りだと、ここに配属された時に聞いた。」


警察車両には規定条件が存在する。具体的には、4ドアセダンで、排気量と乗員員人数などに関するもの。なんでもいい訳ではない。それを通過し、ふつう警察車両として、一般に採用されているのはトヨタのクラウン。対して自分達の車は、アニメに出てくるロボットのように鋭角なフォルムにヘッドライト。


車に関心が持てず、聞いた名前も覚えていない。

後ろに「typeR」とバッジがついている事だけ、特徴的で覚えている。


「車には詳しいか?」


尾形にそう尋ねた。


「高校ぐらいかな、一時マイブームって言えるぐらいには好きでしたよ。シビックって名前なんですけど、これもいい車です。」


一瞬、尾形の口角が数ミリほど上がったように見えた。声も上擦り気味で声量は明らかに増している。


「いやぁ、スポーツカーはFR一択だって声をよく聞きますけどね。僕は好きです、FF。」


尾形は喋り続けた。眼鏡が光を反射させ、表情が読めないが自分の想像と同じだろう。目線を外し、窓からの景色を眺めた。


高架の下に広がる、家屋と雑多な建造物。それを埋め尽くす田畑は、警察官として初めて配属されたあの年を思い出す。


「元気でいてほしいな…あの子」


澄み渡る青空と、春の暖かい日差しにそぐわない感傷が胸から染み込む。こうして何もしない時間と温度が続くと、どうにも微睡んでくる。

頬杖をずらして画面を覗くと、気づけばカウントダウンは終わり、一列にゼロの静止画が映っていた。パソコンが爆発するも、お祝いのメッセージが再生されるなど、特別な事は起きなかった。深く溜息をつきながら画面を物理的に閉じ、姿勢を起こして眠気を振り払う。


「尾形、パソコンのカウントダウンはガセだ。今タイマーがゼロになったが、何も起きなかった。」


「阿藤のビデオが当たりだったかな……本部長の座標まで後どのくらいだ。」


これだけの言葉を投げかけるも、尾形から返答は返ってこなかった。


「尾形……?」


「有馬さん、窓の景色、見てもらってもいいですか。俺がおかしいんですかね………」


「何だ、これは……?」


数秒前の青空は、禍々しい深紅に姿を変えていた。奥に行くほどに黒が混ぜられ濁ったような赤は、自分達の頭上に限らず、見渡す限り広がっている。


「尾形、お前はさっきまでずっと前を見ていただろう。何があった」


「い、いや俺も訳が分からないですよ。本当に瞬きした瞬間にはこうなってたんですから」


「普通、アニメとかだったら前振りに暗雲が立ち込めたり、空に亀裂が走ったりするもんだと思うんですけど……」


お互いが目の前の超常現象に動転してしまっている。畳み掛けるよう、足元が揺れた。地震だ、止まる事なく勢いが増幅されていき、かなり大規模なものと直感的に理解した。


「尾形!車を止めろ、何かに掴まれ!」


「くっ……!了解で__」


尾形がそう発声しようとした瞬間、後方から激しい衝撃に襲われて、ダッシュボードに額を強打した。サイドブレーキを引く途中で姿勢を崩し、右斜に滑りながら車体が壁面に叩きつけられる。


咄嗟に左手で掴んでいた上部のアシストグリップと反対方向に急激な慣性が働き、腕が千切れるような感覚を覚えつつも、意識は途切れていない。


気づけば揺れも収まっていた。追突してきた白い軽自動車は、サイドミラーを粉砕しつつ、勢いのまま高速を下って姿が見えなくなった。


突然の地震でパニックに陥った故の行動と推測して、立場を踏まえても咎めるつもりは無い。しかし、額に滲んだ血液は恨めしそうに赤く照りついていた。


「無事か……?」


「右腕をぶつけました。けど、エアバックのおかげで大事ないです。」


顔面を対角状に傾いた眼鏡を定位置に直しながら、尾形はそう話した。


「有馬さんは……額の傷は浅そうですけど、脳震盪とか……大丈夫ですか?」


「少し、ぼおっとするが……これぐらいなら俺も大丈夫だ。車はもう動かないのか?」


頭を左右に振ると、液体の針が脳内に染みていくような頭痛がする。目を開けているのもだるい感じだが、泣き言を言えるような状況ではない。


「前は無事なんで、まだ十分動くと思いますよ。このまま向かう感じっすか………」


呼吸を整えつつ、状況整理と目的の確認を進める。


「車が生きてるなら……そうだな、帰る訳にもいかない。」


「……了解」


サイドブレーキを解除して、車が発進した。後輪の方から金属が剥がれ落ちて、道路に散らばる音が聞こえた。動き自体も少し歪だが、後数キロ走る分には問題ないだろう。尾形も何となくの察しがついている素振りが見える。あの赤い空は、確実に阿藤が絡んでいる。


USBに遺されたカウントは、この現象のタイミングを知らせるために用意された物で間違い無いだろう。そうすると、この先にある何かが答えにまた近づく一つという可能性は必然的に高い。


高速を白と黒のラインが駆け抜け、出口を視界に捉えた。その同時。


パトカーが上空からの影に覆い尽くされ、暗くなったと思うと、突如に接地感が消えて、ゆっくりと地面から遠のいていく。有馬は叫んだ。


「シートベルトを外して今すぐ降りろ!早く!」


三メートルぐらいの所で車内から飛び降り、膝をついて着地した。衝撃でドアが変形していたのか、パトカーが『投げ飛ばされる』寸前の所で、尾形も無理やり蹴破って脱出。料金所に叩きつけられ、鉄塊と化した車に降り立ち、こちらを見つめているそれと目が合った。


「どう見てもドラゴン……ですよね、あれ」







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Across 林檎 @sierra429monokaki

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