序章「交裂点」その10

― 倉本平 十五時十分 晴山高校グラウンド前―


どれくらいの時間が経ったのだろうか。目が覚めた時、俺の体はくの字に曲がって宙に浮いていて眠っている間に召されたと思ったが、視界に入った迷彩色に、力強く巻かれた上腕から現実である事を理解した。


「……あの」


「お、隊長!男の子意識戻りましたよ〜」


自分を担いでくれていた若手の隊員がそう報告した同時に、全員が歩みを止めた。


全員で七人。自衛隊の人達四人に、高校生三人。自分が気絶した時から面子めんつが増えていない、もう生存者は残っていなかったのか、この晴山高校には、述べ三百人以上が在籍している。


いくらグラウンド一点に集まっていたとは言え、俺ら三人以外の全校生徒を殺戮し切ったとは考え難い。


火攻めや銃などの範囲攻撃を使わず事に及んだのならば、いくら何でも早すぎる。何人かは外に出られたのだろう、そうあってほしい。


「一旦、下ろしてもらっていいっすか?ずっと

担いでもらってるのも申し訳ないんで」


「気にするな、頭を打ったんだし」

集団がまた動き始めた。


理由はもう一つ。ぶら下がった頭に血が上って、意識が戻った頃に気分が悪くなったからだ。


正直に言うのが一番だろうが、気を使わせたくない。何とか俺に非を持たせつつ、下ろしてもらう術を思案していた時、横から視線を感じた。


そこに居たのは真田さんで、丁度目が合った。


(た す け て)


口パクで助けを求めた。しばらくの間見つめ合った後、何故か真田さんは何も無かったように前を向き直した。


衝撃で言葉を失ったが、よく見ると左手で首元をつねっている。無視された訳ではなく、俺が出した信号の意図を考えてくれているのだ。


期待の眼差しを向けていると、「あぁ、成程」と小声で呟く声が聞こえた。同時に、真田さんは頭をコンコンと指先でついて、俺の方を向いて首を傾げた。『大正解』と表すよう縦に首を振る。そのせいで頭痛が悪化したが、勝ったも同然の状況でもう案ずることは無い。


「上林さん、倉本くんが水を飲みたいらしいんですけど、良いですか?」


その手があったか、最初から勘繰る必要なんて無かった。あまりにも自然な回答に素直に尊敬する。

「この子が飲んだ奴は俺のリュックの中だ、ちょっと待ってて」

地面に座り込み、一息ついた。逆さから戻り、頭痛は直ぐに治った。頭上からボトルが差し出され、目線を合わせながら受け取る。


「一つ貸しね。」


「マジで助かったけど、お手柔らかにお願いします……」


貸しは作らない主義だが、今回に限っては仕方ない。お互い年相応に笑った後、思い出したように真田さんは口を開いた。


「あ、言い忘れてた事があってね、倉本くんのリュック、道端に落ちてたのを拾って、自衛隊の人が持ってくれてるよ」


完全に忘れていた。あの山羊頭の怪物とエンカした時に置いてそのままだった。


「ありがたや〜携帯もあん中だったから無くしたり、ぶっ壊されてたらどうしようかと思ってたんだ」


「……?私は『拾った』としか言ってないよ。」


「え」


「中身の確認はしてないし、側溝に落ちてたから、多分蹴られたりしてるんじゃ無いかな」


全身に寒気を感じた。それなのにシャツは汗で体に張り付き、不快感と焦りの混じった緊張が自分にまとわり付いた。


俺の携帯の中にはリリースからプレイしていて、そこそこ課金もしているソシャゲのデータに加えて、最近財布を持つのを面倒に思い電子マネーに一万円ほどチャージしたばっかりだ。


現実がめちゃくちゃになっていて、そんな事を気にする暇は無い気もするが、家族の安否を知るためにも、俺にとってスマホはこの世界より大事だ。


「無事だといいね。」


それだけ話すと、真田さんは手をひらひらさせて先に歩いて行った。


気づくとグラウンド前の一本道まで戻ってきていて、ヘリは着陸していた。いかついフルフェイス型のメットを被ったパイロットが、操縦席で何かの計器を操作しているのがここから見える。


「あのヘリに乗って、避難するんだ。」


寺田の指示に従い、七人全員が搭乗口に集まった。横滑りのドアを開けて怪我人の市川が始めに乗った。


「わぁ〜、初めて乗った!!中ってこんな感じになってるんだ」


大体の高校生がそうだろうよ、そう思っていたら寺田さんがまた話し始めた。


「乗り込んだら、座席の横に掛けてあるヘッドセットを装着してくれ」


機内のラックに掛けられたそれを身につけた後、市川さんは満面の笑みを浮かべながら両手でサムズアップした。不意打ちを喰らい、思わず吹き出してしまった。


「はは、次は君だよ」


今度は真田さんが呼び掛けられ、搭乗口に足を乗せた。一方を引きつけながら機内に入る瞬間、天井に頭をぶつけてごん、と鈍い音。


「…………」


右手でぶつけた箇所を押さえながら、ふらふらと座席に座り込む。市川さんにヘッドセットを手渡され、それを首にかけた。


「しっかり装着するのは、動き始めてからで良いですよね?」


「あぁ、構わないよ。なんか様になってるね」


そう言われて恥ずかしそうにうつむいた後、真田さんは首からヘッドセットを外して膝の上に置いた。


「えー、やめちゃうの?かっこよかったのに」


市川さんは悪戯っぽく笑いながらそう話している、同感。


「……からかわないで。初めてのことで、ちょっと……舞い上がっちゃったの」


ニヤニヤしながらその一部始終を見ていた。そして、最後に俺の順番が回ってきた。


「最後は君だ。頭、気をつけてね」


「“俺は“大丈夫っすよ。そんな事より、あの」


「最初に助けてもらってから、今までほんとありがとうございました。」


得意げに寺田が話す。


「これが俺たちの仕事だ。もっと早く来ていれば、より多くの生徒さんを救助できたのかも知れないが……君達だけでも助けられてよかった」


柄になく感謝を伝えて、少しこそばいような気がした。頭をぶつけないように姿勢を低くして、乗り込もうとした瞬間、一つの考えが頭をよぎった。


鳴島は今、何処にいるのだろうか。


地震に気づかず、無神経にまだベッドの中にいる事は流石にないだろう。もし、学校の外が同じ状況でも何となくアイツは生きてるんじゃないかと思う。


それなのに、俺はここで一抜けして良いのだろうか。学校に向かっているなら、そろそろ駅にも着く頃合いだ。


あんな事を考えてしまったが、俺にとって鳴島が友人である事に違いはない。


「すみません。やっぱり俺は、一緒に行きません」


「……どうしてだ?」


「それは、その………」


どう返事したものか困っていると、機内から声が聞こえた。


「鳴島君だよね、倉本くんが気にしてるの」


「あの地震で起きたとして、鳴島君の最寄りって南彦根駅だっけ?」


鳴島の家から駅までは二十分かからないぐらいだったか。何事も無ければ辿り着けているはず。


「そうだ、寺田さん。二回目のヘリって」


ちょっと待て、と話を止められた。


「聞いている限り、近くに友達がいるかも知れないから残るって話だよな?」


怪訝な表情を浮かべ、寺田は続いた。


「許可できない。次のヘリが来た時にも、その子が来なかったらどうするつもりだ、来るまで待つのか?」


「探しに行くんです。アイツは絶対ここを目指してる、駅で待っていれば、きっと合流できる」


他の自衛隊員と市川さんの視線を受けながら、説得のために頭を働かしていると、コクピットの方からパイロットの人が降りてきた。


ヘルメットを外しながらこっちに歩いている。フェイス部分を剥がし、露わになった顔を見ると、その人は女性だった。髪は少し伸びたショートカットで、目は鋭く、口元には薄く傷跡のようなものがあるが、とても端正な美人で驚いた、ヘルメットで乱れた髪を雑に整え、彼女は話し始めた。


「行かせてやりなよ。この感じ、止めても聞いてくれないよ」


狼狽える寺田さんを横目に彼女は話した。


「ただ、二つだけ私からの条件がある」


「一つ、あの女の子は連れて行かせない。あの怪我、応急処置は済んでいるようだけど、無理に動かしたんでしょ。きちんと手術しないと後遺症が残るかも知れない。だから、行くなら二人だけで行きなさい」


「二つ、今から話す事を聞いてもビビらない事。眼鏡の貴女もよく聞いてね」


予想外の提示に生唾を飲み込んだ。


「……無線に入ってきた地上部隊からの情報でね、君ら河瀬駅に取り敢えずは行くんでしょ」


「分かりやすく言うと何だろうなぁ……一応聞くんだけど、君ら『Vendead』ってゲーム知ってる?」


!?あの過疎暴力ゲーを知ってる人が俺と鳴島以外にも居たとは。今思い出したが、デッド(略称)のストーリーモードに『ゾンビ化した自衛隊員が占拠した基地をヘリに搭載された重火器で皆殺しにして奪還する』と言うのがある、職業的に大丈夫なのか。


「知ってるっすけど……」 「私は知らない」


「お、一人は知ってるのか、なら話が早い」


胸ポケットに入れていた赤い箱から、少し丸まった一本の煙草とライターを取り出して吸い始めた。吸い始めて間も無く、「勤務中ですよ」と寺田さんが火を消そうと手を伸ばした。

それを払いのけ、彼女は話を続ける。


「特徴をまとめたら完全にデッドの“アイツ“なんだよねぇ。駅前を移動中だった二十四人の隊員と九六式がもれなく壊滅だってさ」


全身の血管が黒く染まり、喀血かっけつしながら倒れていったと聞いた。嫌な予感がする、二年間デッドの民としてやってきた経験から出てくるであろうモンスターが自動的にソートされる。


「もしかして今言おうとしてるのって...」


「多分あってると思うよ。はい、せーの」


『音速入れ込みネクロクソトカゲ』


「真田さん、鳴島はもうダメかも知れない。」


明らかに困惑した様子で真田は口を開いた。「待って、話についていけてないから、私でも分かるよう説明して欲しい」


Vendeadに出てくる雑魚モンスター、見た目は黒い体皮に、紫の模様が特徴のトカゲ。対して強くはないのだが、こいつの亜種である『音速入れ込みネクロクソトカゲ』、正式名称は『ネクロスリザード』こっちはマジでやばい。


何がやばいのか、一から説明すると途方もない。「ネクロ」はこのゲームにおける「ゲージが溜まると即死する状態異常」の名前で、つまりはそう言う事。


これらの情報を選び取って真田さんに説明した。


「その……『音速入れ込み根暗トカゲ』?それが強いことは分かったよ。けど、私は行く」


根暗とネクロを間違っている。ツッコミをいれようとしたが、揺るぎない覚悟を感じさせる真田さんにそんな事を言う空気はない。


吐いた唾を俺も今更飲み込む気はない。


「それでも行くの?」


不覚息を吸って、返答した。


「行きます。クソトカゲなんて余裕っすよ」


真田が続く。

「市川さんと一緒に居てあげられないのは申し訳ないけど、私もあれを見捨てたくない。」


真剣な顔で俺たちに近づき、急に肩を強く掴まれた。


ぶん殴られると思って構えたが、次に彼女は俺と真田さんの肩をバシバシと叩きながら、美しい外見には似合わないほど豪快に笑い始めた。


「そうか。死ぬなよ!二人ともまだまだこれからなんだし」


口元の煙草を弾き飛ばし、腰に巻いていた隊服を翻して高らかに言った。


あたし北条 晶ほうじょう あきら!!また会ったら、どこでも乗せてってやる」


「だからその時まで、この地獄を必ず生き抜きなよ」


「……はい!!」


何だか勇気が湧いてくる。ふと真田さんの方を見ると瞳孔が開かれ、北条さんを見つめているのに気づいた。


「見惚れてる?分かるぜ、その気持ち」


「そうと決まれば、早速出発しよう。倉本くんはリュックもらってきたら?」


無視された。まぁ、からかった俺が悪いか。


機内に置いていた自分のリュックを背負って歩き出そうとした瞬間、後ろについていた紐を引っ張って引き留められた。


「ぐぇ……どした?市川さん」


あのね倉本くん、と話し始めた市川さんは、見た事ないほど真剣な表情をしている。


クラス内だけじゃない、怪我をした今でも発揮されている明るい雰囲気からは想像できない真っ直ぐな目で見られていた。


「二人の足を引っ張りたくないから、置いて行かれる事には何とも思ってないよ。でも……倉本くんには、一つお願いしたいことがあるの」


「何?」


「……永奈えなちゃんを、絶対に一人にしないで。永奈ちゃんは多分、倉本くんの何倍も強いんだろうけど、それは……弱点でもあると思うんだ。」


「一番先で戦うから危ないってのもあるけど、その中で、必要なら死ぬかもしれない選択を永奈ちゃんは、躊躇なく選んじゃうと思うんだ。そんな時には、止めて欲しいの。」


「お願い、倉本くん。」


俺が怪物に襲われ、また合流するまで真田さんに守られていた市川さんの願い。確かに、俺より真田さんの方が何倍も強く、フィジカル以外の判断力といった頭の回転も多分負けている。


けど、それが隣にいてはいけない理由にはならない。


それはアイツも同じだ。強いからこそ、俺さんがついてやらなくっちゃな。


「分かった。俺が出来ることは何でもやって、市川さんとまた会うまで守ってみせるよ」


「……ありがとう。」


「倉本くんも、元気でね。」


俺は歩き出した。背後からローター音が響き始め、疾風が体を駆ける。振り返り、機体の側面についた窓に向かってピースサインを浮かべてこう言い放つ。


「任せろ!」


前方にいた真田さんも立ち止まって見上げている。手は振らずに、ただじっと赤い空に消えていく機影を見つめ、それが点となった後、再び歩き始めた。


「行こう、鳴島君を探しに」


「うん、あの寂しんぼを見つけてやろうぜ」


「破章」へ続く。

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