篭目の村-鏡に映る君が可愛いから、先に笑う本物はいらない-

玉椿 沢

第1話「杉本兄弟」

 盆が明け、暦の上では立秋を迎えたというのに、ギラギラと太陽が主張する八月の事。


 街から程遠い集落へと続く道を、二人の少年が歩いていた。


 山村であるから、外部の者が訪れると目立つ。



 特に、故障した車を押しているのだから、それはもう顕著に。



 兄弟のように見える二人の、兄の方は運転席から引っ張り出したシートベルトを身体にかけていた。ハンドルを握って押しながら、眼前に見え始めた篭目村に向かって大きく息を吐き出す。


「人が居るところが見えたぜ」


 その声を聞いた弟は、車を後方から押しながら溜息を吐く。山道をずっと押してきたのだろう。汗まみれの顔を彩るのは、濃い疲労だった。


「直せる人、いるんだろうね?」


 村が見えたのは間違いないが、二人が押している車の修理ができる技師がいるかどうかは別問題である。二人が押しているオープンカーはクラシカルな印象があり、ピカピカに磨き上げられているとはいえ古ぼけて見えてしまう。修理できる者も少ないのではないか、と弟が言外に告げているのは、兄にも伝わる。


「この症状は機械的なトラブルじゃない。電気の方だ。バッテリかヒューズがあったら直るぜ」


 兄の方は自分でも直せるというが、弟は「どうだか……」と小さく呟いた。


 ――大事な車なのに、メンテをサボッてたろ?


 そんな兄の見立てなど信じられるかと思いつつも足を止めないのは、弟にとっても大事な車だからだろうか。


 そんな二人に共通しているのは、車に対する事以外にも、篭目村に抱く感情も同様だった。


 それをストレートな言葉にして、弟が口にする。


「こんな村があるの、知らなかったよ」


 二人が気にしてしまうのは、統一された景観だ。ローコスト住宅が多くなっている今、市街地では景観の統一がされていない。住宅が次々と建て替えられていく状況だからだ。


 兄の方も目を細め、周囲の民家に視線を巡らせていく。


「三十年やそこらで建て替えていく家じゃないな。先祖代々、修繕して百年でも保たせようって大工仕事だぜ」


 だから景観が統一されている――と、理屈は簡単だが、この家々を維持するのは簡単な事ではない。修繕も質の悪い材料を使って行っていては、すぐに限界が来る。


「古いから凄いんじゃない。古くても使えるから凄いんだぜ」


 兄のいう通り、引き継いでいく者がいるからこそ、この景観は保たれている。


 弟にも分かる理屈だ。


「過疎地じゃないんだね。なら、車の修理もできるかも知れないね」


 だがそれだけではない。特に兄の方は、額から流れ落ちてくる汗に細めさせられる目を周囲へ向け、


 ――子供が結構、いるな。


 遠巻きに自分たちへ向けられる視線を感じ取っていた。


 子供が多い、つまり過疎地ではない村というのは、山間部にある村の印象とはかけ離れている。


 ――子供と老人ばっかりだから、俺たちが来たのを警戒されてる?


 と、兄がそう思ったタイミングで、息を弾ませた女の声が二人へ投げかけられた。


「自動車の故障ですか?」


 二人の視線が向けられた声の主は、走ってきたらしく肩で息をした女。それこそ、こんな山村には不似合いな恰好である。


 二人の視線に訝しさが滲み出ている事に気付きながらも、メイド服の女は息を整える時間も惜し糸ばかりに駆け寄った。



 ***



 そのメイド服の女には、不思議な魅力があった。山村に迷い込んでしまい、不躾な視線に晒されている兄弟の警戒を、ものの何分かで打ち解けてしまったのだから。「故障ですか?」と話しかけてから、メイドは茜沢あかねざわ美央みお、兄弟は兄が杉本すぎもと あきら、弟がたまきと名乗り合ってすぐだ。


 美央と並んで歩きながら、旺はわざとらしいくらい大袈裟に肩を竦めた。


「参ったぜ。セルが回らなくなって、エンジンがかからなくなった」


「大変でしたね。山の中で故障だなんて」


 美央が微笑みかけると、旺は渋い表情を作って弟を指差し、


「本当に。こいつが、川の源流がどうなってるか、自由研究だっていうから」


 こんな山中へ来た理由は、河川の始まりはどうなっているかを見に来たからだった。


「俺がガキの頃、お祖父ちゃんと一緒に見てきたっていったからな」


 美央はまた「まぁ」と目を丸くした後、口元に手を当てて楽しげに笑う。


「素敵なお祖父様だったのですね」


 水源地がどこなのかは知らないが、山の中にあるのは想像できる。また車で寸前まで行ける訳もない事も同様に。何もないであろう場所だが、孫が行きたいという場所へ二人で行く祖父を想像する美央は、そこに素敵以外の感想を抱けない。


 旺は「あァ」と頷くも、それだけだった。


 環が割り込むように言葉を発したのだ。


「尊敬してるよね」


 事実である。


 その事実に、嫌みを繋げた。


「そんな尊敬するお祖父ちゃんが作ってくれた車のメンテナンスをほっぽり出して、走れなくしたのも兄さんだけど」


 今、自分たちが歩いている理由を、面白おかしく美央に伝えようとしたのだが、当の美央は笑うより先に、また驚きに目を丸くする。


「あの自動車は、お祖父様の手製だったのですか」


 そちらの方に驚く。


「イギリスからキットを輸入して、自分で組み立てる事もできる車だとは知っていましたが、そうですか。お祖父様が」


 メイドとして車の知識を持っている。旺の愛車・スーパー7は、確かにキットを輸入して個人で組み上げる事が可能な車種だ。二人の祖父が生前、旺が十八歳になった時の誕生日プレゼントとして作り上げていた。


 そんな美央に、環は少々、苦い顔を浮かべてしまう。


「大事な車なんだから、大切にしなよ」


 環の溜息は、兄への嫌みが通じなかったからか。


 いや兄へ向けたのは理由の半分だ。


 もう半分は、今も自分たちへ向けられている視線に対してだった。


「……」


 環が気付いているのだから、旺も気付いている。


「何かあるのか?」


 旺が一巡させる目には、訝しい光しかない。今時、排他的なのはネットくらいなものだ。


 そこへ美央がいう。。


「大祭を控えているのです」


 旺が「大祭?」と鸚鵡返しにすると、美央は「はい」と小さく頷き、


「九年に一度の大祭が控えています。本来は先祖の精霊を供養と、祟りを除くものなのですが……」


 美央は声のトーンを落としてしまう。その理由は――、


「多かれ少なかれ、事故が起きているのです」


 縁起を担ぐためのものであるが、縁起の悪い事が起きやすい。


「ですので人の出入りも最低限になっているのです。余計にナーバスになっているところがあります」


 そういわれると、環も納得できた。


「大祭ですか……」


 環へ美央は「はい」と答え、


「九年に一度の事ですから。極力、村からの人の出入りを抑えているのです。特に――」


 と、そこで美央は声を潜めた。


 潜めた理由は、杉本兄弟の存在故である。



「外から来た方の、事故が非常に多いのです」



 旺と環は当て嵌まってしまう。旺も眉間に皺を刻み、「事故?」と鸚鵡返しにした。


「はい。九年前の大祭では、五人の行方不明者が出たとか。なので今は、主人が招いた方しか村に逗留とうりゅうしていません」


 そもそも人の出入りの少ない村である。郵便局は全盛期から存在する私立だ。物流に関しても、自粛で最低限にできる。


「ですから、お二人とも主人の屋敷へ。車の修理も、後ほど、屋敷から伺いますので」


 そういった美央の横を、黒塗りの高級車が数台、通り過ぎていった。

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