第五話

 アルフレッドが相対するは、鎖を操る屍人の騎士アリス。彼の手に握られた漆黒のレイピアは、刃が螺旋状に捩れている。彼はレイピアをアルフレッドに向け、兜越しにしゃがれた声を響かせた。


「王の後を継ぐのならば、私が導く。もしそうでないのならば──貴公に刻み込んでやろう。運命というものの恐ろしさをな」


 アルフレッドはリーゼロッテを後ろにやり、剣を構えてアリスを睨みつける。慎重に間合いを見極めながら、彼は訊ねた。


「王、だと?」


 アリスは鷹揚おうように頷いて答える。


「この世界を破壊する王だ。貴公が討ち取ったであろう」


 アルフレッドは記憶を辿ってみる。何か引っ掛かるものがあるような気もしたが、その王とやらについての記憶は何一つ思い出されなかった。思考に黒い影がかかるばかりだ。


「残念ながらわからんな。しかし貴方が空言そらごとを語っているなどと思ってはいない。生憎、今の私は記憶喪失なのだ」

「……ほう」


 アリスはアルフレッドの言葉に興味を示すと、少し見下ろすような角度に首を傾げてみせ、レイピアの切先を揺らして言った。


「何が起きたかはある程度推測できるが……それはむしろ都合がいいかもしれんな。貴公は、身体も記憶も、もはやかつての貴公ではないのだ。騎士として国に帰ることもできまい。なれば未練もないだろう?」


 アリスの言葉に、アルフレッドは間を置かず答える。


「だが魂は私のまま。身体が腐っていようと、記憶を失っていようと、私は騎士だ。善きを助け、悪しきを挫く。それが私の使命なのだ。王とやらは遠慮する」


 アルフレッドは言い切ると、刃先を前に向けたまま、剣を顔の右横に握り直した。互いに怯むことなく、相手を真っ直ぐに見据える。


「そうか」


 抑揚なくアリスは言うと、体から力を抜いてレイピアを下ろした。


「貴公はまだ何も理解していないようだな。だが安心してくれたまえ。私が、そして運命が貴公を導くだろう。なあ──アルフレッド」

「……私の名を知っているか」


 警戒を深めるアルフレッドに、アリスが一歩踏み出した。彼の鉄靴が床を軋ませ、ギシ、と音が鳴る。


「運命だと言っているだろう。私には運命が見える。過去も未来も、初めから全てが刻まれている。貴公の意志も魂も、運命に触れることはできない」


 レイピアの先で床を削りながら歩みを進めるアリス。剣を向けられていても歩みを止めず、距離が縮まっていく。アルフレッドは深く息をして、臨戦体制を整えた。


「アリス殿、戦うということでよろしいか?」

「いいやアルフレッド……これはしつけだよ」


 剣の間合いの寸前で、アリスは立ち止まった。アルフレッドは無理に踏み込まず、アリスの指先の震えさえも見逃すまいとして意識を研ぎ澄ませる。


(彼の持つレイピアよりも、私の剣の方が刃渡りが長い。有利は私にあるはずだ……隙を狙え。先制しろ。でなければ、おそらく私では勝てない──!)


 一歩、アリスがアルフレッドの間合いに踏み込んだ。その瞬間、アルフレッドは右から横薙ぎの一撃を放つ。アリスは素早くレイピアを体の横に構え、刃で真っ直ぐに受けた。背中から四本の鎖が飛び出し、床に刺さって彼の体をその場に繋ぎ止める。


 踏み締めた足が床板を砕き割る。それで、アルフレッドの剣は完全に止められた。


(純粋に受けた……なんという力だ……!)


 兜の下でアルフレッドは肉のない唇を歪めさせる。伸ばした腕を即座に引き戻し、踏み込みと同時に下から切り上げるような斬撃を繰り出した。


 アリスは半身になりレイピアを斜めに構える。足下から迫り来る刃の側面に刃先を沿えると、レイピアを軽く傾けて軌道を逸らした。剣は鎧を掠めて空を切り、行き場を失った力に引きずられてアルフレッドは前傾姿勢になる。


 その隙を逃さず、アリスは間合いに深く踏み込んだ。アルフレッドが剣を引き戻すよりも速く、レイピアが彼の左顔面を穿つ。眼球が潰され、脳も損傷したはずだが、痛みはなく思考は変わらずに働いていた。怯むことなく剣を袈裟斬りに振り下ろす。アリスはレイピアを引き抜き、飛び退いて攻撃を躱した。


 螺旋状の刃に抉られた傷口から、幾本もの黒い荊が伸びる。それは絡み合いながらぽっかり空いた穴を埋め尽くし、兜に巻き付いた。アルフレッドは顔を手で押さえ、アリスを睨みつける。その様は、ほとんど人外の怪物であった。


 アリスは肩の力を抜いてレイピアを降ろすと、アルフレッドを見下ろした。


「わかるか? アルフレッド。これが力の差だ。貴公などまだまだ童なのだよ。だが案ずるな。ただ王を継げばいい。私が導こう。力を与える。力はそこにあるのだ」


 ゆっくりと歩み寄りながら、穏やかな口調でアリスは語りかける。アルフレッドは焦りを抑えるために一呼吸つき、平然を装って答えた。


「遠慮する、と言っているだろう。力は己で身に付けるさ。私は王には向かない……戦いしか知らんのでな。世界の破壊なんぞにも興味はない。他を当たってもらおう」


 その言葉に、アリスは優美な笑い声を上げる。


「ふふ……この会話も馬鹿らしいな。貴公が王を継ぐことは運命に決められている」

 

 忽然と彼の姿がアルフレッドの視界から消える。気付けば彼はアルフレッドの懐に潜り込んでいた。反応するよりも先に彼の首が刎ねられ、視界がぐるりと回る。頭はそのまま床に落下し大きな音を立てた。アリスは首のないアルフレッドを見下ろす。傷口から黒い粘液を吹き出し痙攣してなお、彼の体は真っ直ぐ立っていた。


を出すのが遅いな。屍人の体をまだ扱いきれていない。目覚めたばかりか」


 頭を踏みつけ、靴の裏で転がしながらアリスは言う。アルフレッドはその声を聞きながら、薄れゆく意識の中で心臓が激しく脈打つのを感じた。


 アルフレッドの心に黒い炎が灯る。それは死の恐怖であり、同時に強烈な敵対心であった。彼の本能が、目の前の男を騎士ではなく『敵』として認識したのだ。思考が少しずつ黒く染まっていく。彼の全てが、アリスを殺せと叫んでいた。


 アルフレッドの首無しの体が、突然動き出す。


「──! ……!」


 直線的に振るわれる拳。ひどく遅い攻撃だが、アリスは何かを恐れるように大きく距離を取ってそれを避けた。荊の絡まった籠手が空を切る。


「それで良いのだ、アルフレッド! 受け入れろ!」


 アリスが興奮気味に叫ぶ。しかしアルフレッドの動きは固く、二撃目は届きもせずに空振った。それを見てアリスは少し肩を落とし、顎に手を当てて考え込む。


「……ん〜。まだ足りんか。やはり一度殺そう」


 言うや否や、彼はアルフレッドの胴体を切り刻んだ。四本の鎖とレイピアの連撃で硬い金属鎧も容易く切り裂いていく。アルフレッドは四肢と五つの肉塊に分けられ、床の上に崩れた。胴体の肉塊の一つに、断面から手を捩じ込む。


 そのまま、アルフレッドの心臓を抉り出した。血管や筋繊維の千切れる音が辺りに響き渡る。心臓は荊に取り巻かれ、肉体から切り離してもなお脈動を続けていた。


 アリスは手の中で脈打つ心臓を見つめ、唐突に祭壇の小部屋を振り返る。


「そこに入って隠れていろ、リーゼロッテ嬢」

「ひょえっ⁉︎」


 こそこそと自分の翅を回収しようとしていたリーゼロッテが声を上げて転がった。アリスは彼女を冷たい目で見やり、それから逆の方向へ心臓を投げる。


 投げられた心臓が床に落ちるよりも早く、巻きついていた荊が解けた。心臓は宙に浮いたまま、肉体を求めて荊を伸ばす。荊はバラバラになったアルフレッドの体だけでなくアリスにも向かった。それらを彼は冷静にレイピアで切り刻む。


「防御反応……あるいは、拒絶反応か」


 アルフレッドの頭部と四肢、胴体の肉片が心臓を核に集合していく。時が巻き戻るかのように吸い寄せられたアルフレッドの体が、荊によって元の通りに繋げられた。荊は切断された鎧さえも縫い合わせ、その鋼に融け込んで荊の意匠を残す。アリスはレイピアを後方へと投げ、小部屋に隠れるリーゼロッテの側に突き立てた。


「リーゼロッテ嬢、そのレイピアの元へ。結界を張った。鎖の内側に入りたまえ」


 アリスはアルフレッドが落とした剣を拾い上げて、彼の方を見る。アルフレッドは全身を荊で包み込み、それらを鎧に融合していくところだった。頭を両手で押さえ、もがき苦しんでいる。荊が完全に融合すると彼は顔を上げ、アリスを睨んだ。


「……誰もが運命の虜囚なのだよ」


 小さく呟くと、アリスは剣を片手で構え、迫り来るアルフレッドに立ち向かった。放たれる鋭い突き。朽ちた刃先が風を切り、真っ直ぐな軌跡を描いて胸に開いた穴に吸い込まれていく。剣は根本まで深々と突き刺さり、アルフレッドの体を貫いた。


 閃光──そして爆発。止め処ない力の奔流が、アルフレッドから放たれた。それは一瞬にしてアリスを包み込み、図書室を埋め尽くす。翅を抱いてレイピアに縋り付くリーゼロッテの周りだけが、鎖によって暴走する力から守られた。


 しばらくして力の波が収まると、再び図書室に静寂が訪れた。並んでいた本は書架ごと吹き飛ばされ、床板は完全に砕けて土が露出している。窓は残らず飛んでいき、壁もそのほとんどが崩れて空が見えていた。図書館と小部屋を隔てる壁は消え、瓦礫の中でリーゼロッテが気を失って倒れている。


 その惨状の中心に佇む二つの影。禍々しい鎧を纏って立つアルフレッドにもたれる形で、満身創痍のアリスは立っていた。鎧は半分以上が溶け落ち、兜も醜く歪んで、左手は根本から千切れている。しかし、右手は確かに剣の柄を握っていた。


「受け入れるのだ、アルフレッド……もう、逃れられんよ……」


 弱々しく囁いて、アリスは鎖を一本、アルフレッドに巻きつけた。それは柔らかな光を放ち、光は二人の体へと広がっていく。


 鎖により、魂が繋がれる。


 アルフレッドが目を覚ますと、彼はどこまでも白が続くような空間に立っていた。ふと視線を落とせば、そこに金髪の美しい青年があぐらをかいて座っている。


 長い髪を指でかしながら、彼は微笑んだ。


「最後に話をしようじゃないか──の後継、騎士アルフレッドよ」

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屍騎士アルフレッドの帰路 真乃姿(マノシ) @Metyakutyakarinosugata

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