青に沈む

洸月蛙音

青に沈む。

「ここなら・・・・・良さそうかな」


 誰にも聞こえない独白が清海の中へ消えていく。朽ちたオールで奏でられる水の音だけがこの建造物群で木霊していく。


 近場のビルは隅まで、緑色の苔の一片まで取りつくした。残るのは旧時代の残骸で、今更何の役にも立たない文字通りの廃墟だ。

 今は残りの資源と時折釣れる魚で六人分の食物を賄えているがそれも有限、いずれは底をついてしまう。

 その前に次の移住先を考えねばならない、まだ生き足掻くだけの資源が残っているどこかに。


 次の『天災』が起こる前に皆を守れるだけの場所を探さなければ。


 『天災』、『大厄災』、『天変地異』、旧文明に生きた人類はそんなメモを残していたがどれも一方通行、詳細は分からない。

 そしてそれに備えるための時間もあまり無かったようだ。

 僕には大切なその『こと』の記録も含めて残っていなかった。


 初めて目に入ったのは窓から見えるどこまでも続く水平線と澄んだ空。

 そして人一人入るようなカプセル状の物体に、一人ずつ人間が入っているという不可思議な部屋だったことを今でも鮮明に覚えている。


 気づいたらそんな部屋に一人立ち尽くして、そんな青一色の世界に僕は目を覚ました。

 遅れて目覚めた仲間も何も知らないようだった。


 かつての僕達は何を託されたのか。


 それは誰にも分からない、それでも生きることだけはやめられなかった。

 仲間を生かすためにはリスクを承知で出なければならない。


 他の仲間たちの不安を押し切って僕は一人ボートを漕ぎだした。

 未だ誰にも遭遇してはいないが誰かに会えるかもしれない

 未だ見つかってはいないが海に沈んでいない都市があるかもしれない。


 まだ世界には、人類の生きる希望はあるかもしれない。


「・・・・・よいしょっ」


 一つのビルに接岸して久方ぶりの硬い地面に降り立って凝った腰を伸ばす。

 このビルは建設中だったのだろうか、他のものと比べてほとんど装飾のない灰色の壁や床が続いている。


 否、ヒトより早く適応した植物が生きるための手足を伸ばしている程度である。


 この場所はもし完成すればこの付近で最も高い建造物にはなっていたのだろうが、それも叶わぬまま植物によって歪み崩れて、終いには波に晒されて朽ちてゆくのだろう。


 しかしこの建設中のものであっても周囲を見渡すには十分な高さだ。


 ただ一つの靴音だけが灰色の空間に響いていく。

 幸い屋上へと上がる階段は早々に見つかった。軋む金属板の音が空虚なビル中を満たしていく。


 始めの数階は各階層を覗いてはいたが長く、変わり映えしない景色は諦めるには十分だった。


 早々に階層を抜けて、ようやく陽光が差し込む階まで上がってきた。


 徐々に重たく感じてきたリュックを担ぎ直して、蒼と白が覗く最後の階段を登りきる。


「・・・・・・」


 上下から差す輝きに目を細めながらも、高い位置から望める景色はやはりベースキャンプとは別格だ。


 眼前に広がるトーンの異なる澄んだ青と点在する白いビルは記録にあるような、本来の海と島の関係になるのだろう。

 それが更に遠くまで見渡せるのなら、ベースキャンプの移転を視野に入れても良いかもしれない。未完成のため耐久性に疑問が残るが。


 屋上の広さも数人が暮らすには広過ぎるほどだ。これがどんな用途で建てられたのかを知る術は無いものの、生き残りの僕達にとっては些細なこと。その場所がしばらくの生存を助けてくれるのであれば。


「ふぅ・・・・さてと・・・・・」


 四角い頂上の縁の一辺に座り、どさりとリュックを置いて早々にチャックを開く。取り出すのは託された錆びたコンパスと褪せた紙、そしてペン。

 こうして記録を残す度に思う、旧時代の人類は何かと物事を薄い金属とガラスで出来た板に記録していたようだが、この現状までは予測していなかったのだろうか。

 予測はしても対策はしない、慢心が生んだ惨劇か。

 想定すら上回る『こと』だったのか。


 どちらにせよ、紙でも板でも後に残らなければ記録は意味を為さない。ただもちろんこの記録はベースキャンプで待つ仲間に知らせるためだ、この程度で事足りる。


 コンパスを覗き、指し示す方角は———


「・・・・・・あなた、人間?」


 背後で声がする。か細く、しかし鮮明にその声は耳朶を鳴らす。


 咄嗟に振り返る、その声の主は。


「・・・・・っ!!」


 女の子だった。

 自分と同じ程度の背丈で無表情、虚ろにも見えるガラス玉のような瞳でこちらを見つめている。


「き、君は・・・・!!」


 遅れてコンパスが落ちる音が聞こえるがそんなことなどどうでも良かった。まさか自分達以外にも生存者が居るなんて。


「私は・・・・・・エル。あなたは?」


 僕とは対照的に全く感情の見えない声音を聞いて、今にも抱き締めたくなるほどに興奮していた自分に気づいた。


「あ、えぇと僕は『0番』って呼ばれている、まさか生存者に会えるなんて思わなかった!!」


「『0番』?・・・・・貴方はアンドロイド?」


 僕の食い気味の自己紹介にも彼女は表情を変えぬまま僅かに首を傾げた。それと共に聞き慣れない単語が飛び出す。


 彼女が首を捻るのも無理もない話だ。


 旧文明にはより固有の名前があったようだが、僕達にはその記録も失われているしそもそも必要が無い。互いを認識出来る、始めにお互いに入っていたカプセルの番号で呼び合っている。

 僕は覚醒時にカプセル外ではあったが、着ていた服に書いてあった番号でそのまま呼びあっている。


「アンドロイド・・・・・じゃないと思う。僕は人間だ、君だってそうだろう」

「・・・・・そう」


 力ない反論に彼女は既に興味を失くしたかのように歩みを始める。

 向かう先は彼女が上がってきたであろう階段に一番近いビルの縁だった。

 彼女の簡素な赤色のスカートが潮風に靡く。まるで僕を初めから認識していないかのようだった。


「えっと、君以外にも生存者が居るのかい?良ければ会いたいんだ!」


 早足で彼女へと近づきながらも問いかける。

 栄養失調はおろかシミ一つ無い美しい四肢を見れば、この世界で生きていくことにその身一つで賄えていたとは到底思えない。


 縁に腰掛けその瞳に二種の蒼が入れ込む少女はまたも顔色一つ変えずに

「・・・・・居ない。私一人だもの」

 と告げた。その残酷な現実に歩み寄った脚が鈍る。


「一人・・・・・」

「そもそも私、人間じゃないから」

「なっ!!?」


 続けて独り言のように彼女の口から紡がれる情報は僕が完全に脚を止めるには十分なものだった。まさに青天の霹靂だ。


 しかし彼女にとってはなんてことないものだったのだろう、ぷらぷらと脚を揺らして眼下の海を見下ろす姿は年相応の少女にしか映らない。


「私は、ただのAI。このビルの管理を任されるはずだった、管理者AI」

「AI・・・・・ってなに?君は人間じゃないの?」


 動揺を抑えられない、僕からは他の仲間と何ら変わりないようにしか見えない。浮世離れした肌の白さを除いて。


「私は人間によって創られた存在なの」

「人間が人間を創ったってこと・・・?」


 続けて出される情報にしばらく使っていなかった思考回路がショートしそうだ。


「そう、かつて人間は人間を補助するための存在を創った。それが私のようなAI」


 さも常識のように淡々と話す彼女は確かに僕達とは持っている情報量は大きく違うらしい。

 聞きたいことは山ほどある、彼女になら分かるかもしれない。


「なんで人類は」

「私は来る厄災に備えて作られたシェルターを管理するはずだった。でもそれが想定よりも早く来たの。それで人間は殆ど呑み込まれてしまった。どこかのシェルターは早期に完成していたようだけど」

「そん、な————」


 何故僕の問いを、という言葉すら置き去りにする事実だった。視界が真っ白に染まるような立ち眩み。

 しかしそこで少女が突如として揺らす脚を止めて、そのガラス玉に黄色い僕を映す。


「やっぱり、あなた。人間じゃないでしょ」

「——————は?」


 時が止まった。


「あなたは私と同じ、管理者AI搭載アンドロイド。こんな所で何をしているの?」


「そんな・・・・・」

「今、あなたの思考情報と私は繋がることが出来た、それが何よりの証拠だもの。あなたのは壊れているようで一方通行だけど」


「な、なんで・・・」

「あなたの所の生存者も全滅したの?」


 つらつらと並べられる情報を必死に処理する。

 徐に立ち上がる彼女と相対する、その瞳は先ほどよりも感情が見える。

 その真意までは即座に図れない。


「いや、まだ数人は—————」



「何をしているの!?あなたがいなければ、その建物の機能は停止してしまうの!!酸素生成装置も、恒温装置も、何もかも!!!」


「・・・え・・・?」

「あなたが居なければ人間は簡単に死んでしまうのよ!!」


 問われた質問にただ返答するだけになってしまった機械のような僕に、少女は初めて表出させた、それも鮮烈な程の怒りを込めて。その純白の肌すら塗りつぶす程の赤色で。


 僕の胸倉を掴まんばかりに詰め寄る彼女はまさしく人間のようだと、どこか他人事のように感じた。しかしその思考回路が徐々に本来の動きを取り戻すと共に、僕の中を流れる液体が温度がいくばくか下がったように感じた。


 手足が震えだす。


 仲間を、皆を生かすはずが。


 ——————人類への最期の引き金を、僕は—————


「そ、それじゃ僕は・・・・・みんなを・・・・・」

「そんなこと言ってないで早く!!!戻って!!」


 聴覚機能がその言葉を拾うよりも前に、目の前の階段を駆け下りる。

 身体中が聞いたことの無い異音を立てる。

 この際、手足が取れようが構わない。

 逸る気持ちがどこまでも僕を追い込んでいく。


 四足獣のように這いつくばりボートへ駆け寄る。

 水面に反射する白い太陽が瞳のレンズに刺さるが、そんな事さえどうでも良い。


 彼らが置かれている状況には遠く及ばない。人類が居なくなる、その前に辿り着かなくては—————

 




 ここは、どこまでも青一色の世界だ。

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青に沈む 洸月蛙音 @hazuremono

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