フォロワー1

黒宮レン

直下の影

日付が変わる少し前、私はベッドに仰向けになって、スマホの明かりだけを頼りに目を細める。アプリを開くと、Xのタイムラインは他人の生活で賑わってる。友だちの新しい髪色、夜更けの独り言、乾いた笑いの顔文字。現実は静かすぎるのに、画面の向こうだけが脈打っている。

——一人暮らしの夜が怖い理由は簡単だ。物音の正体を確かめる他人がいない。助けを呼んでも、薄い壁の向こうの名前すら知らない。呼吸と冷蔵庫の唸りしか、部屋の気配がない。だから私は、通知音だけを待つ。


その安堵を指でなぞっていると、「おすすめユーザー」が跳ねるように更新され、見覚えのないアカウントが大きくせり上がる。ユーザー名は影見。粗い白黒のアイコンは顔の半分が影に沈み、プロフィールは空欄。フォローもフォロワーも0。


広告だと思ってスクロールする。なのに、同じ位置へ跳ね返る。「ここにいるよ」と主張しているようで、私は眉をひそめ、指を止めた。



恐る恐るプロフィールを開く。投稿は一件だけ——「見えてるよ」。白地の文字が、にじんで見える。

偶然だ。深夜は変なアカウントが湧く——言い聞かせて戻ろうとした瞬間、端末が震える。


「影見さんがあなたの投稿にいいねしました」


十分前に上げたマグカップの写真に、灰色のハートが灯る。数字が一瞬だけ2になって、すぐ1に戻る。通知の履歴には残らない。誰かが触れて消えたみたいに。続けて通知。「影見さんがあなたをフォローしました」。フォロワー一覧に白黒のアイコンが一つ増える。心臓の下が、ぬかるみに沈むように落ちる。


私はブロックを押す。確認ダイアログ、OK。タイムラインに戻ると、影見はいない。ほっと息を吐く。冷蔵庫のモーター音が、いつもの単調さに戻った気がする。


ブルッ。短く震える。

「ブロックを解除しました」——見覚えのない履歴通知が一行だけ増えている。指は触れてない。手のひらに汗がにじむ。タイムラインの最上段がふっと切り替わった。


影見の投稿が、私の直近の投稿の直下に差し込まれている。

「静かだね。冷蔵庫の音だけ」


耳を澄ます。モーター音が、さっきより大きい。



怖いのに、目が離せない。影見の新規投稿。

「カーテンの隙間」


反射的に窓を見る。ブラインドの羽が、一枚だけ逆向きに反っている。そこから夜の黒が細く差し込む。言葉に誘導されているだけだ——自分を笑い、私はスマホを伏せる。黒い画面に、私の顔と背後の部屋が映る。


ほんの一瞬、別の輪郭が重なった気がして、指先がしびれる。「気のせい、気のせい」。独り言が頼りなく空気に溶ける。


再び振動。DM。

「……」


開くと、真っ黒な画像が一枚。何も写っていない。拡大しても、黒。

もう一通。

「今、後ろにいる」


心臓が跳ね、布団の繊維が肌に刺さる。振り返る——誰もいない。壁、タンス、吊るしたコート。なのに窓ガラスだけが、人肌を移したみたいに白く曇っている。


フォロワー数は「1」のまま。プロフィールに一文が増えている。

「夜のあなたしかフォローできないから」


喉の奥で小さな音が鳴る。唾を飲み込む自分の音が、やけに大きい。



私は通報フォームを開いて震える指で入力する。嫌がらせ、ストーカー、危険。送信。

「受け付けました」

薄い安心が胸に広がる。通知は止まり、タイムラインはまた他人の暮らしで流れ始める。遠くでタクシーのブレーキ音。息を吐いたそのとき、画面がかすかに瞬いた。


影見のアカウントが、また最上段にいる。

新しいDMが一つだけ。

「ありがとう。見やすくなった」


ピロン。やけに澄んだ音。

アプリが勝手に切り替わる。前面カメラのライブプレビュー。映るのは私の顔と、背後の暗い部屋。窓の白い曇りが、ゆっくり広がる。


中心に、指で描いた線。丸が二つ、間を置いてもう一つ——上の二つが目、中央の一つが鼻。その下から弧がすっと持ち上がり、口になる。笑顔。


私はカメラを閉じ、ブラインドに近づく。羽の隙間の夜は、墨汁を垂らしたみたいに濃い。ここは六階。窓の外側にいるはずがない。なのに、ガラスの向こうから生温い息が吹き付ける。


玄関のほうで、金属がゆっくり回る音。カチャ。チェーンはかかっている。足が床に張り付く。通知が連打され、同じ言葉が増殖する。

「開けて」「開けて」「開けて」


震える手で、私はブラインドをわずかに上げた。



何もいない。街の光が点滅し、遠くの交差点で信号が切り替わる。大きく息を吐き、下ろそうと指をかける。


その瞬間、背中の産毛が逆立つ。ピロン。耳の奥で澄んだ鈴が鳴る。影見が新しい画像を投稿している。


サムネイルは見覚えのある部屋。机、ベッド、ブラインド——そして窓の手前に立つ、私の後頭部。タップより先に、写真が勝手に最大化された。


私のすぐ後ろに、顔半分が影に沈んだ女が笑っている。次の投稿が重なる。

「やっと一緒に撮れたね」


同時に、背後で小さなシャッター音が鳴る。

視界の端で、窓ガラスだけがこちらを見ている。タイムラインにはいいねが増え、フォロワーが「2」に増える。一覧に、灰色の初期アイコンが並ぶ。名前は記号の羅列——さっき、いいねの数字を“一瞬だけ2にした”あの影。指が勝手に震え、画面を閉じる。


暗闇に四角い残像が焼き付く。瞼を閉じても、その真ん中に白い文字が浮かび続ける。



——次は、あなたの番。

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