友達以上~親友以下
桜のつぼみがたくさんついた木の下で、柔らかい風がざざっと木の葉を揺らしていた。
春休みで浮かれている大学生たちが向かいの通りのカラオケボックスに吸い込まれていく。
花壇の花もすっかり春の陽気に染まっているが、まだ風は少し肌寒い。
市民ホールの前で兄ちゃんとスマホを見ていたら、ようやく直人先輩と成瀬先輩が到着した。
「直人先輩、誘った本人が遅刻してどうするんですか」
呆れ顔でそう言うと、直人先輩は苦笑いしながら名札を配り始めた。
「セトくん、許してやってよ。直人ってば、家出て早々にご近所のおばちゃんに絡まれちゃってさあ。いやあ、本当におもしろ……見てられなかったわ」
そう言う成瀬先輩は今にも吹き出しそうだ。
それを聞いてなぜか兄ちゃんも哀れみの目で直人先輩を見つめている。
「ほら、受付終わったからとっとと入ろうぜ。長谷川は俺と荷物取りに行くの手伝って」
直人先輩は慌ただしくイベントの準備に取りかかって、兄ちゃんもそれについて行ってしまった。
成瀬先輩に手を引かれて、丸い大きな机に向かって並べられた椅子に腰掛けた。
「直人先輩も、さすがに生徒会全員参加の講演会は断れなかったんですね」
というのも、直人先輩曰く生徒会メンバーは五人なのに、講演会で作る班は四人一組らしい。
他校の人と組まされるのは嫌だから、断ろうとしたのに、先生から僕たち三人も誘っていったらどうかと言われて押し切られたと昨日愚痴をこぼしていた。
「セトくん見て。『今の自分は過去の自分でできていて、今の自分は未来の自分の一歩後ろを歩いている』だって。なんかすごいね」
言われて配布された冊子の表紙を見てみると、今回の講演会のテーマは過去から未来への生き方らしい。
成瀬先輩が読み上げた文言は、講師の方の格言として大きく書かれていた。
冊子を一枚めくると、今日のスケジュールが書かれていた。
まず講演を聞いて、その後はグループワークをするようだ。
パラパラと冊子を眺めていたら、兄ちゃんたちが戻ってきた。
「そろそろ始まるってさ」
兄ちゃんからペットボトルのお茶をもらって、改めて姿勢を正した。
スポットライトがステージの講演台と、スクリーンに映し出されたスライドに向けられる。
直人先輩は準備の段階ですでに疲れたようで、もう大欠伸をしながらぐーっと伸びをした。
何が語られるのか少し楽しみだったけど、過去との付き合い方や未来との向き合い方など、どこかで聞いたようなありきたりな内容がほとんどだった。
つい寝そうになってしまう成瀬先輩の気持ちが少し分かる。
講演自体は思ったより早く終わって、グループワークの時間に入った。
机の真ん中に置かれた便せんセットでなんとなく予想はついていたけど、今回は過去の自分に向けた手紙を書くらしい。
こういう場合、だいたいは未来へ向けた手紙だけど、今回は他と嗜好を変えたようだ。
「なんか俺、こういうの苦手だわ~。未来ならまだしも、過去とか何書けばいいかわかんねえもん」
頭をかきながら、直人先輩が眉間にしわをよせている。
直人先輩はシャーペンをくるくると回して数分考え込み、ついには天を仰いでしまった。
「直人先輩、やんわりでいいんですよ。過去への手紙にまで完璧さを求めてたら頭パンクしますよ」
僕がそう言うと、諦めがついたのか、直人先輩はなんとかシャーペンで文字を連ね始めた。
周りを見回すと、やっぱりどのグループもなかなか筆が進まないらしい。
そういう僕も、手紙がまだ白紙のままだ。
だいたい、”親愛なる○○へ”という文言から始めないと行けないのが、既に気恥ずかしい。
筆が進まないのも当然といえば当然だ。
「やっぱさあ、難しいよね、手紙書くの。俺なんてメッセージで全部済ませちゃうもん」
成瀬先輩も苦戦しているらしく、かわいらしいウサギの絵を便せんに描き始めてしまった。
もちろん、一文字も書けていない。
手紙の最初が絵で始まるのが、なんとも成瀬先輩らしい。
「セトは何書くんだ? オレは、過去の自分に、セトに怒られる前に落ち着きを持てって忠告しとこうかな」
兄ちゃんはそう言って僕の頭をわしゃわしゃとなで回した。
過去より、今忠告した方が効き目がありそうだ。
いや、今言おうが過去に言っておこうが、兄ちゃんはずっとこのままな感じがする。
「僕は、大事にしたい人とはちゃんと話せって書く」
善意を全て鵜呑みにして、他人との距離を測り違えると、あっという間に関係は崩れてしまう。
でも、そうなったときにこそ大事にしたい人とはちゃんと逃げずに話さないといけないことが、成瀬先輩たちと出会ってよく分かった。
今後の教訓としても、ちゃんと残しておきたい。
「確かに、セトくん最近は、意識して俺たちとも他の子たちとも話してるよね。……ちょっと待って。大事にしたい人って、それ俺たちのことだったりする?」
成瀬先輩はわざとらしく驚いて、乙女のように目を輝かせた。
兄ちゃんも直人先輩もそれを聞いて心底嬉しそうな顔で頭を撫でてくる。
顔の表面が熱くなる感覚がして、机の下にある三人の足をそれぞれ一回ずつ蹴った。
数十分経って、もう一度皆の様子を見てみると、またしてもシャーペンの動きが止まっていた。
ちらっと見た感じでは手紙の内容は書けているみたいだが、皆封筒の宛名の部分が空欄だ。
「皆だいたい書けた? 僕は名前で手間取っちゃって……。″親愛なる過去の自分へ″ってなんか安直な気がしちゃって……」
苦笑していたら、呻き声とも賛同の声とも取れる音が三人の口から発せられた。
やっぱり皆、僕と同じ理由で筆が止まっているらしい。
「あ、オレ面白いこと思いついた! お互いさ、宛名だけ人に書いてもらわない? 例えば、オレが過去のセトに向けた宛名を書く、みたいな」
兄ちゃんが突拍子もないことを言い出したおかげで、姿勢を崩していた残りの二人も座り直した。
どうせならくじで相手を決めようということになり、余っている便せんで簡単なあみだくじを作った。
講師の人の目を盗んで、こっそりくじを引き合うと、僕の相手は直人先輩だった。
「いいですか、手紙の内容を読むのは禁止で。お互い、過去のその人への印象を宛名にしましょ。それじゃ、お互い誰の宛先を書くか、指差しで教えてください」
声をかけると、全員の間に緊張感が走った。
成瀬先輩がせーのという合図をかけて、一斉に指を差し合う。
くじの結果、兄ちゃんは成瀬先輩へ、直人先輩は兄ちゃんへ、過去の僕には成瀬先輩が書いてくれることになった。
宛名か……なんて書こうかな。
直人先輩へっていうのも僕が宛てて書いたみたいで変だし。
過去の直人先輩といえば……あんまり今と変わらない気がする。
そういえば、最近はちょっと、俺なんてっていう自虐的な雰囲気がなくなったかも。
いい宛名を思いついて、シャーペンを走らせる。
書く人をシャッフルしたことで、あっという間に空欄だった宛名が埋まった。
兄ちゃんが一番最初に、直人先輩が二番目に、僕が三番目に書き上げた。
「あれだな、客観的な視点が大事なんだってよく分かった。長谷川とか特にキャラ濃いもんな」
直人先輩たちがにやにやしながら小突き合っているのを横目に、成瀬先輩が書き終わるのを静かに見守った。
ただの宛名とはいえ、自分への印象を書かれていると思うと、少し緊張してしまう。
便せんに真剣に向かう成瀬先輩と目が合った。
「まだ見ないでね。あと猫の髭を描くだけだから少し待って……。よし、できた」
満足感に満ちた顔で成瀬先輩は高らかに封筒を持ち上げた。
天井の光で、封筒に書かれていることが少し透けて見える。
まぶしいのを我慢しながら、ちょっと拝見すると、宛名の文字は読めなかったけどその横に可愛い猫が描いてあるのは分かった。
この手紙が過去へは行かず、結局今の自分が読むことになるのが分かっているからこそ、なんだか胸の奥がむずむずする。
「残り時間、結構余っちゃいましたね。どうします?」
前のスクリーンに表示されているタイマーは、まだ四十分以上も残っている。
高校生にもなって、こういう場で暇になったときに堂々と遊ぶのは、なにがしかのプライドが許さない。
かといって、課された課題は終わったわけだし……。
「あ、じゃあさ、今度は俺から提案。みんなでさ、過去の四人に向けた手紙書こうよ。便せんだけど、寄せ書き風にしてさ」
成瀬先輩が便せんの中心に小さな円を描き、そこから端に向かって綺麗に四等分の線をひいた。
それぞれの枠に名前を書いて、思い思いに寄せ書きを作った。
順番に回しながら書いたり、書き足りないところに皆で絵を描いたりして、あっという間に時間が過ぎていく。
タイマーの時間を五分ほど余して、五通目の便せんはできあがった。
残るは、封筒の宛名と差出人の欄だけだ。
「なあなあ、せっかくだし、親愛なるってやつ使おうぜ」
兄ちゃんはあれだけ大苦戦した文言がいつの間にか気に入っていたらしく、封筒にシャーペンをスラスラと乗せていった。
三人で兄ちゃんが書いた字をのぞき込むと、”親愛なる夜明け前のオレたちへ”という文字があった。
兄ちゃんはすごく得意げに鼻を鳴らしている。
「ふっ……なんか、中学生に向けたアンケートの名前欄に、めっちゃデカい字で”夜明けを斬る騎士”とか書いてるやついたわ」
その言葉が追い打ちとなったのか、成瀬先輩は笑い崩れてしまった。
兄ちゃんはカッコイイだろと言わんばかりにシャーペンをくるくる回している。
「ちょっと、ふふ……せっかくだし、差出人の名前はセトくんが考えてよ。長谷川兄弟のセンスが見たい」
成瀬先輩は少し落ち着いたのか、腹を抱えながらやっとの思いで立ち上がった。
その目には、笑いすぎて涙が浮かんでいる。
普段だったら絶対嫌だし断るけど、せっかく兄ちゃんが考えたんだから、僕も弟として応えたい。
僕がシャーペンを持つと、三人が興味津々でのぞき込んでくる。
「兄ちゃんのと比べると、あんまり自信ないけど、こういうのでどうかな?」
指で隠していた差出人の欄をゆっくり露わにする。
四人でその文字列を見て、皆一斉に吹き出してしまった。
自分で書いたのに、改めて見るとやっぱりちょっとおかしい。
でも過去で必死に悩んでいる僕に、今の僕たちは四人でくだらないことが話せていると、知らせてやりたい。
もう一度、差出人欄を指でなぞった。
”白昼にて笑う僕らより”
せめて、この手紙だけでも、過去の僕たち四人に届きますように。
白昼にて笑う僕らより @rikorikorisako
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます