天国とオタク
山田貴文
天国とオタク
コンビニのレジで支払いを済ませ、店を出ようとした彼は未発券のライブチケットがあることを思い出した。
応援している女性アイドルグループのスタジアム公演。最近、彼は席運がなくライブチケットの抽選に落選したり、当選してもスタンドのかなり後ろ。天からはるか遠くのステージを見下ろすような、アイドルオタクが言うところの「天空席」だったりしている。
人気が出すぎたのだ。いまや国民的アイドルグループだから仕方ないか。チケットが取れただけで感謝するべきかも。彼はそう思いながらレジに戻った。幸い、まだ誰も並んでいない。
「チケットの発券をお願いします」
店員にそう言いながら、スマホのバーコードを読んでもらう。店員は店の奥のプリンターで印刷されているチケットを取りに行った。
どうせまたはずれ席なのだろう。もはやアイドルの彼女たちは手の届かない存在なのだ。これを受け入れられないならファンをやめる、いわゆる「他界」しかない。物騒な用語だが、これもアイドルオタク界のスラングだ。
「お待たせしました。こちらでよろしいでしょうか?」
店員が見せたチケットの席番号を見て、彼は心臓が止まりそうになった。
いや、止まった。
役割的には閻魔大王に違いないのだが、あんなおどろおどろしい姿はしていない。たとえて言えば、大企業の上級管理職をイメージして欲しい。あんな感じであり、それが私の上司だ。ただ、話を簡単にするため、ここでは閻魔大王と呼ぶことにする。
私は天国の入国管理官。死んだ人間が天国へ入れてよいかどうかをチェックするのが仕事だ。
実は天国には入れる数が限られており、いわゆる定員がある。だから候補者から彼らの人生に優劣をつけ、誰を入れるか決めなくてはいけない。
というわけで私が上司の閻魔大王に天国入国者を推薦し、閻魔大王が最終決定をくだす。そんな業務を絶え間なく行っている。
「今日の候補者は何人?」
閻魔大王が私にきいた。
「三名です。その中から最大一名が入国できます」
最大とつけたのは、全員が落選の可能性もあるからだ。
それにしても、と私は思った。死んだタイミングによって天国入国の可能性が変動すると聞いたら、生きているやつらはブチ切れるだろうな。不公平だと。
そう、あの世も不公平なのだ。君たちの世界と同じようにね。
「じゃ始めようか」
高級スーツを着こなした閻魔大王が上機嫌に言った。品が良いとはこういう人のことを言うのだろう。それがなぜ地上ではあんな姿に描かれているのか?地獄に落とされたやつの腹いせか?
そんなことを考えながら、私は最初の候補者の書類を読み上げた。
「この男性は政治活動に熱心でした。国を憂いて政党の党員となり、選挙ではボランティアとして活躍しました。デモや集会にも積極的に参加し、仕事以外の時間のほとんどを政治に捧げておりました。いわゆる政治オタクというやつです」
「却下」
閻魔大王はにべもなく言った。
「視野が狭すぎる。一度その政党を支持すると決めた後は一度も疑いを持たなかった。政党だって人間の集まりだ。時には過ちを犯すこともある。彼はそこを直視せず、批判する他党支持者や自党の面々を罵倒し、ひたすら嫌がらせを続けた」
「・・・・・・」
「思考停止したやつは人生をまっとうに生きたとは言えない。地獄でしばらく修行してもらう。はい、次」
おだやかな外見とは裏腹に発する言葉はカミソリのようだ。さすがは閻魔大王。私は気を取り直して次の候補者の書類を取りだした。
「彼は両親の影響でスピリチュアルに興味を持ち、霊能者や超能力者といった人々に積極的にかかわり、この世への見えない世界の影響を追求し続けました。つまり、私や閻魔様の存在を信じていた人です。これもオタクですね。スピリチュアルオタク」
「はい地獄」
「えっ?」
「人間は物質的な世界に生まれた以上、まずはそこでの役割をまっとうしなくてはならない。天災が起きるたびにやれ人工地震だ、外国の秘密兵器だと妄想をまき散らし、あろうことか感染症が流行した時には何の根拠もないのに陰謀だと医療関係者を罵倒しまくった阿呆ではないか」
「はい」
「まずは全生物共通のルール、物理的な法則を理解、尊重し、その上でスピリチュアルに興味を持つならわかる。でもこいつは土台から無茶苦茶だ。そんなに霊界が好きなら地獄でたっぷり堪能するがよい」
やっぱりこの人は閻魔大王だ。私は完全に言葉を失った。
「もう一人いたな?」
「あっ、でも、彼は難しいかと」
「判断するのは私の仕事だ。いいからどんなやつ?」
私はしぶしぶ書類を取りだした。
「いわゆるアイドルオタクです。生活費以外の収入と余暇すべてを推しのアイドルにつぎ込み、ライブやイベントに行きまくっていました。地方でライブがあれば遠征と言って、どこまでも追いかけていく始末です。生涯独身で家庭も持たず、アイドルに全振りした人生でした」
途中でしょうもないという言葉をはさみそうになったが、さすがにそれは飲み込んだ。
「でも、仕事は真面目にやっていたのだろう?」
「はい、最後は一流企業の営業課長でした」
私はぷっと吹き出したが、閻魔大王は笑っていなかった。
「いいじゃないか」
「えっ?」
「天国」
「本当ですか?」
さすがに上司へマジですか?とは言えない。私はこのアイドル推しの彼を三人の候補で一番順位が低いと思っていたのだ。だってねえ。
「アイドルに対する決して報われることのない純愛を捧げてきたのだよな?美しいではないか。誰にも迷惑をかけていないし、それの何が悪い?しかもちゃんと働いて税金も納めていた」
「家庭も持たず、遊び呆けていたやつですけど」
「そんなものはめぐり合わせだ。彼なりにいろいろ頑張って縁がなかったのだから仕方ないではないか」
「はあ」
「それに彼はアイドル推しを通じて、多くの人によい影響を与えている」
確かに彼は自分が楽しむだけではなく、積極的に同じアイドル好きの交流の場を設けていた。初心者がスムーズにファンになれるよういろいろと助けたりもしていた。
また、SNSでは決してネガティヴなことを言わず、常に明るい話題を提供し続けていた。そこが妙な空気へなりそうになった時はやんわりと正論を述べ、軌道修正を図った。
まあ人の役に立ったかと言えば、多少は立っていたかもしれない。
「もちろんアイドルファンだから必ず天国へ行けるわけではない。いろいろ醜い魂の者もたくさんいる。でも、彼は違った」
閻魔大王の判断に完全に同意したわけではないが、決めるのは彼だ。私は上司の指示通りアイドル推しの青年を天国の入口へ呼んだ。
「マジですか?ぼく本当に死んだんですか?」
信じられないという顔をしながらやって来た彼はまだ若かった。この歳で営業課長なら、仕事でもかなりのやり手だったのだろう。
「残念ながら」
私は首を横に振った。
「勘弁してくださいよ。ライブの最前列が当たったんです。しかも、たぶんあの番号は最前ど真ん中です。それがどれだけの確率かわかりますか?何万人かが入るスタジアムですよ。ああ死ぬ前に一度最前で見たかったのに」
死んだとわかって、最初に言うことがそれかよとは思ったが、確かに気の毒ではあった。彼はチケットを発券して座席番号を見た瞬間に心臓麻痺で倒れたのだ。
「残念だけど寿命なんだ。天国に行けるということで、そこは我慢して欲しい」
できるだけ優しく言ったつもりだが、彼は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。そしてしばらく黙り込んだ後、顔を上げてぽつりと言った。
「天国ってどんな所なんですか?」
おっ、ようやく状況を受け入れ始めたか。
「それはそれは美しい風景の中で」
「中で?」
「天女たちが歌いながら舞っている」
「アイドルのライブと一緒じゃないですか。そんなの生きている間にいくらでも見られますよ」
「・・・・・・」
この罰当たりが。やっぱり天国に入れない方がよいのでは。
「もう生き返るのはあきらめますから、何とかライブだけでも見られませんかね?」
おまえには親とか友人とかいないのか?そっちはいいのか?
「天国からでも地上の光景は見られるよ。上から見下ろす形にはなるけどな。ちょうどあのスタジアムで別のライブをやっている。こんな感じだ」
私は空間にスクリーンを出現させ、それを彼に見せた。
「わあ遠い。もっと倍率上げられませんか?」
「できない」
「これじゃ本当の天空席じゃないですか」
「・・・・・・」
「何てことだ。せっかく最前センターが当たったのにライブを見られないなんて。こんなつらい思いをするのなら、アイドルファンになどならなければよかった」
髪の毛をかきむしる彼。
残念だったな。君はもう他界しているのだ。文字通り。
(完)
天国とオタク 山田貴文 @Moonlightsy358
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