君の声は、星屑のささやき。プラネタリウムで出会った地味子な君は、宇宙の音を聴かせてくれる《不思議な声》の持ち主でした【ボイスドラマ】【G’sこえけん】

旅する書斎(☆ほしい)

第1話

SE:閉館時間を告げる、穏やかなチャイムのメロディ。遠くで最後の客たちが談笑しながら退場していくざわめき。やがて重い扉が閉まり、完全な静寂が訪れる。


海斗:(モノローグ、深く疲れたため息混じりに)閉館時間。今日も同じナレーションを流し、同じ音楽を響かせ、同じ星空を映し出した。寸分違わぬ、完璧なルーティンワーク。子供の頃、このドームの暗闇で見上げた星空は、無限の可能性に満ちていた。宇宙の音を、この手で創り出すんだって、本気で信じてた。……いつからだろうな。あの果てしない宇宙が、ただの退屈な作業になったのは。


SE:海斗がコントロールブースの椅子に深くもたれかかる音。キーボードを数回、力なく叩く。


海斗:(モノローグ)「天沢くん、夏の特別プログラム、期待してるよ。子供たちが宇宙に夢中になるような、もっと臨場感のある音響を頼む」。館長の言葉が頭の中で反響する。臨場感、ね。インスピレーションなんて、とっくに枯れ果てて、マリアナ海溝より深く沈んでるっていうのに。


SE:ふと、ドームの監視モニターに映る人影に気づく。キーボードを叩く手を止め、画面を凝視する。


海斗:(モノローグ)ん……?まだお客さんが残ってる。……ああ、またあの子か。名前も知らないけど、いつからか、ほとんど毎日来ている。いつも一番後ろの、一番端の席。まるでドームの暗闇に溶け込むみたいに、最後まで静かに星を眺めている。地味で、口数も少なそうで、まるで星の影みたいに、そこにいる子。


SE:海斗が席を立ち、コントロールブースのドアを開ける。静かな足音でドーム内を横切り、少女の席へ近づいていく。


海斗:あの……すみません。もう閉館時間なんですけど。


雫:(ビクッと肩を揺らし、小さな、驚いたような声で)あ……っ。ご、ごめんなさい……!い、今すぐ……!


海斗:あ、いや、大丈夫ですよ。そんなに慌てなくても。……いつも熱心に見てくれてますよね。星、お好きなんですか?


雫:……はい。好き、です。とても。


海斗:(モノローグ)近くで聞くと、すごく繊細な声だな。ガラス細工みたいに、触れたら壊れてしまいそうな。


海斗:どんなところが好きなんですか?差し支えなければ。


雫:…………静か、だから。


海斗:「静か」?プラネタリウムは、ナレーションも音楽もあって、結構賑やかだと思うけど。


雫:ううん……。そういう、人が作った音じゃなくて……。星、そのものが……とても静かで、優しいから。


海斗:(モノローグ)星そのものが、静かで、優しい……か。面白いことを言う。俺が毎日扱っている音を、ばっさりと切り捨てられた気もするが。


SE:雫が慌てて立ち上がり、椅子が小さく音を立てる。持っていたトートバッグを落としそうになり、慌てて抱え直す。


雫:す、すみません、本当に!すぐに出ますので!お邪魔しました!


海斗:あ、いえ、急かしたわけじゃ……。足元、暗いから気をつけて。


SE:雫が小走りに去っていく足音。ドームの出口の扉が静かに開き、そして閉まる音。


海斗:……変わった子だな。でも、あの「静かで、優しい」って言葉、妙に心に残る。


SE:海斗がコントロールブースに戻る。コンソールの前に座り、ふと、ドームの中央に立てっぱなしにしていた環境音録音用のマイクに気づく。


海斗:(モノローグ)あ、しまった。マイク、入れっぱなしだった。さっきの会話、全部入っちゃったかな。まあ、どうせ消去するデータだ。確認だけしておくか。


SE:ヘッドフォンを装着する音。再生ボタンを押すクリック音。サーッという微かなホワイトノイズ。


(ヘッドフォン越しの音声)

海斗の声『あの……すみません。もう閉館時間なんですけど』

雫の声『あ……っ。ご、ごめんなさい……!』


海斗:(モノローグ)うん、やっぱり入ってる。……彼女の声、こうして高性能マイクを通して聴くと、すごく……情報量が多いな。単に小さいだけじゃない。鈴の音みたいな、澄んだ倍音がたくさん含まれてる。


(ヘッドフォン越しの音声)

海斗の声『どんなところが好きなんですか?』

雫の声『…………静か、だから』


SE:雫が「静か、だから」と言った瞬間、ヘッドフォンの中に、微かなノイズとは全く違う、不思議な音が混じる。それは、まるで遠い銀河で鳴る風鈴のようで、あるいは氷の結晶が共鳴するような、清らかで澄み切った高周波の音。


海斗:(驚いて、ヘッドフォンを少しずらす)……なんだ、今の音?マイクの故障か?いや、俺のセリフの時には鳴ってない。彼女の声にだけ、何かが……重なってる?


SE:もう一度、その部分を巻き戻して再生する音。再び、澄んだ不思議な音が、雫の声と同時に響き渡る。


海斗:(モノローグ)なんだこれ……。高調波?共鳴?いや、こんな音、録れるはずがない。物理的にありえない。まるで……まるで、星の瞬きが、そのまま音になったみたいだ。


SE:海斗が息を呑む音。心臓の鼓動が少し速くなる。彼はPCを操作し、その音声データを解析ソフトにかける。画面に表示される複雑な波形。


海斗:(モノローグ)嘘だろ……。可聴域をわずかに超えたあたりに、規則的なピークがいくつも……。自然発生するノイズじゃない。これは、一種の音楽だ。彼女の声帯が、楽器みたいになってるっていうのか?


SE:海斗が何度も何度も、その数十秒のデータを繰り返し再生する。そのたびに、心が洗われるような、それでいて胸が締め付けられるような不思議な感覚に襲われる。


海斗:(モノローグ)枯れ果てたはずの何かが、ざわめき始める。そうだ、これだ。俺がずっと探していた音は。臨場感?違う。そんな陳腐な言葉じゃない。これは……宇宙そのものの響きだ。……もう一度、聴きたい。いや……もっと、ちゃんと。この子の声を、最高の環境で、録ってみたい。


***


SE:閉館後の静まり返ったエントランス。海斗が少しそわそわしながら待っている。自動ドアが開く音。


雫:(おどおどした声で)あ、あの……。


海斗:あ、星乃さん!来てくれたんだ。ありがとう。


雫:は、はい……。あの、わたしに、一体なんの用事、でしょうか……。もしかして、この間のこと、怒って……。


海斗:違う違う!全然違うよ!むしろ、お願いがあって。……ちょっと、中へどうぞ。


SE:二人分の足音が、静かなドームへと響く。


***


SE:ドームの中央には、前回よりも本格的な、数本の高性能集音マイクがセッティングされている。


雫:(息を呑む音)わ……。マイク……?


海斗:うん。……単刀直入に言うね。この間の君との会話、偶然マイクで録音してたんだ。


雫:(顔が青ざめる気配)え……っ。


海斗:ごめん、プライバシーの侵害だよな。本当に申し訳ない。でも、それを聞いて、俺、どうしても君にお願いしたいことができたんだ。


雫:お、お願い……ですか?


海斗:実は今、プラネタリウムの新しい音響プログラムを作っていてね。その……テストに協力してほしいんだ。


雫:テスト……?


海斗:そう。このドームの中で、人が話す声がどう響くか、データを集めたくて。星乃さん、いつも熱心に星を見てるから、星の話をするのが一番自然かなって。……ダメかな?


雫:わたしが……話す……。


海斗:(モノローグ)無理なお願いだったかもしれない。こんなに人と話すのが苦手そうな子に。でも、あの音の正体を確かめたい。あの、心を揺さぶる不思議な響きの全てを、このマイクに収めたいんだ。


海斗:もちろん、無理にとは言わないよ。でも、ほんの少しだけ……君が好きな星の話、聞かせてもらえないかな。君が、このドームで見上げている世界を、俺にも教えてほしい。


SE:海斗がコンソールのスイッチを入れる。ドームの天井に、ゆっくりと満天の星が映し出される。プロジェクターの静かな駆動音。


雫:(小さな感嘆の声)あ……。


海斗:今夜見える、最高の星空。……どうかな。


雫:…………いつもより、星が、近い、です。


海斗:うん。今日は特別だからね。……じゃあ、まずは、あの星から話そうか。夏の大三角。あの一番明るいのが、こと座のベガ。織姫星だね。


雫:……はい。


海斗:星乃さんは、ベガを見て、何を感じる?どんな風に見える?


雫:ベガは……。


SE:雫が話し始めると、彼女の声に、微かな、しかしはっきりと、鈴が鳴るような清らかな音が重なり始める。


雫:……とても、寂しそうな音がします。


海斗:(ヘッドフォンを抑え、息を殺して)音……。


雫:はい。……青くて、どこまでも澄んでて……でも、すごく遠いところで、たった一人で鳴ってる、みたいな……。凛としてるけど、孤独な音。


海斗:(モノローグ-ヘッドフォンに全神経を集中させて)……来た。これだ。間違いなく、彼女の声から発生している。でも、どうして?どういう仕組みなんだ……。


海斗:その「音」っていうのは、どんな風に聞こえるの?


雫:(少し戸惑いながら)えっと……言葉にするのは、すごく、難しいんですけど……。星って、それぞれ自分の音を持ってるんです。色とか、明るさとか、地球からの距離とかで……全部、違う音。わたしには、そう聞こえる、だけで……。


海斗:……面白いな。じゃあ、あっちのアルタイルは?彦星。


雫:アルタイルは……ベガより、少しだけ低い音。もっと力強くて、まっすぐな……芯のある音です。でも、やっぱり、寂しい。天の川の向こう側にいる誰かを、ずっと探し続けてるみたいな……切ない響き。


SE:雫の言葉に合わせて、ヘッドフォンの中の音が変化する。澄んだ鈴の音に、少しだけ低い、チェロの弦をそっと弾いたような、芯のあるハミングが混ざる。


海斗:(興奮を必死に抑えながら)すごい……。本当に、音が変わった。これは……ただの物理現象じゃない。彼女の感性が、彼女の言葉が、声を通して、現実の音になっているのか?


海斗:星乃さん。君は、いつからそんな風に「音」が聞こえるの?


雫:……え?


海斗:ごめん、変な質問だよな。でも、俺には君の声が、ただの声に聞こえないんだ。君が話すと、まるで世界中のいろんな音が、一緒に響いてくるみたいで。


雫:(怯えたように、声が震える)……!そ、そんなこと……ないです……。わたしの声は、ただの……。


海斗:怖がらせるつもりはないんだ。本当に。ただ、純粋に知りたい。君が見てる、聴いてる世界を。俺は音を作る仕事をしてる。でも、最近じゃ、どんな音が本物なのか、わからなくなってた。毎日、偽物の星空に、偽物の音を乗せてるだけな気がして。……でも、君の声は、本物だ。俺が忘れかけてた何かを、思い出させてくれる気がするんだ。


雫:…………。


SE:長い沈黙。ドーム内には、プロジェクターの静かな駆動音だけが響いている。


雫:(ぽつりと、消え入りそうな声で)……みんな、わたしの声、変だって言うから。


海斗:変?


雫:子供の頃から……ずっと。わたしが話すと、みんな、変な顔をするんです。「なんか、耳の奥がざわざわする」とか、「頭に響いて気持ち悪い」とか……。音楽の授業で歌った時も、先生に「君は、周りの音を乱すから、口パクでいい」って言われて……。それから、わたし……あんまり、喋らないように……なりました。


海斗:(モノローグ)そうか……。彼女にとって、この声は、祝福じゃなくて、呪いだったのか。他人には理解されない、孤独の源泉。俺が宝物だと思ったこの響きが、彼女をずっと苦しめてきた。


海斗:……俺は、好きだよ。君の声。


雫:え……?


海斗:初めてマイク越しに聴いた時、鳥肌が立った。こんなに美しい響きがあるのかって。それは、ざわざわするとか、気持ち悪いとか、そういうのじゃなくて……。なんて言うか……。


SE:海斗が必死に言葉を探す。


海斗:……センス・オブ・ワンダー、かな。


雫:せんす……おぶ……わんだー……?


海斗:そう。宇宙の広さとか、星の神秘とか、そういう、言葉にならないくらい大きくて、荘厳なものに触れた時の、心が震えるような感覚。畏敬の念、みたいな。君の声は、それを思い出させてくれる。だから……もっと聴かせてほしい。君が聴いてる、宇宙の音を。


SE:雫が小さく息を吸う音。


雫:……じゃあ……。あの星、見てください。夏の星座の、さそり座。心臓のところにある、赤い星。


海斗:あれは……アンタレスか。一等星の中でも、ひときわ赤いな。


雫:はい。アンタレスは……古い、古い音がします。


SE:雫の声が、少しだけ落ち着きを取り戻す。その声に重なる音も、より深く、豊かになっていく。古びた教会のパイプオルガンが、静かに空気を震わせるような、低く、荘厳な響き。


雫:もうすぐ、自分の光を全部使い果たしちゃうって、知ってる音。……だから、最後の命を燃やすみたいに、必死に鳴ってる。……寂しいけど、でも、すごく……誇り高い音なんです。


海斗:(モノローグ)誇り高い、音……。アンタレスが、超新星爆発を間近に控えた赤色超巨星だってこと、彼女は知ってるんだろうか。いや、知らないかもしれない。知識じゃない。理屈じゃないんだ。ただ、感じてる。その星のあり方を、魂を、声で……音で、表現してるんだ。


海斗:……すごいな。君は、詩人だ。


雫:(少し照れたように)そ、そんなこと……ないです……。


海斗:いや、本当だよ。俺なんかより、ずっと宇宙の心に近い。……なあ、もっと教えてくれないか。あの、空を流れる、天の川は?どんな音がするんだ?


雫:天の川は……一つの音じゃないんです。


海斗:え?


雫:たくさんの、たくさんの、小さな光の粒……その全部が、それぞれの音を出してるから……。


SE:雫の声が、囁きに変わる。それに合わせて、ヘッドフォンの中の音が、無数の小さな光が弾けるような、繊細で複雑な音の集合体に変化する。キラキラと輝く、音の川。まるで耳元で炭酸が弾けるような、心地よい刺激。


雫:(ASMRのように、耳元でささやく感じで)……耳を澄ますと、聞こえてきませんか?たくさんの星たちが、一緒におしゃべりしてる声が……。昔々の物語とか、これから生まれる星の噂話とか……。キラキラ、サラサラ……って。囁き合ってるんです。とても、優しく……。


海斗:(息を呑んで、囁き返すように)……ああ……。聞こえる……気がする。


海斗:(モノローグ)なんだ、これ……。ただの音声じゃない。これは……体験だ。彼女の声は、聴く者の意識を、このプラネタリウムのドームから、本物の銀河の中心にまで連れて行ってしまう。これが……彼女がずっと一人で抱えてきた世界。なんて、美しくて……なんて、途方もなく、孤独なんだ。


海斗:星乃さん。


雫:……はい。


海斗:ありがとう。君のおかげで、俺、また星を好きになれそうだ。


雫:(驚いたように、小さな声で)……。


海斗:いや、星だけじゃない。音を、好きになれる。自分の仕事を、もう一度、信じられるかもしれない。


雫:……わたし、の、声が……役に、立った……?


海斗:ああ。君の声は、呪いなんかじゃない。……ギフトだよ。少なくとも、俺にとっては、最高の贈り物だ。


SE:ドームの星が、ゆっくりと回転を始める。BGMとして、静かで透明感のあるピアノのメロディが、ごく微かに流れ始める。


雫:……ギフト……。


雫:(少し、震える声で)……嬉しい……。そんなこと、言われたの……生まれて、初めて、だから……。


SE:雫が、小さく鼻をすする音。暗闇の中で、涙をこらえている気配。


海斗:……泣いてる?


雫:な、泣いてません……っ。ただ……星が、目に、しみただけ、です……。


海斗:(優しく笑って)そっか。……なあ、最後に一つだけ、聞いてもいい?


雫:……はい。


海斗:君は、どうしてそんなにプラネタリウムに来るんだ?


雫:……ここは……。わたしの声が、誰にも迷惑をかけない場所だから。……暗くて、みんな星を見てて、誰もわたしのことなんて気にしてないから。……それに、ここの星空は、わたしの声に、何も言わないから。ただ、静かに、一緒にいてくれるから……。


海斗:(モノローグ)そうか。彼女にとって、ここは唯一の安息の地だったんだ。……俺がすべきことは、もう決まっている。彼女がくれた、この「センス・オブ・ワンダー」を、今度は俺が、音にして、世界に届けるんだ。


海斗:……星乃さん、ちょっと待ってて。


SE:海斗がコンソールを素早く操作する音。録音したばかりの雫の声を、彼が作りかけていたアンビエントな曲のデータに重ねていく。


雫:あの……?


海斗:いいものができた。……いや、君が作ってくれたんだ。聴いてみて。


SE:海斗が、ドーム全体のスピーカーのボリュームをゆっくりと上げていく。


SE:ドーム全体に、雫自身の声が響き渡る。それは、アンタレスを語る、荘厳で誇り高い響き。天の川を囁く、キラキラとした優しい音の粒子。海斗の作った透明な音楽と混ざり合い、一つの壮大な交響曲となって、満天の星空の下に降り注ぐ。


雫:(はっと息を呑む音)これ……わたしの、声……?


海斗:そうだよ。君の声だ。


雫:……嘘。だって……綺麗……。ざわざわ、しない……。


海斗:当たり前だろ。こんなに美しいんだから。


SE:雫が静かに泣き始める。でもそれは、今までとは違う、温かい涙の音。


海斗:(モノローグ)地味で、静かで、星の影みたいだった彼女。でも、その内側には、誰よりも豊かな宇宙が広がっていた。これからは、もう一人でその宇宙を抱えなくていい。君の声は、こんなにも美しいんだって、俺が証明する。君が、君自身を好きになれるように。


雫:(涙声で)あの……。


海斗:ん?


雫:……わたしの声でよかったら……また、聴きに、来ますか?宇宙の、お話を。


海斗:……ああ。ぜひ、お願いするよ。君が聴かせてくれる宇宙の音、全部録音させてほしい。


SE:ピアノのメロディが、少しだけ明るくなり、静かにフェードアウトしていく。


海斗:(モノローグ)僕と彼女の、世界で一番静かで、壮大な夜が、始まった。これは、まだ誰にも聞こえていない、僕たちだけの、秘密の交響曲。これから、この声が、どんな物語を奏でていくんだろう。今はまだ、僕と彼女しか知らない。この星屑のささやきが、いつか世界に届く日まで。


***


SE:開演前のざわめき。満席の観客たちの、期待に満ちたひそひそ話。子供たちの小さな笑い声。普段のプログラムとは明らかに違う、熱を帯びた空気がドームを満たしている。


SE:やがて、ブザーが鳴り、ドーム内の照明がゆっくりと落ちていく。観客たちのざわめきが、すうっと静寂に吸い込まれていく。完全な闇。そして、コントロールブースの窓の向こうで、天沢海斗がコンソールに指を滑らせるのが、微かに見えた。彼の表情は真剣そのものだが、かつてのような疲弊の色はない。そこにあるのは、これから最高の作品を届けるのだという、職人のような静かな自信と、深い愛情だった。


SE:ドームのスピーカーから、ノイズ一つない、澄み切った音が流れ始める。それは音楽ではなかった。水滴が銀盤に落ちて響くような、繊細な音の粒子。


やがて、満天の星がドームに映し出される。寸分の狂いもなく、しかし以前とは比べ物にならないほどの解像度と輝きを持って。


そして、その星々の光のシャワーの中から、一つの声が、囁きかけるように生まれ出た。


雫の声(録音)『……聴こえますか……?これは、生まれてすぐの、若い星の産声……。熱くて、眩しくて……でも、ほんの少しだけ、これから始まる長い旅に怯えているような……そんな、震える音……』


SE:その声が響いた瞬間、ドームの空気が変わった。それは星乃雫の声だった。しかし、以前の彼女を知る者が見れば、誰もが耳を疑うだろう。そこには、怯えも、戸惑いも、何一つなかった。ただ、どこまでも優しく、深く、そして揺るぎない愛情を持って、宇宙の音を紡いでいる。海斗が作り出した透明なアンビエントミュージックと完璧に調和し、声そのものが一つの壮大な楽器となって、星空の物語を奏でていた。


観客席の最前列に座っていた小さな男の子が、隣にいる母親の袖を引く。


男の子『(ひそひそ声で)……お母さん、星、歌ってるね……』


母親『(優しく囁き返す)……そうね。とっても、綺麗な歌ね……』


雫の声(録音)『……あちらに見えるのは、プレアデス星団。日本では、すばる、と呼ばれていますね。……あの子たちは、とても賑やか。いつも集まって、光の糸電話でおしゃべりをしているんです。……キラキラ、キラキラ……って。遠い昔の神様の噂話や、これから宇宙に生まれる新しい命の話……。楽しそうな笑い声が、たくさん、たくさん、重なり合って……』


SE:雫の言葉に合わせて、スピーカーから弾けるような、無数の鈴が鳴るような音が降り注ぐ。それは、子供の頃に聞いた、万華鏡を覗き込んだ時のときめきを思い出させる音だった。観客席のあちこちから、小さく、感嘆のため息が漏れる。目を閉じて、その音の世界に身を委ねている者もいる。ハンカチでそっと目頭を押さえている女性もいた。


プログラムは、科学的な解説を一切排していた。星の等級も、地球からの距離も、構成する元素の話も出てこない。ただ、雫が感じるままの「音」と「物語」が、海斗の音楽と共に語られていくだけ。


雫の声(録音)『……さそり座の心臓で赤く燃える、アンタレス……。この星は、もうすぐ、その長い命を終えようとしています。……だから、その音は、とても荘厳で……誇り高い。自らが燃え尽きた後、新しい星たちの材料になることを知っている……。ありがとう、って……。宇宙の全てに、感謝を告げているような……低くて、温かい、ハミング……』


SE:ドーム全体が、教会のパイプオルガンのような、深く、厳かな響きに包まれる。それは、死を前にした星の音でありながら、不思議なほどの安らぎと、未来への希望を感じさせた。


コントロールブースの中で、海斗は静かに目を閉じ、その音に耳を澄ませていた。彼が作った音楽。彼が見出した声。二つが合わさり、今、ここにいる全ての人々の心を震わせている。枯れ果てていたはずの彼の心は、今や豊かな水で満たされた湖のように、静かに、そして深く、凪いでいた。


プログラムの最後、天の川がドームの天頂を横切る。


雫の声(録音)『……そして、この、光の川……。ここには、ありとあらゆる星の囁きが、溶け合っています。……嬉しい音、寂しい音、優しい音、怒っている音……。全部、全部、受け止めて、ただ静かに、流れていく……。……だから、もし、あなたの心が疲れてしまった時は……この光の川に、その心を、そっと、預けてみてください。……大丈夫……。宇宙は、いつでも、あなたの味方だから……』


SE:雫の最後の言葉と共に、音楽と声がゆっくりとフェードアウトしていく。ドームには、再び完全な静寂が訪れた。星だけが、黙って輝いている。


誰も、動かなかった。誰も、口を開かなかった。まるで、魔法が解けるのを惜しむかのように。


やがて、一人の観客が、ぽつりと呟いた。


観客A『……すごかった……』


その一言がきっかけだった。堰を切ったように、ドーム全体から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。それは、単なる賞賛の拍手ではなかった。感謝と、感動と、そして深い癒しへの、心からの応答だった。


SE:鳴り止まない拍手。


コントロールブースの海斗は、その拍手を浴びながら、ただ静かに、客席の一点を見つめていた。一番後ろの、一番端の席。


そこに、星乃雫が座っていた。


以前のように、暗闇に溶け込むように縮こまってはいない。背筋を伸ばし、鳴り響く拍手の中で、彼女は静かに、ステージ、いや、自分が声を届けた星空を見上げていた。その頬を、一筋の涙が伝っていた。しかし、その表情は、悲しみではなく、穏やかな喜びに満ちていた。自分の声が、誰かを傷つけるのではなく、誰かの心を温めている。その事実を、全身で受け止めているようだった。


やがて、ドームの照明が灯り、観客たちが満足そうな表情で席を立ち始める。口々に感想を言い合いながら、出口へと向かっていく。


館長が、興奮した面持ちでコントロールブースにやってきた。


館長『天沢くん!やったな!歴史に残るプログラムだ!アンコールの問い合わせが殺到してるぞ!次回からの常設プログラムにしよう!』


海斗は、館長の言葉に、ただ静かに一礼した。言葉はなかったが、その目には、確かな手応えと感謝の色が浮かんでいた。


***


SE:全ての観客が去り、再び静寂が戻ったドーム。プロジェクターだけが、まだ天の川を映し出している。


海斗は、コントロールブースから出てくると、ドームの中央に歩みを進めた。そこには、まだ雫が一人、座っていた。


SE:海斗の静かな足音。


彼は雫の隣に座った。何も言わずに、自販機で買ってきたのだろう、温かいミルクティーの缶をそっと差し出す。


雫は、はっとしたように彼に気づき、少し驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んで、その缶を受け取った。


SE:カシュ、というプルタブを開ける小さな音。


二人の間に、言葉はなかった。ただ、隣に座り、同じ星空を見上げている。雫がミルクティーを一口飲む、こくり、という小さな音。海斗が、満足そうに息を吐く音。それだけが、広大なドームに響いている。


雫は、自分の両手で、温かい缶を包み込んだ。その温もりが、指先から、ゆっくりと心にまで染み渡っていくようだった。


かつて、この場所は彼女にとって唯一の逃げ場所だった。誰にも迷惑をかけず、自分の声を殺して、息を潜めるための場所。


でも、今は違う。


ここは、彼女が彼女のままでいられる場所。彼女の声が、最も美しく響く場所。そして、世界でただ一人、その声を「ギフトだ」と言ってくれた人が、隣にいてくれる場所。


しばらくして、海斗がすっと立ち上がり、コントロールブースから何かを持ってきた。それは、彼がいつも使っている、高性能な集音マイクとヘッドフォンだった。


彼はマイクを二人の間にそっと置くと、ヘッドフォンを自分の耳に当て、そして、片方のイヤピースを外し、雫の耳にそっと近づけた。


雫は、戸惑うことなく、そのイヤピースを自分の耳に入れた。


SE:ヘッドフォンが耳に収まる、小さな音。


海斗は、録音機器のスイッチを入れた。赤いランプが、静かに灯る。


SE:録音開始を告げる、微かな電子音。


彼は、雫に何も求めなかった。「星の話をして」とは言わなかった。


ただ、録音する。この、二人だけの、静かな時間を。


ヘッドフォンからは、すぐそばにある世界の音が、鮮明に聴こえてきた。雫自身の、穏やかな呼吸の音。ミルクティーの缶の中で、液体が揺れる微かな音。遠くで鳴る、時計の秒針の音。そして、ドームの天井で星を映し出す、プロジェクターの静かな駆動音。


それらは、ただの環境音のはずなのに、不思議と、一つの音楽のように聴こえた。世界で一番、穏やかで、満ち足りた音楽。


雫は、そっと目を閉じた。


すると、海斗が、マイクの位置を少しだけ動かした。


SE:マイクが衣擦れする、微かな音。


彼がマイクを向けた先。それは、彼自身の胸だった。


雫が、不思議に思って目を開けると、海斗が、じっと彼女のことを見つめていた。その瞳は、どんな星よりも優しく、深く、輝いていた。


そして、イヤピースから、新しい音が聴こえてきた。


SE:静かで、力強い、心臓の鼓動。ドクン……ドクン……。


それは、海斗の心臓の音だった。


一定のリズムで、どこまでも誠実に、命を刻む音。


その音は、雫がこれまで聴いてきた、どんな星々の音よりも、温かくて、力強かった。ベガの孤独な音でも、アンタレスの誇り高い音でもない。ただ、ひたすらに、今ここで、君のそばにいる、と告げている音。


雫は、その音に、耳を澄ませた。


それは、夢を失い、もう一度それを見つけた男の音。

一人の少女の声に、宇宙を見出した男の音。

そして、その少女を、心から愛している男の音。


雫の目から、再び、涙が溢れた。今度は、一筋だけ。それは、ミルクティーの缶を伝い、ぽとり、と小さく床に落ちた。


SE:涙が床に落ちる、ごく小さな音。


ヘッドフォンは、その音さえも、拾い上げていた。


雫は、ゆっくりと、海斗の肩に自分の頭をこてん、と乗せた。


海斗は、何も言わず、そっと彼女の頭を受け止めた。


ドームには、満天の星。

二人の間には、言葉のない対話。

そして、イヤピースを通して、一つの心臓の音が、二人の宇宙を、静かに、満たしていく。


聴こえる?

――これは、世界で一番、静かで壮大な恋の音。

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