吹聴

沙華やや子

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 乃菊魔床のぎくまゆか32才女性は、9月のある日出張を命じられた。彼女は大学を卒業してからずっと『出版社・音がきこえる』の編集者として働いている。

 今回はある田舎町でのミステリアスな話の真意を確かめ記事にしようといった会社の試みゆえの取材だ。


 スラッとしたボブヘアーの魔床、パンツスーツがよく似合う。今はデニムパンツとTシャツといういでたちで、ディーゼル車に揺られている。独特のエンジン発車音。 広がる山あいの風景は、仕事で来るにはもったいない輝きを放つ。


 L県の真琴駅に汽車は到着した。ほのぼのとした無人駅だ。辺り一帯稲刈りをほぼ終えた田んぼだけだ。

「え……と、どこだっけな。『さなえ』ホテル?だった?」おもむろにスマホを取り出す魔床。「ああ、合ってた。で~……こっちだ!」スマホで地図を見つつ進む。農作業をしている人以外、道を歩く人が居ない。静かな村だな。


 真琴駅に着いたのは午前9時半。子どもは学校の時間か。ヒュー。急にとても涼やかな風が魔床の黒髪をかき乱した。

「変なの~、さっきまで無風だったのに」

 スマホを頼りに歩く事10分。ふと田んぼのあぜ道の上のほうに目をやった。

「え!」……カラスの死体が逆さ吊りにされている。こういうの……聞いた事はあったけど、まさか本当にあるなんて。魔床は吐き気を催した。しかしもう、稲は刈り取られたのに……。

 田んぼにコメが実る頃、カラスが悪戯をしないようにこういった事をするのだ。カラスの知能は人間の幼児の3歳ぐらいだという説もあるからね。


 風が吹き始めた。今度はずっとそよそよと続く。生臭い、嗅いだ事のない香りが風に運ばれやって来ては、魔床の鼻を悩ませた。臭い、気持ち悪い! なに、この臭い……。

 ホテルに辿り着いた。臭いはさらに増している。

「こんにちは。予約して居ります乃菊です」「はい、お待ちしておりました」静かな雰囲気の男性の受付係。

「あ……あの」魔床はたまらず訊いてしまった。「この……外の臭い、何でしょう?」

 すると男性は穏やかに「ええ、牛の皮が干されてるんですよ」

 なるほど……屠殺場そばのホテルか。それで宿代が極端に安かったんだな。でも部屋に入ればエアコンをつけ窓を閉めるし臭いはしないか。部屋の鍵を渡され2階へ上がった。びっくり仰天。エアコンが……ない。古めかしい大きな扇風機が1つだけ。仕方なく窓を開け扇風機ONで、網戸にする。

 9月の残暑が厳しい。臭くても命には代えられない。


 魔床が取材を命ぜられた不思議な話とは……この村、佐予村さよそんは夜になると鈴の音がうるさいほどに鳴り響くというものだ。

 佐予村には観光名所が特にない。たまたま訪れたハイキングをした人や川遊びをした人、キャンプをした人の間で噂になっている。

 家々の軒先にでも鈴がぶら下がっていないか……宿の部屋に荷物を置いた魔床はさっそく村を探索に出掛けた。


 民家はまばらだ。どの家にも鈴などぶら下がっていない。

 何か霊的なもののしわざなのだろうか……? それならそれで、みんなが食いつきそうな記事になる。


「こんにちは~。すみません」開け放たれたある民家の玄関から声を掛ける魔床。

 すると遠くから返事。「はーい」優しげな老婆が現れた。腰が折れ曲がっていてゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。

「あ、突然すみません、私東京から来ました『出版社・音がきこえる』という会社の乃菊という者です。……村についてお聞きしたい事があるんです」「良いよ、なんだい?」老婆はにこやかに杖を持ち立って居る。

 ……そこで魔床は「鈴の音の件」について話してみた。「へぁ~……知らないね~。おもしろい話だね。アハハ」と老婆は笑った。「は……はい、おもしろい。というか神秘的ですよね」 うん、うんとおばあさんは頷くだけだ。「じゃあね」と、ゆっくり、ゆっくり老婆は杖で体を支えながら奥へ入って行ってしまった。


 その夜……吊るされた牛の皮の臭いと暑さで眠れない魔床。電気を付けた。すると部屋に大きなハエが入り込んでいるのに気付いた。「やだ!」ハエはしばらく飛び回っていたが、少しするとテーブルにとまった。そ……っと近づき魔床は新聞紙でハエを叩き殺した。潰れた死骸から出たネバっとした茶色っぽいものが新聞紙に付いたので、すぐに新聞紙ごとごみ箱へ捨てた。

 なんとか寝ようと電気を消しもう一度布団へ入った。


 ……シャンシャンシャンシャン、ちゃりちゃりしゃんしゃん……リンリンリン、しゃんしゃんしゃん……。


              え?


 す、鈴の音! パッと目を開くと5つ6つ、いや、10、20……能面みたいな体を持たない顔が口を開け近づいてくる。こぞって! みな口を開けている。口の中にびっしりと鈴が詰め込まれている。

 しゃんしゃんしゃんしゃん、チャリンチャリン、りんりんりんりん……シャンシャン……口で何かを言っているが、それがすべて鈴の音として聞こえてくる。


 その中で、わずかに聞き取れる『言葉』があった。「うわさを流して大成功だったな」「喰らいついて来たね……うふふ」……。


 シャンッシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン……シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン……シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン……!


「ぎやぁあああああああああああああッッッ!」……。


     魔床が東京へ帰ることはなかった。


 田んぼのあぜ道には新しいカラスの肉が逆さ吊りにされていた。



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