走馬燈

如月六日

読み切り



 私は、今、まさに死んでいこうとしている。

 だが、不思議な事に、私の気持ちはとても落ち着いていて、穏やかに自分の死を見つめる事が出来た。自分自身を、もっと生に執着する人間だと思っていただけに、これほど静かな気持ちで死を迎える事が出来るという事実は、我ながらかなり意外だった。


 そうして暫くボーっとしていると、突然、私の意識の中に過去の記憶が、鮮烈な映像となって流れ込んできた。

 忘れていた筈の出来事。忘れられない思い出。

 それらが、それこそ濁流のように押し寄せてくるのが分かる。

 人間は死ぬ直前になると、それまでの経験が瞬時に思い出されるという。

 いわゆる「まるで走馬灯のように……」というあれだ。

 私は始めて経験する(当たり前だな)その現象に、すっかり心を奪われていた。

 そうだ。折角だから、このまま自分の人生を振り返ってみるのも良いかもしれない……。




 * * * * * * * * * * *




 私が生まれたのは、日本中の主婦がトイレット・ペーパーを買うために東奔西走していた時だった。世に言うオイル・ショックの頃だ。

 私の生家は、もとはかなり裕福だったらしい。らしいと言うのは、私が生まれてすぐに左前になり、貧しかった記憶しか無いからだ。

 父が知人の借金の連帯保証人になり、その知人が借金を残して行方をくらましたため、すっかり家財産を失ってしまったと聞いている。

 そのせいか、両親の仲は大変悪く、私の記憶の中には二人の喧嘩している姿しか残っていない。そんな両親が交通事故で他界した後、私は親戚に引き取られる事になった。

 両親の保険金が出るには出たが、それらは生活費という名目で親戚にとられてしまい、私の手元には一文も残らなかった。それでも高校までは行く事が出来たのだから、まあ恨み言を言うほどではないのかもしれない。

 高校を出ると同時に私は就職し、親戚のもとを離れる事になった。特に感動も悲しみも無い別れだった。所詮、義務と打算の関係だったのだ。


 就職してからはこつこつとまじめに働き、十年ほどたった時、私は独立して事業を始める事になった。私の仕事を認めてくれる人もいたし、自分でもそれなりに自信があったのだ。

 事業は特に失敗もなく、大成功もなく淡々とした日々が続いた。その間私は縁のあった人から紹介されて、妻をめとっていた。美しい女だった。恥ずかしながら、私にとっては初めての女でもあった。

 私は妻に溺れた。車、香水、宝飾品。彼女の望むものは全て買い与えた。

 だが、そんな生活が長く続くはずがない。すぐに金は底を突き、私はついに会社の資金に手を出した。

 最初は少しだけのつもりだったが、やがて頻繁に手を出すようになった。その頃はもう、半分正気を失っていたのだろう。

 あっと言う間に会社は資金繰りに行き詰まり、とうとう手形の不渡りを出すはめになった。毎日のように銀行や債権者が自宅にまで押し寄せ、私は何も出来ずおろおろとして暮らした。生きる事が地獄のように思えた。

 だが私を心底苦しませたのは、私の親しい人たちの裏切りによるものだった。私が仕事上の腹心と頼んでいた男が、妻と内通していたのだ。

 その事に気づき、私は男と妻を罵倒した。その日のうちに、二人は逃げ出していった。やっと集めた現金を持ち出して。

 その事を知った社員たちは、会社に出てこなくなった。

 最悪だった。

 私はもう、何もかもが嫌になっていた。生きる事に疲れきっていた。

 ある夜、致死量の睡眠薬を飲んだ。これで楽になれる、そう思うと死ぬのは嫌ではなかった。だが、すぐに激しい嘔吐感に襲われ、飲んだ薬を吐き出すはめになった。恐らく体質に合わなかったのだろう。

 胃の引き攣れるような痛みの中で、私は初めて死を恐怖した。

 そうだ。こんなことで死ぬなんて嫌だ。生きるんだ。自分は一度は狂い、死にかけた男じゃないか。これ以上、何を恐れる事がある?

 それを考えれば、何だって出来る。やってみせる。


 それからの私は、それこそ死にもの狂いの勢いで、事業の再建に奔走した。

 寝る間も惜しんで練り上げた再建計画で銀行を説得し、友人知人親類縁者に土下座をして資金を作り、取引先を駆けずり回って仕事を確保した。

 毎日毎日が、針の上に針を立てるような、重苦しい緊張感の連続だった。

 何度死んだ方が楽だと思ったかわからない。

 だが私はくじけなかった。私を裏切った奴等を見返してやりたかった。

 そんな苦しい戦いを繰り返すうち、遂に事業は軌道に乗り始めてきた。私の努力を認めてくれた人たちが、かなり有利な条件で融資をしてくれたのだ。

 その資金を元手に作り上げた商品は、最初僅かな注文しかなかったが、若者向けの雑誌が取り上げた事をきっかけに爆発的なヒット商品となった。

 注文につぐ注文。増産につぐ増産。今度は仕事を取るためではない。受注に追いつくために目の回る程の忙しさに不眠不休となったが、それは決して不快な疲れではなかった。仕事をしているという充実感。人に信頼される喜びを感じていたのだから。

 やがて私から去っていった人たちが帰ってきはじめた。私を捨てた部下や、友人たち、そして妻が。私は泣きながら彼らを殴った。彼らも泣きながら殴りかえしてきた。その後、私たちは許しあった。

 それからの私たちは、いくつかの困難に直面しながらも、努力と団結と思いやりでそれらを乗り越える事が出来た。

 事業は順調に伸び、充実した毎日にようやく皆の笑顔が戻った矢先、突然私は倒れてしまった。

 それまでの無理がたたったのだろう。すでに取り返しの着かない状態だった。医者は完全にサジを投げ、私の親しい者たちを呼ぶように言った。


 そして、最後の時。

 私の横たわったベッドの周りには、かつて私を裏切り、そして再び終生の友となった者たちが集まっていた。彼らは一人一人、優しい笑顔で私に言葉をかけてくれた。


 ──少し早いが先に行っててくれ。なあに、すぐに俺達も行くさ。

 ──今まで有り難うございました。社長と一緒に仕事が出来た事を、心から嬉しく思います。

 ──あなた、本当にお疲れ様でした。ゆっくりと休んでくださいね。

 そんな彼らに笑顔を返し、私は静かに目を閉じた。


 ……全ての映像が終わり、辺りが暗くなった。

 これで私の人生は終わり。色々とあったが、結果的にそれなりに満足できる一生だったと思う。

 ふと見ると、はるか彼方に、白い光が見える。いつの間にか、少しずつ体が引き寄せられていくようだ。きっとあそこが死者の国なのだろう。

 体が白い光に包まれる。

 ああ、暖かい。何て柔らかい光なんだろう。

 さようなら、私の家族たち! さようなら、私の愛した人々! さようなら、素晴らしかった私の人生!

 さようなら、さようなら。

 ああ、叶うものなら、君たちと再会する日が少しでも先になりますように。


 生まれてきて本当によかった…… ・ ・ ・ ・  ・  ・   ・    ・


























 * * * * * * * * * * * * * *


「おい見ろよ、こいつ幸せそうに笑ってやがるぜ! いい気なもんだ!」

「まあ、そう言うなよ。こいつにとっちゃ死ぬ事だけが幸せだったんだろうよ。何しろ親に捨てられ学校にも行けず、やっと始めた事業も仲間や家族にまで裏切られて失敗。挙げ句の果てにそいつらを皆殺しにしちまったんだからな」


 冬のある寒い日の午後、一人の連続殺人犯の死刑が執行された。その遺骨の引き取り手はなく、後に無縁墓地に葬られたという。



<了>


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走馬燈 如月六日 @KisaragiMuika

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