第三話:小さな屋敷

 肌寒さが残る春の風が、まだ寝ているアルベルトの頬を撫でる。瞼には朝の光が差し込み、眠い目を擦りながらも、天井を見る。


「ここは……どこだ? なぜ私はこんなところに」


 身体を起こし、当たりを見渡す。

 ふかふかの寝具、調度の整った室内、ほんのりと残る木の香りと、灰の匂い。暖炉はすでに鎮火していたが、まだ温もりを残していた。


 アルベルトはゆっくりと立ち上がり、サイドテーブルに置かれていた便箋に気づく。

 整った筆跡。小さい頃から何度も見てきた文字だ。


『愛しのアルベルト・ベルゼルガ殿下へ』


 そこには、彼の知らぬ場所が、彼のために整えられ、彼の帰りを待っていたことが綴られていた。

 ようやく、ぼんやりとしていた思考が、次第に現実へと戻っていく。

  

「そうか、私はあの時……すまなかったな、ステラ」


 だんだんと昨日のことを思い出す。婚約式での出来事。


 婚約者、ノエルに『あなたの事は、嫌いです。なので、婚約は破棄します』と言われ、その後、弟、両親から完全に拒絶されたこと。


 気がつけば森の中にいてその時に自決しようと考えていた。護身用の短剣で、自らの命を絶とうとしたのだ。

 その時に、時間が訪れ、ステラになった。


 確かに婚約できないと言われ続け、アルベルト自身、パーティの最中は料理には一切手をつけず、口にしたのはワインを一口だけだった。

 余程、浮かれていたのだと反省する。


 けれど、その夢も崩れ去った。


 嫌いだと、ノエルのオレンジ色の瞳には嘘を感じなかった。真剣そのもので、それも、もっと昔から毛嫌いしていたような瞳の濁り方をしていた。

 以前からそんな兆候は見えていた。最初は気の所為だと思うようにしていた。


 だが、だんだんと顕著になっていき、ついにはその瞳の濁りは隠さなくなった。というより、その瞳の濁りはアルベルトにしか感じ取られない違和感があった。あの瞳の濁り方――アルベルトには、それが心から嫌っていたという証拠にしか見えなかった。


 アルベルトは、見た目だけなら、誰もが憧れるような美しさだった。だからといって、何も努力を怠ったことも慢心したこともない。


 けれども、魔法も剣も、何一つ人並みにできなかった。努力だけは裏切らなかったはずなのに……そんな彼から誰しもが、離れていった。


 皆、始めはイケメンだと、美しいと、ただ外見だけを見て近寄ってくる。そして、魔法が使えない、剣もろくに使えないと知れば離れていく。


 アルベルト自身、自分を顧みないほどの優しさを誰も見ようともしない。


 ノエルもその一人だった。


 二年程、彼女と出会ってから先日までは献身的に優しく、誰よりも離れなかった……はずだった。


 悔しくてたまらない。自分に魔素がないからと、剣の才能がないからと、自分を責める。


 これでも諦めず、剣の稽古は欠かさず、魔法の訓練も使えないと解っていながらも、やめたことはなかった。


 出来ないから、才能がないと、そう言われ続けてもひたむきに努力をしてきた。


 けれども、何一つ上達せず、何の成果も得られなかった。

 無価値だと、無力だと、言われ続けてもいつかは出来るようになる。強くなれると信じていた。

 ステラがそれを教えてくれていた。


 勉強も、王宮にある図書室で様々な本を読み漁ってきた。文が難しくてわからないところは、ステラの時に、わかりやすくまとめてくれていた。


 語学も、読み方がわからなかったり発音が難しいところは、魔道具で録音をして教えてくれていた。


 だからこそ唯一、魔法の理論術、戦闘においての技術の知識は誰よりも優れていた。別段、学園に通っているわけでもないので、テストという形式ではどこまで通用するかアルベルトにはわからない。


「学園か……ステラが言うなら、一度は通ってもいいかもしれない」


 でもどうやって自分を学園に入学出来るようにするのだろうか。

 ステラの考えていることは共有はされない。


 その為、自分の推測や憶測で彼女の考えていることを見つけなければならない。

 無論、アルベルトの考えていることもステラには共有はされない。口に出したこと、会話の内容、見たもの聞いたもの、経験や体験をしたものだけが共有される。


「取り敢えず……着替えて朝食を食べるか。そのあとこの屋敷を自分の目でも見ておきたい」


 ステラから通して記憶は共有されているため、屋敷の構造や中の様子はある程度把握はできている。


 だが、それでも自分の目でしっかりと見ておくのは必要だ。引き継がれる記憶はすべて間違うことはないが、アルベルトが気づかない部分はステラが、ステラが気づかない部分はアルベルトが補い合っている。


「厨房に、食材があるって書いていたな」


 ステラの記憶を頼りにアルベルトは部屋を出る。


 昨日ステラが掃除をしたとはいえ、まだ埃だらけの屋敷。天井にはクモの巣が至るところに張り巡らされている。彼女は本当に使うであろう部分だけを掃除したようだ。


「……ステラのことだ、何か考えがあるのだろう」


 ぽつりと漏らしても、返ってくる声はない。きっと、手紙で皮肉でも返ってくるに違いない。


 ステラが修繕した部分は新築同然のような綺麗さがあった。でも。アルベルトからすれば本当に必要最低限。


 廊下においてある調度品は、ステラが修繕して清掃したものと、全く清掃のされていない者、割れていたり、くすんでいたり、中には厚い埃に覆われたままの物もあった。


 ステラの言う通り、壁の脆い場所や床が抜けているところ、床が抜けそうなところは見受けられた。

 厨房までは新築のような綺麗さがあった。残っている場所は夜に片付けて掃除をしてくれるのだろう。


 でも、だからと言って、彼女一人にやらせるにはいかない。アルベルトは自分でもできうることはやっていくつもりだ。


「……そういえば、クレープは絶対に食べろとか言っていたな」


 甘いものは確かに苦手だが、せっかくステラが用意してくれたのだ。無碍にすることはしない。


 厨房は新築と思わせるほど、綺麗にされていた。食べられそうにない食材があったと書いていたが、おそらく捨てたか燃やしたのだろう。


 テーブルにある飾り皿の上には、チョコとホイップが惜しみなく重ねられたクレープが一つ。魔法によって、香りも温度も、そのまま閉じ込められていた。


 朝から甘いものを食べることもあるが、これは量が多いと感じる。


 アルベルトが触れただけで、魔法が解かれる。やはり……彼女の魔法は、どこかあたたかい。自分では絶対に届かない場所に、彼女はいる。


 一口、食べてみると口の中にチョコのほろ苦さとホイップの甘さが広がり、それが生地で整えられ、見事な味わいだった。


 けれど、甘さで胸焼けがする。塩気なある食べ物が欲しくなるほどに。それか苦い飲み物でもいい。

 何かないかと探していると、珈琲豆を見つけた。

 ちょうどコーヒーミルも、注ぐ用のビーカーもある。


 カップはソーサー付き。しかも、たっぷりと入る。

 早速水を鍋に入れて、火をかける。これらも魔道具で使える代物のようだ。


 アルベルトには、魔導具を扱うことすら許されていなかった。なら、どうやって使うのかと言われると、実は秘密がある。


 アルベルトの人差し指には魔術式と魔法陣が施されたリングが両手に付けられている。

 これは、ステラが魔道具を扱えるようにと作ってくれたものだ。


 ステラが現れるまで魔導具すら扱えなかった。

 風呂は入れず、王宮にある井戸から汲み上げ、それを使って顔を洗ったり、水浴びをしていた。


 アルベルトには魔素がない、魔法が使えないだけではなく、魔道具すらまともに扱うことができなかった。それが、無能、無価値と言われる所以であった。


 湯が沸き、コーヒーを抽出する。

 コーヒーの香りが、室内に広がり、クレープの甘さが和らいだ気がした。

 コーヒーを一口飲み、クレープの甘さがコーヒーの苦味によって中和される。


「ちょうど良くなったな。これなら食べ進められそうだ」


 朝食を終えると、アルベルトは椅子に深く腰かけ、小さく息をついた。


 温もりの残るコーヒーをもう一口。窓から差し込む朝陽が、ゆっくりと彼の横顔を照らしていた。

 少し冷えた空気が、彼の頬を撫でる。


「……屋敷の外も見てみるか」


 食べ終えた食器を片付け、扉を開けて、廊下を進み屋敷に玄関を出る。


 扉はまだ軋んでいたが、昨日のステラの修繕で開閉はスムーズだった。


 外に出ると、日差しは少し暖かいのに肌寒い風が頬を打つ。だが、それがかえって目を覚ます。

 見上げた空は雲一つなく、朝陽が木々の隙間からこぼれ落ちている。


「やはり、誰かの屋敷だったのか……」


 庭と呼ぶには荒れ果てている。かつては手入れされていたであろう芝生と花壇の跡が見える。


 庭の片隅には、蔦に覆われた石造りのベンチがぽつんと置かれていた。座面は欠け、脚も片方が埋もれていたが、不思議と崩れていない。


 少し歩みを進めると小さいが噴水があった。苔と蔦に覆われ、水も枯れている。

 それらを払い除けると、彫刻が彫られていた。


『黄昏ノ使者:レイチェル・アルビス・グレモリー』

 

 その名を、アルベルトは聞いたことがあった。

 王宮で魔法や魔術の勉強をしている時、偶然見つけた古い文献。その文献の一節だけ残されていた名前。


『黄昏の魔法使い』


 その魔法使いは、昼と夜の狭間に生き、たった一時間だけ現れる幻の魔法使い。神話や物語でしか描かれないとされる存在しないと言われた者。


 月と星、の気配を読み取る力を持ち、魔素や、魔力を言葉にせず行使していたとされていた。


 その記述は、どこか……ステラに似ている。

 朽ちた噴水を見つめながら、手で蔦を払い、苔をそっと指先でなぞる。


 水盤のの縁には、かすかに残った文字。


『星は語り、風は導く。此処に立つ者よ、黄昏の名を継げ』


 名を継げというのが、どういうことなのか知る術はない。


 この屋敷は、ただの廃墟ではない。


 かつて、伝説に名を残した魔法使いが住んでいたとされる場所。


 ステラが『居場所』として、選んだこの地に、アルベルトも知らない何かがあるのだとそう思えて仕方がなかった。

 

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夜の魔法使い 天使 逢(あまつか あい) @hiraginatsume

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