第二話:廃墟の暮らし

 ステラが空を歩きながら、目的の廃屋に着く。


 廃屋と言うには小さく、小屋と言うには大きすぎるその外観は、屋敷と言えるほどの大きさ。ただあまりにも古すぎるために苔や、蔦がこびりついていた。


 敷地内にある木は自由に伸び、小さな噴水は水が枯れてその機能すら失っていた。

 元々は小さくても、立派な屋敷だったのだろうと窺える。


 屋敷の扉を開けると、腐り掛けの扉は不快な音を出しながらも開く。

 

「けほっ、けほっ……見つけたはいいが、これは想像以上だな。住むつもりなら、建て直したほうが早そうだ」


 舞い散る埃に噎せながらも、ステラは屋敷を見渡し、眉をひそめた。


 更にはどこからか腐敗臭も漂っており、動物か魔物の死体でもあるのかと疑いたくなるほど。


 壊してしまうのは簡単だ。だが、そんなことをするには、些か勿体ない。小さくて廃墟とは言え屋敷。


 部屋も片手で数えるほどで、あとは食堂と厨房。軽く抜けた床からは、貯蔵庫だろうか。それらしきものが見受けられる。


 しかも、そのどの部屋も床が抜け、壁もボロボロ。家具も使えるかどうか分からないほど破損がひどい。


 ちなみに、あの腐敗臭の正体は――厨房で朽ちたまま放置されていた食材だった。


 これでは普通に掃除や片付けをするだけで朝が来てしまう。そうなればアルベルトに迷惑がかかる。それは避けたかった。


 なら今日は寝床とキッチン、あれば浴場も掃除することにした。


 ちなみに浴場はあった。だがこの屋敷の大きさでは少し大きいように感じた。建てた人の趣味か、大きい風呂に入りたい風呂好きか、ただの設計ミスか……といったところだろう。


 無いよりは余程いい。風呂がなければ、少し離れたところに泉があったはずなのでそこで、水浴びをすることになっていた。


 たとえ人目がなくとも、外で身体を洗うのは……やはり落ち着かない。出来れば外で水浴びは避けたい。


 別段誰かに見られるような場所ではないのだから、気にするようなことではないのかもしれない。が、あまりいい気分ではない。

 そんなことより、まずは修繕だ。


「どうせなら、帰れる場所の一つくらい、あって然るべきだろう。アルベルト君のためにも、私自身のためにも」


 そういえば、この屋敷は、以前アルベルトがふらりと歩いているとき、偶然見つけたものだった。


 彼は夜にステラに変わるため、夜風にあたりながらの散歩というのが出来ない。けれど、王宮では、アルベルトは居ないも同然の扱いを受けていた。


 幸か不幸か、その扱いのせいで彼は数日に何回か王宮を離れて物思いに耽る。その時にこの寂れた屋敷を見つけたのだ。


 見つけたというより、アルベルトにとっては見かけたが正しいのかもしれない。


 そんなことよりもまずは、広間にある小さな暖炉。ここも欠けていたり穴が空いていたりしており、今使うには危険と感じる。


 手をかざし、指を軽く振る。すると欠けていた部分やボロボロになっていた暖炉の形が時を戻すように修繕していく。


 完全に治り、暖炉に火を灯す。偶然にも薪は暖炉の横に置いてあり、それをある程度焚べる。


 暖炉のこの広間も所々床が抜けている。暖炉を直す前にこっちが先だったか。そう思い、修繕していく。

 残ったのは埃のみ、それらも魔法で消す。


「うむ、これならアルベルト君も怪我をせずのんびりできるだろう。それに、私も、たまには暖炉の前で静かに頁をめくる時間が欲しいと思っていたところだ」


 そして、食堂、浴室も魔法で修繕していく。途中使うであろう部分もついでに修繕と清掃する。 


 ある程度見栄えは良くなり、ボロボロだった屋敷の中の一部は、新居同然のように綺麗になっていた。


 ステラは指先一つで魔法を使うことができ、さらには詠唱も必要としない。己が望んだ通り思いのままに魔法を行使することができる。


 彼女の魔法には詠唱も道具も要らない。思えば、王都で魔術師ウィザードと呼ばれる者たちは、道具や術式に頼らねば力を引き出せない。


 だがステラは違う。ただ願うだけで、大気そのものが応える。


 ――それゆえに、人々は彼女をこう呼ぶ。『魔法使いソーサリー』と。


「それにしても、これでは寝るのも不便だな」


 五つある部屋の一つを、寝室にと考える。だが、ベットや机、椅子も例のごとく使えるような状態ではない。


 せめて眠れるように、ベッドだけは魔法で修繕することにした。部屋は埃一つ無いように掃除していく。


 ある程度は使える部屋になったところで、風呂を沸かす。


 風呂は、魔道具で沸かすタイプのようで、ステラが魔法を使わずとも勝手に沸かしてくれる便利なものだった。


「さて、着替えは……これでいいか。どうせ朝にはアルベルト君に戻るのだ。ならば、着替えやすくて寝苦しくないこれが一番だな」


 バッグから取り出したのは、薄いキャミソールと小さな下着。まだ肌寒いが、春の匂いも少しずつ混じり始めている。アルベルト君に戻るまでの短い時間、少しでも穏やかでいられるように、選んだのは肌触りの良いものだった。


 アルベルトに戻るときもこのキャミソールも下着も全て、男性用の寝間着と下着に変わる。


「まったく、この身体というのは不思議なものだな。呪われているとしか言いようがないではないか。時間が来れば私になるし、朝が来ればアルベルト君に戻る」


 ふぅ……と一息つく。


「まるで灰被り姫のようだ……いや、私は姫ではなく、アルベルト君が“本物の王子”なのだが……」


―――――――――――――――――――――――


 風呂から上がったステラは、濡れた髪を魔法で乾かしながら、鏡の前でじっと自分を見つめた。


 銀白色の髪、紫水晶の瞳。どこか現実離れしたその姿は、まるで夢の中の誰かのようだった。


「そろそろ寝ないとな。この身体は……毎日性別が入れ替わる。だが、それで疲れが取れるわけでもないからな」


 呟いた声には、わずかな未練が混じる。

 だがその前に机に向かって、持ってきた紙を取り出し、手紙をしたためる。無論相手はアルベルトにだ。 


『愛しのアルベルト・ベルゼルガ殿下へ

  朝目が覚めたら少し寒いかもしれない。


 でも安心してほしい。君が安全に過ごせる場所を見つけておいた。それと暖炉には薪を焚べている。まぁ、君が目覚める頃には、火は消えているだろうが……。


 ここはもう君の家だ。いや……正確には私たちといったほうが正しいだろうか。


 そうそう、この屋敷は浴室が無駄に広い。お湯が沸かせる魔道具付きだ。いい拾い物をしたと、私は思う。


 もし掃除をするのであれば、この寝室と君が使うであろう場所は先にしておいた。


 あとは君が片付けたりするだけだ。他のところを掃除したりするのではないぞ。床が抜けていたり、壁が脆いからな。その部分は、また夜になった私が片付けるとしよう。君は何も気にせず、目の前のことだけを考えてくれ。


 食事のことだが、厨房に、私が数日は食べれるように、食材と料理を保存魔法で保管してある。元々置いてあった食材は、食べれたものではなかったから破棄しておいた。保管場所はわかりやすく置いておいた。そこから取り出して食べるといい。作りたくなったらケガと火には気をつけるんだぞ。


 それと、明後日……いや君が起きた時には明日か。明日には、春までには私から学園にも入学できるよう取り計らおう。なに、心配は要らない。


 夢だったのだろう? 私が通えるように手配しておくから、何も考えずに行くといい。

 学園はどこかと思っただろう。それは後日のお楽しみだ。


 どうせ記憶は引き継がれるのだから、細かい説明は要らないはずだ。聡い君のことだ。すぐに状況を理解して、順応すると思っている。


 だが、もし困ったことがあれば、手紙にでも何でも残しておいてくれ。私が処理、もしくは考えてやろう。

             ステラ・ノワールより

 

 PS.君は甘いものが苦手だったことを忘れていたわけではないが、昼までには食べておいてほしい。絶対に。


 あと、クレープはなかなかの味だった。ただ、甘味の奥行きにもう一段深みがあれば、より良かった。……紅茶が添えられていれば完璧だったのに』


 長々とした手紙であるが、言いたいことは山程あるのだ。これだけにしたことを褒めてほしい。


 横にあるサイドテーブルに手紙を置いてから、ベッドに腰を下ろし、仰向けになる。


 ステラにとって意外にもこのベッドはちょうどよかった。硬すぎず柔らかすぎず、程よく体にフィットする。


 夜も、もう遅い時間。王宮のアルベルトの自室とはまるで違う。街の喧騒、宮廷内の騎士の気配。僅かに聞こえてくる人の声。ここではそれら全てが、一切入ってくることはない。


 静かな夜だ。いつもなら自然の音が聞こえることはない。夜鳥の声、夜の風の音、木々のざわめき。それらが、一つの音楽として、眠りの差にいざなってくれる。


 そんな時だからこそ、ステラの胸に秘めていた感情がじわじわと溢れてくる。


「アルベルト君……君は、今、どんな夢を見ているのだろうね」


 性別が変わり、今はステラとして動いている。別々の意識として一つの身体に存在している。朝になればステラは眠りアルベルトとして活動が待っている。


 ただ、アルベルトとステラの記憶は共有している。だからこそ、ステラにとってアルベルトが取るその日の言動は無関係ではいられない。


「私はね、昔も今もアルベルト君が愛おしくてたまらない。本当なら隣で抱き締めてあげたいのだよ」


 胸のうちに秘める想いを吐露する。けれど、近くにいて近くにいない彼に届くかどうかはわからない。


「願わくば、アルベルト君。君がこの家を帰ってきたい場所と、思ってくれたなら……私は、幸せだ」


 ステラは目を閉じる。室内には暖炉の熱と、春先の夜風が心地よく混ざり合っていた。


 屋敷の中では夜空が見えない。けれども、ステラは感覚でわかる。今宵の夜空も、素敵な月と星々が瞬いている。きっとそれは、ステラにとって夜の時間が、特別なものであるかのように。


 朝にはステラではなくなる。本来のあるべき姿。アルベルト・ベルゼルガに戻る。


 数年経った今でも未だに慣れないステラは、誰もいない、誰も聞いていない布団の中で呟いた。


「おやすみ、アルベルト君。明日の君は幸せであるよう、願ってるよ」


  

 

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