「飛ぶ表現」に関する習作

taktak

とりあえず落としてみた。

 今日は雲が少ない晴れの日だ。

 それでも、真っ青な宇宙の下に途切れとぎれに浮かぶ雲がいる。

 

 あいつは白く輝く太陽のもと、果てしなく広がる大空に、容赦なく俺をポンっと放り出した。


 一瞬で全ての支えを失った俺は、重力加速度9.8m/s2に従って一直線に地表に向かう。

 あれ?空気抵抗がどうとかで、速度は一定になるのか?

 そんな考えを吟味する間も無く、俺は絶叫を上げながら無限の蒼天を、あてどなく落ち始めた。


 きっと雲の上に人がいたら驚いたろうな。

 どこまで広がる雲海に想いを馳せてたら、絶叫が降ってきて、一瞬で通り過ぎてったんだから。


「……ぁぁぁああああああっ!まっってえええぇぇぇっ………………!」


 手が、どこにもかからない。

 足を、支えるものがない。

 世界が、宇宙コマみたいに上下左右に回って止められない。

 

 どこを掴めば良い?

 どっちを向けば良い?


『ほら、大丈夫だって。慌てず急がず。』


「わかんないんないんだってぇっ!」

 

 高度一万メートルの空気が容赦なく眼球から涙を奪っていく。

 耳の横で甲高い風切り音が鳴ってるのに、どうしてあいつの声はよく聞こえるんだ?

 

『まずさ、体を伸ばしなよ。丸まってると余計にクルクル回っちゃう。感じるんだ、浮力を生まれる瞬間を。身を任せるんだよ。』


「そんな事っ!いってもさぁぁぁぁぁぁ…………!」


 頭の中の一部は妙に冷静だ。

 あいつが安全保障してくれたから。

 だけど……本当に地面につく前に助けてくれるのか?


『あと2分15秒。』


「何がっ!」


『地表まで。』


「それでっ!?」


『早く飛びなよ。』


「そんな事言っても……!」


『ほらほら。早くしないと地球にぶつかっちゃうぞ〜。』


「……っ!……っざけんなあああぁぁぁぁぁぁ……!」


 こういうのを他人事って言うんだろうな。

 いや、落ち着いてる場合じゃない。

 急がないと、マジでヤバい。

 

 肌と衣服を剥ぎ取らんばかりの勢いで駆け抜けてくる風の冷たさは、多分気温の問題だけじゃない。

 現実的な「終点」のイメージが頭をよぎる。

 多分、全力で校舎の壁に完熟トマトを投げつけたくらい、鮮やかに飛び散るのだろう。


 ――やるしかないっ……!

 

「心を決めたら行動あるのみっ!」

 先輩の檄が脳裏をよぎる。あの人の言葉は、いつだって僕の心を滾らせる。

 

 力はすでに発動してる。

 問題はそれの行き先だ。大事なのはイメージと感覚。

 恐怖で泡立つ肌から目を背けながら、直感に従って必死に力の置き場所を探る。


『……ね?僕が空じゃないと意味がないって言った意味、わかったでしょ?落ちて助かる高度くらいじゃ、力の感覚を掴んでる時間なんてないんだよ。』


「うるさいっ!集中してんだからちょっと黙って!」


 怒ると少し恐怖が薄れる。

 もしかして分かっててアイツ声かけてんのか?


 目を細めて力に集中する。力が駆け抜け、体中の骨組みが本当に「支え」になる。

 僕の意思に無視を決め込んで勝手にクルクル回ってた体が、しぶしぶ回転を止めて、一直線に下降し始める。

 思い切って下界を見上げる(見下げる?)と、陽の光を反射する真っ青な海が雲間から見えた。

 思わず目の前で腕を交差させて顔に当たる風を遮ろうとする。


『……目をつぶるなよ。終端速度は時速360キロ。ビビって目をつぶってたら、一瞬でゴールだぜ。』


「わかってる!」


『いいぞ……お前は凧だ。力がお前の体を支え、風と空気が揚力を生む。お前は元々浮くモノなんだって思え。

 浮き上がりを感じれば、あとは推進力が勝手に体を前に押し出す。一緒に飛んだ時の感覚を思い出せ。』


 徐々に体を支える何かを感じ始める。

 確かにそれは、あいつが最初に俺を飛ばした時に感じていたものだ。

 体の正中に沿って、俺を支える何かが形となっていく。

 それが意味のある形になり始めた瞬間、俺は猫のように空中で身を翻す。


 カッと目を見開き、下界をしっかり視界にとらえる。

 キラキラと光る海の水面が、徐々に解像度を上げていくのを見ると、タイムリミットがすぐそこまで来ているのを感じて、背筋が凍る。


 でも……腕を開き、手のひらに風を感じ始めると、俺の体は自由落下から、空気の柔らかな層をなぞるように角度を変え始めた。

 体は最早、真っ逆さまではない。斜め下に向かって、弾丸のように着地点に飛んでいく。

 横方向のベクトルが加わったことで、自分がどんなスピードで移動しているか実感が湧いてくる。

 そして弾丸の軌跡は、明らかに水平線に近づいていく。

 あと少し……もう少しで、加速方向が「降下」から「飛翔」に変わる……。


 そう思った瞬間だった。

 白い何かが、一気に視界に迫る。


「うおっ!」

 俺は眼前に迫ったそれに間一髪気がついて、悲鳴を上げながらかろうじて身を捻った。

 

 鳥は、宙空の不審者に大声を上げたが、俺の機転のおかげで命拾いした。けたたましい鳴き声をあげ、羽を散らばせながら逃げていく。

 一方で、俺はバランスを崩して空中を錐揉み状態で、すっとんでいく。

 何とか重心は飛行の軌跡を追っているが、アクロバット飛行でもしているように天地が入れ替わる。


『ヤバいぞ!手を貸す!地表がすぐそこだ!』


 あいつの焦りを感じる。

 着陸態勢の旅客機の窓から街を眺めているくらいまで、高度が下がってる。このまま失敗すれば、十数秒後にはコンクリート並みの海面に、粉々に打ち砕かれる。


 でも俺は、あえて叫んだ。

「手を出すな!いける!」

 あいつの素の驚きを感じる。


 でも、空中で鳥を避けた瞬間、態勢変化と力の使い方のイメージが、完全に一致した。

 

 だから……いける。

 俺の中に確信が生まれた。この確信が本物かどうか調べるには、あいつの手を借りず、飛ばなきゃ意味がない。

 

 アドレナリンだかドーパミンだか知らないが、脳内を駆け巡って俺の鼓動を跳ね上げる。

 恐怖はそこにある。

 でも、今の俺を突き動かしているのは、急に目の前に広がった未知への好奇心と、俺なら絶対にいけるという、狂走する自己肯定だった。

 

 あいつは一瞬言葉を失い、でも次の瞬間に俺を信じる方に賽を投げた。

 

『失敗したらあの世で説教だぞ!死ぬなよ!』

 

 あいつが防御術を目一杯展開しているのを感じる。なんだかんだいっても、あいつはいつも俺の身を案じてくれる。


 だから、俺はあいつに応えるんだ。

「いけるさ!」って。


 雲の下に一条の陽光が差し込むかのように、俺の体は空中を滑る。

 急速に迫る水面を見た瞬間、俺は総毛立ち、歯を食いしばった。

 水面が、空からの珍客を受け止める態勢をとった瞬間、俺は錐揉みの勢いに合わせて身を翻し、手に溜めていた力を水面に叩きつけた。


 光速で力の伝達し、力は海面を吹き飛ばす。

 巻き上がる波濤の中で、俺の体は完全な揚力を得た。


 空高く飛び散った波の泡沫が一瞬、ゆっくりと空から落ちてくるような気がした。真っ白な波濤の中を俺の体はまっすぐ進む。

 そして、海水が体を濡らすよりも速く、俺は……飛んだ。


 耳元で空気の摩擦音が鳴り響く。

 圧縮された前方の空気を切り裂いて、俺は真っ直ぐに水平線に向かう。

 切り裂かれた空気が海水を弾き飛ばし、俺の軌跡を波がなぞる。


 今俺は、大声を上げている。

 恐怖じゃない。歓喜だ。

 

 夢にまで見た、空中散歩。

 全てを置き去りにするほどの速さで、俺は海水面から空高く舞い上がる。


 あいつが安堵のため息を吐くのを感じる。

 あいつには悪いけど、俺は今、それを気にかけてる場合じゃなかった。


 なんて……なんて世界は青く美しいのだろう。

 飛んで、捻って、回って、また落ちて……。

 どんな事だってできる。

 どんな場所にだっていける。


 俺はしばしの間、世界一自由になった瞬間を、蒼天の中で味わった。

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