塔と不死者の話
尾八原ジュージ
塔と不死者の話
塔があった。ほっそりと高くて、真っ白な石でできた、なんとも不思議な塔だった。というのも(ああ死にたい)などと思っている人間がその前を通りかかると、必ずと言っていいほど中にふらふらと入ってしまう。そして中の螺旋階段を上って、てっぺんの窓から地面目掛けて落ちてくる。もう何人もの人間が塔から身を投げて死んでいたため、地面に敷かれたタイルは血を吸って、黒く変色していた。
その塔の前を、ある日ひとりの不死者が通りかかった。
かれはもう千年ばかりも生きていた。色々なものを見て、色々な人間に会って、今ではすっかり倦んでいた。
(生きるのにはもううんざりだ。ああ死にたい)
などと思いながらぶらぶら歩いていると、目の前に白い塔が現れた。それがいかにも飛び降りて死ぬのにちょうどよさそうに見える。
(こんなおあつらえむきの塔から飛べば、ひょっとするとおれも死ぬことができるのではないか。とにかく試してみて損はあるまい)
不死者はふらふらと中に入っていった。
塔の中には螺旋階段があるばかり、不死者はそれをふらふらと上って、階段の果ての窓から身を投げた。重たく湿った音がして、不死者はタイルの上に拉げた姿を晒した。
しかしそこは不死者、破壊された肉体は自動的に再生し、しばらくするとかれは何事もなかったかのように起き上がった。
怪我は跡形もなかったが、頭をひどく打ったために、ここ数時間の記憶がなかった。
ふと顔を上げると、目の前に白い塔が見える。いかにも飛び降りて死ぬのによさそうな塔である。常日頃から死にたいと考えていた不死者は、ふらふらと中に入っていった。ふらふらと螺旋階段を上り、突き当りの窓から身を投げた。かれの身体はふたたびめちゃくちゃに壊れ、タイルに不死者の血が染み込んだ。
またしばらくのち、不死者の肉体は再生し、かれは起き上がった。もう怪我は跡形もなかったが、頭をひどく打ったため、ここ数時間の記憶がなかった。ふと顔を上げると、そこにはいかにも死ぬのによさそうな塔があり、常日頃から死にたいと考えていた不死者は、みたびふらふらとその中に入っていき、ふらふらと螺旋階段を上って、突き当りの窓から身を投げた。そしてしばらくすると肉体は再生して怪我は跡形もなくなり、ただ頭をひどく打っていたのでここ数時間の記憶を失っており、するとやはり目の前にはいかにも死ぬのによさそうな塔があって不死者はふらふらと吸い込まれていき螺旋階段をふらふらと上っていたのとちょうど同じ頃、塔の前をふつうの人間が通りかかった。
かれは不死者ではなかったが、わけあって常日頃から(ああ死にたい)と考えていた。そこでかれも不死者の後を追うように塔に入り、不死者の後から階段を上って、身を投げた。そして不死者の拉げた体の真横に落下し、すぐに死んだ。
やがて不死者は再生した。目の前に見知らぬ男の死体があった。(ああ死んでいる。羨ましいな)とかれは思った。
再生の気配がない死体を眺めながら、(おれもいつかはこのように死にたいものだ)と夢を見た。すると目の前の塔が目に入った。不死者はふらふらと塔に入ろうとする、そこへひとりの娘が通りがかった。
不死者は滅法美形だったので、面食いを拗らせていた娘は一目で恋に落ちた。かの女は塔に入り、ふらふらと螺旋階段を上っていく不死者を追いかけた。
「もしもし。わたし、あなたに恋をしてしまいました」
「そうですか」
不死者は娘を見たが、これと言って何の感情も湧いてこなかった。
娘は言った。「わたしの恋人になってくれませんか」
不死者はこたえた。「ごめんなさい。そういうのやってないので」
そして、なおも階段を上り続けた。
娘はおのれの恋が散ったことを悟った。失恋は強く鋭くかの女の胸を刺した。あまりの痛みに(ああ死にたい)と思った。その気持ちはたちまち塔と呼応し、かの女はふらふらと階段を上った。
やがて不死者は最上階から身を投げ、娘も喜んでそれに続いた。
不死者が再生を終えて起き上がったとき、傍らには娘が倒れて死んでいた。不死者は例によって記憶を失っていたので、その娘はまったく知らない、見たこともない人物としか捉えることができなかった。
娘の顔には、死によって愛する者と永遠に一緒にいられるのだと信じた者特有の、満足げな笑みが広がっていた。不死者は(どこの誰だか知らないけれど、こんなにしあわせそうな顔で死ぬなんて羨ましい)と思った。
(うーん、おれも何とかして死にたいものだ)
とそのとき、目の前に白い塔が建っていることに不死者は気づいた。それがいかにも飛び降りて死ぬのによさそうに見えたものだから、かれはふらふらと中に入った。ふらふらと螺旋階段を上り、突き当りの窓から身を投げ、タイル張りの地面に叩きつけられ、のち再生した。
こうしているうちに長い時間が経ち、塔を囲んでいた街は衰退した。住人たちは塔を忌み、街を出て行ってしまった。というのも、不死者が一日に何度も投身自殺を繰り返すので、皆うんざりしてしまったのである。血まみれの現場をあえて見なくても、かすかな振動と重たく湿った音とが、相当離れたところまで伝わってくる。近隣に住んでいるだけで飯がまずくなり、不眠症に苛まれた。
不死者は不死ゆえにむかしから怖れられていたので、だれもかれの投身を止めようとはしなかった。ついでに言うと、かつて恋に敗れたあの娘のように、拗らせきった面食いももういなかった。ひとびとはただ、黙って遠ざかっていくだけだった。
かくして、不死者と塔だけがその地に取り残された。
不死者は何も食べなかった。胃袋は常に空っぽだったが、不死ゆえに餓死することはなかった。また何も飲まず、常に喉が渇いていたが、やはり不死ゆえに乾いて死ぬこともなかった。飢えと渇きがもたらす不快感は、塔を見上げた途端に遠ざかっていった。(ああ死にたい)という気持ちが勝ってしまうのである。服もぼろぼろになり、もはや体の一部に襤褸切れを巻きつけているだけとなっていたが、それを見る人間がいないので、だれも注意などしなかった。
雨の日も風の日も、不死者は塔を上り、そして落ちることを繰り返した。
ところでこの塔は、そもそも悪魔が建てたものだった。自殺者の魂を一箇所で効率よく集め、むりやり契約を結ばせたり、とって喰ったりしていたのだが、ここ何百年か、まるで死者の魂が獲れなくなった。
悪魔は人間の世界に向かった。そして、例によって例のごとく、不死者が塔を上るところに出くわした。
たった今塔に入っていった男が不死であることに、悪魔はすぐに気づいた。それと同時に、この塔にふつうの人間が寄りつかなくなった理由にも思い当たった。
悪魔は塔に入って、不死者を追いかけた。その歩みはのろのろとしていたので、すぐに追いつくことができた。
「ちょっとちょっと、あんた何をしてるんですか」
悪魔は後ろから声をかけ、不死者の肩を掴んだ。不死者はようやく振り返った。
「塔から身を投げて死ぬつもりなんです。離してください」
「厭ですよ。あんたが何度も何度も飛び降りるから、他の人間がまるで寄り付かなくなっちまって、あたしゃ大損だ。どうせ死ねやしないんだから、他所へ行っておくんなさい」
「おい、どうせ死ねやしないとは何事だ。身も蓋もないことを言いやがって」
もみ合っているうち、二人は足を踏み外した。螺旋階段をごろごろと下まで落ちる間に、悪魔は首の骨を折って死んだ。
しかし不死者は死ななかった。かれもまた白い塔の床を血に染めてしばらく倒れていたが、やがていつものように再生した。
「何やら変なものが死んでいるな」
悪魔の死体を見て、かれは呟いた。頭を打っていたので、ここ数時間の記憶がなかった。
「なんだか知らないが、おれもこのように死にたいものだ。ああ、死にたい」
そうぼやいた直後、不死者は自分が素晴らしい塔の中にいることに気づいた。螺旋階段がずっと上まで続いており、そのどん詰まりには窓があった。あそこから飛び降りたら、さっぱり死ねるような気がした。
不死者はふらふらと螺旋階段を上り始めた。
塔と不死者の話 尾八原ジュージ @zi-yon
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