第53話→宗介の場合。荒地に、葉は芽吹く

目を開けると、渋谷宗介は乾いた土の匂いを吸い込んだ。

 周囲には風も音もなく、空は淡く、光だけが柔らかく降り注いでいる。

 視界に入るのは、ほとんど手付かずの荒地。小さな低木が点在するのみで、家畜も人も、案内役も、何もない。


 宗介は仰向けのまま少し息を整えた。

 心臓は意外に冷静で、恐怖も不安もない。

 前世では無力な一人の会社員だったが、今は目の前の現実に淡々と対処できる自分がいることを、不思議と肯定できた。


 立ち上がると、足元の砂が少し崩れた。

 手を入れたことのない荒地に立つ感触は、かつて家の畑で味わった土の感覚とどこか似ている。

 だが、ここは誰の管理もない、放置された世界だ。


 荷物を確認する。

 水袋、干し肉、簡素なナイフ。

 生活の入口だけが与えられている。

 これ以上はない。何かを望めば、自分の手で切り開くしかない。


 宗介は土を掴み、指先で感じる硬さと乾きに目を細めた。

 ――ここから始まる。


 ゆっくりと目を閉じ、意識を集中する。

 土に、微かな流れを感じる。水分、養分、生命の気配。

 それをほんの少しだけ後押しする。


 小さな芽が、土の隙間から顔を出す。

 宗介は思わず笑みを浮かべた。

 成長は一瞬ではなく、少しずつ、確実に起こる。


 初日はそれだけで終わった。

 日が沈むと気温は急に下がり、火を起こして干し肉を齧り、夜空を見上げる。

 星の数が、前世よりも遥かに多いことに気付く。


 孤独だが、恐怖ではない。

 淡々と、規則正しく繰り返すことで、生活は支えられる。



 数日が過ぎた。


 宗介は毎日土に触れた。

 水を探し、日照を読む。

 風の匂いで水の存在を想像し、地形を把握する。


 芽吹いた草の葉を指で確かめる。柔らかく、確かに生きている。

 それだけで、心は少し満たされた。



「……これを、何十年も繰り返すんだろうな」


 前世では、同じ言葉を口にすると苛立ちが先に来た。

 だが今は違う。納得できる感覚があった。

 評価も期待も、誰かの承認も不要。

 あるのは土と時間と、自分だけ。


 干し肉と水だけの簡素な食事。

 それでも、体は十分に動く。

 日中は土に触れ、葉の手触りを確かめ、夜は火を起こして休む。


 その繰り返しが、宗介の心地よいリズムとなった。

 淡々とした生活の中に、成長の手応えを感じることができる。



 数週間が過ぎ、宗介はさらに手を加えるようになった。


 小さな溝を掘り、水を引き、芽に光を集める。

 手の動きと意識が重なると、草や低木はわずかに葉を広げ、生命の鼓動を見せる。



「……悪くないな」


 湯を沸かし、葉を少しだけ浸す。

 淡い香りが立ち、口に含めば微かな渋みが舌に残る。

 前世なら「こんなもんか」と流していたかもしれないが、今は違う。

 小さな達成感を伴う味わいだ。


 宗介は座り込み、夜空を見上げる。

 風に揺れる葉。自分の手で触れたものが生きている感覚。

 すべてが、心を落ち着かせた。



 数か月後、宗介の生活は完全にルーティンとなった。


 水の確保、食事、植物の世話。

 毎日同じ作業の中で、手応えのある瞬間だけが特別に感じられる。

 小さな葉の成長、土の匂い、朝の光。


 彼は、この荒地で自分ができることを理解した。

 劇的な冒険はない。誰かを救うわけでもない。

 ただ、ここで静かに生きる。それだけで、十分だった。



 天界。


 創造神シンは遠くからその光景を観察していた。

 荒地に立ち、葉に触れ、湯を飲む宗介の姿。

 横でラニアが静かに記録を取る。



「……本当に落ち着いていますね」


「慌てる理由がない」


 シンの声は淡々としていた。

 宗介は孤独だが、恐怖ではない。

 世界の中で根を張る者を、ただ静かに見守るだけ。



「こういう者こそ、世界を支える」


 ラニアは小さく頷く。

 評価でも、期待でもなく、観察としての事実。


 荒地に、また一枚、葉が揺れた。

 ゆっくりと。確実に。


 シンはつぶやく。



「劇的ではなくとも、静かに繰り返す者が、世界に根を張る。

 その姿こそ、価値がある」



 荒地の静けさと、確かな葉の揺れ。

 渋谷宗介の物語はここで完結した。


 日々の淡々とした営みと、少しの成長の手応え。

 これ以上も、これ以下も必要ない。

 ただ、世界に根を張る魂として、彼は生きていく。

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転生者を見守るのが俺の仕事。ベテラン創造神の退屈で楽しい観察日誌 とりもも @torimomo_t

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