第52話→創造神と柿の葉茶を愛した男
渋谷宗介が生まれた家は、代々柿を作ってきた。
山あいの集落にあるその家は、決して裕福ではないが、困るほど貧しくもない。春には剪定、夏には摘果、秋には収穫。冬は枝を落とし、土を休ませる。
同じことを、何十年も繰り返してきた。
宗介は三十代半ばになっていたが、家を出ることはなかった。
都会に出た同級生もいたし、サラリーマンになった者もいた。だが宗介は、柿畑に残った。
残った理由を聞かれれば、困る。
やりたいことがなかった、というのが正直なところだった。
嫌いでもなかった。
ただ、特別に「夢中」でもなかった。
朝は早い。
霧の残る畑に入り、脚立を立て、葉を落とす。
指先に伝わる感触は、幼い頃から変わらない。
昼過ぎ、作業の合間に母が淹れた茶を飲む。
柿の葉茶だった。
「また葉、干しとく?」
「うん。今日は天気いいから」
縁側に広げられた柿の葉が、風に揺れる。
乾いていく音は、ほとんど聞こえない。
だが宗介には、その静けさが分かった。
茶を飲むと、体の奥が少し温まる。
祖父が言っていた。
「派手じゃねえが、体に残る」
宗介はその言葉を、ずっと覚えている。
畑で一人、枝を切りながら、ふと考える。
――これを、この先もずっと続けるのか。
春も、夏も、秋も、冬も。
柿を育て、葉を干し、茶を飲む。
五年後も、十年後も。
三十年後も、同じ場所で、同じ木を見上げている自分。
悪くない。
だが、何かが足りない気もする。
その「何か」が何なのか、宗介自身にも分からなかった。
その日、脚立を移動させる際、足元の土が崩れた。
「あ――」
体が浮く感覚。
視界が傾き、空が遠ざかる。
地面に叩きつけられる直前、宗介の頭に浮かんだのは、
干し場に残した柿の葉だった。
――今日、取り込んでなかったな。
そこで意識は途切れた。
*
目を開けると、そこは畑ではなかった。
白とも黒ともつかない空間。
音がなく、風もない。
宗介は立っていた。
体に痛みはない。
目の前に、一人の男がいた。
黒衣を纏い、年齢の判別できない顔。
感情の起伏を感じさせない、静かな眼差し。
宗介は直感した。
――これは、人ではない。
「……死んだか」
呟くように言うと、男は短く答えた。
「そうだ」
低く、よく通る声だった。
「お前は渋谷宗介。
柿農家の跡取り。
農作業中に足を滑らせ、死亡」
淡々と告げられ、宗介は不思議と納得した。
「……やっぱり、そうですか」
男は名乗らない。
だが、宗介は理解した。
――創造神。
世界の管理者。
「望みはあるか」
唐突な問いだった。
宗介はすぐには答えなかった。
少し考え、ゆっくり口を開く。
「……植物を育てる力が欲しいです」
男――創造神シンは、宗介を見る。
「理由は」
「茶を作りたい。
葉を育てて、茶にして……人が飲めるものを」
間があった。
その沈黙に耐えきれず、宗介は続ける。
「柿の葉茶って、派手じゃないですけど……
飲むと、ちゃんと残るんです」
横で、紙をめくる音がした。
「え、えっと……その希望は……」
視線を向けると、黒髪の少女がいた。
書類を抱え、戸惑った様子で立っている。
「生活系……農業系……?
戦闘能力、なし……ですよね?」
「ないです」
宗介は即答した。
少女――ラニアは困った顔でシンを見る。
「シン様、これ……王城推薦とかは……」
「不要だ」
シンは即座に言った。
「お前」
宗介に向き直る。
「転生先は選べない。
支援もない。
荒地に放り出される可能性もある」
「それでもいいです」
宗介の声は揺れなかった。
「葉は……荒地でも育ちます。
時間はかかりますけど」
ラニアが小さく息を呑む。
「……変わった方ですね」
「よく言われます」
宗介は、少しだけ笑った。
シンはその様子を、しばし観察していた。
多くを求めない魂。
だが、何も考えていないわけではない。
「よかろう」
シンが手を上げると、空間に光が満ちた。
「植物育成に関わる能力を与える。
万能ではない。
お前の時間と手が必要だ」
「それで十分です」
「行け」
光が宗介を包む。
意識が遠のく中、最後にシンの声が届いた。
「同じことを繰り返す人生は、悪くない。
だが、繰り返す中で、何を残すかは――お前次第だ」
宗介の姿は、光の中に溶けていった。
静寂が戻る。
ラニアは、手元の記録を見直しながら言った。
「……静かな魂でしたね」
「ああ」
シンは答える。
「静かな者ほど、長く世界に根を張る」
どこか遠くで、葉が擦れるような音がした。
それはまだ、青い柿の葉だった。
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