僕はまだ産まれてなかったけれど。

原爆の広島への投下、と言えば、きっとたくさんの方が、たくさんの思いを寄せ、そしてたくさんの作品(文学に限らず)へと繋げることで、80年になるわけですよね。
語り部の後継者が不足しているとのことで、僕たちもいつか想像力をたくましくして、この問題、そして長崎においても、同様の意識をもって、臨まなければならないな、と実感させられます。

重要なのは、この作品が「原爆投下の是非」はもとより、「これから防いでいくにはどうすればいいのか?」を明確に描いている、という点です。
本当に、語ることしかできない事柄なのだなとは思いますし、一概に「核兵器反対!」と喚き立てる気もありません。

しかし、日本人として『何かしらの責任』は持たなければなるまいと思っております。
混沌とした、そしてより混沌としていくであろう、世界情勢ですけれども、心のどこかで怒りや悲しみの連鎖を断ち切る用意をしておかねば、ですね。