第2話 エアコン人


「嘘だろ……」


 僕は壁掛けのエアコンを見上げて、小さく呟いた。

リモコンの電源ボタンを押しても、ピッともペッとも言わない。ただ、壁に鎮座した白い箱は、死んだように沈黙している。

 

 時刻は深夜二時。部屋の中が徐々に蒸し暑くなってゆく。


「マジかああぁっ!」


 もう一度リモコンを構え、電源ボタンを連打した。カチッ、カチッ、カチッ。リモコンの電池を入れ替えてみたりもした。反応は無い。

 その度に、額から汗が流れ落ちる。

 このままでは、命の危機だ!


 とは言え、思いつく限りのことはした。もう、これ以上出来ることは無い。

 

「はぁぁぁあぁ……」


 深く低い溜息が漏れる。

 諦めと同時に力が抜け、床にへたり込んで天井を仰いだ――その時だった。


 シュウシュウ、シュシュシュ。


 エアコンの送風口の奥から、何かが動く音がした。

 「まさか」と思い、エアコンの真下に立つ。


 耳を澄ますと、その音はハッキリと聞こえる。


「エアコンが、動いた!?」


 奇跡かよ! そう思った。


 が――


シュウシュウ、シュシュシュ……キュッ、キュッ。

 

 妙だ。音はするのにエアコンが動いてる様子がまるで無い。

 あまりにも静かすぎる。


「……なんの音だ?」


 疑問に首を傾げていると。その音と共に、エアコンの送風口の隙間から、一本の細いロープのようなものが垂れ下がってきた。色はくすんだ黄土色で、編み込まれているように見える。


「なんだ、これ……」


 覚えの無い異物に、恐る恐るその『何か』に触れてみる。

 紙のような、布のような、しかし不思議な弾力があった。

 

 すると、そのロープの先端に何かが動いた。


 ひょこり。


「ひっ!!」


 思わず声が出る。


 出てきたのは小さな顔。そして頭。送風口の奥から何かが出て来たのだ。

 缶ビール1本分くらいの大きさの『ヒト』のような何か。小人か!? そいつは赤い帽子をかぶっている。その帽子はツギハギだらけで、ボロボロ。その下には、不釣り合いなオレンジ色のツナギ型の作業着。それもツギハギだらけ。そんな服を着た怪しすぎる生命体――小さな体があった。


「……なんなんだ。夢か……? 幻覚……か?」


 言葉を失った。と言うより、自分の頭がどうかなったんじゃないか? と不安がよぎる。


 そんな僕のことなどお構いなしに、こちらを一瞥もせず謎の生き物は、甲高い声で叫び始めた。


「ウヨシウド! ウヨシウド!」


 呆然としていると、次から次へと合計五匹の小さな生き物が、ロープを伝って降りてきた。皆、同じようなボロボロの作業着を着ており、小さな工具箱のようなものを持っている。


 明らかに現実離れしている事態だ。

 なのに僕はそこから目を離すことも、動くことも出来ずにいた。


 床に降り立つと皆一様に、慌てた様子で部屋の中を見回していた。相変わらず僕の存在には気づいていないようだ。僕が少し動くと、彼らはまるで風が吹いたかのように体を揺らし、互いに何かを言い合っている。


「ツタウツ! ツタウツ!」

「ガンコアエ、イナテ! レワコ!」


 彼らが逆さ言葉を話していることに気づいたのは、それからしばらく経ってからのことだった。


「もしかして、言ってること、全部逆……?」


 彼らの言葉をメモ帳に書き出して、逆さにしてみた。


『ツタウツ!』→『ツウタツ!(通達)』

『ガンコアエ、イナテレワコ!』→『エアコンガ、コワレテナイ!(エアコンが壊れて無い)』


 メモ帳を握りしめて、震えた。


 エアコンが、壊れて『無い』 


 ――壊れてんだよ! 


 そこで、一つの結論に至る。

 彼らは、エアコンの中に住んでいる、いわば『エアコン人』なのだ。言葉を解読するに、どうやら彼らはエアコンの『修理班』なのだろう。


「ウヨシウド……どうしよう……」


 心の中で『エアコン人』の言葉を繰り返す。


 彼らは、僕が「エアコンが壊れた」と思ったのとは逆に「エアコンが直った」と勘違いしているのかもしれない。今この部屋でパニックになっているのは、彼らにとっては『壊れていない』エアコンをどうすればいいのか、わからないからなのだ。


 僕がゆっくりと彼らに近づこうとすると、一匹が何かに気づいたように、ピタッと動きを止めた。


 じっとこちらを見た。僕と目が合う。

 しばしの沈黙。

 そして……。甲高い声で叫んだ。


「イツア! イタイ!」


 その言葉を逆さにしてみる。


『イツア』→『アツイ(暑い)』


「……暑さに、気づいた?」


 その言葉を理解した瞬間、彼らの存在が単なる幻ではないことを確信した。

 エアコン人は僕の苦痛、つまり「暑い」という痛みに、気がついているのだ。


 もう一度一歩踏み出すと、彼らは一斉にロープを伝って、エアコンの奥へと消えていった。再び部屋には静寂が戻り、ただ暑さだけが僕から体力を奪っていく。


「おい、待ってくれ!」


慌てて、エアコンの送風口を覗き込んだ。

しかし中は真っ暗で、何も見えない。


「テエタコ……イタイ」


 どこからか、微かにそんな声が聞こえた気がした。


『痛い、答えて』


 何故かこのままエアコン人を放っておくことはできない、と思った。

 彼らは、僕のために何かをしてくれようとしている。


 急いで冷蔵庫から水と氷を取り出し、キンキンに冷えたグラスに注いだ。

 それからそのグラスを、エアコンの真下に置いた。


「これで……大丈夫か?」


 僕の行動に、再びエアコンの中からシュウシュウと音が聞こえてきた。直後、またロープが垂れ下がり、今度は一匹の『エアコン人』が降りてきた。彼は、僕が置いたグラスの中の氷水をじっと見つめている。


 そして甲高い声で何かを叫んだ。


「イタメツ! イタメツ!」


 その言葉を逆さにしてみる。


『イタメツ』→『ツメタイ(冷たい)』


「……冷たい?」


 そう呟くと、彼は満足そうに頷いた。


 その日、僕は「エアコン人」たちとの、奇妙な時間を過ごした。彼らは、僕が飲み物を注いだグラスを「冷気」として運び、扇風機を回すと、その風を「強い風」だと喜んだ。エアコン人は部屋の暑さを解決することはできなかったが、僕の孤独を癒してくれた。


 そして、エアコン人はある言葉を教えてくれた。


「イマクキ……」


 逆さにすると、『キクマイ』。


『聞くまい』


『痛みに答えて、聞くまい』


 エアコン人は本来『ヒト』の痛み(暑さ)を聞かない。

 だが、ここに居る彼らは、僕の痛みを解消しようとしてくれていたのだ。


「ベヨ。リウュシ」


 最後のエアコン人が、甲高い声でそう言い残すと、皆がすっかり消えてしまった。僕はエアコンの送風口を呆然と見つめた。


 翌日、修理業者に電話をかけた。


 時期が時期なだけに、修理依頼はどこも重なっているらしい。


「最短でも三日後ですね」


 電話口の向こうから聞こえる声に「分かりました」と力なく言う。


 修理業者が来るまでの間、仕方なくネカフェで過ごすことにした。個室の冷気に体を預けながら、何度もエアコンのことを考えた。あの中に、彼らの世界があったのだろうか。


 三日後、修理業者との約束の時間。

 久しぶりに入る部屋は、まるでサウナのようだった。


 窓を開け、空気を入れ替える。

 そんな中でも業者の作業員は、手際よくエアコンを分解し、修理を終えてくれた。


 感謝しかない。


「ホコリが溜まってました。フィルター掃除を定期的にすると良いですよ」


 そう言いながら、彼は僕に笑顔を見せた。



 その日の夜。

 ベッドの上で再び稼働するようになったエアコンの、静かで心地よい冷気に包まれていた。もう、あの蒸し暑さはない。


「おーい、直ったぞー」


 エアコンに向かって声を掛けるが、返事はない。


 シュウシュウという、あの音も聞こえない。


 目を閉じると瞼の裏に、あの小さな命たちの姿が鮮やかに蘇ってくる。


「ウヨシウド!」「イツア!」「イタイ!」


 彼らが必死に叫んでいた、甲高い声。


 あれは、夢だったのだろうか。

 エアコンが壊れた暑苦しい夜に、僕が見た儚い幻だったのだろうか。


 いや、違う。

 僕は、確信している。


 ベッドのサイドテーブルに置いてあるグラスの底に、小さな小さな、微かな水滴がキラキラと光っている。それは、彼らが残していった小さな「ありがとう」の置き土産にも見えた。


 ――後日。


 ツレと飲みに行ったときに、この不思議な出来事を話してみた。

すると、ツレはひどく困惑した顔で、僕を可哀想なモノを見る目で言った。


「お前、疲れてんだな……」


 ため息交じりにそう言い、最終的には、


「病む前に病院いけ」


 とまで言われてしまった。


 そうなのかもしれない。

暑さで頭がおかしくなって、幻覚でも見たのかもしれない。


 それでも、僕は不思議と心が満たされていた。


 僕の部屋の夏は、とても静かで。

 ――そして、ほんの少しだけ賑やかだった。


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ホラーではなく、SF寄り? かもです。

お読みくださいまして、ありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

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公衆電話 苺 迷音 @mei-on

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