いたたいちゃった
かたなかひろしげ
いたたいたもの
「いたたいちゃった」
またも彼女の
きっとなにかを貰ったのだとは思うのだが、どうにも様子がおかしい。そう、どうでもいいことかもしれないが、濁点が足りない。
試しに、なにもらったの?と返信するが、例によって返事がない。これもまたいつもの通りだ。何を隠そう彼女からのメッセージは、いつも情報が絶妙に足りていない上に、返事もすごく遅いのだ。
───ごく普通に考えるのであれば、恐らくはタイプミスだろう。
例えばローマ字入力ならば、「た」を入力する為のTと、「だ」を入力する為のDの場所は離れているので間違いようがない。しかしそれはキーボード入力を使っている場合の話だ。スマホで良く使われるフリック入力の場合、濁点を入れ忘れるのは、良くあることだろう。
うん。そうだ。今回はきっとそれだろう。
なにせ結愛は、細かいことは気にしないたちであり、例えばスイカを食べるのに包丁は使わず、まな板に叩きつけて解決するタイプ、と言えばその程度が伝わるだろうか。本人曰く、女は台所では力が出る、って言っていたが、よくよく考えるとすごい怪力だ。
ともあれそんな彼女であるからして、「いたたいちゃった」のも、あながちよくあることなのかもしれない。
───要はこの話、また明日会った時に詳細は聞けばいい。ただそれだけ、ただそれだけの話ではあるのだが、妙に気にはなる。
なんなら今から結愛の家に行って聞いてみてもよいのだが、前回訪問した時のように、またご両親に大量のキュウリを振る舞われても困ってしまう。なので俺はぐっと踏みとどまって、このまま、まるでエスパーのように彼女の意図を汲もうと考えた。これでも俺は理解ある彼ピのつもりなのだ。うん、きっとできる。
前回からして、「攫われた」のは実は「皿割れた」だけだったのだ。この「いたたいちゃった」ものについても、なにかの言い間違いである可能性が高い。
恐らく、今回もなにかの言い間違いであれば、やはりここは単純に「い、叩いちゃった」のかもしれない。だとしたら、その「い」ってなんだよ、ということかと思うが、その推理もついている。恐らく「胃」なのではないか。
つまり彼女は胃を叩いてしまったのである。なんだそれ。
そのことをどうして俺にメッセージ送信してきたのかはわからないが、語尾に「ちゃった」と付く以上、なんらかの後悔の念に駆られているのは間違い無いだろう。きっと彼女は誰かの胃を、あの怪力で殴ったに違いない。それは大変だ。
ふと俺は、あの時、笑顔できゅうりを振る舞ってくれた結愛のご両親の顔が目に浮かんだ。
───彼女はもしかして、ご両親に手をあげたのだろうか?
あんなに仲の良い家族にそのようなことが起こるとは、にわかに考え難い。
***
居ても立っても居られなくなった俺は、先程のエスパーを目指す決意を早々に袖にして、結愛の家に向かうことにした。
「結愛っ。いるかー?」
バイクを飛ばして結愛の家まで着き、ベルを鳴らす。門を入ってすぐのところにある犬小屋から、結愛のペットの「ねねこ」が顔を出している。犬なのになんで猫みたいな名前なんだ? と一度尋ねたことがあったが、本人も理由はもう忘れてしまったらしい。犬小屋の入口には、「禰々子」と漢字で書かれており、随分と難しい名前を付けたものだな、と関心する。
ねねこは餌らしきものが盛られた赤いスープに夢中のようで、あまりこちらに関心は無いようだ。気づけば周囲には、玉ねぎを煮込んだような香りがうっすらと漂っている。
程なくして、寝起きっぽい顔をした結愛が玄関から出てきた。さては慌てて支度をしたのか、トレードマークの帽子から寝癖が飛び出している。
「なーにー突然」
「いやさ、今朝なんか、いたたいちゃった、ってメッセージ送ってくれただろ?なにがあったのか心配になっちゃってさ? 大丈夫だった?何叩いたんだ?」
俺は矢継ぎ早に結愛に質問を投げた。
「へ……? あ、ぁぁ! あの話ね。叩いた、確かに叩いたよ!」
「えっ?た、叩いたの?マジで!? それってつまり、ご両親の胃に渾身のボディブロー入れたってこと?」
俺の頭の中ではこの時、結愛が上半身を左右に揺らしながら、強烈なリバーブローを狙う映像が思い浮かんだのだが、それはひとまず秘密にしておこう。
「なんでそうなるの! 私が叩いたのは胃。牛のミノだよー!! トリッパつくったの!」
牛でミノと言われると、~タウロスと続けたくなる程度にはファンタジー脳な俺だが、これは恐らく胃袋のミノのことだろう。猫には命が7つあって、牛には胃が4つある。
ところで、突然のイタリア料理だ。ご家庭でトリッパ? なかなかお洒落な生活を送ってるんだな結愛って。俺んちだと多分それ、ただのミノ煮込みだ。
「ったく……それならそれでどうして、いたたいちゃった、ってメッセージになるんだよ。そこは、胃を叩いちゃった、って言わなきゃだめなとこだろ」
「拳で殴ってたんだよ? スマホに音声入力してメッセージしようと思ったら、ひらがなで飛んじゃってさー。まあ、わかってくれたからいいじゃん? いやあ、タカシも良い推理だったと思うよ?」
だろ?俺の推理はいつも完璧なんだよ。って、危うく乗せられそうなところだった。そうかー、拳で殴ってたらスマホ触れないものな、そりゃそうだ。ん? なにか違和感があるが、うまく言えないな……
「ちょうどいいね。ちょうど今週は親出掛けてていないから、あと7日は帰らないんだ。折角来たんだし、トリッパ食べてく?」
「あ、ああ。じゃあご馳走になるかな」
俺は居間にあがらせてもらい、結愛が寸胴に並々と入ったトリッパ?らしきものを、巨大な丼によそってくれるのを眺めていた。えーと……トリッパってこんな巨大なラーメン丼みたいな器で食べるものでしたっけ?
「でもどうしてトリッパなんて難しそうなイタリア料理作ろうと思ったの?」
「ホルモン、友達からもらったんだよ。ほら、余計な内臓って余るじゃない? 肝心なものを腹から抜いたら後の肉は、うちらはもう食べないし」
「腹から抜くって、随分とぶっそうな言い方だなあ。まあ肉あれば内臓はおまけになるよな。でもレバーとかは俺好きだけどなー」
などと言いながら俺は眼の前の巨大な丼に手を付けた。
臭みが無いミノは見事に処理がされており、よく叩かれたのか肉は非常に柔らかい。トリッパといえば普通はハチノスを使うと思うが、ミノでも充分に鮮やかなトマトソースとの絡みはよく、煮込まれた根菜の風味が鼻を抜ける上品な味に仕上がっている。
「トリッパ旨いな。確かにこれ、ミノ柔らかく煮えてるわ。」
「でしょでしょ。叩きまくったからね」
結愛は服の裾を捲りあげて、片手をぶんぶんと回してみせた。彼女が腕を回す度に、俺の頬を鋭い風切り音が吹き抜けていく。あ、あのパンチ、もし当たったらどうなるんだろうか。無邪気な笑顔に彼女の八重歯が光っている。
「もしかして気に入った? また手に入ったら作ってあげるね」
かくして今日もお腹の限界まで食べさせられることとなり、満腹で結愛の家を後にすることになってしまった。
玄関のドアを開ければ、とうに食事を終えたのか、犬小屋から出てきたねねこも赤い口元で、はあはあと息も荒く、こちらに微笑んでくれたような気がした。その様子に、何か肝心なことを考えて忘れているような違和感を覚えたのだが、過ぎた満腹感がそれを霧散させてしまった。
それ以来、結愛の家に行くと、ねねこの愛想が以前よりずっと良くなったのは何故だろうか。俺も、まるで同じ釜の飯を喰ったかのような親近感を、あの犬から感じずにはいられないくらい、可愛く思えている。理由はわからない。
いたたいちゃった かたなかひろしげ @yabuisya
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