「孤帆万里の風」

高領 つかさ (TSUKASA・T)

「孤帆万里の風」




 滔々と滝音が響いてくる。


 明治四年七月。

 先の藩主前田斉泰―――尤も、大政奉還とその後の版籍奉還により、先の藩主ではなくなり、そしてまた此の度、七月十四日廃藩置県の命により、当代慶寧は金沢藩の藩知事としての職を解かれた。故に、いまは唯、隠居の身として、もうすぐ離れるこの玉泉院の遺徳を偲び設けられた庭、玉泉院丸に静かに景色を眺めていた。

 唐傘という、これはまだ幕府、徳川の在りし頃、まだその先代から藩主としての責をついで数年の頃に斉泰が建てさせた日を僅かに遮る小さな傘の前に立ちながら、斉泰は向き合う先より、滔々と白糸を落とす見事な滝に、視線を吸い付けられたようにして立っていた。

 丁度、唐傘は庭の小高くなった箇所に設えられてある。

 その向かいに石垣が見事な淡い紅の短冊石に、青味を帯びた石等を組合せ、また黒石を三角に切り、樋から澄んだ水が滔々と一筋の糸となって滝壺へと落ちていくさまを、こちらからは真直ぐ向き合って眺めることができる。

 滝壺へ落ちた水の流れは、此方からは見えぬが板のように立てられた石に弾け、滝壺に配された見事な石の組まれた中を踊るように流れて一度地下へ潜り、橋を抜けて、これは緑の中へと組んだ段組みの滝へと落ちて、これまた見事な岩と岩を渡る白滝の涼しげな音が耳に届く、実に美しい様となっている。

 飽きずに、斉泰は庭へと落ちる滝の様を眺めていた。

 小高い唐傘のある箇所からは、庭の姿を一望することができる。

 玉泉院丸―――二代藩主利長正室玉泉院の屋敷跡に造られた庭は、島を中心に池が設けられ、小さな島へは橋を渡して、渡ることもできるように造られている。池には舟を浮かべることもでき、紅葉橋を潜り、石垣の傍にまで美しい樹木の陰が映る水辺には舟を遣り、静かに季節を味わうこともできた。

 小さく巡る島々は、まるでこの本邦を造る島々の小さな模型とも思えるような、――――よく斉泰はこの唐傘の先に立って、己の取るべき道を、この邦の行末を想い、案じたことであった。

 風は緑風を運び、もう八月、旅立ちの日の近い、暑さを過ぎて夏から秋へと変わるこの刻に、涼やかな音色とともに斉泰の許へと季節の代わることをしらせてくる。

「慶寧、―――」

その斉泰より、僅かに斜め後ろに下がり、左に下がり立つのは慶寧である。斉泰の長子であり、その跡を継ぎ藩主となるが、その刻は短く時代は明治を迎えた。

 そして、また廃藩置県となり、藩知事としての職を解かれ、この地を去ることとなる。時代に翻弄され最後の藩主として勤めた事がもとより病勝ちな身に堪えたのか、痩身の姿には何処か儚さがある。

「はい、父上」

僅かに面を下げ、礼を取り応える慶寧に、老人ながら芯の通る背筋をした斉泰が、滝を眺めながら短く云う。

「鳴るは滝の水よ」

「は、――」

短い斉泰の言葉に、しずかに慶寧が頷き、視線をあげて同じく石垣の見事な色合いの中に目立つ黒樋より、滔々と落ちる白滝のさまを目を細めて静かに眺める。

 鳴るは滝の水、日は照るとも―――。

謡の一節が耳に蘇る。

 万歳楽の言祝ぎの。

庭には松の緑があり、島の浜の砂、万代の池に亀があり。

 万代の池の亀、滝水が朗々と落ち、月鮮やかに夜を照らし、浜砂は尽きることなく、白く日の照らす様にあり。

 なべても尽きぬ、千寿にも万寿にも続く御世のあらたかに。

 庭の意匠に託された、幾重もの御世の平かさと安寧のあるようにとを祈られた、その姿を眼下におさめる。

 松の永遠を。

 千年の鶴の舞う万歳楽を。

 おそらくそれが、まさかに徳川の世の終わりの後にも、こうして庭があることを、先祖は思ってあったろうかと慶寧が庭を観る前に。

 背筋正しく庭を見渡し、斉泰が僅かに笑んでいた。

 徳川の世は尽き、此の地は返されることとなった。

「…慶寧、我等は御預かりしていた民と地をどうにかこうして無事御返し申し上げる事ができた。信長公より、徳川の御代となり、御預かりしていた此の民と地を、損ずることなく、何とか幾らかも豊かにして御返しすることが」

「父上、――――」

その父の言葉にはっとして、慶寧が顔を見直す。

 厳しくも何処か懐かしむようにも四囲を眺め、また滝に視線を戻す斉泰を、慶寧が見つめて深く礼をとる。

 思えば、病勝ちなこの身に代わり、執政の殆どをこの大きく世の代わる変革の刻において、その背に担ったのは斉泰であった。

 血なまぐさいことの多かった徳川の末期から明治の初めにおいて、加賀百万石とも呼ばれた、かれら前田家は、薩長が音頭を取ったといわれる幕末において、何の役目も果たさず、百万石は飾りかと、揶揄する唄までが作られたことであった。

 最後まで長州と幕府の仲の修繕をしようとし、それが成せぬ内に禁門の変が起き、命じられた御門守護の任を、病により退京し、戦を避けて身を近江の海津にと隠したときを思い返す。

 慶寧の身替りとして、家老松平大弐他が腹を召す事となった。

その折のくるしさを、いまでも胃の腑が掴まれるように痛みに重く思い返す。

「わたくしは、大弐達の命を奪いました」

重い物に身を掴まれたまま云う慶寧に。

 滝をしずかに眺め、清々と流れる滝音に耳を澄ませながら、斉泰が頷く。

「それは我等が負わねばならぬ。また、この明治になりてより、命落した本多の事も、―――――。あれは、散らせる必要のない命であった」

明治二年、執政として慶寧を助けていた本多政均は、不平の士に切られ、命を落とした。幕末より藩を改革する為に斉泰、慶寧の意を受け奔走し尽力した城代、執政として藩を支えた家老の哀しい死であった。

 滝が白く清らかに流れ落ち、澄んだ水が緑に清らかな音を響かせる。

 ふと、斉泰は庭に満ちる滝の音に、この滝組を造り、或いは兼六園と号される庭園に、藩主として就いてしばらくの頃、父斉広の隠居所であった竹沢御殿を解体し、池を広げ、松を取り寄せ、随分と庭に手を加えた事を思い出す。

 さらに、この玉泉院丸にも、この唐傘を初めにいまみえる滝組も造らせた際には、何と庭造りの好きな殿様よと、黒船が来航し騒乱の風も生々しい折に何と加賀百万石は優雅なことよ、と囃されたものだが。

 ふと、庭を渡る滝音に耳を澄ます。

 庭造りが好きな殿様で何が悪かろう。

 斉泰は、庭の作事を任せた折を思い返しながら、豊かな緑を見渡していた。

 元より、緑美しい庭園を築く豊かさが。

 美しい布を織り、百工が豊かな文物を造ることのできる世が、平らかな世が創られ保たれてあることこそが、何よりも民を御預かりしたこの身には、そして代々の藩主、此の地を預かる身には大切な事であった。

 庭を造るのは、民を養う為でもあった。工芸を盛んとし、貿易で民を養うように、米の不作等に苦しむ民に、人夫として職を与え、また米作へと戻れるようにとしたものでもあった。

 さらにまた、忘れてあるものも多いのではあろうが。

 庭を造り、池を拡大することは、争乱に、来るかもしれぬ戦に備えての事でもあった。

 幕府は、前田家を絡め取る為に、十重二十重に縁戚を結ぶ手立てを打ってきてはいたが、互いに忘れる事も無い、味方ではあってもその敵となる可能性が皆無では無い立場にあった。

 いつ、攻められることになるか―――或いは、瑕疵を突かれて、改易、御家断絶の命を受けるか。

 もし、戦に備えると思われれば、それだけで改易、断絶の事由となり、前田家は滅亡の道を辿っていたであろう。

 だが、刻は争乱の風が近く吹く、いつ此の御預かりする民と地が、戦の憂き目に晒されてもおかしくもない激しさを呑んだ中に流れていた。

 で、あれば、―――。

藩主として座して在ることなど考えようも無い。

 庭園に岩を運ぶ。

 それはまた、遠く山脈の境の地に、岩を掘り出す計測をさせ、道を造らせ運ぶということでもある。

 岩を運び、庭を造るのは屈強の人夫であり、それらの人数を増やすことはまた、兵を増やすことにも成り得るということを、幕府より偵察に訪れる者達も、その手を伸べる幕府の者も知ってはいようが。なれど、それが唯、庭を美しく整える為であるのであれば、正面より兵を養う形にならず。

 随分と遠くにまで、石を求めさせ山々を歩かせて、岩を砕き運ばせたが。

 それが戦と成りしときには、使うことのできる道を常に測量させ、道をまた保たせる為の仕業であることも。

 池を広げることは、そしてより深くすることは、水を保持する為でもある。

 戦に於いて必要な水、用水を用いて引き入れた水は、もとよりその為に先祖の藩主達が設けたものであった。

 兼六園の霞が池を拡充し、深く豊かな池として。

 玉泉院丸にまたこの滝組を造らせながら、三代利常公が玉泉院を偲び庭を造らせたときに何を思っていたか。掌に映すように、斉泰にはその心持ちが理解できていた。

 戦が終わり、泰平の世が訪れたと、いまだ確定せぬ匂いのする刻に。玉泉院を偲ぶ心持ちは確かにあれど、その偲ぶ庭を造ることを表として。

 この城内に、貯水のたやすくできる箇所に、非常の折には城の水甕となる池を、庭と共に築いたのであると。

 玉泉院丸は、城が戦に攻められた際の水甕であった。

 いかにも美しく庭としてある姿とは掛け離れても思えることだが。

 こうして代々と、預かりし地を、民を守る為に。

 或いは、民が豊かに安堵されてあるように。

 工芸を奨励し、文物を集め、茶に、能、あるいは、――――。

 総て民を豊かにし、御預かりした地を守る為に、誠心を尽くして前田家は預かりし地を加賀百万石と。

 百万石と呼ばれて恥じぬ、豊かな地として守ってきた。

 此の地を守る備えもまた、怠ることはなく。

 そしてまた、故に思う。

 庭造りの好きな殿様と、動きはせなんだ百万石と。

 笑われるのが、何程のことであろうかと。

 民を損ぜず、無駄な戦をせずに。

 まして、此の地を焼く事の無く。

 加賀の地は、焼かれる事なくこの争乱を切り抜けた。

 幕末の争乱は、斉泰の眼にはまた、愚かなことに映っていた。

 同じ邦の民が、何故、争い血を流すことがあろうかと。

 信長公の頃より、勤王は自明の理。

 武家とは、元より、その領地と民を御預かりし、たまさか代わりにと安堵する、それが役目のものであるのだと。

 また、御預かりした地を守り、民を損なわぬようにすることは。

 民を豊かにあるようにすることは、それは大きな役目であると。

 なれば、―――――。

「慶寧、―――そなたは民を安堵し、よくされた。刻は、御返しすることとなったが。よく、成されたの」

「…―――父上」

父の言葉に、思わずも泣きそうに熱いものがこみあげるのを、慶寧は堪えていた。

 戦への争乱が呼ぶ声は、いまだ完全に途絶えた訳では無い。

 油断すれば、また訪れるであろう。

 だが、またいかに避けても戦わねばならぬ刻がくれば、何時なりとも戦いに赴けるよう備えを怠ることなく。

 だが、そうして備える刻は、変わりはせずとも。

 いま、彼等の役目は約二百六十年の永き刻を経て、漸く解かれていた。

「時は移りいく。我等は月の桂の川瀬舟よ。本来無一物とも、戻るは信長公にお仕えした藩祖の頃を思えばこれもまた良し。また、今上にお仕え奉り、事あらば、また何事か微力ながらも御尽くしできることもあろう。慶寧」

「はい」

清々しい面を斉泰に向ける慶寧を背に、滝を眺める。

 白糸の美しい滝は、無心に流れ、緑陰に涼しげな音を響かせる。

「この滝もまた、――――どのように変わるかも知れぬ。或いは、無くなることもあろう。我等が此の地を去った後には、――――」

無言で、慶寧が斉泰の横顔を見詰める。

「なれどな、慶寧。我等のことが残らずとも、――――。民が豊かにあり、曲水を、豊かな松の、或いは庭を楽しむことをの。そうであるなら、それが良い」

「――――…父上、…はい、」

いいながら、視線を庭の周りへと。

 高い石垣に、豊かな緑が零れ落ち、滝水が滔々と響き池に落ち。

 それは美しく映る。

 で、あれば、それでよかろうと。

 美しい庭を楽しむことができる、――――それが最善というものであろうと。

 戦に備えを怠らず。

 その水甕として造られた庭が、戦の為に使われることなくば。

 それこそが、最善であろうと。


 慶寧は、斉泰の傍らに、これより彼等の庭ではなくなる此の玉泉院丸の地に立って。

 唐傘の前に、随分と頑固でありながら、それでも何処か満足に笑んでもいるような斉泰の立つ姿を前にして。

 欠けたる事も多くあった。

 むしろ、己の成した事には、欠けたことばかりが多くあるのではないかと思いもする。

 けれどまた、父斉泰の言葉通りに。

 何とか、御預かりしたものを、御預かりした刻よりも、損ぜず。僅かにでも豊かにして御返しすることのできたのやもしれぬと。

 最後の藩主、前田慶寧は思っていた。

 明治四年七月十四日。

 廃藩置県の命が下り、前田家は藩主から藩知事となっていた責を解かれ、金沢の地を離れ、東京へと移る事となる。

 江戸、―――いや、東京にか、あるいはまた新たに地を賜れば、この金沢に戻る事は無いであろう。

 己が、何を成し得たのか、―――――。

 幾らかでも、民を損なわず。

 此の地を戦に焼く事無く。

 御返しすることが、成るのであれば。

 それでよかろう、と云う父の言葉が胸に染みる。

 風は松の梢を渡り、遠くより彼等にと便りを届けてくる。


 孤帆万里の風、何れの処より吹くか、――――。


 斉泰は慶寧と共に立ち、滝を眺めながら。

 この小さき身は、孤独に風に吹かれて動く帆の、浪に攫われる小舟のようでもあろう。

 この時代の波に翻弄され、幾らかも思う通りに進む事はないかもしれぬ。なれど、それならば。

 それもまた、良いであろうと。

 此の孤帆に吹く風は、万里に届く風でもあろう。

 なればまた、それも良し。

 世は移り、小舟は波にもまれていくであろう。

 それもまた、こうして、役目の解かれた後に。

 こうして、また万里を吹く風に行くのも悪くはなかろうと。


 民を、無事御返しすることが、できたのだから、――――。

 役目を守り、約束を守り、こうしていま此の地を去る。


 前田斉泰は、滝の白糸を眺めながら。

 滔々と落ちるその段落ちの滝が運ぶ涼しげな音を耳にしながら。

 来し方を想い。

 行く先をまた、想っていた。

 此の地が守られてあるようにと。

 豊かであり、戦に焼かれる事が無く。

 此の緑を、美しい庭を美しいと唯楽しむことのできる日々であるようにと。

 その為に、この老人の身でかなうことであれば何をでもしようと。



 前田斉泰は、後幾らかで此の地を離れ、戻る事は無いかも知れぬこの庭を。幾度も、悩んだ折にはこの唐傘の前に立ち、心を落ち着けるべく眺めた庭に。おそらく最後であろうと思いながらしずかに立って。

 唯、しずかに眺めていた。

 滝の音に耳を傾け、吹く風に刻の便りをききながら。


 前田斉泰と慶寧。加賀百万石を支えた最後の藩主と幕末の激動を生きた藩主。

二人は共に、吹く風に、滝の音に耳を傾けていた。







 孤帆万里の風、何処より吹くか。―――――













 後に、明治十三年、玉泉院丸の滝組は陸軍により壊され、使われていた岩を掘り出して兼六園に設けられた倭尊命の像の台座とされた。

 その後、まるで元藩主の庭から岩をとりさったことを恥ずかしむように岩のあった跡は埋められ隠された。

 池もまた埋め立てられ、庭園は姿を消したのであった。





 それから、百四十年程、――――――。

 蘇った玉泉院庭園に、滝音が滔々と美しく涼やかに。

 庭を楽しむ人々の耳へと、響いている。






                      「孤帆万里の風」

                             了





 この物語はフィクションです。

 時代背景等史実を参考にした創作となりますので御了承下さい。

 


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