人に畏れられしモノ達
あの砦で一夜を明かし、更に一日を歩いて。
悪鬼の目を逃れながら辿り着いたのは、昨日の砦を遥かに凌駕する巨大な建造物だった。
見上げる程の威容。首を回しても端から端まで見渡せぬ雄大さ。
塔の間に壁を作ったような囲いを持つその建物の名を、俺は姉さんから聞いた知識で知っていた。けれどその単語の前にその言葉がついたのは……眼前、見上げた壁に深々と刻まれた破壊の爪痕の為。
「壊れた、城塞……」
壁の中央は、上から下まで届くほどに大きく抉れ。
その奥に見える瓦礫の山が、かつて城だった名残なのだろうと何となく分かる。
そんな城塞の壁……本来ならば侵入者を拒む壁に開いた大穴の隙間から、セルヴァールは城塞壁内へと侵入し俺たちを手招きする。今日はこの城塞壁内で休む、という事だろう。
なにせ一日歩き通しで、更に悪鬼から身を隠しながらの道行きだったので肉体・精神共に疲労している。その判断は妥当と言えた。
しかし、今日も『腕輪』の持ち主には出会えなかった。昨日のあの戦士の亡者も腕輪は持っていなかったし……やはり亡者の数が多い戦場を探すしかないのだろうか。
そんな俺の焦りを感じ取ったのか、城塞壁内塔部分の階段――所々崩れたり穴が空いていてりして少し危ない――を上っていた先頭のセルヴァールが振り向いた。
「ココまで来れたってコトは、もう戦場は近いぜい。そんで戦場を抜けりゃ、戦争獄も抜けられる。その先に行きたいんにゃろ? にゃら、今日はいったん休むべきだと思うがにゃあ」
「あ、ああ」
「そんにゃ顔せんでも、別に事情は聞かにゃいぜー。ホラ、刑罰の軽い上層を目指すとか、誰でも一度は考えるコトだからにゃあ。にゃは、おにゃーさんってばイイ奴にゃろ?」
ぱちん、と愛嬌たっぷりに片目を閉じるセルヴァール。
そんな彼女に、けれど俺は上手く言葉を返せなかった。
俺とアダマリアの目的は『恩寵争奪』、地獄で八つの腕輪を集め、現世へと復活することだ。
その為にはここ戦争獄を抜ける前に、美徳に選ばれた持ち主を探して『腕輪』を奪わなければならない……少なくとも、アダマリアはそう考えているハズだ。そして俺も、アダマリアと志を同じくすると誓っている。
だが、セルヴァールにそれらの真実を告げることはできない。地獄の亡者の中で生き返りを望まぬ者など居ないというのはアダマリアの言……俺たちが『腕輪』を集めていると知られれば、セルヴァールと
だから、俺は心苦しくも話題を逸らすことにした。
「……セルヴァール、この城塞は普通の方法じゃない、何か凄まじい力で破壊されたように見えた。そんな脅威が存在するなら、俺たちも事前に知っておきたい」
その話題に……けれどセルヴァールは苦い顔をした。
「あー、コイツは例外だから気にすんにゃ。数年前に『悪王』との戦争があってにゃあ。ソイツがもうとんでもにゃい強さで、城塞を砂山崩すみてーにぶち壊しちまったんだよにゃー。そのせいで戦場の位置も変わっちまった」
「戦争……戦争獄の戦争は、そんなにも大規模なのか」
「ああ、勘違いするにゃよ。そん時の戦争は、普段の悪鬼にせっつかれて嫌々やる戦争ごっこじゃにゃい。
セルヴァールが言った名前には聞き覚えがあった。
それは、俺が昨日耳にしたばかりの名前。
「『悪王』……それって、昨日言っていた『悪王軍』の?」
「うんにゃ。『悪王ライザード』。超悪名高いヤツにゃから、ふつう知らにゃいってことはにゃいと思うケド――」
ちらり、セルヴァールが俺を見る。その目が何を言わんとするかを司会して、俺は頷いた。
「ああ、俺は現世の記憶がなくて……そうだ、アダマリアは知ってるのか?」
「当然だ。が、説明などせんぞ面倒臭い」
にべもなく押し黙るアダマリア。
そんな彼女を見て、そして俺を見て、セルヴァールは重い溜息を吐いた。
「……仕方にゃい。ホントは口にするのもイヤにゃんだけど、レイっちのピュアさに免じて最初から説明してやるかにゃ」
城塞の中、辛うじて破壊を免れた一室を見つけ。
そこにアダマリアが出してくれた、焚火代わりの炎を囲んで座り。
そうして、セルヴァールは語り始めた。
俺の知らない、現世の歴史を。
「――『黒い国』、と呼ばれる国があった」
その国では、黒こそが最も高貴な色とされていた。
王冠も黒。玉座も黒。王尺も黒。
軍旗も黒。戦車も黒。騎士の鎧の色も黒。
故に、『黒い国』。そう周辺国からは呼ばれていた。
「そんな黒い国に、ひとりの王様が生まれた。そいつの
王は生まれながらに恐るべき野心と征服欲を持ち、即位するや否や周辺の国に手当たり次第に戦争を仕掛けた。
黒い国の軍は他国とは比べ物にならないほど強壮だった。その上『黒騎士』と呼ばれた黒い国最強の騎士は、単騎で街ひとつを滅ぼせる、間違いなくその時代で最も強い英雄だった。
強欲な王と最強の軍。そうして当然の帰結として、死体の山は築き上げられた。
周辺国家は例外なく征服され、蹂躙され、滅亡して。
どれだけ殺し滅ぼしても飽き足らず、黒い国は領土を広げ続けた。
そんな侵略の連続で、大陸の半分が黒い国の国旗を掲げるようになったころ。
王ライザードは余りの血生臭い所行から、「悪王」と呼ばれ畏れられるようになっていた。
「悪王はそれはそれは最悪の王でにゃあ。戦争の理由は血が見たいから。敵国の王族を老若男女問わず殺して根絶やしにするのは当たり前。一番酷くて有名にゃのだと……占領した街の子供に石を
「……そんな、酷い……」
「そう、本当に最悪の王だった。けれど余りに独裁が上手く、余りに強い軍を率いていたから、誰も悪王を止められにゃかった……」
そうして、数多の国が滅ぼされ。
このまま世界は黒い国に呑み込まれてしまうのでは、と人々が諦めかけたとき。
「そんで、ここからは聞いた話にゃが――そんなとき、後世に伝説と謳われる『八勇者』が立ち上がったらしいのにゃ。八つの種族を代表する八人の大英雄……彼等は義勇軍と共に悪王に挑み、遂にその悪夢の時代を終わらせた。そうして、現世に平和が戻ったんだにゃあ」
悪王。黒騎士。
そうやって混迷を極めた現世と、そんな世界を救わんと立ち上がった勇者たち。
純人。獣人。巨人。
八つの種族から集った八人の勇者による、華々しき救世の英雄譚。
どれもこれも、俺にとっては初めて聞く名前だった。即ち、ネルヴィ姉さんの口からは聞いた事がない名前。数多語られた歴史や英雄譚には、一度も出てこなかった名前。
あるいは、もしかして……何でも教えてくれた姉さんは、けれど実は、彼等について語るのを避けていた?
……いいや、そんなはずはない。だって、そんなことをする理由がないのだから。
首を振って疑念を振り払い、俺はセルヴァールに続きを促す。
「……それで。その『悪王』は、どうなったんだ?」
「当然討ち取られて
「め、めでたしって……悪王の親族までも皆殺しにしたことが?」
「当たり前にゃろ。そんだけ悪王の所行は邪悪だったんにゃから。根絶やしにしとかにゃいと皆安心できにゃいんだぜ?」
「でも……妃や赤子に、何の罪が」
「妃だって悪王と一緒に私欲を貪ってたに決まってるにゃろ。赤子は……まあちょっとカワイソウかもにゃが、大人になって悪王と同じような暴君になるかもしれん以上、殺すのもやむなしにゃ。たったひとりの命と民衆の安寧、どっちが大事かは言うまでもねーにゃろ?」
ともかく、そうやって悪王は死んだ。悪しき血も経たれ、現世には平和が戻った。
けれど、そうやって現世から退場した魂が流れ着いたのは――。
「だがまあ、悪王という世界の敵はそれで終わるようなタマじゃにゃかったのさ。だって悪人は、死ねば
「あ……!」
八勇者の活躍によって現世で死亡し、地獄に堕ちた悪王ライザード。
数多の戦争を指導した罪により戦争獄の亡者となった悪王だったが……けれどその悪逆の
「そう。悪王のヤツは戦争を起こした罪で
だが、悪王はそんな亡者たちを圧倒的なチカラで返り討ちにし……生前の悪夢を繰り返すようにゃ、大暴れを始めたのさ」
そうやって戦争は始まった。
地獄に堕ちた悪王、その魂を完全に消滅させるため、集いに集った討伐軍約100万人。
対、悪王ライザード。
黒い王冠を被り、生前用いたという黒い戦斧を携えた黒き王は、地獄においても変わらず戦争の引き金を引いた――。
「――悪王の強さは、それはそれは凄まじかった。戦斧を振るえば城が崩れる。咆哮だけで人が吹き飛ぶ。名だたる猛者が参加した士気充実の討伐軍でさえ、竜の前の蟻の群れみたいにゃもんだった」
セルヴァールの語る悪王の強さは、この壊れた城塞が証明しているだろう。
巨人よりも更に大きい怪物が暴れ回ったような破壊の痕跡。これが『悪王』の仕業だと言うなら……もしかするとかの王は、アダマリア以上の強さを持つ存在だったのかもしれない。信じがたい事だが、セルヴァールが語る内容によると、そうなる。
たとえ100万人の軍勢が味方だろうと、アダマリアに勝てる保証などない。ならば悪王もまた、そういう
「それでも討伐軍は諦めにゃかった。ヤツの強さなど、生前の蹂躙を想起させ、憎悪と復讐心を深くするだけのものだったからにゃあ。そうやって『戦争』はたっぷり七日七晩続き……悪王の首が落ちたのは、討伐軍の半数以上が灰に還っちまった後だった」
戦争は、現世の最期と同じく悪王の敗北で終わった。
悪王ライザードは灰に還り、二度目にして完全なる死を迎えた。
その代償として、討伐軍も半数以上が犠牲となった……。
その凄まじき戦争の光景を想像もできず、俺はただ茫然と数字を呟く。
「『悪王軍』との戦争で、50万人も……」
「ああ、ソイツは違うぜレイっち。あの戦争は『悪王』個人と討伐軍の戦争にゃ。悪王は悪夢みたいな強さにゃったけど、そのせいにゃのか、生前と違い軍を用いにゃかった。『悪王軍』は捨てられたのにゃ。そんな士気も指揮も足りない兵士のカタマリが討伐軍の相手ににゃるハズもなく……戦争を生き残ったヤツも残党狩りでほぼ全滅。にゃんなら昨日会ったヤツで絶滅しちまったかもにゃあ」
「な、」
セルヴァールの訂正の言葉は、とうてい信じがたいものであった。
だって、たったひとりの人間が、100万人の軍勢といったいどうやって戦うというのか。アダマリアでさえそんなことできるかどうか。それに……。
「なら『悪王』は、たった1人で100万人の軍を相手取って、半数を……? そんなこと、本当に人間に可能なのか?」
問えば、セルヴァールもまた首を傾げたのだった。
「ソコにゃんだよにゃあ。悪王は確かに悪名高かったけど、あんにゃバカみてーな強さがあるなんて現世では聞いたこともにゃい。どっちかってーとバケモンじみた強さってのは、悪王じゃなく『黒騎士』の方の評判だったんだがにゃあ」
……それは、一体どういう意味であろうか。
悪王は地獄において凄まじい個人の力を示したけれど……現世ではそんな力を見せなかった?
それは一体、何故。
そうやって話が止まったときだった。
ふと、今まで会話の成り行きを眺めていただけのアダマリアが口を挟んだのは。
「そうさな。たった独りで戦争を成立させるなぞ、当然、現世では難しかろうさ。その者が戦士や怪物ではなく、王というなら猶更な……だが、ここ地獄では違う」
言って、彼女は片手をゆるく上げた。
見えない杯でも持つような、見えない力でも纏わせるような。
そんな自分の指先を通して彼方へ意識を飛ばしながら、アダマリアは言う。
「――地獄では、ヒトの想念が大いに力を持つ」
「想、念?」
「そうだ。ヒトが全体として持つ認識、願望、あるいは祈りと言い換えてもいい。それらが大きく影響するのがこの地獄だ。そもこの地獄じたいが、ヒトの想念によって形作られた刑場ゆえな」
「え――」
「『罪人に罰を。逃げおおせた悪人に神の裁きを。裁かれた死人に死後の苦しみを』。
そんな人間の共通認識が聖典の記述によって具体的な形を与えられ、その果てにこの地獄は創造されたのだ。死者の魂を捕らえ縛り付ける地の底の獄。元々がヒトの想念で形作られ、運営される世界なのだから、
ちょっと待て。アダマリアは、一体何を言っているんだ?
地獄が、人の願いによって創造された?
神の手ではなく、人の想念によって――?
全く思いもよらない言葉に、俺もセルヴァールも閉口する。
そんな俺達のことなど気にも留めず、アダマリアは何でもないように続けた。
「話を戻すが。その『悪王』とやらは、さぞ大衆に恐れられたのだろう……結果、その者に向けられし現世・死者の人間たちの恐怖が、その者の存在を変質させたのだ。より恐ろしく、より強く。たった1人で100万の軍勢を相手取ることができる程に、な」
恐れられたが故に、強くなる。
ならば、例え現世で常人なみの力しか持たずとも……100万人の虐殺を主導した人物が地獄に堕ちた時、100万人を虐殺できるだけの力を手に入れるとすれば。
それを可能にするのが、人の認識や願望――共通の認識なのだとすれば。
思わず、俺は呟いていた。
「地獄では、人の想念が力を持つ……」
「そうとも。そもそも亡者の肉体も、本人の魂が記憶した生前の体を再現したものであるしな。それ以上の想念を纏えば歪みもする。
つまり名のある英雄英傑なら、生前より強化されることもあると言うことだ。いや、寧ろ有名な名さえあれば、本来実在しない者すら実在することになる……それが地獄の業深きところよ」
そこでアダマリアの言葉は終わった。最後の自分の言葉に自分で機嫌を損ねたような、そんな雰囲気であった。
見れば、セルヴァールも真剣な顔でブツブツと何事かを呟いている。アダマリアの語ったことが真実かどうか、経験と照らし合わせて考えているのだろう。
けれど俺は、別の事が気になっていた。
どうしてアダマリアがそんなことを知っているのかということもそうだけれど。
なるやもしれぬ、ではなく、なる、と言い切ったのが気になったのだ。
それはまるで、『想念によって歪んだ存在』の実例を知っているような言い方で。そして俺が知る限りで、最もその可能性が高いのは――。
「……もしかして、アダマリアは」
「――小僧。それ以上を口にしてみろ、不快な戯言しか語らん道化なぞ、口を縫うどころでは済まさんぞ」
忠告と同時に殺気さえ飛ばされ、俺は慌てて口を閉じた。
けれど、さしものアダマリアと言えど、俺の思考までは止められなくて。
思い出す。最初の夜、彼女が口にしたことを。
『故に、この身は人類史上全ての罪悪の集合体と言ってもよい』
その言葉が、俺が思った通りの意味ならば。
ならば、アダマリアとは……。
それ以上を考えてはいけない気がして、俺は慌てて頭を振った。
アダマリアは姉さんを救ってくれた、俺の恩人だ。詮索のような真似をするべきではない。
けれど、思う。
もしアダマリアの言う通り、地獄がヒトの想念によって創り上げられた世界ならば。
俺もまた、誰かに地獄に行くことを望まれた結果ここに堕ちた、そんな罪人なのだろうか。
生前の俺とは、本当にそんな悪人だったのだろうか――。
ぱちりぱちりと、焚火が揺れる。
妙に物音が響く沈黙が、今はなんだか嫌で……。
「……このまま。夜が明けるまで、知っている英雄譚を語り合うのは、どうかな」
「んにゃ?」
「俺は、姉さんが語ってくれる現世の物語が好きだった。現世に思いを馳せている間は、地獄のことを忘れられたから。だから……」
「いいねえ、おにゃーさんは賛成だぜ。どうせ亡者は寝れにゃいしなー。ただ、悪鬼に見つからにゃいように小声で頼むぜ?」
「アダマリアは――」
「は、貴様らで勝手にやっておれ」
「分かった。それじゃ、俺からだ」
「――ん?」
「そうだな、じゃあ折角だから、この城塞を壊せそうな伝説の巨人の話にしよう」
「おっ、伝説の巨人と言えば、火巨人スルガドの話かにゃ? おにゃーさんも知ってるし好きだぜソイツ、おんなじ異形ってコトでシンパシーあってにゃあ。確かその巨人、腕に口と目が付いてんだよにゃ?」
「ちょ、ちょっと待て」
「うにゃ? どうしたのですかにゃアダマリア様、珍しくそんにゃに慌てて?」
「おい小僧、貴様が語るのか? だって貴様、詩吟の才が壊滅的であろうに――」
ぱちりぱちり。焚火の音に呑まれぬように、俺は火巨人スルガドの伝説を語り。
語り終えたとき、なぜかアダマリアもセルヴァールも妙にぐったりしていた。
「……火巨人スルガドの話って、怒った巨人が炎の魔剣で世界を壊そうとするってだけの、何の複雑さもにゃい伝説だよにゃあ? なにをどうやったら、こんなに分かりにくくてつまんない内容になるんだにゃ……」
「小僧、貴様はもう黙っておれ、耳が腐る……獣、貴様が語れ」
「承りましたにゃ、アダマリア様。それでは我々獣人の祖と語られる、『醜い獣』の話でも。
昔々、カメイラという名の獣がおりました。カメイラは無数の姿を持ち、相手の望む外見に変身できたため、皆から大層好かれました。けれどある日、カメイラはおまえの本当の姿を見たいと願う旅人に出逢い……」
そうやって夜は更けていく。
にゃはは、なんて笑い声に揺られながら。
俺、アダマリア、セルヴァール……全く違う三者は、言葉によって分かり合っていく。
――明日、この中のひとりが灰に還るとも知らずに。
デッドエンド/アフター ~ラスボス系ヒロインと行く生き返り争奪戦~ 龍川芥/タツガワアクタ @graygoal
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