獣と混じりて智慧と別れる
地獄の第七層、戦争獄を上へ往く。
そんな中、俺とアダマリアの旅路に護衛役兼案内人として加わったセルヴァールは、ふと立ち止まってアダマリアの細い手を取った。そして言う。
「――美しい御方、アナタにゃら知っておいででしょうが。
戦士とは野卑な生き物でして……野に咲く花を見かけても、それを摘んで愛でてみるにゃんて、生涯で1度あるかどうか。
ですから――私が唯一愛でる花に、貴方を選びたいのですが。美しい御方」
ぱちり、そう言って片目を閉じるセルヴァール。
それでも、アダマリアの反応は決まっていた。
即ち、思いっきり苦虫を嚙み潰したような顔をして。
「不快だ。舌を抜いて死ね」
これ以上ないほどの拒絶を受けて、セルヴァールはよろりとよろめくふりをした。それで俺の方に擦り寄ってくる。
「ありゃりゃ。またフラれちまったにゃあ。気障な知り合いの真似してみたんにゃけど……おにゃーさんには合わなかったかにゃあ? ホラ、おにゃーさんってカワイイ系だし」
「俺は結構格好いいと思ったけど……」
「小僧、貴様は今すぐ耳を洗え」
実際のところ、セルヴァールによるアダマリアへの愛の告白――あるいは口説く、と云うべきなのか――は、これが初めてのことではなかった。
今の騎士風だけでなく、純情風、俺様風、そして
そういう事情があったので、俺は再びセルヴァールが立ち止まったとき、また新しい告白の言葉を披露するのだと疑わなかった。アダマリアでさえそうだっただろう。
けれど予想に反して、獣人は別のことを言った。
「ハイハイお二人さん、ご注目。こっからはなるべく静かにおにゃーさんに付いてきにゃ」
「静かに……?」
「は。騒いでいたのは貴様であろうが、半獣」
「うにゃ、それはそうにゃんだけど~。ともかく、この辺りから悪鬼がうろついててにゃあ。見つかると捕まって戦場に直行にゃ。戦争獄の亡者以外がどうにゃるかまでは知らにゃいけど。流石のおにゃーさんでも、地獄の悪鬼サマを追っ払える保証はにゃいぜ?」
悪鬼。その言葉に喉が鳴る。
たとえアダマリアが隣に居ようと、怖いものは怖い……俺は何度も彼等に甚振られ、文字通り地獄の苦痛を与えられてきたのだから。
「悪鬼……そうだ。戦争獄では、悪鬼が亡者たちに戦争を強制しているというのは本当なのか?」
戦争獄の刑罰は、文字通りに「戦争をする」こと。その為に悪鬼は戦場から逃げ出した亡者を攫い、戦場に連れ戻して戦わせるという。
そんな聞きかじりの知識が正しいのかと尋ねれば、戦争獄の住人たるセルヴァールは首を縦に振った。
「その通り。この地獄では戦わぬことが許されにゃい。みんな悪鬼の槍に背をせっつかれ、否応なしに戦場に担ぎ出され……結果、死にたくにゃいなら戦うしかにゃいってコトで戦争にゃ」
……でも、それは。
思わず、言葉が口を衝いて出た。
「……セルヴァール。『戦場』と『戦争』は違うはずだ。戦場に立ったって、必ずしも戦う必要なんてないだろう。なにも戦わなくたって、武器を捨てて手を取り合うことが出来れば――」
「ああ、ソイツは素敵な考えだにゃあレイっち。確かにそうにゃれば理想的だ。けれど理想ってのは往々にして、現実の前では無力にゃもんさ」
セルヴァールは俺の言葉を最後まで聞き届けはしなかった。
軽口めいているが、重く。笑顔めいているが、目を細めて。
そうやって、忠告のように獣人は言う。
「人間は見ず知らずの相手を信じられるようには出来ちゃいにゃい。ソイツが武器を手に突撃してきてんにゃら猶更さ。そして人間は、誰だって自分や自分の都合を優先するように出来ている。こうなりゃもう答えはひとつ。『殺されたくにゃいから、殺すしかにゃい』……結局、戦争の最前線にあるのは、いつだってシンプルな本能だけにゃのさ」
「……」
忠告のよう、というのは、言葉の中に強い憤りを感じたからだ。
その意味が、今なら分かる。
だって、世間を知らぬ俺の理想論は……『戦争』という現実を受け入れて戦ったセルヴァールや戦士たちへの侮辱に他ならなかったのだから。
ごめん、軽率だった、と謝って。
そのときの感情のままに、続けた。
「……なら。セルヴァールの言った通りなら、俺は戦争で生を勝ち取ろうと闘った人たちは、必ずしも『悪』ではないように思う」
「――」
「でも、だったら……どうして戦争獄なんて地獄があるんだろう。みんな生きる為に戦っただけならば、どうして、こんな地獄に堕とされる必要があるのだろう……」
素朴な疑問だった。口に出す必要はないくらいの。
そんな独り言めいた俺の言葉に、けれどセルヴァールは大袈裟に反応してみせた。
「オイオイ。ソイツは『こんな地獄』を作った神様への挑戦かにゃ? 地獄のど真ん中でンなコト言うとは、レイっちって意外と恐れ知らずなヤツだにゃあ」
「あ、いや、それは……」
「……まあ。戦争なんて、忌み嫌われてるくらいが丁度イイのさ」
「え……?」
最後。普段の調子とはまるで異なる、皮肉げで陰のある小声で言って。
けれど次の瞬間には、獣人はいつもの調子に戻っていた。
「ともかく、話が脱線しちまったにゃあ! ホラホラ、悪鬼を避けて進むならこっちにゃ。今度こそお喋り控えめで、コッソリおにゃーさんについて来にゃー!」
器用にも小声でそう叫んで、セルヴァールはひらりと枯れた堀に飛び込んだ。
俺も、セルヴァールとの会話を真後ろで静観していたアダマリアも続く。そうやって枯れた堀に隠れるように進み、今度は瓦礫の山の影に身を潜めて飛行する悪鬼をやり過ごし、今度は崖めいた地形を遮蔽にして……。
そうしてセルヴァールに追従すること数時間。
俺たちが辿り着いたのは。
「建物……放棄された、砦?」
「そのとーり」
城というには小さすぎる、半壊した石組みの建造物。
日常で映えるような装飾は一切なく、戦闘の為にのみ生み出された建物だと直感で理解できる。
そんな砦の正面門……ではなく、端の崩れた壁の隙間に、セルヴァールは俺たちを案内した。
「ホラ、こっから
そうやって、薄暗い砦の中に入って。
スン、とセルヴァールの鼻が動いて――表情が変わる。
「――その代わり、ちょっと厄介なのが住みついてる
言って、セルヴァールが羽虫を払うように腕を振った。
ギィン! と金属音と共に火花が散り、一瞬だけ室内の薄闇を照らす。
宙に舞う、短剣。
俺目掛けて投擲されたソレをセルヴァールが爪で叩き落としたのだと、瞬間的にそう理解した。
全く気付かなかった――もし短剣が何者にも飛翔を邪魔されなければ、俺は、今。
からん、短剣が音を立てて床に落ちて。
砦の中、崩れた上階の端に……ゆらり、その人影がようやく見えた。
「……久方ぶりに客が来たので、誰かと思えば」
声は、
のそり、暗闇で蠢く影は野生の獣を思わせる。それでも彼は人間で、目が慣れたのか次第にその姿が確認できるようになる。
汚れてくすんだ金の髪。血走った目にこけた頬。闇を色濃く乗せる幽鬼めいた人相は、けれど削げ落ちた肉の代わりに詰まった暴力への欲望で、ぎらぎらと輝いているように見える。
身に纏う傷だらけの鎧、その片腕にのみ握られた短剣の意味は、恐らく。
――戦士の亡者。
そう形容するに相応しい彼は、ぎょろりとした目で俺たちの姿を捉え。一番弱い俺ではなく、最も美しいアダマリアでもなく……意外にもと言うべきか、セルヴァールの上で視線を止めた。
途端その息が荒くなり、声音が憎悪の情さえを宿す。
「その半人半獣の面妖な姿……卑怯者の将軍セルヴァールか! 我らが王に逆らった愚か者めが……ここで会ったが最後、貴様に二度目の死をくれてやる!」
怒号が砦の中の空気を揺らす。
武装した大の男がぶつけてくる殺意は、セルヴァールならぬ俺でさえ気圧されるもので。
けれど、俺はその亡者が放った言葉が気になった。
「我らが、王……?」
「――ああ、あんま気にしにゃいでイイぜレイっち。コイツ『悪王軍』の生き残りにゃ……まあ亡者だから『生き残り』ってよりは『死に残り』って言うのかもにゃが。しっかし、こんにゃトコロに隠れてまで残党狩りから逃れてたとは。流石悪王軍
こんな状況でも冗談めかした声は、どこか誤魔化すような響きを帯びて。
それさえも煙に巻いてしまうように、セルヴァールはアダマリアさえ制止して一歩前に出る。
「ま、おにゃーさんが護衛としてサクッと処理してやるから、レイっちとアダマリア姫は黄色い声援でも飛ばしててくれにゃー」
「莫迦が、死ぬのは貴様だ半獣! 貴様が決して持ち得ない、真なる人の叡智を見せてやる!」
叫ぶ調子外れの声は、己への鼓舞か暴力への狂乱か。
男の握っていたボロボロの短剣の切っ先が、遠間から引き絞られた
瞬間、男の声は朗々と。
「
「!」
ぱちり、短剣の先に火花が起こる。
生じた風は魔力によるものか。空間に満ちるその力が、唱える男の元へと集約されていく。
呪文。魔力。
ああ、ここまでくれば、さしもの俺にも分かるのだ。
彼が引き起こしているこの現象の、名は。
「『魔法』……!」
「――ほう。魔眼の次は魔法か、格落ちだが希少ではある」
「しかもコレ、
『魔法』。
選ばれし者のみが持つとされる、世界の法則に干渉する特別な力。コーダウの魔眼もその一種にして亜種なのだろうが……純粋に『魔法』と呼べるものを見るのは、俺にとってこれが初めてのことだった。
未知を前に硬直する体。それを容赦なく叩くように、再び男の声が降る。
「黙れ、醜い獣め! さあ、
短剣の先から放たれたのは、御伽噺に聞く
薄闇を橙に染め上げ、見上げる目すら焼くほどの灼熱が、俺たちへと迫る。
全身を容易く包むだろう巨大な炎の接近を前に。
俺は、セルヴァールが躱すと思った。
あるいは俺の横に立つアダマリアならば、魔法の炎など弾き返したに違いないが――その美身に宿る竜鱗の防御がどれほど強固でも、彼女はお調子者の案内人を気に入ってはいない。
だから、セルヴァールは躱すだろうと。
けれど――そんな予感さえ切り裂くように。
爪刃、閃く――!
虚空にありありと軌跡を残す、炎より鮮明な五つの白線。
即ち五つ並んだ斬撃が、魔法の火炎を迎え撃ち、たちどころに両断してみせた。
その身を六つに裂かれた炎が、勢いを失い霧散する。
ああ、俺は眼前の光景に、己の目を疑うしかできなかった。
だって、つまり、セルヴァールは今。
「炎を、斬った――!?」
そうやってアダマリアに頼ることなく、セルヴァールは独力で炎の魔法を退けてみせた。
驚愕の声は俺のものか、それとも魔法を放った亡者のものか。
少なくともふたりの人間を戦慄させた獣人は、やはり冗談めかした軽口を叩く。
「そーかそーか、オマエさんの自慢はその『魔法』にゃのか。にゃらおにゃーさんも、自慢の『力』を魅せてやらなきゃにゃあ」
ぎらり、薄闇の中にて鈍く輝くのは、セルヴァールの構えた右腕の『爪』。
短剣よりも更に短い生体の刃は、けれど今はこの世のどんな魔剣よりも恐ろしい刃物に見えた。
「おにゃーさんは
獣人。純人よりも高い身体能力や特殊な身体機能を有する人種。
その獣じみた膂力と鋭い爪とが相乗した結果、炎を切り裂くまでに至ったのか。
そうやって、魔法よりも魔法めいた鮮やかさで炎を切り裂かれ。
あれだけ狂乱していた戦士の亡者も、流石に狼狽の気配を見せた。
「く……半獣如きが我ら純人の智慧を退けるなど、ありえん! 炎よ、もう一度――」
それは焦り故の反射なのか、それとも不屈の闘士ゆえなのか。
男は再び短剣を構えた。ばちり、また火花が散って。
――瞬間、息を呑む音がふたつ。
セルヴァールが、居ない。
「え――!?」
「な……!」
魔力による火花が散る一瞬、それに目を取られた一瞬。
そのたった一瞬で、セルヴァールはどこかへ消えていた。
ああ、姉さんに聞いた事がある。凄腕の戦士の踏み込みの速度は、常人にはとても目で追えないのだと。
けれど、これは……たった一瞬で音もなく、移動先さえ分からぬ速度で姿を消すというのは、それこそ魔法じみていて。
反射的に、俺も戦士の亡者も慌てて周囲を見渡す。
彼女は一体、何処へ――。
「――そんで。右の脚での踏み込みは、純人なんぞが追い付けるほど甘くにゃい」
二階、男の背後。
初めからあった影のように、セルヴァールはそこに立っていた。
残像ひとつ残さず二階まで跳躍し、足音ひとつなく背後に回る――肉食獣の恐るべき俊敏性。
俺でさえ総毛立つ思いだったのだ。背後を取られた男の心臓は凍り付き、驚愕に言葉を失ったに違いない。
だが、それでも。
セルヴァールもまた失念していたのかもしれない。男が魔法だけでなく……呪文の詠唱を必要としない短剣を、その手に握っていたことを。
「ッ――ぬかせ、間合いだ!」
鋼刃、疾走。
男によって振り向きざまに振るわれた短剣の軌道は、咄嗟の行動にも拘わらず、正確にセルヴァールの頸を捉えるものであった。反応、技量、闘志、全てが熟達の戦士のもの。
対し、セルヴァールも右腕を振るう。その動体視力と反射神経を以て、振るわれた短剣の軌道に重なるように、素早く。
獣爪、疾駆。
そうして、両者の斬撃が交差する――その様に、俺は鍔迫り合いを予感した。
けれど、現実は。
――斬。
鈍い斬撃の音と共に、戦士の亡者の頸が半ばから裂けて血を噴いた。
対し、セルヴァールは……無傷。
からんからん、と。床に落ちるのは、何枚かの板に裂かれた短剣の刀身だったもの。
交差の一瞬。
炎を裂いたセルヴァールの爪は、人体を当然として鋼の剣さえも容易く切り裂き。
そうして刀身を失った短剣は、セルヴァールの頸を掠めることすら叶わなかった。
ああ――人を下した半獣の目は、怜悧に。
「言っただろ? 『剣よりスパッと切れる』ってにゃあ」
「ごぷッ――この、穢れた種族、ふぜい、が……」
「にゃあ、最期まで
恨み言などまるで意に介さず、くるり、セルヴァールが背を向けて。
どちゃり、戦士の亡者が血に沈む。その体が色褪せ、灰となって崩れ消えていく。
即死だ。
セルヴァールがその獣の右脚で飛び掛かってから決着まで、数秒と経っていないだろう。
それほどの早業、瞬く間の出来事であった。
――強い。
ともすればアダマリアさえ彷彿とさせる程の、強さ。
戦いは終わった。
砦内に戻る沈黙。終わったぜー、なんてセルヴァールの気の抜けた声。
けれど、戦いにも死にも慣れていない俺は、すぐに意識を切り替えられなくて。
消滅した亡者の放った最期の言葉が呪いじみて、俺の耳にべっとりとこびりついていた。
「あ、ありがとうセルヴァール、俺たちを守ってくれて。けれど、その、『穢れた種族』って一体……? それに、『悪王軍』って……?」
戦いの中で発せられた、俺の知らないふたつの言葉。
それについて条件反射的に問えば……セルヴァールは驚愕に目を見開いた。
「え。レイっち知らねーの? 一体どこの箱入りにゃんだいキミは。悪政獄ってそーゆ―トコ?」
ああ、そういえば、まだセルヴァールには言っていなかったか。
「えっと。俺には現世の記憶が無くて……現世の知識は、全て姉さんに教わったんだ」
「現世の記憶が……? ふむう、まあそーゆーコトもあるか。んで、
「?」
「キミの姉君がどういう説明をしたかは知らにゃいけど。
現世では、獣人は『穢れた種族』とか『呪われた種族』と呼ばれてる。理由は獣人と交わると、生まれた子供は三代に渡って魔法が使えにゃいからにゃ。当然純粋な獣人も魔法の類は使えにゃい、ていうか
それに獣人は基本純人より頭が悪くて力が強い――つまり野蛮にゃから、穢れた種族とかって差別されてんだにゃ。現世の大半の国じゃ、獣人にゃんか奴隷身分かそれ以下にゃ。多少力が強くたって、純人の数と頭脳の前じゃとうてい勝ち目が
それは。
あっけらかんと語られたそれは、けれど簡単に受け止めきれぬほど重い内容で、俺は閉口せざるを得なかった。
慰めるべきか。同情を示すべきか。あるいは笑い飛ばすべきなのか。こういうときに何を言えばいいのか、数年しか培っていない自我ではまるで分からなくて。
だから、言葉を返したのはアダマリアだった。
「は。魔法なぞ、純人にとっても百人千人にひとりの素養と聞くがな」
「いやいや。アダマリア様が死んだ年代は知らにゃいけれど、今は魔導器ってのがあってにゃあ。そっちを使った『魔術』の方は、使い手を選ばにゃいんだぜ……ま、その分おにゃーさんたちの時代は、獣人差別が酷かったんにゃけど」
はーやれやれ、なんて軽い仕草で誤魔化しているけれど、俺にはセルヴァールの境遇が、その態度通りの軽いものだとは思えなくて。
純人なら誰でも『魔術』が使える時代に、それを行使できない獣人。
俺には現世のことはとんと分からないが……それが何を生むのかは容易に想像できた。
分断。軋轢。差別。迫害。
けれど、それが悪だと言い切ることもできない。やってはならない。
その場にある心を否定する権利など、当事者ならぬ俺にはないから。
だから、俺がセルヴァールの言葉に思うのはひとつだけ。
――なんて、悲しい。
言葉も通じるのに。触れることも、交わることもできるのに。
種族が違うと言うだけで、心が隔たる。話し合えるのに、分かり合えない。
そうなってしまうのが現実というモノならば。
ソレはなんて悲しくて。
なんて救いのない、世界。
ともすればそう、現世も地獄とまるで変わらぬと、そう言われているような気さえして――。
ああ……下腹に鉛でも詰められたような、気分。
それを少しでも誤魔化したくて、俺は少し強引に話題を逸らす。
「ごめんセルヴァール、言いづらいことを訊いてしまって。それで、『悪王軍』については――」
「……あー、そのハナシは気分じゃねーや。また暇な時に、にゃあ」
「え」
ふい、と。
セルヴァールはそっぽを向いて、そのまま砦内の隅っこに腰を下ろした。
そして四足で伸びをし、右腕を舐め、自分の尻尾とじゃれ合い始める。
暇な時って今がそうじゃないのか、と、そう言いたくなるような気ままさであった。
いや、分かっている。それは方便で、余り口にしたくないことを誤魔化したのだということは。
けれど……それはそれで奇妙ではないか。
だって、セルヴァールは獣人についての問いには答えてくれたのだ。純人の俺には特に言いづらかっただろうに、快く。
なのに『悪王軍』について説明することが、自分たちが差別されていたことを告白するよりも気分が乗らないとは……それは一体、どういうことなのだろうか。
その『悪王軍』とセルヴァールには、何か差別以上の確執が存在するのだろうか……。
そうやって立ち尽くしたまま、うんうんと頭を捻っていると。
不意に、隣のアダマリアに囁かれた。
「――は。小僧、貴様も存外役に立つな」
「え?」
セルヴァールに聴かれないよう声量を抑えた、覇気と蠱惑とが入り混じる声。
その声に振り向けば、眼前、絶世の美女は大罪の化身に相応しい邪悪なる笑顔で。
「貴様は今、はらわたを隠す毛皮の層を一枚一枚剥がしている。自覚はしておらんようだがな。私には耐えられぬほどの細々とした作業だが……くく、偶には待つのも悪くない」
「アダマリア、急に何を言って……? というか、俺がセルヴァールを優先したせいで機嫌を悪くしていたんじゃ……」
「な、別に悪くしておらんわっ。私が嫉妬心を起こしたみたいな言い方をするなっ、本当に不敬よな貴様は! 全く、不敬すぎてうっかり頸を捩じ切るところだったぞ」
「ご、ごめん。ありがとう捩じ切らないでくれて」
慌てて謝れば、アダマリアは憮然としながらも、何とか許してくれたようだった。
「ともかく、貴様は今まで通り、私を不快にさせぬ範囲で好きにやればよい。ただし、くく――その果てに待つ獣のはらわたは、私の好きにさせて貰うがな」
言って、彼女もまた砦の中へ歩を進める。その身に宿る罪のひとつ、倦怠の享楽に耽る為に。
その細い背を見送りながら、俺は脚元から這い上がってきた言い知れぬ不安に支配されていた。
アダマリアはセルヴァールを嫌っていたハズだ。実際セルヴァールが同行を始めてから、アダマリアの機嫌は露骨に悪くなり、その口数はめっきり減った。
だが、今はどうだ。彼女はその口元に普段の微笑を取り戻すどころか、普段よりも上機嫌にさえ見える。
その様子は、そう……彼女があの重瞳の男、コーダウと相対した時を思わせるもので。
……だけど、あの時とは違う。
だってコーダウのときのように、アダマリアとセルヴァールが敵対する理由がない。少なくとも、今のところは。
だから、きっと大丈夫だ。
あの時と同じように――彼女らのどちらかが死ぬような、そんな展開にはならないハズだ。
胸に去来した嫌な予感を突貫工事の理屈で否定して、俺はアダマリアの背に続いた。
セルヴァールの案内が始まってから数時間……未だ戦争獄の踏破には程遠く、戦場にすら辿り着いていない。
まずは休んで疲れを取り、何が起きても対応できる英気を養わなくては。
「疲れない人間なんていない。自分を癒す手段を愛せ、だよな」
俺はアダマリアの言葉を口の中だけで反復して、腰を下ろせる場所を探すことにした。
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