戦争獄の案内人
「おにゃーさんの名はセルヴァール。よろしくにゃあ? お二人さん」
突如として現れた謎の亡者は、そう悪戯っぽく名乗りを上げた。
それは、余りにも突っ込み所の多い自己紹介であった。
ヒトとも獣とも言えない異形の亡者。
嗚呼、確かに伝え聞く獣人とは、名の通り獣の顔と、その身体的特徴を有する人種だという。
だが……獣の耳が生えた頭頂に、されど獣の頭ならぬ純人の顔を併せ持つとは、一体どういう種族なのか。
『おにゃーさん』とは、『お兄さん』と『お姉さん』のどちらが訛った一人称なのか。
そして、何が「よろしく」なのか。
ぐるぐると頭の中で疑問符が回り……ほとんど意味も分からないまま、俺は復唱するみたいに言葉を返す。
「えっと、『よろしく』……?」
果たして、俺の困惑をどれだけ正しく受け取ったのか。
謎の亡者はやれやれと頭を振る。
「おいおい
「俺たちの、護衛を……?」
「そうそう。ああ、別にお礼は要らにゃいぜ。弱者を守るのは強者の義務ってモンだからにゃあ」
表情を二転三転させつつ、最後には胸を張って笑いながら肩まで組んできた謎の人物――セルヴァール。
初対面ながらべたべたと絡んで来る人懐っこい仕草、ふんすと鼻を鳴らす姿から放たれる愛嬌は、やはり俺の警戒心を弛緩させて。
「護衛」というその言い分も相まって、俺はすっかりセルヴァールへの警戒を解きかけていた。
だって。
(護衛……そうか、アレは、純粋に俺の窮地を救ってくれたのか)
俺は既に、セルヴァールに一度命を救われている。
3人組の獣人に襲われた際。そのうちのひとり、鶏冠兜の
あれが無ければ俺の体は今頃、灰になって崩れていただろう。そんな危機から救ってくれたセルヴァールの言い分は、それだけ信用度を増していた。
更に、もうひとつ。
(セルヴァールは『腕輪』について何も言及して来ない。それを報酬として要求したいから護衛する、というわけでもないらしい。アダマリアの両腕にある手枷が『腕輪』だと見抜いている様子は無いし……そうだ、あの獣人の3人組には『腕輪』の交換を見られたせいで襲われた。でもセルヴァールがそれを見ていないとしたら、俺たちが『腕輪』を持ってるとは知らない……? アダマリアも外見じゃ強さが分かりづらいし……純粋な厚意で、俺たちの護衛を申し出てくれている?)
今地獄の全土は、『恩寵争奪』の真っ最中。
復活の奇跡を得るため、あらゆる亡者が狙う『八つの腕輪』……それをふたつ所持している俺とアダマリアは、ほとんど全ての亡者にとって垂涎の獲物に他ならない。
当然このセルヴァールも、『腕輪』を――復活の奇跡を欲さないなんてことはないだろうし……あるいは『腕輪』を狙って俺たちに近付いてきた、という可能性も充分にありえる。
だが……それにしては『腕輪』のことを口に出さないし、アダマリアの両腕に嵌まったふたつの手枷の正体に気付いている様子もない。当然、『腕輪』どころか片輪の手枷を嵌めている、なんてこともない訳で。
ならば。命の恩人でもあるのだし、ここは信用してしまってもいいのではなかろうか。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、セルヴァールは人好きのする笑みを浮かべながら俺に問うてくる。
「ホラ、少年。これから長い付き合いににゃるかもにゃんだ。キミの
……まあ、それくらいなら迷う事もないか。
「ああ。俺はレイ――」
「小僧!」
だが。
美しいながらも尊大で鋭い怒声が、俺の名乗りを遮った。
そのまま腕が掴まれ、ぐんと強引に引き寄せられる。物凄い力。
そうやって俺を、ほとんどセルヴァールからひったくるように抱き寄せたのは……アダマリア。地獄の底の怪物にして、俺の旅の唯一の道連れ。
人心を蕩かせるその美貌は、けれど今は、諸人を恐怖させる怒気で壮絶に歪んでいた。
「莫迦めが。貴様がどこで野垂れ死のうと興味は無いが……一体どういう神経をしていたら、その醜い獣を信じる気になれる? 愚かを越えて不愉快だぞ、道化なら不快な姿を見せるでないわ」
そうやってアダマリアが睨むのは、唐突に罵倒され「参ったな」と頬をかくセルヴァール。
「いやあ、ひっどい言われようだにゃあ。一応、おにゃーさんはそこの少年の命の恩人にゃんですけれども……えっと、とりあえず『レイっち』って呼んでイイ?」
「え? あ、ああ。構わないけど」
「小僧ッ」
再びアダマリアの、俺より遥かに強く知見が深い彼女の叱るような怒声が飛ぶ。
けれど、俺にも思う所はあった。
「アダマリア、セルヴァールが俺の命の恩人ってのは本当だ。彼女が居なければ――」
「んにゃ?」
『彼女』でいいんだよな、とその可愛らしくも凛々しい姿に迷いつつ……ちらり顔色を伺うが、訂正の声が飛んで来る気配がないので、とりあえずそのまま言葉を続ける。
「……彼女が居なければ、俺は刺突をもろに受けて死んでいたかもしれない。だから、彼女がこちらに敵意がないと言うのなら、俺は誠意で返したい」
そうだ、例えどんな思惑があれ、命を救われたのは事実なのだから。
そのことに感謝をすべきだし、その恩には報いるべきだろう。
そう、自分なりに結論を出せば……セルヴァールが分かりやすく感動の声を上げた。
「レイっちぃ……! うにゃー、尻尾にピーンと来たぜ。おにゃーさんキミのコト気に行っちゃったー、耳触るのも許しちゃう」
「え? あ、ありがとう?」
「にゃっはー、その
にこにこと。
あくまで軽快に笑いながら、セルヴァールはアダマリアへ手を伸ばす。軽率に触れるのではなく、騎士のエスコートめいた仕草で手を取って下さいと言いたげに。
「おにゃーさん的にはアナタ様ともお近づきになりたいんにゃけどにゃー。地獄に咲く一輪の花のように優美壮麗な大角を持つ、美しい御方?」
その気障な騎士めいた仕草は、口の上手さのせいか俺の目にはかなり魅力的に映ったけれど……アダマリアは思いっきり顔を顰めた。蠅が集った腐臭物でも見たかのような表情だった。
「は、耳が腐るな。それ以上寄るなら殺してやるが?」
「ちょ、ちょっと、アダマリア……」
かつてないほどの嫌悪感を露わにしたアダマリア、その言動でセルヴァールが気分を害しないかと、俺は慌ててふたりの間に割って入って。
けれど、セルヴァールは耳をピーンと立ててにんまりと笑った。
「にゃっはー、アダマリア様とおっしゃいますか、美しい御方」
「ちッ、小僧……!」
「あ……ご、ごめんアダマリア……!」
貴様のせいで名を知られたではないか、という怨念の視線を受けて、俺は慌てて謝罪する。セルヴァールに恩があるのは確かだが、アダマリアにも大恩があるのだ。彼女が名を知られたくないと言うのなら、俺もそれを尊重するべきだったかもしれない……最も、全ては後の祭りだが。
それを証明するように、セルヴァールはうっとりと目を輝かせながら。
「やっぱり美しい女性は、名前も美しいもんなんだにゃあ。アナタ様の前じゃあ、翡翠や碧玉でさえまるで見劣りしてしまうでしょうにゃ。しかもしかも、『最初の女』と同じ名とは縁起がいい。にゃんというか、綺麗を通り越して神聖さすら感じますにゃあ」
「……」
(『最初の女』……?)
つらつらと紡がれる美辞麗句を受けてすら、アダマリアはさも虫の羽音でも聞いているかのように不快気に顔を顰めたまま。そんな彼女の様子よりも、俺はセルヴァールの言ったその言葉が気になった。
『最初の女』……確か一度、姉さんに語ってもらったことがあるような。
そうだ。聖典に納められた、人類の始まりを語った話、だったろうか。
話の題は、確か――。
「――しっかし、にしたって嫌われたもんだにゃあ……
「あ――えっと、ごめんセルヴァール。アダマリアは、その、気難しいところがあって」
「いいじゃん、気位が高い女性は好きにゃぜ? だからこそ嫌われたくにゃいんだけどにゃー……ああ安心しにゃレイっち、おにゃーさんはさり気に慰めてくれる優しいレイっちも好きにゃからさ☆」
ばちこん、と大きな瞳で綺麗にウインクを決めるセルヴァール。
その愛嬌たっぷりの仕草、ぐいぐいと肩を組んで来る独特の距離感に、すっかり考え事など忘れさせられて。
「えっと……ありがとう?」
「にゃっはー、反応がカワイイにゃあこのこのぅ。あーあ、ココが現世ならにゃあ。このままお持ち帰りして、朝まで慰めてもらったりできたんにゃけど――」
言っている事の意味だって半分くらい分かっていないけれど、この振り回されるような感覚は、少しアダマリアと似ているかも、なんて……。
けれど、そう思っていたのは俺だけだったらしく。
「……貴様、本当に死にたいか?」
そんな、傍で見ているだけでも身震いするような怒気がセルヴァールに叩き付けられ。
彼女は慌てて俺から離れ、降参とばかりに両手を上げた。
「おーおっかにゃい。にゃんだよ、
「えっと、セルヴァール。俺とアダマリアは――」
「は、ソレで構わんからどこぞに消えろ。その悪臭が匂わん場所までな」
「うひゃあ、厳しいにゃあ」
「あ、アダマリア……?」
余りにも手厳しい言葉と視線に、がっくしと肩を落とすセルヴァール。
そんなふたりのやり取りを前に、俺は困惑に包まれる。悪臭など漂っていないから、という理由だけではない。
アダマリアは確かに善人とは言えない存在で、人間をゴミ同然に扱う場面も多く見て来た。
けれどそれは、彼女の持つ強大な力と、それに付随する自尊心が故の態度であろう。俺だって自分が竜に生まれていれば、地を這う虫に敬意など持てなかっただろうし。
だから、俺は当惑したのだ。
人間など及びもつかぬ強大な力を持つアダマリアが……他人を嫌う、など。
銀糸の髪を翻し、彼女はセルヴァールから離れるように歩き出す。
「行くぞ小僧」
「あ、ああ……その、セルヴァールは?」
「捨て置け」
取り付く島もない、とはこのことだった。
一体、何をそんなに怒っているのか。
セルヴァールの何がそんなに気に入らないのか。
そして、そんなにも気に入らないのなら、なぜ襲いも殺しもせず放置するのか……。
俺にはアダマリアの態度がひとつも理解できなくて、彼女を追う為の足は遅れて。
だから、アダマリアを呼び止めたのは俺ではなかった。
「そんなぁ、ちょっと待ってくださいにゃお二方~。こっから先は危険だぜ? 悪鬼もヤバい亡者もうじゃうじゃ居るし、何かの間違いで戦場に出ちまったら大事にゃ。この『戦争獄』を安心安全に進みたいにゃら、
提案に、アダマリアが耳を貸すことはない。
けれど、だから。俺は暗中に身を放り出すような覚悟を以て口を開く。
「アダマリア、俺は……」
「……は。つくづく愚かよな、貴様も」
それだけで俺の言わんとすることを理解したのだろう。
アダマリアは顔半分だけこちらを振り向き、金色の瞳で俺を見た。その口元には、いつもの余裕の含み笑いは浮かんでいなくて。
怒り、苛立ちというよりはどこかつまらなそうに、彼女は言う。
「別に、誰が私が歩んだ道を追従しようが勝手ではある。叛意があれば殺す、なかろうと気分次第で殺す……それだけの話ゆえな。
だが、小僧。私は貴様がその醜い獣に背後から襲われ喰い殺されようが、一切助けんし手も貸さんぞ。それでいいと云うのなら、私の言に背くがいい」
それは、脅迫めいた声音でこそあったものの……その実忠告であるのだろうと、俺の頭でも理解できた。
剽軽な態度の為つい忘れてしまいそうになるが、セルヴァールが獣人をも凌駕する戦士であることは、この眼で見た以上疑いようもない。
つまり、セルヴァールに預けた背を襲われた時……例えアダマリアであろうとも、凶行を止められる保証はないだろう。
それでもいいなら好きにしろ、と。そう、アダマリアは言ってくれているのだ。
罪の化身たる怪物の見せた、迂遠な優しさだろう忠告を受けて。
けれど、俺は。
「……分かった。よろしく、セルヴァール」
セルヴァールに、脆いこの手を差し出した。
正直、この選択が正しいと断言することはできない。
そもそもアダマリアが居る時点で、護衛や案内が必要な場面などほぼ無いだろうし。
それに護衛役を無償で、というのも怪しむ理由には充分な気がする。
上記のことと、恩義があるから無碍にしたくない、という俺の感情とを天秤に乗せた時点では、天秤がどちらに傾くかは分からなかった。
だから、最後の決め手があるとするなら――。
悪いひとには、思えない。
そんな、何となくとしか言えないような直感だった。
それでも、選択は結果を呼んで。
目の前に差し出された俺の手を見て、セルヴァールは頭頂の獣耳をぴぃんと立てて破顔した。
「おぉう、今の流れでおにゃーさんを選んでくれるとは!」
ぱしん、とセルヴァールが俺の手を握る。
左右で違う腕のうちの左、人間のほうの腕だ。しなやかで、一見して今まで襲って来た戦士たちのような太さはない。触れた体温は少し高く、けれど熱いは言えない優しさで。
それに安心した隙をつくように、セルヴァールはぐわんと俺の肩に腕を回して来た。そのままわしゃわしゃと俺の頭に頬を擦りつけながら、見るまでもない上機嫌の声で。
「実に気に入ったぜレイっち、その度胸と度量がピンと来た! こうなっては仕方がにゃい、耳どころか全身どこでもモフってイイぜと、おにゃーさんがお墨付きを与えましょう」
「……ええと。よく分からないけど、俺たちを案内してくれると嬉しい」
「にゃるほど、レイっちはお楽しみは後に取っとくタイプだにゃあ? ならばおにゃーさんに任せにゃさい、さっさと戦争獄を
俺を右に左に揺らしながら高笑いするセルヴァール、かなりの力強さに必然されるがままの俺、そして一層不機嫌になったのが一目で分かるアダマリア。
随分と賑やかになった一行は、戦争獄の奥を、生き返りの奇跡を目指して進む。
その先に待つものとは、抗い難き戦争の猛威か、それとも血を伴った裏切りか……果たして。
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