戦争獄の洗礼と獣人の戦士
「ぜああああ!」
野太い裂帛の気合と共に、鈍い刃が振るわれる。
その両刃の刀身に歴戦の証を刻んだ
振るうは戦士の太い両腕。技は大上段からの降り下ろし。
全霊の力を乗せた一撃は、きっと同じ剣を持っていても生半な力では受けきれず、構えられた木盾程度なら粉砕し敵の肉骨を断ったであろう。
嗚呼、けれど――それが彼女の前で、どれだけの意味を持っただろうか。
「邪魔だ」
戦場に響くには余りに軽く、余りに美しい声と共に。
乱雑に振るわれた女の腕が、振り下ろされた剣を容易くへし折り、その使い手たる亡者さえを二つに裂いた。
否、それは裂いた、ではなく炸裂だった。
何故なら受けた亡者の胸下から腰上までが血霧となって消滅し、残った上半身と下半身がてんでばらばらに吹き飛んだのだから。
浅黒い肌をした中年の戦士。空中で灰になって消えるその最期の顔は、苦悶というよりは驚愕に目を見開いているように見えて。
戦場にて無双する異形の美女。
その肌はなまくらな刃など通さぬ、竜の鱗の硬度を持ち。
その腕はたった一触で人体を紙細工が如く破壊する、巨人の剛腕の力を持つ。
ああ、その細腕が飛来した矢をなんでもないように掴み、手首の力のみで投げ返す……それだけで遠間に居た弓兵の頭部が、果実が弾けるみたいに消える。
その尾が槍兵の腹を貫いて絶命させ、その蹴りが大盾ごと戦士の上半身を消し飛ばす。
蹂躙であった。
虐殺であった。
これが返り討ちの光景であると知っている俺ですら、そうと信じれぬほどの惨劇であった。
竜を前にした地虫のように蹴散らされるのは、賊として『腕輪』を奪いにかかった、十余人の戦争獄の亡者たち。
そしてそれを一方的に蹴散らすのこそ、つまらなそうな顔をした人型の怪物――アダマリア。
敵の首を引き抜くときさえ失われぬ魔性の美貌を持つ彼女は、
「は――どいつもこいつも、私が相手する価値もない小粒ばかりとは。このままやっても退屈だ……そうさな、小僧、ここはおまえが戦ってみせろ」
「な、無茶言わないでくれアダマリア! 俺は戦った事なんて……うわっ!?」
横合いから戦斧の一撃が降って来て、俺は慌てて身を引いた。一秒前まで自分の頭があった場所を、残像を割るように重い斬撃が通過する。
背筋を奔る戦慄に理解する。
そうだ、ここは戦地。この場に立つ以上、俺もただの傍観者などでは居られない。
慌てて振り向けば、そこには戦斧を構え直す亡者の姿。
全身を守り切れていない粗末な鎧に身を包み、やはり刃毀れだらけの戦斧を片手にした名も知らぬ戦士は、殺気で濁った眼で俺を真っ直ぐに睨んでいた。
正確には、俺の腕に嵌まった『感謝の腕輪』を。
血走った目で、それしか目に入らぬと言わんばかりに。
「ヨコセ――」
獣の呻きめいたそれは、「寄越せ」、という意味だったのだろう。けれど斧を振りかぶりながら放たれた言葉を咀嚼する余裕など、殺気をぶつけられた俺には無くて。
ぶぉん。刃が肩口すれすれを通過する。咄嗟に身を捩っていなければ、今頃俺の右腕は地面に転がっていただろう。
だが依然、危機は去らない。
今度は横薙ぎに振るわれた斧を、俺は地面に身を投げ出すようにして何とか躱した。
おかしい。襲われてからつい今までずっとあった、アダマリアからの援護がない。
そんな俺の焦燥に答えを示すのは、横合いから飛んで来る嗜虐の声。
「は、意外と躱せておるではないか。そら、次は反撃だ」
「いや、そんなこと言われても! 俺は、くっ、武器なんて持って……!」
二撃、三撃――振るわれる斧が俺の体を掠めるのを、アダマリアは何もせずにやにやと眺めている。
ちらりと横目で見る限りでは、彼女の周囲に最早立っている敵は居ない。つまりこれはただ単純に、俺を見世物にして楽しんでいるのだろうということで。
嗚呼、そんな風にアダマリアへ意識を向けたのが悪かったのだろう。
上段から振るわれた斧の一撃。それに対し、一瞬反応が遅れて。
――斬、と。
咄嗟に体を庇った腕を、鈍い一撃が重く裂いた。
激痛が腕を貫き、舞った鮮血が地面に落ちる。
「ぐぅ……っ!」
覚悟していた以上の痛みに、一瞬体が硬直し。
そして『戦争獄』の亡者とは、それを見逃すほど優しくはない。
「『腕輪』を、寄越せぇ――ッ!」
赤黒い溶岩を連想させる、煮え滾る欲望の叫びと共に。
戦士が俺の腕ごと『腕輪』を奪わんと、あるいは俺の息の根を止めんと、その戦斧を大きく振り被って――。
ぐちゃり、と。
横合いから伸びて来た白い手が、砂山でも崩すような呆気なさで、戦士の頭部を握り潰した。
びちゃり、四散した血が俺の頬を染め。
びくん、と頭部を失った体が一度だけ跳ねて……それで絶命したのだろう。戦士の体は鎧を遺して、色を失った灰となって土に消えた。俺の頬を染めた鮮血もまた、灰となってぽろぽろと剥がれ落ちて。
思わず腰を抜かした俺に……亡者の頭を素手で砕いたアダマリアは、心底呆れたと溜息を吐く。
「時間切れだ、小僧。まったく、貴様はあの重瞳の賊と違って退屈よな。貴様も生き返りを望むなら、武器が無いなら噛み付いてでも戦う、くらいの気迫を見せよ」
「ご、ごめん……」
見渡せば、周囲に他の亡者たちの姿はなかった。
否……あの盛り上がった灰の塊たちこそが、その成れの果てなのだろう。それすら風に攫われ、持っていた武器だけを遺して消えていくのが、過ぎたる欲望の末路なのか。
ともかく、戦いは終わった。
俺は腕に浅くない傷を負いつつも、また生き残れたようだった。
《center》◆◆◆《/center》
地獄の第七層、戦争獄。
そこに足を踏み入れてまず驚いたことは、建造物の変化だろうか。
悪政獄では建物未満の廃墟がぽつぽつと点在しているくらいだったが、この戦争獄では明らかに人工物が増えだした。それも砦、物見櫓、塹壕など……ほとんどがその残骸ではあるが、いかにも戦いで用いるための建造物がそこかしこに建てられている。
それに、地形の起伏も平坦な悪政獄とは比べ物にならない。小高い丘、ちょっとした窪地、干からびた河川の跡……そんな物陰から武装した亡者が飛び出してこないかと疑心に駆られるのは、既にそうやって何度も襲撃を受けた後だからだ。
襲撃で受けた傷の処置を終え、俺はアダマリアの後をついていくために立ち上がる。
幸運なことに、腕の傷は骨まで達してはいなかった。遺灰の中に落ちていたボロ布で仮の包帯を作って巻いておいたので、これ以上悪化することはないだろう。亡者の肉体は頑丈だ。
ただ、亡者にも痛みはある。その証拠に、包帯の下、戦斧の一撃につけられた傷は、ズキズキと骨身を蝕むように体内で響き続けている……。
そんな俺のことを気に掛けた訳ではあるまいが、珍しくアダマリアが独り言めいて声を上げた。
「しかし、戦争獄に入ったのはいいが……随分と賊が多いな。中心部は未だ遠かろうにこの様とは、悪政獄とは亡者の数が桁違いと見える」
彼女が目をやるのは、周囲の灰に還った亡者たち。
彼女自身が殺した、その残骸。
そのことを複雑に思いながらも、俺は彼女の言葉に頷いた。
「あ、ああ。悪政獄は貴族や王族などの為政者、そしてその関係者しか堕とされない地獄だから……他の圏と違って住んでる亡者の数は相当少ないと思う。
それにここ、戦争獄の亡者は皆、武器を持って武装している。きっと悪政獄と違って、武器が簡単に手に入る環境にあるんだ」
「まあ、武器と言うにはかなり粗雑だがな。それに、使い手も大した腕ではない。おおかた、悪鬼に見つからぬよう隠れ住む亡者たちなのだろう……恐怖で心根が萎え切って、動きに精彩を欠いていた。そんな刃では私どころか、道化の命にも届くまい」
噂に聞く戦争獄とは、戦場で亡者たちが殺し合わされる地獄なのだと言う。
だが今、俺たちの周囲に動く影はない。十余人の亡者が殺し合うことを「戦争」とは言わないだろう。きっとここは、話に聞く戦場とは別の場所……戦争獄の外れ、悪鬼に戦いを強要される戦場から逃走した亡者たちが隠れ住む土地なのだろうというアダマリアの推測は、恐らく当たっていると思う。
現に、戦争獄に入ってからまだ悪鬼の姿を見ていない。きっとここらは俺が住んでいた集落と同じ、悪鬼の巡回ルートの外にあるのではなかろうか。
そんな考察を喉奥にしまい込み、俺は歩き出したアダマリアの後に続く……と、アダマリアが怪訝そうに声を上げた。
「……小僧。貴様、武器を拾っていかんのか?」
「え……あ、そうか。護身用に、ひとつくらい武器があった方がいいよな」
「……」
戦士たちの遺灰に半ば埋まるように地に伏した、武器。
ほとんどはアダマリアの手によって砕かれているが、中には原型を留めているものもあった。俺の腕を切り裂いた、傷だらけの戦斧もそのひとつだ。
ここはもう悪政獄とは違う。
今後も『腕輪』を守り抜くためにも、相手の刃を受け止められるだけの武器は必要かもしれない。
……ああ、『腕輪』と言えば。
「そうだ、アダマリア。相談があるんだけど……『腕輪』を預かってくれないか? たぶん、これが亡者たちを呼び寄せてるんだと思うんだ」
この戦争獄に入ってから、既に複数回に渡り亡者たちの襲撃を受けている。
その度にアダマリアが返り討ちにして来たのだが……それにしたって襲われる頻度が高すぎる。その原因は、恐らく、俺の手首で光り輝く『感謝の腕輪』。
その輝きに、アダマリアも俺の言わんとすることを理解したのだろう。その金の眼を細め、鷹揚に頷く。
「……ふむ。『腕輪』を非覚醒状態にして隠匿するという事か」
『恩寵争奪』で奪い合う『八つの腕輪』は、それぞれ八つの美徳の名を冠する。そして刻まれし美徳を持つ者が『腕輪』を持つと聖気を放って光り輝き、そうでない者が持つと聖気をほとんど感じられない壊れた手枷と化す――これをアダマリアは「腕輪の覚醒・非覚醒」と呼んでいる。
この仕組みを利用すれば、今よりも確実に『腕輪』を隠匿できるはず……というのが、襲撃を受ける内に固まった俺の考えだった。
「確かに『腕輪』が放つ聖気は、かなりの距離からでも感じ取られてしまう。今のままでは、『ここに腕輪があるぞ』態々と喧伝して回るようなものだとは私も思っていた。
それに非覚醒状態の姿である汚い手枷と、奇跡の結晶たる『八つの腕輪』を結び付けられるのは、既に『腕輪』を持っている者に限られるだろう……まあ、貴様にしては中々頭を使った提案だ。確かに、亡者共に襲われる回数はずっと減ろうな」
そうだろう、と俺は少し誇らしい気持ちで頷いて。
「だが、ううむ……この私が矮小な人間どもを欺くために、そんなみみっちい真似をせねばならんというのは、どうにもな……」
急に話の風向きが怪しくなった。
どうやらアダマリアの
だが、武装した亡者は俺にとって充分脅威だし恐怖なのだ。
俺は慌てて、唸り出したアダマリアの説得にかかる。
「い、いや! アダマリアが強いのは俺もよく分かってる。でも、避けられる戦いは避けるに越したことはないだろう。きみだって、際限なく賊に襲われ続けるのは……そう、面倒なんじゃないか?」
悪政獄で見た、アダマリアの一面……『倦怠』。
それを思い出しながら口を回せば、彼女は少し考え込んで……不承不承、といった具合に、それでも確かに頷いた。
「……ふむ。仕方ない……ここは貴様に乗せられてやろう」
「ありがとう。それじゃあ、これはアダマリアが持っててくれ」
俺はホッとして、アダマリアへ『腕輪』を渡す。
アダマリアが手に取り、俺の手が放れる……その瞬間、『感謝の腕輪』は急激に輝きを失い、薄汚れた片輪の手枷に変身した。
これで周囲に聖気を撒き散らすこともないし、外見でも『腕輪』と疑われる可能性は低くなる。
「……」
ただ受け渡す途中、何故かアダマリアの金の眼が俺を睨んでいるような気がしたが……そうされる理由など思いつかないので、きっと気のせいだろう。
「よし、これで――」
アダマリアの腕に嵌まった『腕輪』が、聖気を放たない手枷状になったのを確認し、俺は「これで無暗に襲われることはない」と、ひと安心して安堵の息を吐き――。
「――見たぞ!」
突如として降ったそんな大声が、俺の安堵を彼方の果てまで吹き飛ばした。
慌てて声の方を振り向く――そこに居たのは、3人の亡者。
どどーん、と。
いつの間にやら立っていた彼等は、けれど明確に俺たちに向かって指をさしていた。
「今、確かに見たぞ! 神託にあった『八つの腕輪』っぽいものをどこかに隠したな!」
「はっきりとは見えませんでしたが、さっきまで感じられていた聖気が突然消えました」
「でもでも、この辺には他に誰も居ないしー。あんたらが『腕輪』を持ってることはバレバレなんだなー」
獣耳の付いた古代兜、鶏冠に飾られた騎士兜、角の生えた聖騎士兜……三者三様の
武装した姿、言動。彼等の正体は、最早誰何の声を上げるまでもない――。
「また賊か……!」
「――ほう。今度のは、中々骨がありそうではないか」
身構える俺、そして口元に手を当て余裕の含み笑いを隠すアダマリアの前で、彼等は台詞の順番を決められた演劇めいて続けざまに声を上げる。
「言え! オマエら、『腕輪』をどこに隠した!」と、熱血漢めいた叫び声。
「もしかして、その手枷が実は『腕輪』だったりするんでしょうか?」こちらは知性を感じさせる慇懃な声。
「よくわかんね―けど、とりあえず奪えばいんじゃねー」そして、緊張感に欠ける間延びした声。
……なんだろう。個性的な3人の息が合い過ぎていて、逆に気が抜けてしまうこの感じは。
そんな風に気を緩めた俺に対し……けれどアダマリアは、普段の悪逆非道さを忘れ去ったように、俺を庇うようにして前に出た。
「死にたくなければ下がっておれ、小僧。奴等は今までの木っ端とは格が違うと見た……巻き込んで殺さぬ保証は無いぞ」
「え――わ、分かった……!」
どうやらアダマリアの金の瞳には、彼等は相当の強者に映ったらしい。
俺には相手の強さを判別する力など無いが、彼女の言う事ならきっと間違いではないのだろう。俺は素直に、三人組の賊から目を逸らさず後退る。
そんな俺とは対照的に、アダマリアは三人組の方へ一見無防備に歩を進めた。
「貴様らの推察通り、我が両腕に収まりしは『八つの腕輪』。生き返りの奇跡が欲しくば、そら、私とここで殺し合うしかなかろうよ」
ちゃり、とアダマリアの細い手首、そこに嵌まった片輪の手枷が誘うように鳴って。
それが開戦の合図となった。
「言ったな! ならばこちらから行くぞ! オレの
まずアダマリアへと襲いかかったのは、熱血漢めいた獣耳兜の亡者。
彼がその両腕で振りかぶった武器とは、アダマリア(人型)の身長にも匹敵するのではないかという異様な刀身の長さを誇る、磨き抜かれた両刃直剣。
常人では持ち上げることさえ難しいだろうそれを――獣耳兜の彼は木刀でも振るうかのように軽々と掲げ、そのままアダマリアなど飛び越す勢いで跳躍する。
それは、異様に長い刀身に宿った重量、それを軽々と振るう剛腕による乾坤一擲の斬撃に、更に落下による下方向への力を加えた一撃。
相応しい形容は切断ではなく両断、いや轟断か。
地さえ砕くだろう長剣は、荒々しく弧を描いてアダマリアを襲う――!
ずがん――!! なんて斬撃に似合わぬ重い異音が、地を砕きながら炸裂し。
嗚呼、けれど……誰が予め、その光景を予想しただろう。
地を砕いたのが、その長剣の刀身ではなく……衝撃に沈んだアダマリアの脚で。
そして肝心の刀身は、アダマリアの構えた細腕に難なく受け止められているなど。
「ふ――悪くない、腕が痺れたぞ」
「なに!? オレの
獣耳兜の彼が驚愕に叫ぶのも無理なからぬことであろう。
まさか、渾身の力に落下の勢いまで加えた
ぐん、と刀身ごと獣耳兜の体が押され、彼は体勢を崩しながらもなんとか転ばず着地した。
大剣と素手で、素手が押し勝つ。明らかに常軌を逸した光景だが、俺はこのアダマリアの常識外れな部分に、少し慣れ始めてしまっていた。
体勢を崩した以上に、驚愕が大きかったのだろう……即座に追撃に移れない獣耳兜の横をすり抜けるように、次なる刺客がアダマリアへ向かう。
「強力な一撃が通じないのであれば、高速の連撃で翻弄するまで! 私の
頭頂から
振り回せばしなる程に細く鍛えられた刀身に刃はなく。その代わりなのか、恐ろしいほどに尖った戦端が光を反射してぎらりと輝く。
それは極限まで軽量化された、刺突に特化した異形の剣。そんな剣を片手に、鶏冠兜は風のように素早く距離を詰めてアダマリアへ刺突を繰り出す――!
ぴゅぴゅう、と。風音にも似たそれは、幾重にも重なった刺突音。
秒間10か、20か。ともかく、鶏冠兜の細剣はそれほどの勢いで空を奔った。
余りの速度に、残像で腕が何本にも増えて見える程の連続刺突。ただでさえそれほどの連撃なのに、『線』ではなく『点』を攻撃する刺突の特性上、見切るのは殆ど不可能と言えた――。
――きっと、アダマリアが相手でさえなければ。
ぴたり、と。
鶏冠兜の動きごと、
見れば……アダマリアの白魚の指が、まるで野花の茎でも摘まむみたいに、その切っ先を正確に抓んでいた。にたりと嗤い、艶やかな口唇が意地悪く言う。
「ほう。中々に
「そ、んな……私の
愕然と、鶏冠兜が戦慄を溢す。
そもそもあれだけ連発した刺突は、アダマリアの体を一度も掠めてさえいない。難なく躱され、見切られ、しまいには突き出した切っ先を抓まれた。
いや……それだけではない。指二本で優しく抓まれているだけで、細剣は空間に固定されてしまったようにびくともしない。全身の力を使って剣を引こうとしても、毛ほども動く気配がない。
そんな彼への助け舟は、地をごりごりと削りながら現れた。
「うおー、ボクの
3人目、角兜の亡者の得物とは、他ふたりと同じような刃物ではなく……その全身を覆い隠して尚余るほどの威容を誇る巨大な大盾であった。
分厚い金属によって形成された城壁めいた大盾、大砲さえ跳ね返せそうなその表面には、
それを猛牛の角に見立て、力任せの突進が迫る。
硬い大地に深い轍を刻みながら走るその威容とは、きっと森の木々さえ薙ぎ倒す恐るべき兵器そのもので――。
大盾、アダマリアに正面衝突。
ずどん、と地が揺れるほどの衝撃が、離れた俺にまで伝わって来て。
けれど……当然のように。
細剣を抓んだのと反対の腕、つまり片腕のみで、アダマリアは大盾の突撃を受け止めていた。一歩さえ、その体は後ろに動いてなどいなかった。
「ふむ。突進の勢いは悪くないが……貴様の本分は守りの方にあると見た」
「げー、びくともしねー!」
力に自信があったのだろう、
細剣と大盾、それぞれを片腕ずつで難なく受け止めたアダマリア。
その腕が動いた。
ぶん、と。
実に軽い動きで、アダマリアの細腕が掴んだ剣と盾を空中に放る。
すると細剣と大盾は、掴んだ亡者ごと高く高く宙を舞った。最初の獣耳兜の大剣使いが見せた跳躍、その3倍はあろうかという浮遊だった。
ああ、あの高さまで放られたのが俺であれば、間違いなく無事では済まなかっただろう。
だが……ぐるん、と。
鶏冠兜と角兜は、どちらもその武器を手放すことなく、空中で姿勢を正し。
そして、見事に両脚から着地してみせた。
ほう、とアダマリアが感心に唸ったのも無理はない。
脚のバネで落下の衝撃を殺し切ったことが、遠間の俺からでも理解できる動きだった。
そんなこんなで、元通りの遠間で3人が並ぶ。
まるで振り出しに戻ったような光景だが……最初と違い、亡者たちの声には焦りがあった。
「おい! この女、ちょっと有り得ないくらい強いぞ!」
「人並外れた膂力に、強固な肉体……まさか、この女性も私たちと同じ……」
「てかまんま角生えてるしねー、ぽいよねー」
そんな彼等に対し、アダマリアは腕の感触を思い出すように拳を開閉し……金の眼を3人組へ向けて、射るように言う。
「ふむ。貴様ら、『獣人』か」
「!」
驚愕は、誰のものだったのだろう。
3人組か。それとも俺か。
ともかく、アダマリアの放ったその単語は、口に出さずにはいられぬほどの衝撃を俺に与えた。
「『獣人』……確か、獣の頭と毛皮、そして獣の特性を持つ人種。動物並みの五感や運動能力を持ち……そして、魔法が使えない種族」
ああ、姉さんに聞いた事がある。
純人を遥かに凌駕する身体能力に、優れた五感、そして獣の顔を持つ異形の人種……そういうものが、遠い現世には居るのだと。
それが真実であるならば、これまでの光景も腑に落ちる。
常人なら持つことも難しいだろう大剣を軽々と振り回したり。
高所から落下しても、怪我ひとつ負わない身のこなしだったり。
それは今まで俺たちを襲って来た、普通の戦争獄の亡者にはないものだ。だからこそ、特別なのは彼等の方。
「その高い身体能力は、『獣人』の力だったのか……!」
3人組が答えぬのは、指摘が図星であるからだと、アダマリアもきっと直感した。
彼等の姿をよくよく見てみれば……鎧で隠してはいるものの、その肌の上に生えた毛皮を隠し切れていない部分がある。耳や角も兜の装飾ではなく、兜に穴を開け中のソレを出していると言う方がしっくりくる。そう考えると、途端に兜は顔を隠す覆面めいて俺の目に映った。
『獣人』の戦士。
それが、アダマリアが戦闘前から彼等に見出した強さであった。
「――だが、獣人なら誰しも戦士として優秀、というわけでもない。貴様らの技からは相応の修練と、死線を潜り抜けて来た覇気とが感じられる。英雄として名を遺していても不思議でない剣の冴えだ」
「ん!? なんだ!? オレたち褒められてんのか!?」
「ふむ……その賞賛、素直に受け取っておきましょう」
「いえーい、もっと褒めろー。やる気出るからー」
すっかり調子を取り戻してはしゃぐ、3人組の亡者たち。
指摘に訂正が無かったことからも、きっと彼等が『獣人』なのは真実なのだろう。そして、獣人の戦士の中でも殊更優秀な部類であることも。
だが……そんな彼等の自信と喜色とは、一瞬で凍り付くこととなる。
なにせあちらが純人を凌駕する獣人ならば……こちらの側に立つ彼女こそは、世界さえ水底に沈める規格外の怪物なのだから。
「くく――それでこそ、私が手を下す価値があるというもの。歓べ、戦士たちよ。貴様らの終幕は決定された。即ち、私手ずから、特上の恐怖と絶望とを余さずくれてやろうではないか!」
物理的圧さえ伴って、アダマリアの全身から威圧の闇が噴出する。
傍で見ていただけの俺でさえ震えが止まらなくなるほどの恐怖だ。果たして獣人の戦士たちは。一体どれほどの恐怖を浴びせられたのか……。
「オレ分かった! これ、多分褒められてないな!?」
「く、すっかり騙されましたよ……!」
「ボクらのジュンジョ―を弄びやがってー、ふざけんなー」
……やはり、どこか気が抜ける。尤も、3人揃って半泣きの声ではあったが。
けれど驚くべきことに、彼等はアダマリアの威圧を直に浴びても、勝利を諦めることはなかった。武器を捨て投降するでもなく、武器を収め逃亡するでもなく、彼等はその場に並び立ったまま吹雪の中の旅人のように大声を交わす。
「しかし、あの女は強すぎる! ちょっと勝てそうにないぜ!」
「その上、あちらにはもう1人居ます」
「もしかして、あのコも手練れー? スゴめの魔導士とかー?」
「ありえる! 後ろの方に居るし、前衛と後衛ってやつっぽいな!」
「あの恐ろしい女性が態々連れているのです、只者ではないでしょうね」
「でもー、流石に化け物が2人ってのはねーんじゃねー?」
そうやって、獣人たちが口々に話し合っているのは……。
「……まさか。俺の、こと……?」
傍観から一転。
嫌な予感が、背筋を舐めた。
あの顔の見えない兜の奥……その三つの視線が、全て俺に向けられているような気がして。
「よし、なら決まりだな!」
「ええ、決まりです」
「いつも通りー、倒せそうなほうから倒すとしよーぜー」
瞬間、三つの影は弾けた。
否、全く同時に地を蹴り、俊敏に飛び上がった姿がそう見えたのだ。
そして影は、二つがアダマリアへ襲い掛かり。
残り一つが、離れて戦場を俯瞰していた俺へと迫る――!
嗚呼、俺は忘れるべきでは無かったのだ。
アダマリアに頼りきりの、自分の無力を。
例え彼女にとっては難敵ならずとも……俺にとって彼等3人は、例外なく絶対的な捕食者であることを。
反応さえできない刹那。
そんな捕食者のうちのひとり、細剣を持った鶏冠兜が、今、俺の眼前に着地して。
ぎらり、その切っ先が怜悧に輝く。
「弱者必滅は戦場の常。お覚悟を、比較的弱そうな少年――」
「ちッ、小僧――!」
アダマリアの反応が遅れたのは、その視界を覆うような大盾に、自分に向かって来た相手の数を図りかねたからであろう。
嗚呼、いくら彼女が強いとはいえ――ここからなら、神速の細剣が俺の喉を貫く方が早い。
(ぼ、防御――)
間延びした時間の中。
迫る死の切っ先に抗うように、俺は全霊で腕を構えて。
けれど、すぐに己の愚かさを呪うことになる。
何故なら――咄嗟に構えた俺の手は、何も握ってなどいなかったのだから。
(しまった、武器をまだ拾って――!)
そうだ。『腕輪』の隠匿に必死になって、俺はまだ何の武器も手にしては居ない。
それでもアダマリアならば、素手でその刺突を受け止めただろうが……彼女ならぬ俺が腕を防御に回したところで、それごと貫かれるだけだ。
なんて、愚か。
姉さんの顔を思い出し。遠いアダマリアの叫びを聞いて。
その全てを掻き消すように、鶏冠兜の手によって、細剣の切っ先が突き出される。
霞むように消える刀身。それが俺を貫く為に剣が振るわれた結果であると、手遅れになってから理解して。
(死――)
――黒い影が、降った。
まるで、時間が止まったようだった。
細剣はとっくに突き出されていて。
けれどその切っ先は、俺ではなく虚空のみを抉っていた。
なぜならば――。
「――え?」
誰か、居る。
アダマリアではない。
まったく見知らぬその背中が、俺を細剣の刃から庇っている。その右腕が、細剣の刀身の横に手を添えるようにして軌道を逸らしている。
俺でもアダマリアでも、そして3人組の誰でもない、新たなる人物。
そんな、謎の黒い人影が、動く――。
「しゃッ――」
鳴き声めいた呼気の音と共に、鮮やかな白色の斬撃が奔った。
超速にて空中に刻んだ軌跡とは、五本一組の獣爪のソレ。
斬、と。
突然の乱入に驚いて反応が遅れたか、鶏冠兜の体に爪痕が刻まれ鮮血が舞う。
けれど、鶏冠兜も復帰は早い。
傷は浅いとはいえ、それでも苦悶の声ひとつ漏らさず。謎の人物を敵と見做し、刃を構え。自らの鮮血が落ちるよりも速く、細剣の切っ先が連撃を描く――。
がききぃん!! と。
輪唱する金属音に祝福されるように、両者の間に火花が乱れ咲いた。
それは細剣の切っ先を、白い爪が余さず叩き落としたことを意味していて。
それどころか、新たなる爪痕が鶏冠兜の側に刻まれている。
嗚呼、正しく――目にも留まらぬ、早業。
ざぁっ、と鶏冠兜が堪らず後退する。その体に刻まれた幾本もの爪痕が、戦いの趨勢を痛々しく語っていた。
「く、私の細剣より速く鋭い! なんという強さでしょうか……ッ」
鶏冠兜は細剣を油断なく構え、乱入してきた黒い人影を威嚇している。
未だ俺には背しか見せておらぬ、突如現れた謎の人物。
ずっと悪政獄に居た俺には、戦争獄に亡者の知り合いなど居ない。というか集落が全滅した今、姉さん以外の縁者などアダマリアくらいだろう。そんなアダマリアの反応を見るに、乱入者は彼女の知り合いというわけでもないらしいが。
「味方、なのか……?」
俺の溢した呟きに答えるように、黒い影は鶏冠兜に襲い掛かった。
爪の一撃を細剣が受け止め。
それでも勢いを殺しきれなかったか――それともただ距離を取りたかっただけか――鶏冠兜が大きく後退する。
見れば、アダマリアの方でも同じようなことが起こったらしい。
3人組は再び並び立ち、また口々に喋り出す。
「すみません、謎の人物の救援に阻まれ、後衛の排除は失敗に終わりました……!」
「しっかりしろよー、って言いたいけどー」
「生憎、こっちも全然歯が立ってねえ! 片手間で既に殺されかけてる!」
喋る間も彼等が視線ひとつ交わさないのは、そのまま彼等の余裕のなさを表していた。
獣耳兜と角兜はアダマリアから。そして鶏冠兜は乱入者から、一瞬たりとも目を離さない。まるで巨大な猛獣を前にしたような、目を離した瞬間襲い掛かって来るという強迫観念に晒されているように。
それでも口の回転だけはまるで衰えを見せないのは、最早彼等の才能なのでは、なんて思ってしまった。
「どうする!? ただでさえ、あのデカ角細女はありえねえくらい強えのに!」
「その上、更なる戦力……私以上の戦士があちらの味方に加わりました」
「普通に考えて、これ無理じゃねー?」
話し合う間もじりじりと、アダマリアと乱入者を恐れるように揃って後退る3人組。
そうして、息の合った彼等は小さく頷くと――。
「仕方ない、いったん逃げろ!」
「くっ……ここは引きますが、これで終わったとは思わない事ですっ」
「おーぼえてろー!」
そうやって、これまた息の合った動きで尻尾を巻いて逃げ出した。
感心さえしてしまいそうな潔さであった。
3人組は、すぐに影も形も見えなくなって。
脅威は去った……なんて安堵するには、解決していない問題がひとつ。
即ち――未だこちらに背を見せて固まる、謎の人物のことだ。
ぼろの
じっとりと、汗がへばりつくような緊張感の中。
俺は、勇気を振り絞って問うた。
「えっと……今のは、俺を助けてくれたのか? きみは一体、誰だ?」
そんな俺の問いに答える代わりに、謎の人物は黙って外套に手をかけ。
ばさり、どこか芝居がかった大袈裟な動きで脱ぎ去った。
――そして露わとなったのは、その面妖なる姿。
それは純人とも獣人とも言い切れぬ、半端な姿をした亡者だった。俺より少し背が高いくらいの体躯……その右腕と右脚の一部だけが毛皮に覆われており、けれどそれ以外は純人らしくつるりとした白い肌を晒している。ぴょこぴょことその頭頂で揺れるのは、どこか愛らしい獣の耳だ。すらりとした細身の体、純人そのものの中性的な面貌の中、こちらを流し見る大きな瞳は磨き抜かれた刃のようで。
そうして、その表情の意味を必死で読み取ろうとする俺の前で。
にぱっ、と。
快音が聴こえてくるくらい清々しく、亡者はあけすけな笑顔を見せた。
「――うにゃあ、そう怖い顔で睨まないでほしいにゃあ。おにゃーさんはただの通りすがり。武器も持ってにゃい少年と美女を放ってはおけず、義によって助太刀致しただけにゃぜ?」
獣人特有なのか歪んだ発音……それを加味しても、実に愛嬌のある声。性別は依然判別つかないが、仕草や口調は親しみやすく、そして愛玩動物めいて可愛らしい。
ぽんぽん、と肩を叩かれても、まるで避けようと思えない程に……その人物には毒気が無かった。
そうして、獣人でも純人でもないその亡者は、片目を閉じて悪戯っぽく。
「おにゃーさんの名はセルヴァール。よろしくにゃあ? お二人さん」
そう、笑いにゃがら名乗ったのだった。
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