科学立国日本

奈良ひさぎ

聖域なき浄界

「鳩宮つぐみが死んだらしいな」


 政府与党・自由主義党の幹部からもたらされたその話は、まさしく青天の霹靂へきれきだった。いくつも年上、当選歴も圧倒的に先輩であるその人に向かって、素で「は?」と声を出してしまったほどだ。


「それは……どこからの情報ですか」

「どこからも何も、どうしてお前が知らないんだ」


 私は長山数博ながやまかずひろ。政党「科学立国日本」の党首であり、現状、党唯一の国会議員でもある。与党のベテランと渡り合っているように見えて、まだ当選二回の若造だ。それでも多少偉そうにできるのは、党のバックに大阪府吹田市で活動する宗教団体「聖域なき浄界」がついているからである。


「聞いてない……後継者はどうなるんです、鳩宮みのりも行方不明だというのに」

「知らん、それなりの規模の団体なのだろう、後継者は何とでもなる」

「だといいですが」


 バックについているとはいえ、「聖域なき浄界」は支持母体というよりご主人様だ。鳩宮つぐみ以下、教団の幹部の意向をそのまま反映させるだけの団体、それがうちの党なのだ。教団からの意見を吟味するような内部組織は必要ないし、国政政党の要件さえ満たしていればあとは何も求められない。大阪府議会に一人出しているが、そちらはもっと使い物にならない。とっくに政界を引退していておかしくない老いぼれで、とりあえず法案や決議には何も考えず賛成を挙げておけ、というくらいの指示しか出していない。教団が何をやっているかもまともに知らない。それでも府議会に居座れているのは、教団信者の組織票があるから。要は、私たちは教団の飼い殺しになっている。


「その様子だと、教団の今後の方針も知らないのだな」

「ええ、全く」


 教団内部の人間で、旧知の仲がいたので連絡を取る。鳩宮つぐみがそれなりに前に亡くなったことに間違いはなかった。病死というが、本当かどうかは分からない。黒い噂の絶えない教団のことだ、暗殺されたのを下には隠蔽している可能性もある。しかしそれはいったん横に置いておく。問題は教団が今どうなっているかだ。


『連絡が遅れました。この度三代目会長に就任しました、仁方蓬にがたよもぎです』

「連絡が遅れた? ……どうだか」

『せっかくですから、ご挨拶に伺いますよ。長山先生は国会議員ですし、大阪にお越しになるお時間もないでしょう』

「こちらに来てくれるなら、ありがたい」


 ということで、鳩宮つぐみの娘である蓬と連絡が取れ、面会の場を持つこととなった。

 鳩宮つぐみに娘がいることは知っていた。総白髪に虹色の瞳と、「神の子」を具現化したような容姿だ。生まれたその瞬間からもてはやされ、おだてられて育っている。正直なところ、常識やまともな感性が彼女の中に育っているとは考え難いが、教祖になり得るとすれば彼女しかいない。弱冠二十歳とのことだが、物心すらついていない子どもでなかっただけ、まだ救いか。


「はじめまして、長山先生。お噂はかねがね」

「……」


 初手に分かりやすいお世辞の言葉。国会議員として働く中で何度聞いてきたか分からないフレーズだ。聞き流す分には悪くないが、彼女の口から出ると少し腹が立つ。こちらを見くびられているようだった。


「ああ、そうだ。お土産を……スタッフの方々でいただいてください」

「あ、ああ」


 もっと変わった女かと思っていたが、早速その認識を改めなければならないようだ。身なりもきちんとしているし、何よりスーツがよく似合っている。目立たない色の口紅がうっすら引かれている。素直に美人だと思ったが、左手の薬指に指輪がはまっていた。そういえば、電話口で鳩宮ではない姓を名乗っていた。


「単刀直入に。教団の現況を教えてほしい」

「ご想像の通りです。つぐみが亡くなり、団結力は著しく低下。体制の立て直しも当分――向こう数年は、難しいでしょう」

「向こう数年……ということは、私はどうなるんだ」


 親団体が傾くと、まず己の身の心配をするのが国会議員というものだ。一度入ればそうそう首を切られない日本の一般企業の社員と違い、私のような衆議院議員は時の総理大臣の解散宣言によって、いとも簡単に職を失うリスクがある。国会議員であるうちは偉そうに口を利けるが、その身分がなくなってしまえば無職の浮浪者と立場上変わらないことになる。「聖域なき浄界」が内部混乱で収拾のつかない状態では、政党「科学立国日本」などいつお取り潰しになってもおかしくない。


「政治についてはあまり詳しくないのですが、『科学立国日本』の経済面や外交面の主義主張は、与党の自由主義党と近しいのですよね?」

「……まあ、そうだな」


 あんたたちがそう仕向けてるんだろ、と言いたかったが、言っても始まらない。相手はまだ二十歳だというのに、そこそこ大きな宗教団体のトップを背負う羽目になった可哀想な子なのだ。与党にむやみに反発することに得はないし、反対だけ一丁前にして改善策の一つも出さない野党に迎合するのも癪だ。「聖域なき浄界」のお達しを聞き入れているだけとはいえ、うちの政党のスタンスは私の政治信条とも合っている。


「であれば、今のうちに与党に合流しておくのも一つの手かと」

「ん? どういうことだ」

「これを機に、ぼ……私は、『聖域なき浄界』の解散を考えています」

「……っ!?」


 そうなると話が変わってくる。支持団体を失えば、それこそうちの党は終わりだ。


「……やっぱり、知らないのか」

「もっと詳しく、説明してくれ」

「そもそもここ最近の『聖域なき浄界』は、超能力開発に反対の立場を取っていました。超能力に詳しい者、開発に意欲的な者は全員脱退して別団体を設立し、鳩宮つぐみ以下いわゆる『聖域なき浄界』は、表向き『科学立国日本』を存続させるためにのみ存在していました」

「それってつまり」

「ええ。要はお飾りです」


 気づかなかった。鳩宮つぐみが怪しい人間であることは言わずもがなだったが、超能力開発推進派というか、創始者と言ってもいい彼女が、いつの間にか反対派に回っていたとは。


「後処理のために私が三代目会長に就任しましたが、二代目ほどのカリスマ性は私にはありません。そもそも世襲に反対する者も多いですし」

「世襲に反対とは、珍しい話だ」

「そうでしょうね。問題のある団体な割には」

「それで、思い切って解散すると」

「団結しようにも、リーダーがいない現状ではどうしようもないですから。私が創設した一般社団法人から支援を継続する手もありますが、できれば政界とのかかわりは薄くしたく」

「純粋な研究機関として運営したい、と」


 彼女に「聖域なき浄界」に通ずる宗教的信念はないらしい。親憎さに解散に踏み切ったという思惑もありそうだが、もう半分は淡々と、事務的に要らない事業整理をしただけ、といったところか。


「必要であれば、私の祖父から口添えするようにしますが」

「……ぜひ頼むよ。そういえば、そうだったな」


 鳩宮つぐみ・みのり姉妹の父、つまり仁方蓬にとっての祖父は、元兵庫県知事の鳩宮政治まさはるだ。国政にも影響力があり、かつ自由主義党の重鎮とも交流があるので、合流のハードルはかなり低くなるだろう。


「……大変ありがたいことなのだが」

「ええ」

「どうしてそこまでしてくれる? 私とは、初対面のはずだが」

「不必要に恨みを買わないためですよ」

「恩を売るのではなく?」

「母はその性格と立場上、ありとあらゆる人間の恨みつらみを買ってきた。それは母の負の遺産として整理して、引き継がないようにするのが私の信条です」

「君自身の恨みも、あの人は買っていたというわけだ」

「あとは、政界でもう一つ、怪しい動きを確認しているので」

「怪しい動き?」


 話によれば、自由主義党の中に過激なフェミニズムを唱える女性議員がおり、新しく会派を作らんとする勢いなのだという。自由主義党の諸会派はある程度把握しているものの、女性政策については一枚岩であるとばかり思っていた。


「そちらの問題がいずれ大きくなると分かっている状態で、『科学立国日本』の問題を放置するわけにはいきませんから」

「確かに、国会議員一人と府議会議員一人を動かすくらいであれば、大きな労力はかからない……か」

「長山さんさえ了承いただければ、基本的に解決する問題と認識していますので」

「……よく分かっている」


 ではいずれ大きくなるその問題とは、何なのか。ただ過激なフェミニズムが分派を形成するだけでは、さして大きな悩みの種にはならないと感じる。それを尋ねると、あまり考えたくない話で返された。


「超能力の技術が漏洩しているのです」

「漏洩、って、そこには細心の注意を払っていたのでは」

「つくばには生理学系の超能力研究施設がありました・・・・・。おそらくそこからでしょう」

「君の団体の中に、情報を流した人間がいるということか」


 純粋に研究活動をやりたい人間も、全幅の信頼は置けないということらしい。


「本当は『聖域なき浄界』を解散して、超能力研究もストップしたかったのですが。つくばの問題がある以上、そう簡単に事は運ばなさそうです」

「研究をストップする? なぜそんなことを」

「それは」


 そこからいろいろと説明された。転生者、とか蝋人形、とかいくつかキーワードは拾えたが、超能力にはそれほど詳しくないので分からない。


「……要は、科学技術の先取りを十分できていて、これ以上進める必要はない。今ある超能力を使いこなし深掘りする方が重要ということです。あとは、現代人の倫理観がついてきていないのももう一つ」

「自由主義党の過激な議員と、つくばでの情報漏洩に関係があると?」

「漏洩したのは、生命倫理を根底から覆す超能力に関する情報なのです。情報を漏らしたうちの研究員は処罰しましたが、一度広まってしまった情報はなかったことにはできません」

「だから、漏れたことそのものには対処していない、ということか」

「情報漏洩と議員の暗躍。それらがつながった先で、どういう事象が起こるか、現状は見守るしかありません。まさか、情報を知り得た外部の人間をあらかじめ始末しておくわけにはいきませんしね」


 まるで彼女の本拠地たる大阪では、それができるかのような言い方だった。そもそも今回彼女と話し合いの場を持つにあたって私が大阪へ赴かなかったのは、超能力研究の本拠地に足を踏み入れるのがためらわれたというのがある。私にとってすら、超能力は得体の知れない力だ。彼女がたまたま善良な人間であったからよかったものの、鳩宮つぐみと同じような思想の持ち主であれば、大阪に呼び寄せられ適当な理由をつけて消された後、呼ばれたところから丸ごと隠蔽されかねなかった。親玉ながら、「聖域なき浄界」にはそういう危うさがある。


「おまけに例の議員は、表立って言えないことをやっている部下が多いとか。疑念しかない現段階で、必要以上に警戒して行動を起こすのは控えておきたいのです」

「そこまで……」

「とりあえず、大阪の研究拠点は閉鎖して、つくばに集中させる予定です。その方が管理と監視、両方やりやすいですしね」

「こちらに来てもらえるなら、ありがたい話だ」

「できれば、派手に動いて勘付かれるのは避けたい。つくばの拠点の拡張は慎重に、少しずつ進めたいのです。祖父の口添えの見返りとして、お願いしますね」

「それくらいであれば」


 妙に汗をかいた。会談が終わると、話したいことは全部話したとばかりに、彼女はひらひらと手を振って去っていった。


「ここに来て、政府与党入り、か」


 実は過去に、私は無所属から当選し、自由主義党へ入党を希望したものの、時の幹事長に拒絶されたことがある。その幹事長はクリーンなイメージで名高く、おそらく宗教と切っても切り離せない私が与党内に混ざるのを危惧したからだろう。今は党の最高顧問をやっているので、直接人事権に干渉することはないが、相変わらずの影響力だ。鳩宮政治の口添えで入党は叶うだろうが、そこまでしなければならないという点で未来に対する不安を覚えざるを得ない。


「穏便に済めばいいが……」


 大多数の国会議員は、穏やかで事なかれ主義。本気で国を変えようとするならば、例の女性議員のごとく、非難囂囂の中でも自らの主義主張を貫き通す面の皮の厚さが必要なのだろう。

 私は薄灰色の雲がかかった空を窓から眺めて、どこへ向けるともないため息をついた。

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科学立国日本 奈良ひさぎ @RyotoNara

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