地球に申し訳ないから

ひつじ堂(HITSUJI-DO)

地球に申し訳ないから

ああ、吐き気がする。


物音で目覚めて、飛び込んできたのは、白い天井。大きな窓から朝の光が部屋全体を満たしている。 


それなのに、なんてことだろう。こんな朝にトイレに駆け込まなくちゃいけないなんて。


便座に貼り付いて、胃の中のものを何度も吐き出す。胃が空になる頃、頭のなかの雑念もスッキリした。吐かれたものの形と色を見る……黄色がかっていて、ほとんど消化されている。


良かった。レバーを押した。


その脚でバスルームへ。汚れ、ついちゃったかもしれないし。ボディソープからはシトラスの香り。これは、ゆうくんが好きなやつ。一緒に買ったんだから、当然か。


シトラスの香りに包まれながら、ぼんやり考える。

昨日、あんなもの食べちゃったからだな。私はまだ少しもたれているお腹を擦った。


シャワーから上がると、バスタオルを巻き付けて、洗面所へ。二本仲良く肩を並べた歯ブラシ。そのうちピンクの一本を手に取り、念入りに歯を磨く。

歯ブラシは折ってから、ゴミ箱へ。新しい歯ブラシ、探しておこう。


寝室に戻る。このタオル、ちょっとゴワゴワ。


クローゼットの右扉を開けると、引き出しを開けていく。一番上に、下着たちがお行儀よく出番を待っている。


こうやって見ると、フリルいっぱいのものが多いな。その中から刺繍が多めのものを選んで、身につける。そのほうがゆうくんが好きだから。


ちょっとサイズ、小さいかも。


下の引き出しを開ける。あまりいいのが無いけど……うん、このワンピースなら良いかな。でも、汚れると嫌だから、ルームウェアを手に取り、手早く身につける。


今日は爪の先まで油断できない。私はワンピースを胸にぎゅっと抱きしめる。


だって――ゆうくんの誕生日だもん。


彼は私の大切な人。出会いは高校時代まで遡る。


「これ、落としましたよ」


そう言ってわざわざ道の反対から来て、手渡してくれた。その温もり、今でもしっかりと覚えている。


このとき、一瞬にして私の世界に色が付いたんだ。


ゆうくんは私よりも三ヶ月も誕生日が早いのに、どこかぼーっとしている。牡牛座だから、かな?


趣味は読書、愛読書は『かえるくん、東京を救う』。ちょっと難しい本を読んで、分かったふりをするのがなんとも可愛い。


意外なことに、大学はソフトテニスサークルに所属、しかもインカレ。学内のは“飲みサー”だったらしく、女子に目をつけられて言い寄られていた――それはそうだ、ゆうくんはそんな軟派じゃない。


見かけだけで判断する奴なんて、許せない。何が分かるんだ、あんな奴らに――いけない、ヒートアップしてしまった。


大学時代を謳歌して、その後はそこそこ有名な食品会社に就職。上司に可愛がられて、楽しく過ごしているようだ。最近、実家から1LDKに引っ越して、なれない家事に奮闘してる。


背が高くて大人っぽいのに、どこかやんちゃ。このギャップがたまらない。だからすごくモテるのに、今まで彼女がいなかった。


でも、最近彼女が出来たのだ。……ふふ。


今夜は誕生日パーティ。初めて手料理を食べてもらうのだ。彼の好きなものをテーブルに並べて、二人で過ごすひととき……想像するだけで溶けてしまいそう。


作り置きなんてもってのほか。今日は朝から腕を振るうのだ。


私は材料をリストアップしたメモを持って、カバンを持つ。「行ってきます」誰も答えるはずないのに。浮かれてるな、私。


近所のスーパーまでは迷うこともなく、材料もすぐに見つかった。あとは駅前の不二家にチョコケーキを取りに行くだけ。


ゆうくんはこのケーキが大好きなのだ。幼い頃から、誕生日はこれ、と決まっている。

日差しが眩しく、風も髪を撫でていく。


不二家までは案外近かった。


「予約したケーキ、取りに来ました!」


満面の笑みの店員さんに、私も負けない笑顔を浮かべた。心がワルツを踊りだすよう。


でも、帰りは慎重に。ケーキが崩れてしまう。風さえも弱くなって、応援してくれている。


玄関のドアを勢いよく開けた。「ただいま!」返事は無かったけど、かすかに物音がした気がした。


さて、ここからは料理タイム。趣味ではないけど、花柄のエプロンを手早く着ける。


今日は鶏肉のクリームシチュー、シーフードグラタン、鮭の西京焼。ゆうくんの希望を叶えるスペシャルメニューだ。


以前彼は、「ホワイトソースを溺れるほど食べてみたいな」と話していた。


それに、シチューには鶏肉、グラタンにはシーフードと決めているのだ。グラタンには鮭の西京焼を合わせることも。一人暮らしになってもたまに美味しそうに食べている。


――この程度で引くのだとしたら、所詮その程度の愛なのだ。


私はまずシチューの野菜を切り始める。野菜がトロトロに溶け込んだ、彼好みのシチューを作るため。

手早く鍋に材料を放り込み、とろ火にかけ始める。

シチューの具たちが泡に揺られ、グラッと揺れた。


続けて、グラタンの準備。玉ねぎを刻み始めたところで、


「痛っ」


切ってしまった。切れ目から流れ出す血の色が、目に飛び込んでくる。


あの時も――


じゅう。鍋が吹き出していた。慌てて火を止める。少し火が強かったようだ。


玉ねぎを刻み、シーフードといっしょに炒めた。甘い香りが部屋いっぱいに広がる。手作りのホワイトソースで両方仕上げたら、素敵な食卓へまた一歩、近づいた。


頬がゆるむ。


ふと、テーブルにアジサイが横たわっているのに気がついた。いけない、忘れていた。


ゆうくんとの食事を演出する、可憐な花。花瓶を探すけど、食器棚にも玄関の戸棚にもないようだ。

仕方がないから、ピンクのマグカップに生けておいた。


ちらりと時計を見やる。西京焼を焼くにはまだ時間が早すぎる。少しお昼寝しようかな。リビングのソファに身体を横たえる。


私が見るのは、クリームみたいな甘い夢。ゆうくんが笑顔で料理を食べてくれてる。

私、あなたのスプーンになりたい。

そしてホールケーキを出すと、満面の笑みを浮かべる。私の隣に進んできて、顔を近付けて――


良いところで目が覚めてしまった。でも、構わない。今夜、夢は現実になるから。


ソファで余韻に浸りながら、私は鼻歌を口ずさむ。そして、ふわりと立ち上がり、エプロンに袖を通した。


グラタンをしまいながら、私は冷蔵庫を覗く。中央に、ゆうくんのチョコケーキ。


『ゆうくん お誕生日おめでとう♡』


チョコプレートがちょこんとその真ん中に腰掛けていた。


ドスン。

音と同時に、プレートがズレた。


……はぁ。慎重に冷蔵庫を閉じると、私は音のもと――寝室へと脚を向けた。


奥歯を噛み締める。手が震える。私は乱暴にドアを開けると、声を押し殺して叫んだ。


「ちょっと、なんなの?」


自分でも驚くくらい、冷たい声。私の声の先には、あれが転げ落ちていた。


おかしいな、クローゼットの中にきちんとしまっておいたのに。またしまわないと。


それを押し込もうとすると、もぞもぞと動き出した。まるで、いやいやしてるみたいに。


まだ足りないかな。仕方ない。それをその場に残すと、私はキッチンへ向かった。


昨日も使った、アイスピックが水切りに無言で横たわっている。手に取ると、寝室に戻る。


「……!!」


私、声出していいなんて言ってないけど。


動きが激しさを増す。失敗だったかな、どうやって黙らせよう。大きなため息をついて、それを見た。


猿轡をはめられた女を。


四肢も曲げた状態で縛られているから、ボールみたいになっていた。顔を覗き込む。その目は救世主でも待つような、何かを求める光が宿っている。


うーん、そういうの、来ないんだけどな。


取り敢えず、しまっておけばいいかな、これ。でも、また落ちてきたらな……そうだ。私は太ももの真ん中にアイスピックを刺した。


「!!」


それが大きく仰け反った。


「……」


さすがに、もう動けないでしょう。アイスピックを拾い、私はベッドに腰掛け、大きく息をついた。


やっぱり、こんな奴は――ゆうくんの彼女にはふさわしくない。


先日、ゆうくんが真っ赤な顔で人生初の告白をしたのは――この子に、だった。うーん、と私は首をひねった。正直――どう処理すればいいのか分からなかったからだ。


今までゆうくんに色目を使ってきた女達は相応の罰を与えていたけど、このパターンは無かった。首が一周するほど悩んだ挙げ句、様子を見ることにした。


もしかしたら、ゆうくんに近づくヒントがあるかもしれないから。まあ、運命に至るまでの寄り道も、寛大な私は許してあげることにしたのだ。


しかしそれがとんでもない誤算だった。この女――何も分かっていないのだ。


ゆうくんの好みを知ろうとする姿勢が絶望的なまでに足りない。あたかも売れ残りを詰めた福袋を押し売るように、自分の趣味を押し付けたのだ。


彼はホットパンツにTシャツなんて好きじゃない。ゴワゴワのタオルなんてもってのほか。それに、フリルたっぷりの下着なんて趣味じゃない。 


私に分からないはずがない。ずっと――それこそ起きてる時も寝顔すらもずーっと見てきたんだから。


それに何? ゆうくんホワイトソースが好きなのに、バランスが悪いからって野菜のコンソメスープにするとか、ほんと何様なの? ポークソテー? グラタンには鮭の西京焼に決まってるでしょ? ケーキだって作っていたけど、ゆうくんの誕生日は不二家のチョコケーキって決まっている。それに、昨日この女の部屋に来て驚いた。まさか作り置きとは。今日は仕事だから? 彼氏の誕生日は休みを取るに決まってるでしょう。常識の欠片もない。


そんな女の料理をゆうくんに食べさせるわけにはいかない。かと言ってそのまま捨てたら、地球が穢れてしまう。


大量の料理を目の前にして、出した結論が――私というフィルターを通すこと。


昨日は文字通りはち切れそうなほど詰め込んだ。すぐに吐いたら地球を汚してしまうから、睡眠薬を飲んで眠りに落ちた。


それにしても、全く、価値観のすり合わせが出来てない。そう――私を産んだ、あの女が言っていた。


「運命があれば、価値観なんて乗り越えられると思ってたの」


そしてあいつは男に使い古され、惨めに死んでいった。


この事から私が学んだことは二つ。一つは運命があるということ。そして、運命も価値観一つで崩れてしまうこと。


私の運命は、ゆうくんだった。一目惚れしてすぐさま定期券を落としたのだ。その手が触れたときに確信して、決心した。


この運命を逃しはしない。そのためには――価値観のすり合わせだ。


そのためには、どんな苦労も厭わなかった。全ての部屋には盗聴器やカメラを複数設置、鞄や身近な持ち物にも勿論搭載。スマホへGPSアプリをインストールし、随時位置を把握。スマホやPCの閲覧履歴も確認。


ゆうくんのゴミをチェックすることもあったけど、漁ったままで放置、なんて真似はしない。絶対にゆうくんに迷惑をかけてはいけない。


情報を手にして満足してたら、ただの馬鹿だ、この女と一緒。私は違う。


目的は、“価値観のすり合わせ”だ。


ゆうくんの好きな食べ物から人に絶対言えない好みまで、全てをチューニングした。そんな折にゆうくんがこの女に告白をしてしまった。焦らなかった……と言えば、嘘になる。


しかし、運命の再会には障害はつきものだ。それに

、さらにゆうくんのことを知ることが出来た。


今や、私は彼の理想の――いや、運命の彼女だ。

ゆうくんが私を受け入れないわけがない。じゃなければ、困る。


運命だもの。


さて、そろそろしまわないと、これ。近づいてみると、顔の、いや全身の血の気が引いている。


おかしいな、血を流していいなんて言ってないけど。大きな血管を外して刺してあげたんだから、これはもう自己責任でしょう。


あーあ、せっかく巻いてあげた包帯をそんなに汚しちゃって。真っ赤じゃない。オキシ漬けすれば、また使えるかな。私とゆうくんは使わないけど、誰かにあげようかな。


さて、どうしようか。これが動かなくなった時。

取り敢えずバラバラにするとして……トイレに流す? それともコンクリートに詰めて海? いずれにしても、何のフィルターを通さずにこれを垂れ流す?


そんなの、地球に申し訳ない。

せめて、フィルターを通さないと。

……歯ブラシ、買っておけば良かった。


――ああ、吐き気がする。





――

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