第二章 暗躍する男達⑦


 ラナジュリアには敵が多い。弟の王太子がラナジュリアの開明的な考えに染まることをするマルラード王国内の保守派貴族だけではない。自分の娘をレルディールに嫁がせたいと願うブリンディル王国の貴族達もラナジュリアの婚約が成立しないことを望んでいる。何より──。

 アルガイルは母の故国のことを苦く思う。

 伯父の宰相は、まだアルガイルをブリンディル王国の次代の王にするという野望を捨てていないらしい。

 一方で、レルディールに自国、タンゲルス王国の第一王女との婚約を持ちかけていながら、同時に、アルガイルには第二王女との婚約の打診をしている。むろん、アルガイルは第二王女との婚約を受ける気はないと国王にも第一王妃にも明言しているが。

 伯父のもくとしては、アルガイルが第二王女を娶って次代の王になってくれれば言うことなし。次点でレルディールが王位についた時に第一王女を正妃とし、タンゲルス王国の勢力をブリンディル王国に伸ばしたいということだろう。

 穏やかな気候と広い国土に恵まれ、近年、技術の進歩も目覚ましいブリンディル王国は、周辺諸国の中でも抜きん出た国力を有している。山がちで気候が厳しいタンゲルス王国にとっては、ブリンディル王国は甘いみつにあふれているように見えることだろう。その国の王太子に己の甥をつかせたい伯父おじの願いはわからなくもない。が、伯父の駒としての人生など真っ平だ。

 思いどおりにならぬことばかりでも、せめてその中で最良を選びたい。

「ラナ。ルーフェル嬢自身に害意がないとしても、誰かが彼女を背後で操っている可能性も否定できない。本当に、取材を受けるつもりか?」

 マルラード王国にいた頃のように、愛称で呼びかけ、問いただす。

 タンゲルス王国にとって目の上のたんこぶは、レルディールとラナジュリアの二人だ。特に、第一王女を嫁がせる可能性のあるレルディールはともかく、ラナジュリアは邪魔者以外の何物でもない。

 ミレニエには告げなかったが、今日の男達の背後で糸を引いているのがタンゲルス王国である可能性は十二分にある。

 アルガイルの忠告に、だがラナジュリアはまったく動じる様子もなくうなずく。

「もちろんですわ。新聞記者として働いている女性に会ったのなんて初めてだもの! いったいどんな経緯で記者として働いているのか、どんな活躍をしているのか、ぜひ聞きたいわ! いつか、マルラード王国でも、女の子達がごく自然に記者を目指すようになってほしいもの!」

 それに、とラナジュリアは言を継ぐ。

「ルーフェル嬢が伯爵令嬢なら、都合がいいわ。わたくしはこの国の貴族令嬢達に目のかたきにされているもの。親しくしている令嬢ができたとなれば、少しは風当たりがましになるかもしれないでしょう?」

「残念ながら、ルーフェル嬢は実家との関わりを絶っているそうだ。彼女を味方につけたところで、さほど益があるとは思えないが」

「『マルラード王国の王女がブリンディル王国の貴族令嬢ともうまくやっている』という事実が大事なのよ。その噂を聞いて、親マルラード王国派の令嬢とも親しくなれるかもしれないでしょう? レルディール殿下との婚約が成立したら、ゆくゆくはこの国に嫁ぐのだもの。これ以上、敵が増えないよう根回しはしておくべきだわ」

「だが、その前に、ラナの身に何かあっては後悔してもしきれないだろう。お前は、今日の投石騒ぎをどう見ている?」

 ミレニエとのやりとりを報告すると、ラナジュリアがため息をついた。

「確かに、ルーフェル嬢の言うとおりね。わたくしを一番排除したいのはタンゲルス王国でしょうけれど、絶対にマルラード王国の保守派ではないと断言もできないわ。同時に、なんとしても娘をレルディール殿下に嫁がせたい貴族だって、わたくしがいなくなればいいと願っているでしょうし。それに、綿織物の輸出の件もあるでしょう? 大々的に公開したのは今日の記者会見の場だけれど、もともと機械織りのことは隠していたわけではないもの。いち早く情報をつかんでいた者がいてもおかしくはありませんわ」

 機械織りの綿織物がマルラード王国から大量に輸出されるとなれば、ブリンディル王国内の羊毛の毛織物に携わっている者は大打撃を受けることになる。

 婚約のことだけでなく、そちらの利害関係まで考えると、ラナジュリアを害したい者は十指に余るだろう。

「つまり、逃げたひげの男を捕まえなければ、黒幕はわからないということか」

「あなたが捕まえてくれた男に関しては、こちらから近衛このえ騎士を警察に遣わして、この国の警官の立ち会いのもとで調べさせたわ。ジョンという下町暮らしの労働者だったの。けれど、だめね」

 ラナジュリアが残念そうに吐息する。

「本当に単なる捨て駒だったみたい。けごとに負けて酒場で飲んだくれている時に見知らぬ男に声をかけられて、子ども達を使って屋敷に投石するように指示された、と哀れっぽく繰り返すだけで、指示した男のことについては何も知らないの一点ばりだったそうよ」

「くそっ。俺が、あの時、髭の男を捕まえられていれば……っ!」

 いまさら悔やんでも仕方がないと知りつつも悪態が口をついて出る。あの時は、後をつけていたミレニエがてっきり裏路地で誰かと落ち合うのだろうと思っていたのに、襲われそうになっている彼女に驚き、とっさに助けるほうを優先してしまった。

 とはいえ、もし彼女が殴られるのを見捨てていたら、自分を許せず責めていただろう。

「今回の訪問では、視察も行う予定だもの。早めに男を捕まえたいけれど……」

 ラナジュリアが美しく整えられたまゆを寄せる。

 ブリンディル王国の王都には、何万人もが暮らしている。土地勘のない王都でたったひとりの男を見つけるのは至難の業だろう。

 不穏な先行きに、アルガイルも自分のまゆが寄るのを感じた。


    ◆ ◇ ◆


 王都にいる間のねぐらにしている安宿に戻ってきた髭の男は、いらちを隠さず舌打ちした。

 自分の存在をマルラード王国の女狐に知らせるつもりなど、まったくなかったというのに。子ども達に投石をさせ、屋敷の様子を探ってくるようにもちかけたジョンとの待ち合わせ場所に現れた若い男は、マルラード王国の近衛騎士の制服を着ていた。

 子ども達に小金を摑ませ、屋敷の様子を探ったあとはさっさと逃げろと言っておいたのに、後をつけられてくるとは、なんという間抜けか。苛立ちがおさまらない。

 しかも、何者かは知らないが、金髪の娘のほうにはしっかり顔を見られてしまった。

 彼女が何者かわかれば、口封じするのだが、どこの誰かわからないのでは、残念ながら消しようがない。ジョンの口ぶりからするに、知り合いでもなさそうだった。

「あいつに調べさせるか……?」

 ブリンディル王国に潜入しているのは自分ひとりだけではない。何年も前から入り込み、工作している同僚がいる。

 一瞬、そう考えるもすぐにあきらめる。どうせ探しても見つからないだろうし、逆に娘も自分のことを見つけられはすまい。黒髪黒髭の男など、王都には腐るほどいる。

 それよりも、同僚に調べさせるのなら、ラナジュリアのことだ。

 屋敷の警備が厳重ならば、そこから出る機会を狙えばいい。ラナジュリアは今回の訪問中に視察も行うという情報を得ている。視察先さえわかれば、そこに手勢を集めて強襲することも不可能ではないだろう。

「だが、その前に……」

 迷惑をかけてくれたジョンには、きっちりと償いをしてもらわなくては。

おびえて逃げ帰るような可愛げがあればいいんだが……」

 くくくっ、とのどの奥で笑いをらし、男は思いついた案を練るべく、安っぽいきしむベッドに横になった。


~~~~~


増量試し読みは以上となります。


この続きは2025年7月25日発売の『蜂蜜記者と珈琲騎士 ブリンディル王国事件録』(角川文庫刊)にてお楽しみください。


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蜂蜜記者と珈琲騎士 ブリンディル王国事件録 綾束乙/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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