第二章 暗躍する男達⑥



 アルガイルの伯父おじだと名乗ったタンゲルス王国の宰相が、妹の忘れ形見と二人きりで話したいと申し出て許された時、まだ子どもだったアルガイルは、血のつながりがあるものの一度も会ったことのない伯父と、レルディールと同じように肉親らしい愛情に満ちたやりとりができるかもしれない期待に胸をはずませていた。

 けれど、アルガイルに注がれた自分と同じ珈琲コーヒー色のまなざしは、氷のように冷ややかで、アルガイルはこの伯父に肉親の情愛を期待するのは無駄だと瞬時に悟った。

 それでも期待を捨て切れず宰相を見つめるアルガイルに、彼は酷薄な笑みを浮かべて問うたのだ。

『妹のことは残念だった……。が、健康な男児を産んでくれたあいつの功績は、心からたたえよう。──どうだ、アルガイル。レルディールの代わりに、この国の次代の王として立ちたくはないか?』

 と。その瞬間の心臓が氷の手でわしづかみにされたような恐怖を、アルガイルは一生忘れられないだろう。

『第二王子としての立場では、窮屈なこともやるせない思いにとらわれることもあろう。王太子のレルディールはさほど身体が強くない。タンゲルス王国の後ろ盾を得れば、お前がこの国の次代の王になることも不可能ではない。どうだ、アルガイル? 男と生まれたからには、国の頂点へ登り詰めたくはないか?』

 伯父の言葉はまるで不可視の毒が、身体に染み込むかのようだった。おいを次代のブリンディル国王にと望む宰相の野望にぎらつく目はまるで黒い炎を宿しているようで。

 まだ十二歳のアルガイルは震えながらかぶりを振った。

『わたしは兄上に、深い恩を感じています。兄上を追い落として代わりに王になることなど、できるはずがありません!』

 アルガイルの人生は、敬愛する兄を支えるためにあるのだから。その兄を追い落とす未来など、あっていいはずがない。

『なるほど。王太子はうまくお前を躾けたらしい。だが、未来がどうなるのかは誰にもわからん。……自分の未来の選択肢に、国王になる道もあることを知っておくがいい』

 アルガイルの返事に、さほど落胆した様子も見せずに応じた宰相の中では、すでにアルガイルが次期国王となる絵図が描かれているようだった。

 彼にとっては甥である自分も駒のひとつに過ぎないのだと感じとったアルガイルは、タンゲルス王国がどんな国なのか、ブリンディル王国との結びつきが強まれば、民にどれほどの幸福が広まるかをとうとうと語る伯父の話を、表面上はかしこまって聞き続けた。

 だが、宰相が辞した途端、アルガイルは第一王妃とレルディールのもとに駆けつけ訴えた。兄上の敵とならぬために、どうか第二王子でなくしてほしい、と。

 その時の王妃の憎しみに満ちた顔は忘れられない。『予備』に過ぎないアルガイルが、大切な我が子の敵として立ちはだかろうとしているのだと……。

 たとえ、アルガイルに王位を継ぐ意志がなくとも、周りがアルガイルを担ぎ上げようと陰謀を企てれば、まだ子どものアルガイルにそれを防ぐ手立てはない。

 アルガイルのマルラード王国への留学が決まったのは、伯父との会見のすぐあとだった。その裏に第一王妃の根回しがあったことは確実だが、一方でアルガイルはあんしてもいた。ブリンディル王国から出たのなら、きっと伯父のたくらみもとんするだろう。自分の存在が大切な兄の王位を脅かすことはあるまい、と。

 ブリンディル王国から出ていけば公務に参加することもなくなり、必然的に目立たなくなる。病がちで物静かなレルディールではなく、健康で活発なアルガイルを次代の王に推す親タンゲルス王国派の貴族達も、当の本人がいなければ画策しようがないだろう。

 アルガイルが母の故国であるタンゲルス王国ではなく、マルラード王国に留学すれば、アルガイルがレルディールに取って代わる気はないと、貴族達にも伝わるに違いない。そう考え、マルラード王国に留学したのだ。

 その留学先で出会ったのがラナジュリアだ。

 ひとつ年下のラナジュリアは、女性には高等教育など不要だという風潮がまだまだ強いマルラード王国で、常に学年首席を取る才女だった。かといって、気位が高いところはまったくなく、いつも好奇心に緑のひとみをきらきら輝かせ、誰が相手であろうと気さくに接していた。

 初めてアルガイルに話しかけてきた時も、自己紹介をしたかと思うと、

『ねぇ、ブリンディル王国では女性も外に出て働くことが多いって本当ですの? ブリンディル王国のことをいろいろ教えてくださいな』

 と目を輝かせ、興味津々で尋ねてきたくらいだ。

 聞けば、ラナジュリアはゆくゆくは王配を迎えて女王となることを期待されながら、『女だから』という理由だけで軽んじられ、ただただ次代に血を継ぐだけの中継ぎとしての役割を求められることに、ずっと不満を抱いていたらしい。

『同じ人間なのに、女だからという理由だけであれこれ制限されるなんて、馬鹿らしいと思いませんこと? ですけれど、わたくしが不満をぶつけたところで、また王女のわがままが始まった、と思われるだけですもの。何より、わたくしだけが自由を享受しても意味はありませんわ。わたくし、この国を女性にとってもいい国にしたいんですの』

 すいぎよくの瞳を輝かせ、自分の未来だけでなく、愛する故国をよりよいものにしたいと語るラナジュリアに、強いせんぼうを抱いたことを覚えている。

 レルディールの助けとなり、ひいてはブリンディル王国のために尽くしたいというアルガイルの願いは、断たれたも同然だったからだ。

 互いに妙にうまがあったのも確かだが、ひとつ年下のラナジュリアと性別を超えた友人になれた理由は、いきいきと希望を語るラナジュリアの力になりたいと思ったためだ。

 十年前は、アルガイルが留学して間もなくラナジュリアに年の離れた弟が産まれた頃であり、それまで、ゆくゆくは王配を迎えて次代の女王になることを周りから期待されていたラナジュリアが、王太子の誕生により突然、はしを外された時期だった。

 時期が時期だけに、『ラナジュリアはアルガイルに嫁ぐのではないか?』という噂が流れたこともあったが、アルガイル自身は彼女に恋心を抱いたことは一度もない。

 明るく気さくで意志が強いラナジュリアは魅力的だとは思うが、アルガイルにとって、ラナジュリアはお転婆で目が離せない妹のような存在だ。

 むしろ、ラナジュリアの心にまうのは、昔、一度だけった時にひとれしたレルディールだと知っている分、二人にはうまくいってほしいと心から願っている。

 だから、ラナジュリアがブリンディル王国に来ることになった今回、身分を偽ってまで同行したのだ。ゆくゆくは王太子妃になるに違いないラナジュリアを助けることは、間接的にレルディールを助けることにもなる。いまのアルガイルが敬愛する兄にできることは、これくらいしかないのだから。


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