放浪する姫ーコンデ公の大砲
九月ソナタ
コンデ伯爵の大砲と、ラファエロの三枚
サンフランシスコの北側にプレシディオという壮大な公園がある。
カリフォルニアは、以前はスペイン領で、それがメキシコ領になり、合衆国のものになったのはゴールドラッシュの直前の1848年のこと。
プレシディオというのは、スペイン語で「砦」という意味である。
1776年にスペインによって設立された軍事基地で、1994年までアメリカ陸軍の拠点として使われ、一般人は入れなかったが、今は市民が楽しむ公園になっている。
さて、プレシディオには海側とか、ゴルフ場側とかいろいろな入口があるのだが、バスが出入りする入口に、細かい彫刻がされた美しい青銅色の大砲が置かれている。入口の中ではなくて、外である。
その大砲はフランス製で、1754年に鋳造されたもので、そのことは、大砲にちゃんと刻まれている。それだけではなく、砲身にはラテン語で「Ultima Ratio Regum(王の最後の手段、つまり戦争のこと)」とか、「pluribus nec impar」と書かれていて、それは太陽王ルイ十四世のモットー「to many not equal」で、その意味は並ぶ者がないほどすぐれているということだという。その他にも、王冠やユリの紋章、バッカスなども刻まれていて、こんなに貴族(ブルボン家)の香りがむんむんする。
銘板には大きく「Le Prince de Condé」とあるので、「コンデ公の大砲」と呼ばれている。
彼はフランスの貴族コルデ家の者で、祖父が特に有名な「大コンデ」、こちらのほうは「若コンデ」と呼ばれ、本名はルイ=ジョゼフ・ド・ブルボン=コンデ。
このルイが1710年~1755年に砲兵総監だったから、大砲に名前を刻まれたのだろう。
その時はどんなに名誉だと思ったことだろうが、なぜか、今はサンフランシスコのプレシディオの小門の外にあり、公園の中には軍事博物館があるというのに、そこにはおかれておらず、冷遇されている気がする。
コンデ公がこの姿を見たら、何を感じるだろうか。
では、このフランス製の大砲がなぜアメリカにやってきたのかというと、まずこの大砲は友好のためか、戦争の時かはわからないけれど、スペインの手に渡り、その後、本国スペインからなぜかキューバに渡った。
そして、アメリカとキューバの戦争(米西戦争1898年)の時に、アメリカ軍がキューバでこの大砲を戦利品として獲得し、ウィリアム・シャフター将軍がサンフランシスコに持ち帰ったのである。
最初は市役所の前に置かれたが、1906年の大地震があり、その後はゴールンデート公園内にあるデ・ヤング美術館の前に転移した。その後、二回ほど移動させられ、ついにプレシディオへ辿りついたというわけである。
入引き受けるはめになったプレシディオ側は困った、と私は思うのよね。
この大砲はアメリカ軍のために働いたわけではないし、略奪品だから、軍事博物館には入れられないというわけで、目立たない入口の外へ。
こういう不幸な経過に加え、この大砲が女性的で、なにか哀しく美しいので、「放浪の令嬢」のイメージがある。
かつてはフランスの大貴族コンデ家の令嬢だったのにね。
彼女の実家というべきコンデ家のシャンティイ城は、パリから四十キロ離れたオワーズ県シャンティイ市にあり、今もしっかりと存在している。存在しているだけではなく、世界的に知られている。
みなさんは、マリー・アントワネットの「田舎の村」をご存知だろうか。 シャンティイ城の庭園には「アモー(村里)」というイギリス式庭園の田園風の集落が再現したものがあり、貴族たちは、そこで田舎ごっこを楽しんだのだった。 マリー・アントワネットそのアモーを真似て、ヴェルサイユ宮殿のプチ・トリアノンに「王妃の村里」を作ったと言われている。
さて、このシャンティイ城は「コンデ美術館」として有名で、ルーヴルに次ぐほどの古典絵画コレクションがある。それは、オマール公アンリ・ドルレアンの集めたもので、たとえば、あのラファエロの「三美神」、「オルレアンの聖母」「ラ・ヴェール・ド・ロレト」もここにある。ただこのオマール公は、展示方法や貸し出し禁止など、遺書にはっきりと残したので、ほんものは、ここに来なければ見ることができない。
では、このオマール公アンリ・ドルレアンが誰かというと、コンデ家とは血はつながってはいない。
アンリは、フランス最後の王ルイ・フィリップの息子で、コンデが彼の名づけ親だった。その名付け親だったコンデ公ルイ6世アンリは、1821年に亡くなったのだが、彼にはなぜか子供がいなかった。
なぜか、ということはないか。そういうことは、よくある。お金があっても、どうにもならないのが寿命と、跡継ぎということよね。
その時、コンデ公は、ルイ・フィリップ王と親しい関係にあったので、息子のアンリを遺産の相続人に指名したのだそうだ。
本当かなと思うけれど、まぁ、そういうことらしい。
それにより、アンリはわずか八歳で、シャンティイ城を含む膨大な資産(当時の価値で6億6千万リーヴル)相続することになったのだった。
アンリは幸運の下に生まれた男だね。特に、お金の面では。
アンリは若くして軍人・政治家として活躍したが、フランス革命の時にはイギリスに逃げ、その後、生活を経てフランスに戻った。そして、すっかり荒れてしまった、シャンティイ城を自費で修復し、亡命中に収集した美術品や書籍を城に収蔵した。
やっぱりね、お金がある人は、亡命中も、買い物をするわけだ。
1886年、アンリはシャンティイ城と美術コレクションを、いろいな条件をつけて、フランス学士院に寄贈し、一般公開の条件で「コンデ美術館」として開館したのである。
「一般公開」はありがたいけれど、やりたい放題のアンリと放浪する本家の姫、人生の縮図みたい。
シャンティイ城はフランスの貴族文化を今に伝え、また美術品を見るために、多くの観光客が訪れている。
しかし、かつてそこで大切に育てられた本家の姫は、今やアメリカの元軍事基地の外に置かれ、気がつく人は少ない。
了
放浪する姫ーコンデ公の大砲 九月ソナタ @sepstar
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