毒曜日、日常、微

望月おと

毒曜日、日常、微

土曜日の「お待たせしました」感が、どうにも気にくわない。みんなが待っている、土曜日が来るのを。金曜の夜は、前夜祭。街全体が浮き足立っている。明日ようやく愛しい土曜日に会える、と誰もがそわそわとして、胸を高鳴らせている。朝になると、陽射しは主演俳優よろしく、満を持して登場する。蝉たちは盛大な歓声でそれを迎え、土曜日は、自信たっぷりにやってくる。どこの舞台だ。私はそんなチケット、買った覚えはない。


 私はといえば、十時過ぎにようやく目を覚ます。閉めきったカーテン越しに、あちら側の明るさがじわじわ染みてくる。目を細めたまま、黙って睨み返す。あの光は押し付けがまくて、ひどく鬱陶しい。一応、朝らしきことはしておこうと、顔だけ洗った。だがどうにも、心のくすみは落ちそうにない。体を伸ばして深呼吸してみても、何も変わらない。気怠さだけが、やけに誠実だ。重い体はまたもやベッドに沈み、電気をつけることすら諦める。光を拒む部屋の一部になりながら、今日もじわじわと存在が薄まっていく。世界が一斉に自由を謳歌している日に、私ひとり、どこにも属さずに、体温だけを持て余している。だから気にくわないのだ。土曜日というやつが。


 何もすることがない。ほんとうに、ない。いや、正確に言えば何かはしている。呼吸もしているし、考え事も嫌になるほどしている。爪を切った。水を飲んだ。机の上のゴミをひとつ、捨てた。スマホを意味もなく、雑に撫でたりもした。しているじゃないか、色々。それなのに、なぜかこれらすべては、「何もしていない」に括られてしまう。いささか乱暴な分類だ。世界の基準も、自分の基準も、つくづく容赦がない。だから私は、今日も、堂々と、何もしていない。


 他人の幸せなんて、見たくもない。ほんとうに、見たくなんかないのだ。そう何度も心に言い聞かせているくせに、私は今日もちゃっかりスマホを手に取って、例の忌々しいSNSを開く。ああ、もう、やめときゃいいのに。癖。もはや、病気。いや、ほんとうは寂しいだけなのかもしれない。自分の孤独を、自分の目で確認しないと気がすまない。誰かが笑ってるのを見て、ああ、私は笑ってないんだなあ、とひとり納得して、ちゃんと不幸の定位置におさまっていく。


楽しげにBBQをしている奴ら、旅先の料理をありがたそうに撮って載せている奴ら、趣味に命を懸けて、今日も胸を張って生きている奴ら、集合写真で歯を見せて笑ってる顔、顔、顔。キラキラ。眩しい。網膜が焼ける。私は、私の傷を、わざわざ針でなぞっている。痛い、痛い。馬鹿げた自傷行為。もっと血とか涙とか派手なものかと思っていた。でも実際は、案外地味だった。画面一枚ぶんで完結する、ポケットサイズの手軽な地獄。でも、やめられない。逃げられない。なぜって、何もすることがないから。それ以上でも、それ以下でも、ない。


そうして、一通り、自分を嬲り終えたころには、勝手に疲れてしまっている。スマホの電源を落とし、またベッドに倒れ込む。罪悪感と劣等感と、三人で川の字になって寝転がる。狭い布団のなか、彼らと私は、ずいぶん仲がいい。


 人が皆、それぞれの物語を生きている。そんな当たり前が、どうしようもなく怖い。私の人生は、世界という物語とはまったく違う紙に書かれている気がする。重なりも交わりもなく、ただぽつんと浮いている。私は、本のページのどこにも登場しない。そんな感覚だけが、はっきりと残る。


ああ、眠りたい。眠ってさえいれば、何も考えなくて済む。体を休めているのだといえば、それはそれで有意義な過ごし方、なのかもしれない。でも眠気はやってこない。来て欲しくないときには嫌という程来るくせに、いざというときには顔を見せない。あれは天邪鬼で、なかなかの性悪だ。


 仕方なく起き上がり、煙草に火をつけ、どうでもいいお菓子を口に放り込む。「お腹が空いた」という感覚で何かを食べた記憶は、もうしばらくない。ただ、「そろそろ何か食べておかないと」という、責任感とも自己保存本能ともつかない思いだけが、私を動かす。ただ適当に咀嚼して、飲み込む。味も覚えてないまま、今日の食事が終わる。


テレビはずっとつけっぱなし。別に面白くはない。だからといって、わざわざ消すほどの意志もない。ただ、音と光を垂れ流してくれる家電。十分にありがたい。意味のない映像をぼんやりと眺めながら、望んでもいない思考が勝手に始まる。これ以上何も考えたくないのに、脳みそだけは空気も読まず、勝手に稼働する。サービス精神が過ぎる。少しは休んでくれてもいいのに。


 私が何もしてなくても、時間は律儀に進んでいく。えらいね、時間。お前だけはブレない。黙っていても規則通りにカチカチ動いて、自動的に今日を終わらせてくれる。私はただ、ひたすらに、終了の報告を待っているだけ。人々がご褒美と信じて疑わない土曜日は、私にとっては、ただの静かな空白。今日もまた、例外なく。


 時計が夜の十一時を指す頃、煙草が切れてしまった。昼の眩しさは、私をあからさまに拒んだけれど、夜の暗さは、それなりに親切で、少々の不出来は受け止めてくれる気がする。どんな理由であれ、一歩でも外に出れば、少しは「何かをした」ことになるかもしれない。ドアを開けると、湿っぽくて暑苦しい、夏の夜の空気が漂っていた。行き先はコンビニ。イヤホンからは、うるさい音楽が大音量で流れる。わざわざ、すぐ近くの店ではなく、少しだけ遠い店へと足を向ける。ほんの数百メートルの違い。けれど、そのぶん、夜が醸し出す妙な高揚感を長く味わえる。それが、夜に対するささやかな敬意。まあ、正直なところは、そっちの店だとポイントが付くから、という単純な理由だった。


 店内はやけに明るく、外の暗さとの落差で目がチカチカする。入店音が鳴る。ここからは、ヒトとしてちゃんとしてください。そう言われているようで、思わず背筋が伸びる。まっすぐレジに向かうのも気が引けて、適当に商品棚をひとまわりする。


 酒のコーナーで、マンゴー味の五%と目が合った。「新作!」という赤いポップが、あの缶に下駄を履かせている。だからあれは、目が合ったというより、無理やり目を合わせさせられた、という方が正しい。ああ、夏だ、と思う。人は七秒見つめ合うと恋に落ちるらしい。しかし、七秒後に浮かんできたのは、心許ない残金のことだった。その時点で、彼とはサヨナラした。短い恋だった。


でもまあ、五%だし。酒は強いほうがいい。もっとも、私自身は全然強くない。肝臓の働きがどうにも不器用で、すぐ顔が真っ赤になる。酔うと普段より陽気になるらしいけど、それだけじゃ物足りない。思考がはっきりしているのが、どうにもよくない。馬鹿になりたい。私は、馬鹿と呼ぶには、少しだけ賢すぎるから。なんて言うと、鼻につくかもしれない。そこそこ賢いけどちょっと馬鹿、に訂正する。その方が愛嬌がある。そう、こんなことを気にしている時点で既に中途半端。


とにかく、酒を飲むなら、そんな曖昧な場所にいたくない。ちゃんと、れっきとした馬鹿になりたい。陰鬱も、卑屈も、劣等感も、まとめて流して、何もかも忘れて、気持ちよくなりたい。私は、楽しくなるために飲むんじゃない。忘れるために酔う。溺れるために酔う。酔うために飲む。それだけ。味なんて、二の次。三の次。


 元々、財布と相談して煙草以外は買わないと決めていたので、無駄に失恋だけしてレジへ向かった。レジには、ピアスをたくさんつけた女の店員が立っていた。切り揃えられた金髪のボブヘア。黒のアイラインは目元を鋭く吊り上げ、少し黒みがかった赤いリップが、どうしようもなく私の視線を引き寄せる。強さの中にどこか儚さを秘めていて、その可憐さが胸を刺す。そんな彼女と目が合った瞬間、思わず七秒間じっと見つめてみたくなった。でも、すぐに我に返る。鏡の前で「まあ、おかしくはない」と自分に言い訳をしていた、すっぴんに眼鏡、ボサボサの髪の自分。自身のみすぼらしさを思い出し、慌てて目を逸らした。


それにしても、七秒というのは思ったよりずっと長い。思いのほか難しい行為だ。見知らぬ人を無言でじっと見つめるなんて、ただの不審者でしかない。最近では「ルッハラ」という言葉もあるそうだ。ルックハラスメントの略で、見たくもない相手に無理やり見られるという、現代ならではの恐ろしい言葉。私がどんなに着飾っていたとして、やめておいて大正解である。それでも、彼女の世界に向けて綺麗に整えられた姿が目に入るたび、どうしようもなく恥ずかしくなる。せめて、この美しい店員と、私はただの客として、対等な存在でありたかった。同じ土俵に立ちたかった。けれど、今の私は、観客席にすら上がれず、その辺の蟻、いや、小石……いや、もっと価値のない存在だ。


 私はできるだけ顔を見せないように俯きながら「九十九番で」と言った。店員はさっと棚から九十九番を探し出し、「お間違い無いでしょうか」と差し出した。昼間のファミレスのような、過度に明るく、慌ただしい接客ではない。どこか気だるげで、最低限のマニュアルだけをこなす。悪意はないが、覇気もない。目の前に置かれたハイライトの青は、なんだか色褪せて見えた。でも、その緩やかな惰性が、まるで私の心の奥底にそっと滑り込んでくるようで、なんだか心地よかった。


「ポイントもお願いします」「支払いはカードで」。今日、私が発した言葉はおそらくそれだけだ。会計を済ませ、レシートと煙草を受け取って、無造作にカバンに押し込む。「ありがとうございます」と小さな声で告げて、そそくさとその場を離れた。背後から「ありがとうございました〜〜」という声が聞こえる。「ありがとうございました」ではなく、「ありがとうございました〜〜」。とてもじゃないが、感謝なんて感じられない。感情不在の空気に溶けるだけの言葉。下からゆるやかに放り投げるような、いい加減で投げやりな響き。それなのに、不思議とその声が私の心をふっと軽くした。


 知らない誰かと交わす、取ってつけたような会話。心がこもっていたかなんて、どうでもよかった。そんなやりとりだけで、私はほんのひととき、世界の一部になれたような気がした。自動ドアが開く。また、例の音楽。

「見てましたか。ちゃんとヒト、やってきました」

そう心の中でつぶやき、気取った足取りで、外へと踏み出した。


 その瞬間、むわっとした不快な熱気に包まれる。途端に興醒めだった。帰り道はいつも、なんとも形容しがたい感情に覆われる。虚無のようでいて、寂しさのようでもあり、かすかな憂いのようでもある。不思議なことに、行きよりも帰りのほうがずっと長く感じられ、歩幅もだんだんと小さくなる。距離は変わらないはずなのに。単なる疲労か、あるいは、目的地が湿気と皮脂と埃の匂いがする、あのベッドだからか。社会という広い海にほんの少しだけ指を浸けて、またすぐに、狭くて暗い金魚鉢に戻る。その往復が、どうしようもなく虚しくて、疲れる。いや、もっと単純に、私が生きるのに最低限の筋肉しか持ち合わせていないせいかもしれない。そんなわけで、ほんの数百メートル歩いただけで、額にはじっとりと汗が滲んでいた。


 足を進めるうちに、道はやがて閑静な住宅街へと入っていく。安そうなアパートと、なんの変哲もない一軒家が並んでいる。どれも普通という言葉にぴったりと収まっている。途中にある踏切の向こう側には、ラーメン屋や定食屋、カフェに保育園と、昼間はそれなりに賑やかな顔ぶれだが、この時間ともなれば静まり返っている。こちら側に至っては最初から面白味の欠片もなく、私は音楽にだけ身を委ねて、まっすぐ歩く。


 耳の中で、アップテンポなロックがガシャガシャと騒いでいる。歌詞は浅い。というか、薄い。何を言っているのか、さっぱり分からない。もしかすると、書いた本人も分かってないのかもしれない。だが、それでいい。音楽に意味を求めることは、人生に希望を求めるようなもので、だいたい、ろくな目にあわない。深い歌詞は、心に刺さる。文字通り、刺さる。刺さったあと、ちゃんと抜けずに残る。おまけに化膿する。そんなものに耐えられるほど、私は頑丈にできていない。下手をすると、うっかり泣く。みっともない。だから最初から聴かないようにしている。


無音は、それよりもっと危ない。静けさのなかでは、心の声が私にやたらと語りかけてくる。呼んでもいないのに、感情たちが、ぞろぞろと顔を出す。こっちの意見などおかまいなしに、勝手に話し合いを始めて、騒ぎ出す。だから、もっと騒がしい音をかぶせておかないと、あいつらは図に乗るのだ。リズムに身体を委ねている間だけは、何も考えなくていい。この数分で、私はだいぶ命拾いしている。たぶんこれからも、誰にも気づかれないまま、何度もそうして生き延びるんだろう。


 ふと視線を上げると、私の家と同じくらいくたびれたアパートの二階に、老婆の後ろ姿が見えた。足取りはふらふらと、夢遊病者のようで、見ているこちらの力が抜けてしまいそうなほど、頼りなかった。やがて横顔がちらりと見えた。思ったよりもずっと若い顔だった。三十代――いや、二十代後半、もしかすると、私と同い年くらいかもしれない。老婆などと呼んだのは、ずいぶんと失礼な話で、勝手に申し訳なくなった。彼女はそのまま、ゆっくりとアパートの奥に歩いていき、やがて視界から消えた。何かを探していたような、あるいは、何も考えていなかったような、そんな歩き方だった。


彼女の一日は、どんなものだったのだろう。私と同じように、誰にも呼ばれず、意味もなく、ただ日が暮れていったのか。それとも、昼間はちゃんと「ヒト」をこなしていて、その疲れが今だけ彼女を老婆に見せているだけなのだろうか。どちらにせよ、私と彼女は同じ匂いを纏っているように思えて仕方なかった。名前も知らないし、言葉を交わしたこともない。けれど、確かに私たちは、同じ諦めの温度の中で呼吸をしていた。だからこそ、ひとこと挨拶でもしておきたかった、と思った。私と彼女が、ほんの少しだけでも、ヒトであるために。


「こんばんは〜〜」なんて。


 ようやく踏切あたりまでやってきた。カンカンという音が、今聴いている音楽のリズムの裏拍をたまたま取っている。こんなくだらない偶然に、思わず口元がゆるむ。悪くない、と思った。でも、その気分も長くは続かない。数秒後、電車の轟音が、音楽をかき消した。さっきまでライブ会場にいたのに、突然現実に突き落とされたみたい。よりによって、いちばん好きなBメロの途中。まるで何かに仕組まれているかのように、タイミングよく。いや、悪く。ため息が漏れて、はっとする。私は少しだけ浮かれかけていた。危なかった。神様の、あいかわらず雑な演出によって、気づかされてしまう。


 やっぱり、土曜日は嫌いだ。いや、二十四時を過ぎてるから、もう日曜日か。じゃあ、嫌いな日が二日になっただけだ。週末というのは、ちゃんとしたヒトのための制度。私のように、月曜から金曜まで、真面目に、きちんと、まったく何もせず、うっすら死んでいたモノにとっては、何の祝福にもならない。そんなにみんなが愛でるなら、嫌う役も誰かが引き受けなきゃね。今週も、私はいい仕事をしたと思うよ。

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