茗荷
たをやめ
茗荷
茗荷とは、私にとって幼少の象徴であり、また大人の象徴でもあります。
私の生家の前の崖には、茗荷が植わっていました。曾祖母は少しの暇を見つけて、それを採っては近くの湧水で洗うのです。それは大層土臭くって、独特の香りが強くって、とても食べられたものではありません。素麺なんかが昼ごはんに出た日には、どっさりと山になって卓上を彩るのですけれども、残されることが常でした。祖父は食べもしないのに、箸でわっしりと掴んではつゆに浸してみたり、天ぷらの皿に乗っけるだけ乗っけてみたり。私はなぜ、毎度毎度、要らない茗荷がそこに居座っているのかが不思議でなりませんでした。食べもしないのに、採るだけ採って。わざわざ洗って。
その理由に気がつくのに、それほど時間はかかりませんでした。曾祖母は食べるために採っているわけではない。ただ、手が寂しいので採ってみているだけなのだと。なんとも、茗荷には悪いことをしているなとは思っていましたが、その味は大嫌いでしたから、口にすることはありませんでした。
そこからちょっと山を下って、人気のあるところへ越しました。スーパーに行って茗荷が並べられているのはうっすらと知っておりましたが、わざわざ買うものと思っていなかったので、値段を見ることもありませんでした。値札を見て跳び上がったのは、そこから季節がひと回りした頃です。なんでこんなに高いのだろうか、こいつは香り高くて美味いのか、と母に聞いてみましても、むしろ香りが抑えられて上品な味だから高いのだろうと返されました。薬味であるのに、癖がないのが好まれるとは、わたしの頭を悩ませる他ありません。あの、癖しかない土のような味は、私の根源であり、幼いことの証明なのです。
中学にあがっても、茗荷への苦手意識と憧れは失せませんでした。夏休みの日誌の一頁に、絵葉書を書く課題がありました。なにかひとつ絵を描いて、そこにことばを添えて先生に提出しよう、という課題です。私は迷わずに茗荷を描きました。先生に見せるだけですから、なんの気負いもなく、嘘をついてやろうという気持ちさえ抱きながら色鉛筆を走らせたのです。色彩を垂らした茗荷に添えたのは「少し、大人になりました」という一文。茗荷が食べられるようになったから、少しだけれど大人に近づいたのだと記して、提出しました。
ㅤそのときの私が食べられたのは、千切りされた細い一本だけ。たったそれだけで大人を名乗るとは、大きすぎる嘘です。そんな嘘をつくことこそ、子どもの証であると思いますけれど、私は大人になりたかった。
茗荷は大人の、成長の証明でした。
茗荷 たをやめ @tawoyame_
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