地下にて

Kei

地下にて

金曜日の夕方、職場を後にした圭一はそのまま繁華街に向かった。

独りでアパートにいるよりも賑やかな外にいたかったのだ。


ひときわ騒がしい週末の夜。立ち飲み屋にさえ順番待ちの客がいた。

質より安さ重視のメニュー、カタコトの日本語で注文が飛び交う、そんな店を三軒も梯子した後には、テーブルに寄りかかっていなくてはならないほど、足元がふらついていた。


「お客さん、そろそろ閉店ですんで…」

23時を過ぎていた。圭一は店を出た。蒸れたアスファルトから疲れた匂いがしている。


通りにはまだ人がいた。赤い顔で同僚に駄弁るサラリーマン、騒いでいる若者グループ、体を寄せ合って歩いているカップル…


社会に出てから十数年もたち、トモダチとも疎遠になった。家庭もなければ寂しさも感じる頃だ。その代わりになったかもしれないカイシャでの立場もない。

それが悪いというわけではない。しかしそれを「取り残された」と感じる者もいる。圭一もそのひとりだった。アルコールの回った頭にも孤独が広がる。


車通りも少なく、静かになった国道を歩く。


自分ひとりが生活していくのに足りるだけの給料はあった。金も社会的地位も人間関係に必要なものだ。逆に言えば、それが無ければ必要のないものだった。


— なら、それが有れば、手に入ったのか? それもおかしな話じゃないか —


手近な階段から降りた地下街。すでにシャッターが降りていた。警備員が施錠を確かめている。通行人はほとんどいない。


気持ちが落ち着いた。

数時間前まで賑やかさを求めていた圭一だったが、今はその逆だった。夕方の地下街を駅に向かう人たち。友人へ、恋人へ、家族へ… それぞれが「関係」に向かって歩いている。それが事実かどうかは別として、圭一にはそう見えるのだった。

それを感じるのは苦痛だったからだ。


メトロに着いた圭一は、改札の向こうの電光掲示板を眺めた。最終電車の時間が表示されている。腕時計はその時刻を指していた。階下から笛の音が聞こえてきた。


— 乗り遅れたか… —


圭一は地下道を引き返した。タクシーを捕まえるしかない。

どこかの上り階段を探すために、フラフラと歩く。


— 今更、急いでも仕方がないな —


そう思った途端、緊張が解けたのか、急に目蓋が重くなってきた。

圭一は地下街のトイレに入り、個室に座り込んだ。



* * * * *



目を覚ました時は真っ暗だった。トイレは消灯されていた。

圭一は手探りで地下街に出た。頼りない光の蛍光灯に近寄り、腕時計を覗き込む。午前1時40分



ジリ ジリ…


ガラス管の中を羽虫が飛んでいる。


― 虫…どうしてそこに迷い込んだ。 出られないのか ―


管の下に溜まっている死骸、それは少なくとも答えの半分だった。


赤い非常用照明を目指して歩く。地上への階段の途中にあるガラス扉は施錠されていた。再び地下街に戻り、他の出口へ向かった。

当然ながら、他の扉もすべて施錠されていた。

ガラスの向こうに夜の空が見える。


— 見えているのに、出られないとはな… —


圭一は警備員を探すことにした。閉じ込められたことを説明して、扉を開けてもらうために。


真っ暗な地下街では方向さえもわかりにくい。広くても、閉ざされていれば迷路と変わらない。

しばらく歩き回り、再び蛍光灯の下で時計を見た。10時20分


— 壊れたのか? こんな時に… —


その時、遠くで光が右に、左に、揺れているのが見えた。

懐中電灯の光のようだ。圭一は追いかけた。


長い地下道だった。しばらく走ったものの、一向に追いつかない。そのうち、警備員はどこかを曲がっていったのか、光は見えなくなった。


ゼェゼェ ハァハァ


膝に手をついて息切れを整える。腕時計に目をやった。4時

体を起こした時、前方を横切っていく懐中電灯が見えた。



「あの… すみません」



警備員はふり返って圭一をジッと見、そして答えた。

「 …ハイ なんでしょうか」



地上うえに出たいんです。 扉を解錠して欲しいんです」



「 …出られませんよ。取り残されたら」



* * * * *



翌、早朝。警備員が地上へ出るガラス扉のそばで死んでいる男を発見し、警察に通報した。



「先輩、どうしたんですかねぇ、これは」


「見たままさ。餓死だ。ほとんどミイラじゃないか? 何日か彷徨ったみたいだな」


「そんなことって…ありますかね?」


「さあな… ところで、身元はわかったのか?」


「あ、ええ。社員証がありました。関係者に確認したところ、本人は昨日も出社していたそうです」


「 …そうか。あとは検死に任せよう」


「先輩… 最近、いろいろスルーするようになりましたね」


「事件なんて毎日、山ほど起こるんだ。いちいち深く考えてると精神がもたないぞ」


  「あぁ、そういえば…」


「なんですか?」


「都会じゃ、こういう死に方をする人間がたまにいるんだ」

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地下にて Kei @Keitlyn

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