第12話 朽ちた都の水やり係

 ガラスの水差しを傾けると、ただの岩にしか見えない杭の下から奇妙な模様が現れ始めた。青にも緑にも見えるその模様は、注がれた水が溜まっていくように杭を染めていき、満ちたところで最上部から最下部までに波紋を広げた。

「よし」

 ロゼットは視認できた現象に掛け声一つ、見た目の割には重くない水差しを抱え直すと周囲を見渡した。

 大きく代わり映えのしない緑の草原と青い空、白い雲。

 しかし、先ほどまでの曖昧な感覚は失せており、しっかりとそこに立っている実感が伴うようになっていた。

 ――オーサに頼まれた日から一週間。

 意識すれば里に点在していた杭に、水差しを傾ける日々は今も続いている。

 やり甲斐はあるかと問われればそうでもなく、そもそも仕事と呼んで良いのかも分からない作業だが、満たされた後の杭の周囲にもたらされる感覚は清々しい。

 ロゼットにはそのくらいしか分からない変化だが、一週間前、最初の杭に水差しを傾けた時のオーサは、初めて見る顔で喜んでいた。

 想定していた以上の効果があったらしい。

 そうして「水やり係」を長直々に任命されたロゼット。こちらも失敗どころか成功した上、探していた職を得られて喜ばしい限り、なのだが。

 一方で、自分の知らないところで妹が変な職業に就いたと知った姉の顔は……あまり思い出したくない微笑に塗り固められていた。そんなナタリーが、これ以上、自分の目の届かないところで、オーサに勝手なことをされたくないとロゼットに渡してきたモノが在った。

 里の証と共に取得した特殊な力。

 それを元にナタリーが創り上げたのは――。

「お嬢様、次はどちらへ向かわれますか?」

 張りのある若い男の声に目をやれば、ロゼットの腰より低い背丈の甲冑が在り、

「それよりそろそろ飯にしねぇか? まあ、喰うのはお前さんなんだが」

 ぽふっと頭に触れるモノを見れば、甲冑と同じ背丈の、垂れ耳に独特なセンスの色彩を持つぬいぐるみが在る。

 どちらも一週間前のあの日、部屋に籠もった姉が創り出した、思考能力を持つ「ロゼちゃんの従者」だそうだ。

 そうナタリーが得た特殊な力とは「人工生命体の創造」であった。

 ――元から違うのは百も承知だけど……いくらなんでも質が違い過ぎるでしょ!

 最初に”彼ら”共々明かされた話に叫びはしなかったものの、叫びたくはあったロゼット。それでも、そんなナタリーの最初に創り上げたモノが、しょっぱい結果だった自分の特殊な力を明かすに当たって、「どうせなら使い魔を喚べる力だったら良かったのに」という愚痴を拾ってくれたモノと察したなら、「ありがとう」と心からの感謝を述べる他なかった。

 ……何故かどちらも男声であることには疑問が残るが。

 加えて、

「おい、お前! 気安く淑女の髪に触れるな! 無礼だぞ!」

「ちょっと動いたくらいでガチャガチャうるせー奴が更にうるせーな。悔しかったらお前もここまで来てみろー」

「おまっ!? お嬢様の頭に馴れ馴れしくしがみつくな! 離れろ!」

 柔らかい布地の感触が帽子のように頭を包めば、足元で金属音が飛び跳ねる。

 ナタリーが紹介した時からこの二人、仲というか、相性が悪い。

 お陰で水やりの道中退屈することはないが、どう窘めたものか。

 うるさいとも言えない、賑やか止まりのやり取りに挟まれていれば、

「今日はもう終いか?」

「あ、オーサ」

 近づいてきた姿にロゼットの従者たちは言い争いを止め、

「おお、オーサ殿。ご機嫌麗しゅう」

「よっ、オーサ。お前さんもこれから飯か?」

 各々軽い挨拶をする。

 創造主であるナタリーとは違う二人の態度に、最初こそ面食らっていたオーサも今ではすっかり慣れたもので、それぞれに頷いてみせた。

「まあ、そのようなところだ。して、どうだ? 変わりはないか?」

 二人からロゼットへ。向けられる金と銀の移り変わりはそのままに、動きだけは一週間前より早くなったオーサ。杭を一人で調整する必要がなくなったためか、思わぬ副産物があったらしい。と言っても、常人よりかはやはり全体的に遅いのだが。

 それでも以前より動きのあることに胸内では喜びつつも、ロゼットは素知らぬていで自分の手――里の証が表示する地図を見た。

「今日はあと2、3箇所ってところかしら。いつも通り、至って順調よ」

「そうか。感謝する」

「そう? それじゃあお昼でも奢って貰おうかな」

 会う度言われる礼が気恥ずかしく、そんな軽口を叩けば「いいだろう」と応じるオーサ。ほんの冗談のつもりだったロゼットは慌てるが、それより先に腹の音が自分から鳴れば、小さくなって黙るしかない。

「では、行こうか」

 オーサが促せば、

「ささ、お嬢様。ここはオーサ殿のためにも、しっかり馳走になりましょうぞ」

「よっしゃ、飯だ! たらくふく喰えよ!」

 食事を必要としない二人の従者たちが力強く追随する。

 その構図のおかしさと腹の音の余韻に「何よもう!」と膨れつつ、馴染んでしまったやり取りに、ロゼットの口元はついつい緩んでしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朽ちた都の水やり係 かなぶん @kana_bunbun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画