プロフィールの景色

ぼくしっち

第1話完結

三十歳を目前にして三年付き合った彼氏に振られ、私の心にはぽっかりと穴が空いていた。見かねた友人が「気分転換にでも」と勧めてきたのが、マッチングアプリ『コネクト』だった。

 正直、乗り気ではなかった。けれど、一人で過ごす休日の虚しさに耐えきれず、私は藁にもすがる思いでアプリをインストールした。


 数日が経ち、何人かの男性と当たり障りのないメッセージを交わす中、一人だけ、私の心を強く惹きつける人が現れた。

 彼の名前は『ユウヤ』。

 プロフィール写真の彼は、爽やかな笑顔が印象的な、絵に描いたような好青年だった。自己紹介文も丁寧で、誠実な人柄がにじみ出ている。何より、好きな映画のジャンルや音楽の趣味が、驚くほど私と一致していたのだ。

 彼から届いた『いいね!』に、私は吸い寄せられるように『ありがとう!』を返した。マッチング成立を告げる通知が、スマホの画面で明るく弾けた。


 ユウヤさんとのやり取りは、想像以上に楽しかった。

『美咲さんは、ミステリー映画がお好きなんですね。最近観て面白かった作品はありますか?』

『駅前の新しいカフェ、もう行きました? あそこのチーズケーキ、絶対美咲さんの好みだと思いますよ』

 彼はいつも、私が話したいと思っていた話題を絶妙なタイミングで振ってくれた。私の好みや行動パターンを、まるで昔からの知り合いのように理解している。私はすぐに夢中になり、これが運命の出会いだと信じ始めていた。


 ただ、心の隅に、ほんの些細な違和感が引っかかっていた。

 彼のメインプロフィールに使われている、公園で撮られた写真。背景に写る木々や古びたベンチ……どこかで見たことがあるような気がしてならないのだ。

(まあ、よくある公園の風景よね)

 私はすぐにそう結論付けた。日本中、似たような公園なんて星の数ほどある。


 ある日、ユウヤさんのプロフィール写真が更新された。今度は、夕日に染まる海辺で撮られた一枚だった。これもまた、息をのむほど素敵な写真だったが、同時に、私の胸は既視感でざわついた。

(この景色……まさか)

 去年の夏、友人と江ノ島へ遊びに行った。その時に見た夕焼けと、あまりにも似ている。

 いや、そんなはずはない。偶然が重なっているだけだ。そう自分に言い聞かせ、私は胸のざわめきを無理やり押し殺した。


 ユウヤさんとの関係は順調に進み、ついに彼の方から「そろそろ、お会いしませんか」と誘われた。もちろん、断る理由なんてない。私たちは次の週末に会う約束をした。


 デートの前日。浮き立つ心で準備をしていると、ユウヤさんからメッセージが届いた。

『明日、本当に楽しみです。そういえば、一つ言い忘れていたことがあって』

『美咲さんの家の近く、桜並木が綺麗ですよね。明日、そこを通ってご自宅の近くまでお迎えにあがります』


 その一文を読んだ瞬間、私の全身から急速に血の気が引いていくのがわかった。

 どうして?

 私が今住んでいるマンションの近くに桜並木があることなんて、彼に話したことは一度もない。アプリのプロフィールにも、最寄り駅すら登録していないはずだ。


 言いようのない恐怖に駆られ、私は震える手で彼のプロフィールページをもう一度開いた。

 最初の、公園の写真。指でぐっと拡大する。

 そこに写るベンチの隅に、私が昼休みによく利用する会社の裏の公園で、いつも見ている特徴的な傷があるのを見つけてしまった。

 次に、海辺の写真。これも必死に拡大する。夕日を眺める彼の背後、波打ち際に、豆粒のように小さく写り込む人影。その人影が着ているワンピースが、去年、私が江ノ島で着ていたものと全く同じデザインに見えた。


 まさか。

 私は自分のSNSを遡った。去年の夏、『最高の夕日!』というコメントと共に投稿した、江ノ島の写真。ユウヤさんの写真と、構図がほとんど同じだった。

 違うのは、私の写真には私が写っていて、彼の写真には彼が写っていることだけ。

 まるで、私がいたその場所から、私という存在だけを綺麗に消し去り、彼自身がそこに成り代わっているかのように。


 スマホが震え、新しいメッセージの通知が表示される。心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 恐る恐るメッセージアプリを開くと、一枚の写真が添付されていた。


 それは、今、この瞬間の、私の部屋を、外から撮った写真だった。


 窓ガラスに反射して、カーテンの隙間から漏れる部屋の明かりと、パソコンの前で固まっている私のシルエットが、ぼんやりと写り込んでいる。


 写真の下に、追い打ちをかけるように新しいメッセージが届いた。


『プロフィールの景色、気に入ってくれた?』

『全部、君がいつも見ている景色なんだよ』

『君の好きなもの、好きな場所、全部知ってる。だって、ずっと見てたから』

『君のプロフィールは、僕が一番よく知ってるんだ』


『さあ、ドアを開けて。本当の僕に会う時間だよ』


 手からスマホが滑り落ち、床に軽い音を立てて転がった。

 それと、同時だった。


 ドン……ドン……。


 玄関のドアが、ゆっくりと、しかし確実にノックされる。

 私は悲鳴を上げることもできず、ただその場で凍り付いていた。床に転がったスマホの画面だけが煌々と光り、ユウヤさんの、あの爽やかな笑顔のアイコンが、静かにこちらを見つめていた。

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プロフィールの景色 ぼくしっち @duplantier

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