第6話 レプリカ
その花は藍色でたっぷりとした花びらに縁取られていた。美しく艶があり、ベルベットのようであり、プラスチックのようでもあった。中心にいくほど彩は薄くなり、やがてそれは透明になる。中心はぽっかり穴が空いたようだった。
黄緑色の茎はレプリカで、葉は一枚もない。ただし小さな棘がいくつか付いていた。
「美しい花畑だね」
幻聴かと思うような穏やかな声だった。
顔を上げるとそこは、一面の真っ青な花畑だった。ああ、きっとここはあの世で私は死ぬ事に成功したんだとそう思った。
「ねぇ、三途の川ってどれ?」
不躾な質問に眉一つ動かさない、顔色の悪い青年はこちらを向いた。
「僕は見た事がないよ」
「あなたは鬼とか閻魔様とかそういう人じゃないの?」
「残念ながら、僕は死神だよ」
「そう、てっきり私なんか即地獄かと思ったわ」
「君は、もう選んだの?」
彼はまっすぐ私をみた。グレーの瞳は、深海の海のようでゾッとするほど美しかった。
「どういう事?死ぬかって問いなら答えはYESよ。というか、そのつもりでこうしてるの。てっきり死んだと思っていたんだけど」
死神は地面に乱れ咲いた花に夢中で話を聞いていなかった。私は堰を切ったようにしゃべりだした。話さずにいられなかったのかもしれない。
「私ね、小さい頃から容姿で揶揄われていたの。眠そうとか、毛虫みたいとか、太ってるとか散々虐められたわ。でも、1番辛かったのは両親も一緒になって笑うばかりで庇ってくれなかった事よ。ミサキなんて、不似合いな名前をつけた両親を恨んだこともあったわ」
お気に入りのネイルが禿げた爪先を触った。ラインストーンがカラカラと床に転がったけれど、もうどうでも良かった。
「大人になって、使えるお給料は全部容姿を良くするためにつぎ込んだわ。バカにしたやつを見返してやろうと思って。整形して、ダイエットして、たくさん手術もした。……別人になったわ。そうしたら両親は、なんて言ったと思う?」
視界が歪んだ。美しい青い花畑に涙が落ちた。揺れる花たちは全てこちらを向いていて、私は少しゾッとした。視線はもうたくさんだったからだ。
「親からもらった体を傷物にするなんて!だって。馬鹿みたい。じゃあ、傷物にするのを思いとどまれるぐらいあんたたちが愛してくれたら良かったんじゃないのって……笑っちゃうでしょ?綺麗になって、SNSもフォロワーがたくさん増えたわ。有名になって、会社も立ち上げた」
「君は幸せだったの?」
死神はひとつ、ふたつと地面から花を摘んで窓の外の月明かりにかざしていた。独り言のつもりだったけれど、どうやら聞いてくれていたらしい。
「ちっとも。いつ整形がバレるのか怖くて、私を知る誰かに昔の写真を流されるのが怖くて、ずうっと怯えてたわ……でも死ぬのはそれが理由じゃないの」
私は泣きながら笑った。おかしかったからだ。あまりにも自分の人生というものが滑稽で、憐れで仕方なかったから。
「恋人がいたの。イケメンで、お金持ちで、性格だって素敵な尊敬できる人だった。でも私は偽物で、成り上がりで、性格は捻くれていた。彼がいい人であればあるほど、愛されれば愛されるほど、私の影は濃くなっていくのよ」
膝の上で揺れている花を私もひとつ摘んでみた。香りはないけれど、作り物みたいに陳腐なそれを私は抱きしめた。
「彼の両親に紹介されたわ。……私の素性は調べ上げられていた。全てバレたわ。整形も、成り上がるためにやってきたことも、愚痴ばっかりの裏垢も、ぜーんぶ」
「彼の愛を失ったの?」
「さぁ?どうかしら。考えさせてくれって神妙な顔をしていたわ。だけど私は気づいてしまったの」
妙な手触りの花だった。
ベルベットの花びらの手触りを手慰みにしている側から、涙は勝手に落ちた。
「私は、私をちっとも愛していない。私は私の本当にしたかったことも、本当になりたかったことも、何も知らないの。私の価値はいつだって他人が決めるものだったからよ」
この花は私自身だった。そっくりだ。
一見美しくて、目を引いて、変わっていて。中身は空で、茎はレプリカだ。
「私は私を、愛せる私でいたかった」
「もう遅いの?」
「つかれたのよ」
「おしゃべりを聞いてくれてどうもありがとう。私のこの花は、見てくれだけで私にそっくりね」
「透明なのは悪い事じゃない。これから何にだってなれるかもしれないことの裏返しだよ」
「……ありがとう、あなたの言葉は人生でいちばん、嬉しかったかもしれない」
私は目を閉じた。疲れ切ってもう眠ってしまいたかったからだ。
眠りについたその時、私はきっとこの花のことを思い出すだろう。あるいは、この短い記憶が大事だったことをただ覚えていたいと祈っていた。
ハナノニワ/死にたい気持ちが花になる話 4to @rara717
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