かにかま(ただし猫用)

かたなかひろしげ

必要なもの

「今度こそは甘いものを頼むよ」


 俺が助けた猫の首に付いていたという猫鈴。それをお守りだと言い、彼女は瞳孔を縦に細め、そっと俺に微笑んだ。それを音もなく袖机にそっと置くと、そのまま静かに病室を出ていく。

 今度こそ、今度こそ彼女は甘いものを買ってきてくれるだろうか。



 ───猫用かにかま、というものがあるのをご存知だろうか。


 この猫用かにかま、なるものは猫が食べることへ配慮して塩分が添加されてなかったりと、色々な調整されている所謂いわゆるキャットフードである。だが、猫は海で泳がない。カニの存在もおそらくきっと知らないハズなので、カニに似せたところで猫様に対しては全く効果は無いはずだ。


 だがしかし、「かにかま」という商品は、その姿をカニに似せていることこそがアイデンティティであり、商品価値の中核だ。だから、恐らくこの「かに」要素は、それを購入する飼い主に訴求しているものなのだろう。


 繰り返すが、猫にとってはそれがズワイガニに似ていようが、カブトガニに似ていようが、スベスベマンジュウガニに似ていようが、なんでも構わないのだ。でもこの中からなら、きっと飼い主は恐らくズワイガニの身に似ているものを選ぶのであろうが。


 何故、飼い主はスベスベマンジュウガニではなく、ズワイガニを選ぶのか、と言えば、それはズワイガニの方が美味しいのを知っているから、そちらを選ぶ。猫に喜んで貰いたい、美味しいものをあげた方が猫も喜ぶはず、そんな気持ちが最終的にズワイガニの方を選ぶわけだ。



 それで同じようなケースは案外ある。そう、当事者にとってはどうでもいい点なのに、お金を払う人の判断に影響を与えたくて、商品価値を高く見せているような品物だ。


 例えば、バイクで豪快にコケてガードレールにしたたか両脚を打ち付けたことで、見事に両脚を骨折して入院している今の俺は、昨日の事故直後から駆けつけてくれて、今も付き添いをしてくれている彼女に、生殺与奪の権利を握られてしまっている。


 彼女がその気になれば、俺の3時のおやつは無くなるだろうし、なんならベッドで小用をしている時にも抵抗できないから、ナニがばっちり見られてしまうわけだ。ああ、本当に色々と人生の危機である。


 だから今、俺が考えなければならないことは、「彼女が気に触る」ようなものは、おねだりしないことだ。さもないと、こないだのように「甘いものが食べたい」とおねだりしたら、味噌煮込みうどんがUberされてきたりする始末になる。



 ───うん、今思い返してもあれは大変だった。


 確かに味噌煮込みうどんは「甘辛」ではあるが、当然、俺が求めていたのはそういう甘さではない。ただチョコみたいなおやつが食べたかっただけなのだ。うどんはいらない。もう当分はNo 名古屋だ。あそこら辺の県の人、甘辛好き過ぎだと思う。


 少々脱線したが、何を言いたいかというと、財布の紐を握っている人に訴えかけることが出来ている商品こそが、購入者様に買ってもらえるのだ。彼女が何故ケーキとかではなく、あつあつの味噌煮込みうどんを選択したのかには再考の余地があるが、俺が喜ぶと思ってそちらを選んだのに違いない。


 だから、俺が先程彼女にリクエストした、「今度こそ甘いもの。甘辛じゃなくて甘いもの」という完璧なリクエストであれば、 それに相応しいもの───そう、饅頭であったりケーキであったりといったものが、彼女様の趣向によってチョイスされるはず。俺は同じ失敗は繰り返さない。


 先ほど病室を出ていった彼女の顔を思い返すと、袖机に置かれているらしい猫鈴が、何故かちりんと音を立てたような気がした。


 ***


 ───部屋の前の廊下から、中の様子を看護師達が伺っていた。


「あの患者さんですが、折角意識戻ったのに、また独りでカーテンと喋ってますね」

「大怪我でしたから、せんもうだと思います。親しい誰かがいるように幻覚が視えているみたいです。確かにここの運ばれてきた時の、あの患者さんの怪我はその……かなり危なかったですから」

「確か、飛び出してきた猫を避けようとしてガードレールに突っ込んだのですよね。奇跡的に意識が戻ったのですから、いっそこのまま回復出来ればよいのですが」


「あとで病棟ボラボランティアさんに、チョコレートでも買ってきてもらうようにお願いしておきます」

「気持ちはわかるけど、あんまり肩入れしないでね」

「はい」


 ***


 ───いつの間にか微睡まどろんでしまっていたようだ。

 窓から外を見れば、西日がまさに落ちるところであり、初夏の空は薄く茜色に染まりかけている。

 どれぐらい寝てしまっていたのだろうか。確か彼女を見送ったのは、昼下がりであったから、結局もう半日寝ていたことになる。たとえ起きていてもやることが無いベッド生活とはいえ、この後、夜も結局寝なければいけないのだから、流石に寝すぎているような気もする。


 大量の管に繋がれた上半身を無理矢理引き起こし、ベッド横の袖机を見ると、2枚の板チョコレートが置いてある。

 一枚はよくコンビニとかで売られてる定番のやつ。それともう一枚は高級なチョコレートだ。そう、あのチョコは俺も知っている。

 ああ、そうか。彼女はもう帰ってしまったのか。やはり寝過ぎたんだな、俺は。

 手が動けば食べたいんだが、呼吸器も外せないし、やはり今食べるのは無理かなあ……


 ***


 看護師達が、ベッドメイクをしながら、立ち話をしている。


「前回意識が戻ったのは、確か20時間ぐらい前でしたよね。例え意識が一時的に戻ったとしても、もう治療としては手の施しようが無い。というのも、ある意味残酷ですね」 

「また昏睡状態に戻ってしまったけど、今夜が山らしいの」


 ベッドメイクを終えて、看護師の一人が袖机に目をやる。


「あの。チョコレート……ありがとうございます」

「うん?ランチのついでに売店で買っただけだから、気にしないで」


 袖机の上には、チョコが2枚おかれていた。


「私、どうして病院の売店にあんなに高いチョコレートが売ってるのかな、ってずっと不思議だったんです。患者さんって、投薬で繊細な味覚とかが曖昧になってる上に、その……砂糖も普通のチョコレートより大量に入ってるじゃないですか、ああいう高級チョコって。そういう意味でもあんまり病院向けじゃないのにな、って思ってたんです。

 でも違ったんですね。あれって、どちらかというと送る人の満足のために、ああいうチョコが置いてあるわけで、食べる人のその・・都合みたいなのはさて置き、みたいなものを感じます」


「良いものを送ることが、その人を大切に想っている、という意思表示にもなるから、あれも一概に悪くも言えないのよ。患者さんは全然食べられもしないのを知っているハズなのに、高級フルーツの詰まった籠を差し入れてくる見舞客とかもそうね」


「でも、あの高い方のチョコレート、売店には無いやつですよね。どこまで行って買ってきたんですか?」

「えっ? あなたが私の後で買ったのではないの?」

「はい。私は買えてないんです。昨日はずっとナース長に睨まれてて、昼も食堂でした。だから先輩がチョコをわざわざ2枚、買ってくれたのかと思ってました」

「私は2枚も買ってないけど?」

「そうなんですか? それでは、あの2枚目は一体誰が……見舞いは誰一人も通していないのに」


 ***


 ───3ヶ月後。


 ようやく意識が戻った俺は、全身の筋肉が衰えてしまったこともあり、まだ病院に入院したまま、リハビリを続けている。なんでも意識が戻ったのは奇跡的な話だったらしく、丸眼鏡の担当医師らしき人が、目に涙を浮かべてくれたのを、まだ昨日のことのように覚えている。


 一方、彼女の方も甲斐甲斐しく病院に来てくれている。俺が入院している大部屋まで来ては、愚痴を言いながらも俺の世話をしてくれているおかげもあり、近々退院出来そうだ。


 「そういえば、あの事故った次の日、チョコレートありがとうな。結局あの時、身体動けなかったから喰えなかったけど、すごく嬉しかった。俺の好きなあの海外のチョコレート、あれって確かカノディでしか売ってないやつだよな。わざわざ買いに行ってくれたのが嬉しくて、ずっとお礼言わなきゃ、って思ってたんだよ」


「う、うん。どういたしまして……ってあれ!? 私、サトシが入院した次の日って、見舞い来たっけ? チョコ買ってきた記憶も実は無い……」

「えっ?そうなの? あの日、俺、死にかけてたらしくて記憶が曖昧なんだけど、なんだかすごく嬉しかったんだよなあ……」


「サトシ、そのチョコ、誰から貰ったの?」


 ───ふと、どこかで鈴の音が鳴ったような気がした。

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かにかま(ただし猫用) かたなかひろしげ @yabuisya

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