第17話 君と踏み出す明日
「ナズ。アラナ先生がアマノネのことを教えてくれるって」
幻影の国での冒険から、半月後。夕食の時間に、いきなりお母さんが言い出した。豆がたっぷり入ったスープを食べていた私は、匙の先を口にくわえたまま、首をかしげる。
「……なんでアラナ先生?」
「なんでって。相談してたから。アラナ先生はツチノネ使いだしね」
「そうなの!?」
私が叫ぶと、お母さんはふしぎそうに「あれ、知らなかったの?」と言ってくる。……知らなかったです。
「とにかく。今度先生のお宅にうかがって、詳しい話を聞いてきなさい。できれば私も一緒に行きたいけど……時間が取れるかわからなくてね……」
「無理しなくていいよ」
驚きでぼんやりしたまま、私はそう答えた。
次のおやすみの日。アラナ先生のお家に行くことになった。
結局、お母さんは予定をあけられなかった。すごく残念そうだった。
それはともかく。私は、道順が書かれた紙の切れ端を片手に、アラナ先生の家を目指している。いる、のだけれど――
「……なんで、エミーネがいるの?」
「外に出るときは二人以上で行動しなさい、って言われてるからだよ~」
私の隣を歩くエミーネは、歌うようにそう言った。
幻影の国の一件の後から、エミーネやカヤトくんとはよく話すようになった。エミーネはすぐに私を『ナズ』と呼ぶようになって、私も釣られて『さん』付けをやめた。今では一緒に帰る仲だけど、今朝家に来たときは、さすがにびっくりした。
「遊ぶ予定、あったんじゃないの?」
「今日はないない。カヤトも男子たちと遊んでるしね」
「家の手伝いは?」
「それを聞くのは野暮ってものだよ?」
……抜け出してきたな。
「私、今からアマノネの話を聞きにいくんだよ? エミーネにはつまらなくない?」
「大丈夫! むしろ気になる!」
「そ、そう……。ならいいけど……」
目がらんらんと輝いている。そうしていると、リスというより子犬みたいだ。
すまして首を振った後。私はふとあることを思い出して、友達を見た。
「エミーネ。話は変わるんだけどさ」
「なあにー?」
「カヤトくんから、『エミーネがずっと私のことを気にしてた』って聞いたんだけど……なんで? 私、はたから見たら『変な子』でしょ」
エミーネは、大きな目をぱちくりと瞬く。それから、人差し指をまっすぐ立てた。
「鼻歌!」
「鼻歌?」
「うん。ナズって、時々鼻歌を歌っているでしょ? それが、すっごくきれいだなって思って。こんなきれいな歌を歌う子は、すてきな子に違いない! お話してみたい! って思ってたんだ」
彼女は頬を染めて、無邪気に笑う。反対に、私は顔に火がついたようだった。
「ちょ、待って、うそ……! 聞かれないように気をつけてたのに……!?」
「え、なんでー? せっかくきれいなのに。――そうだ、もう堂々と歌っちゃう?」
「だめだよ! あれ、アマノネなんだから! おいそれと人前で歌えないよ!」
「へええ、ますます気になる~!」
しまった。かえって好奇心に火をつけてしまったらしい。
くるくる踊る友達を見て、私は頭を抱えた。
そんなさわぎがありつつも、アラナ先生の家に到着する。
先生は、学舎にいるときと同じ笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、ナズさん。……あら、エミーネさんも一緒なの?」
「はい! つきそいです! 一緒に聞いてもいいですか!」
「そうでしたか。ナズさんがよければ、私は構いませんよ」
私は、ためらいながらもうなずいた。
私たちは改めて、アラナ先生の家にお邪魔した。手入れが行き届いていて、いたるところに植物模様の布や花飾りなどがさげられている。
「最近、家の中がにぎやかで嬉しいわ。夫が留守のときは、どうしても静かになるから」
先生は、お茶と干した果物を出してくれる。私はお礼を言って、カップに手を伸ばした。
先生が、卓をはさんで反対側に座る。
本題が始まる気配を察して、私は背筋を伸ばした。
「さて、ナズさん。お母様からお話はうかがっています。アマノネの扱い方を学びたい、ということですね?」
「は、はい」
緊張しながらうなずく。先生はにこりと笑った。
「私としては、できる限り協力したいと思っています。ただ、私はツチノネ使いですから、アマノネのすべてを教えることはできません」
「はい」
先生は満足そうにうなずいて、指を二本立てる。
「ナズさんに教えるのは、アマノネとツチノネの基礎知識。それから、両方の使い手が行う修行です。――アマノネならではのことは、私ではなく助手に教えてもらってください」
「助手さん……ですか?」
思ってもみなかった言葉が出てきたので、オウム返ししてしまった。「はい」と言った先生は、ずいっと顔を近づけてくる。
「助手は、アマノネとツチノネ、両方を操る『万象使い』です。学べることは多いと思いますよ」
「はあ」と私は気の抜けた返事をしてしまう。
ん? 万象使いって、最近どこかで聞いたような……。
「先生、助手さんまでいるんですね。かっこいい~」
「迎え入れたのは最近なんですよ。いろいろありましてね」
内緒話が聞こえていなかったエミーネは、感心した様子で手を合わせている。
私は、お茶を飲みながら室内をながめていた。ふと、壁際に立てかけられている物が目につく。立派な弓と、からっぽの矢筒。どちらも古そうだけれど、しっかり手入れされている。でも、この家ではちょっと浮いているような……。
「あの、先生。あれって……」
そっと弓を指さすと、先生は「ああ」とこぼした。
「あれは私ではなく、助手の物です」
助手の物。何気ない一言に、心がざわりと動いた。
その理由を考えかけたとき。ぽろん、とアマノネが響く。
「うっきゃー! ナズ? ナズだーっ!」
羽ばたきの音が、それを打ち消した。
ぎょっとして振り返る。月のない夜空を閉じこめたような瞳が、すぐそばにあった。
「ナズー! やっと合流できたぜーい!」
「ミオ!?」
鳥の名前をつむいだ声は、ひっくり返っていた。唖然としている私をよそに、ミオはすぐに離れて、先生のもとへ飛んでいく。
「ミオさん。お友達を置いてきてはいけませんよ」
「うっかりうっかり。ナズのアマノネが聞こえたから、嬉しくなっちゃったー」
「あらあら。ずっと会いたがっていましたもんね」
アラナ先生……なんで、ミオと普通に話しているの?
私が呆然としていると、エミーネが立ち上がった。
「え、えーっ! 鳥がしゃべってる!」
「ああ、うん。そういう鳥で……」
私は雑な説明をしながら、気づいた。ミオがいる。ということは――
「もしかして、先生の助手って」
「ただいま戻りました。あと、うちのミオがすみません」
部屋に光が差しこむ。優しい声と繊細なアマノネが、重なって聞こえる。
私は、意を決して振り返った。
そこにいたのは、銀髪の少年。少し長い前髪が、左目を隠すように流れていた。髪の隙間から見える瞳は、紫がかったピンク色。はっきり見える右の瞳は、海の青色。
物がぎっしり詰まった籠を抱えている彼は、家の中を見ると、目をみはった。
「――ナズ」
「セッカ!」
こらえきれず立ち上がる。そのとき、先生の声が飛んだ。
「おかえりなさい、セッカさん。荷物はここに置いておいて。――ナズさんと、ゆっくり話したいでしょう?」
「ありがとうございます」と一礼したセッカは、卓に籠を置いた。
それを見ていたエミーネが、私に耳打ちしてくる。
「あの子、だれ? ナズの知り合い?」
「――私たちを助けてくれた子だよ」
いたずらっぽく笑いかけると、彼女の瞳がまんまるになった。
アラナ先生のお家を占領するのは申し訳ない、ということで、町に出た。
私の隣に立ったセッカが、淡い笑みを浮かべる。
「半月ぶりかな、ナズ。会えて嬉しいよ」
「うん。私も」
答える声が、自分でもわかるほどに弾んでしまった。
だって、彼に会えたことが、本当に嬉しかったから。
ふふ、と笑い声をこぼしたセッカは、流れるようにもう一人の女の子を見る。
「あなたは……はじめまして、でいいのかな?」
「はじめましてー。エミーネです」
エミーネはゆるい口調で挨拶する。にやにやしているように見えるけど……まあ、いいか。
今はもっと気になることがある。私は、セッカたちをじっと見た。
「ところで……アラナ先生の助手って、どういうこと?」
「ああ、それは――」
「幻影の国から戻った後、セッカがぶっ倒れちゃってさー。ワイ一羽で途方に暮れてたところに、アラナ姐さんの旦那さんが通りがかったんだ。で、あのお家で介抱されたってわけ」
ミオが我先にと事情をぶちまける。セッカは、気まずそうに話を引き取った。
「体調がよくなった後に事情を話したら、『しばらくうちにいませんか』って言われたんだ。悩んだけれど、お言葉に甘えることにした。しばらくは、彼女の助手という
「あっ。なるほど」
セッカの探し人こと『鎖の魔女』。その人のことを調べるなら、しばらく同じ場所にとどまった方がいいと考えたのだろう。
「私があれこれ聞いたら、調べ物の邪魔になっちゃうかな」
さっきのアラナ先生の話を思い出す。セッカは、「そんなことないよ」と首を振った。
「元々、僕が教えるという話をしてたでしょう。わからないことがあったら遠慮なく聞いて。できる限り協力する」
彼の言葉は温かい。私は、がばりと頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
「ワイもいるからね。ツチノネが聞きたいときは言ってね。再現するからさ」
「ありがとう、ミオ」
お礼を言うと、ミオは楽しそうに飛び回る。最後にセッカのまわりを一周して、彼の肩にとまった。
エミーネがすっと挙手する。
「話がまとまったところで、質問。幻影の国ってなにー?」
「あっ」
そうだ。エミーネたちには詳しく話していないんだった。
どう説明しようか悩んでいると、セッカが助け舟を出してくれる。
「聞きたければ、今から説明しようか。僕たちとナズの関係についても話せるし」
「おっ。二人のなれそめ? それ聞きたーい」
「な、なれそめって……」
恋人じゃないんだから。
鼻のあたりに力をこめた私は、こほんと咳ばらいをする。
「しょうがないな。私とセッカ、二人で話そうよ」
「いいね。演劇みたいでおもしろそうだ」
「ワイもやるー!」
思いつきの提案だったけれど、ふたりはすすんで乗ってくれた。
青空の下。背景音楽――アマノネは、観客には聞こえない。それでもわくわくしている彼女に向けて、まずは私が語って聞かせる。
かけがえのない冒険と、確かにあった国の物語を。
(完)
ナズと幻影の国 蒼井七海 @7310-428
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