夢幻の記憶
赤い月が雲に隠れた頃、静けさが打ち切れた。
旧校舎から出てきた足音に越谷が振り返る。額に汗が浮かぶ彼を見て労いの言葉をかけた。未だに意識の戻らない陽菜乃に向き直って俯く。陽菜乃の父が後ろから手を伸ばしてきて彼女のおでこに触れた。娘の前髪を愛おしげに触れる仕草に越谷は半歩後ろへ下がった。
「学校では陽菜乃はどんな子なの?」
「うちの同好会にもう一人女子がいるんですが、彼女のおかげか気の強い印象を受けます」
「はは、そうか。俺のせいで引っ越しが多くて、そのせいか娘は交友関係が苦手なところがあるんだ。仲良くしてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそです」
二人して陽菜乃の目覚めを待つ間に色んな話をした。人伝いにこの学校の悪い噂を知って情報を集めていたが、レッドムーンの日に人が相次いで死んでいくというところまでしか追えなかったと話す父親に感謝された。元はと言えば陽菜乃に感化されて始めたことであり、運命のような出会いだと越谷は語った。
帆夏から聞いた、陽菜乃のお腹に紋章が入っているという話も念のため共有しておいた。精霊が人に直接干渉すること自体は強いライアに関してはよくあることで問題ないらしい。しかし隣の森のように人を喰うタイプの精霊もいるから気をつけなければいけないことを伝えられた。越谷は神妙に頷こうとして、動きを止めた。
「俺、ライアって言いましたっけ」
「ううん、でも最初会った時に気づいたよ。微かに同士の匂いがしたから」
「そういうの、わかるんですか」
「そうだね、仕事上でいろんな人と会うから経験的なものかも」
時刻が二十三時を過ぎたところで越谷も帰るよう促した。未だに意識の戻らない陽菜乃を一瞥して口を引き結ぶ。意識が戻るまで見守っていたかったが、越谷はフェンスの穴から抜けた後で大人しく帰途を辿った。
父は穏やかに目を閉じている陽菜乃を抱え直して学校を後にした。帰宅して、明かりのついたリビングのソファに陽菜乃を座らせる。
「おかえりなさい。あら」
「疲れて寝ちゃったみたいだ。そろそろ起こしておくからもう寝てていいよ」
「そう?じゃあよろしくね。夜のドライブいいなあ、また三人でも行きましょ」
「そうだね、休み頑張って取らなきゃだ」
洗面所で手を洗ってから陽菜乃を起こす振りをする。母が扉を閉めるのを見届けてから、陽菜乃をソファ越しに抱きしめた。早く意識が戻らないかと気が焦る。日付が変わってもそのままでいると、体が震えた気がした。そっと横から顔色を窺うと、疲れた表情の陽菜乃と目が合った。
「あれ、おとうさん……」
「陽菜乃、陽菜乃。良かった」
「どうしたの、そんな切羽詰まった顔して」
「覚えてないか、今日のこと」
「今日……?普通に学校行って、それから帰ってきて……あれ?」
陽菜乃の話を聞くと、夕方から記憶がごっそりと抜け落ちているようだった。代わりに、母に伝えていた嘘と織り交ぜて幸せな記憶で上書きさせた。
「その後は一緒にドライブに行こうって話して映画館に行ったんだけど、陽菜乃すぐ寝ちゃったからあんまり覚えてないんだと思うよ。もう遅いから寝なさい」
「うん、でもなんかお腹すいた。何も食べてない気がする」
「そうだね、明日の朝たくさん食べようか」
記憶のない陽菜乃を無理矢理納得させて部屋までついて行く。しっかり歩いていて体調面は問題なさそうだった。おやすみと伝えて階段を下りる。ずっと隣をついてきていた弟も泣きそうな顔でリビングへ戻っていった。きっと弟も陽菜乃のことを心配していたのだろうと思う。そろそろ成仏してもおかしくない頃合いだが、何がリビングに留まらせているのだろう。この世界には、分からないことで溢れている。
朝、なんとなく寒くて目が覚めた。お腹に何も入っていない感覚がする。五時半にしてはお腹が空いていて仕方なくて階段を下りた。母からお茶をもらって少し早めの朝ご飯にする。なんとなくお腹が痒くて触っていると、傷跡のような違和感を服越しに感じた。そっと服を上げると、おへその少し上の辺りに切れ跡を見つけた。そして、その傷が中心になるように魔法陣のような謎の紋章が、皮膚に透けて見えるように刻まれていた。脳の処理が追い付かなくてしばらく固まっていると、気になるようなお腹してないから早く食べろと母に急かされた。どうやら母には見えない模様らしい。
六時を過ぎると父が起きてきた。いつものように挨拶をして、ご飯を食べた後でお腹の跡について相談した。しかし父は苦い表情をしたままどんな条件で消えるかは分からないと答えた。
普段よりも早い目覚めだったから時間に余裕があって、時間ギリギリまでソファで雑誌を読み耽った。インターホンが鳴って、母が慌ただしく玄関へ向かうのを視界の端でとらえる。ゆったりとした動作でお茶を口に含んでいると、ありえない言葉が母の口から飛び出して、飲んでいたお茶を吹き出した。
「陽菜乃、友達がきたわよ」
「けほっ、ごほっ、なんで?」
「知らないー、早く行きなさい」
学校に行くまでに友達と待ち合わせなんてしたことがない。何が起こっているのかと慌てて支度して家の扉を開けると、怪奇調査同好会の四人が家の前で立っていた。
「陽菜乃ちゃああん良かったぁぁぁぁ」
「ぐえっ」
「天久、ちゃんと生きてたんだな。良かった……」
「無事でよかったぁぁ、昨日心配で寝れなかったよ」
「元気そうでよかった。どこか痛いとこない?」
四人がほぼ同時に喋るから何を言ってるのかよく分からなかった。両親に見送られながら同好会のメンバーと登校するのは気恥ずかしかった。とりとめのないことを話しながら登校する二十分はとても短く感じた。会話中に散々繰り返された”昨日の夜”のことが分からなくて変な空気になってたけれど、何かあったのだろうか。父曰く、昨日はドライブデートをしていたはずだったけれど、何か忘れているような気がした。
昇降口で別れて一階の教室に入る。教室に入るなりどこのグループも騒々しくて思わず耳を塞いだ。窓際の特別席に着くと、前の席の男子生徒が話を振ってきた。昨夜に校長が熊に襲われたとか殺されたとかいう噂があるらしく、新しい校長が急ぎで寄越されるという話に耳を疑った。諸説ありという感じでいろんな憶測が飛び交う中、そのうちくるだろう担任からの連絡待ちに今日の教室はいつにもまして五月蠅かった。
登校時に間芝が話していた、話の流れがよく分からず適当に流していた話題をふと思い出す。校長の息子は彼女と駆け落ちに踏み切ったらしく縁を切ったらしい。だから同族経営の線はないとかなんとかと話していた。陽菜乃は校長の入れ替えにはあまり興味もなく、話の長くない人であればいいなと思った。
教室の扉が勢い良く開いて担任が入ってきた。さらに声の音量が上がる生徒たちに担任も顔をしかめた。この担任は割と強行突破で話を進める所がある。気持ち程度に身振りで声を抑えさせた後にHRが始まった。
「はいはいうるさいぞー。先生も困惑してるから気持ちはわかるけどな、重要な報告だから静かにしろ」
担任は用意された紙をそのまま簡潔に読み上げた。校長は行方不明として処理され、森の手前に鞄だけが見つかった。警察が捜索しているけれど今のところ見込みはないということだった。代わりの校長はそのうち発表があるらしく、一週間後までに何も進展がなかった場合は臨時校長が新しく来るという。それまでは副校長が代理を務めるという話だった。
「話は以上だ。今年はともかく来年からは再編を行う可能性もあるから頭に入れておいてくれ」
出席だけ取って担任は出て行ってしまった。行方不明だと余計に色んな解釈や噂が流れそうだ。陽菜乃は小さく口を開けてあくびをした。
普段通り授業を受けながら、そういえば今日は怪奇を見かけていないことに気がつく。とても過ごしやすくなったおかげか、いつもより眠くならなかった。つまらない授業が終わって放課後になると教室を出て旧校舎へ向かう。最近はどんな活動をしていたか思い出そうとしたが何故かよく覚えていなかった。変な怪奇に巻き込まれたのかも、と適当に流して本校舎から出る。空一面に浮かぶ白い雲と相まって、旧校舎には不気味な雰囲気が漂っていた。なぜ取り壊されないのか不思議に思う。
階段を上がって二階の怪奇調査同好会の教室の扉を開けると、先に来ていた帆夏以外のメンバーが迎えてくれた。窓から見えていたはずの越谷の兄の霊は様子が見えなくなっていた。成仏したのかもしれない。そう思って読書中の越谷に声をかけた。
「お兄さんの霊、いなくなってます。成仏したのかもしれません」
「ん、そうなのか。姿を見せないまま消えられてもどう反応したらいいんだか」
「もう大丈夫だって思ったんじゃないですか?」
「ああ、そうかもしれないな」
本を閉じた越谷は学校の再建だとか風習の終了という言葉をぶつぶつ呟きながら何かを噛みしめていた。前の二人も同調していて、何の話かと聞く。自分も知っていたような、妙な既視感だけが心に残っていた。
「本当に覚えていないのか。でも思い出さない方が良いこともあるしな……どう伝えるべきか」
「別に話さなくても良いと思うけど。天久さんの頑張りは俺らで覚えてればいいんじゃない?」
「じゃあこの話は終わりってことで」
「いや、そっちで完結しないでくださいよ。何の話ですか」
妙ににやけ顔で話をまとめる間芝に抗議を上げる。越谷は思い出さなくていいの一点張りで聞く耳を持たなかった。何度かやり取りが続いたところで帆夏がやってきた。話の途中だったけれど、空気を察したのか帆夏も自然に会話に入ってきた。昨日の記憶がどうなっているのかと訊かれて、正直覚えてなくて父とドライブに行っていたらしいことをそのまま伝える。すると、四人の動きが停止した。数秒後に数段高い声でみんなが好き勝手に喋り出した。おおむね肯定意見が聞こえてきたためよく分からないけれどそういうことにしておいた。
「あっ、じゃあお腹の紋章ってどうなったの?」
「え?あ、そういえば朝に変なのを見かけて」
椅子の向きを変えて帆夏にだけ見えるように制服を捲る。すると、朝に見たはずの変な模様はすっかり消えていた。帆夏はしばらく考え事をしているポーズをした後に神妙な顔で続けてきた。
「もっと上かもしれない」
「はい?」
「ほら、まだ上の方に残ってるかもでしょ!ちゃんと確認しないと」
「ないですね、ひゃぁっ」
「あれ、傷跡もなくなってる。綺麗な肌だね~」
セクハラかと思いながらも少しだけ手を上に上げる。しかしどこにも跡は残っていなかった。帆夏にも過去に共有していたのか、彼女は不思議~といいながらしれっとお腹をつんつんしてきた。一回でキレた陽菜乃は帆夏のお腹に腹パンをお見舞いした。本気のではないけれどちゃんと痛いくらいに留めた。
「いったぁ~。暴力反対!」
「正当防衛です。勝手に人のお腹触らないでください」
「そういうのは僕らのいないところでやってほしいんだけど」
「こっち見えてる?おーい」
散々帆夏にいじられた後は、少しだけ真面目な話をした。越谷は次の春でいなくなるため、同好会を残すかどうかは四人で決めてほしいとお願いされた。元は越谷の一存で始めたから後は改名するなり同好会をなくしてもかまわないという話に、一同は顔を見合わせた。当然のように間芝が仕切る。
「じゃあ改名するか。なんかいい案ある人~」
「ここで決めるな、悲しくなるだろうが」
その後しばらくはただの談笑する場所になりそうだった。これから寒くなるから怪談は逆効果のため、冬に合った温かい話を作るのはどうかと提案が上がった。とはいえ温暖化が進めば将来的にはずっと暑いから怪談だけで乗り切れるんじゃないか等、白熱した議論の末になにもしなくていいかと活動を放棄した。特に報告義務もないため、蛇足にしかならない取り留めのない話に火をつけて喋る時間が一番有意義かもしれない。
旧校舎を出る怪奇調査同好会の彼らを、夕日が明るく照らしていた。
和来高校 怪奇調査同好会 高守 帆風 @uni_hkzKlight
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