第八話「川流れ」
へい、今夜が最後になります。
長い間、あっしの
お客さん方の顔を見てると、もうすっかり馴染みですねぇ。最初の頃は「
人間って、慣れるもんですなぁ。
さて、今夜はお別れの話です。
でも、悲しい話じゃございません。始まりの話です。
実は、あっしもそろそろ行かなきゃならない時が来ました。
どこに行くのかって?
川に帰るんです。
最初からそう決まってたんですよ。語るべきことを語り終えたら、静かに川に
そちらの奥さん、泣いちゃいけませんよ。
あっしはなくなるわけじゃない。ただ、形を変えるだけです。
川の流れの一部になって、風の音の一部になって、
それって、悪くないじゃないですか。
この八日間、あっしはいろんなことをお話ししました。
透明だった頃の心細さ。
性が定まらなかった青春の日々。
川底での静かな暮らし。
人間への小さな不満と大きな愛情。
恋をしたことがない鰻の、不器用な恋心。
そして、最後の一匹として背負った使命。
全部、あっしの宝物です。
でも、一番の宝物は、皆さんに聞いてもらえたことです。
あっしの話を、最後まで聞いてくださったこと。
時には笑い、時には涙を流し、時には真剣に考えてくださったこと。
それが、あっしには何より嬉しかった。
おかげで、あっしは独りじゃなくなりました。
皆さんの心の中に、小さな鰻が住み着いた。
それは、きっと永遠に生き続けてくれるでしょう。
皆さんが鰻を見るたび、川を見るたび、きっと思い出してくれる。
「あぁ、
それだけで十分です。
語り継がれることで、命は続いていく。
記憶の中で、ずっと泳ぎ続けていく。
そちらの旦那、何か言いたそうですね。
あぁ、「まだ話し足りないことがあるんじゃないか」って?
確かに、話したいことは山ほどあります。
でも、全部話しちゃったら、皆さんの想像する余地がなくなっちゃう。
語らないことで残される
それに、あっしがいなくなっても、皆さんの中であっしは生き続ける。
皆さんが想像する与汰郎は、きっとあっしよりもっと面白くて、もっと深くて、もっと愛らしい鰻になってくれるでしょう。
それが、語りの不思議なところです。
話し手がいなくなっても、聞き手の中で物語は育ち続ける。
あっしの与太話は、今夜で終わりじゃない。
皆さんの心の中で、これからも続いていく。
そう思うと、別れも悲しくありません。
むしろ、嬉しいくらいです。
あっしの命が、こんな風に広がっていくなんて。
でも、こうして語ることで、もっと大きな意味を持つことができた。
生きるって、不思議なもんですねぇ。
どこで、どんな風に、意味を見つけるか分からない。
最後の最後まで、諦めちゃいけないってことなのかもしれません。
そうそう、一つお願いがあります。
もし、これから川で鰻を見かけることがあったら、ちょっとだけ声をかけてやってください。
「与汰郎の友達か?」って。
きっと、喜んでくれると思います。
仲間がいるって分かったら、川の鰻たちも心強いでしょうから。
それから、鰻を食べる時も、ちょっとだけ思い出してください。
「ありがとう」って気持ちを込めて、「いただきます」って言ってください。
あっしらの命が、皆さんの命の一部になる。
それって、とても美しいことだと思うんです。
食べることと食べられること。
それは、命の大きな流れの中で起こる、自然なやりとり。
恨んだり悲しんだりすることじゃなくて、感謝し合うことなんです。
……さて、そろそろお時間ですね。
月が、川面を照らしてます。
あっしを呼んでるみたいです。
「おいで」って。
長い間、本当にありがとうございました。
皆さんのおかげで、あっしは幸せな鰻でした。
流され損ねたからこそ出会えた、大切な皆さん。
この
いえ、一生を超えて、ずっと大切にします。
それでは、行ってまいります。
川の流れに身を任せて、ゆっくりと。
でも、寂しくありません。
皆さんがいてくださるから。
皆さんの心の中で、あっしは永遠に語り続けますから。
さらばじゃ、また流れで会いましょう。
川の音に耳を
風の音に心を向ければ、きっとあっしの笑い声が響いてくる。
そんな時は、思い出してください。
与汰郎という名の、流され損ねた鰻がいたことを。
語ることで生き続ける、小さな命があったことを。
……ありがとうございました。
皆さん、お元気で。
川流れとともに、またいつか。
与汰郎ばなし ―流され損ねた鰻の語り― 鳥見静 @torimi_shizuka
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