ワンドアからスリードアへ
藤泉都理
ワンドアからスリードアへ
幅、四十五センチメートル。
高さ、五十一センチメートル。
奥行、四十五センチメートル。
四十六リットルのワンドアの白い冷蔵庫。
民宿の客室に一つ置いてあるような小さな冷蔵庫には、六百ミリリットルの水のペットボトルが二本か三本、マヨネーズ、ケチャップ、甘口の焼き肉のタレ、わさびのチューブが立てた状態で収められているだけ。
外食、コンビニ飯、スーパー飯で済ませているから。
そう言ってしまったのがいけなかったのだろうか。
オールバックのワックスマシマシ漆黒の短髪、垂れ目の漆黒のサングラス、漆黒のシャツにスーツ、ワイン色のネクタイ、光沢のある漆黒の革靴、光沢のある銀色のスーツを垂れ流す男。
どう見ても、ヤのつく自由業に就職していそうな外見の彼の名前は、
誰が信じられようか。彼がわんこ系癒され俳優として名を馳せていようとは。
誰が信じられようか。五歳年下の彼が幼馴染で、同じマンションの隣の部屋に引っ越してきて、なおかつ、自分の小さな冷蔵庫の中には彼が作った料理入りのタッパーが鎮座されていようとは。
(………うん。夢じゃないな)
冷蔵庫に入っていたタッパーを手に取る事ができた男性配達員の
半熟卵、とんかつ一枚乗せのナポリタンだった。
(………今度、チーズ粉、買って来るかな)
雅人と颯音の出会いは、雅人が五歳、颯音が十歳の時であった。
今と同じマンションの部屋に住み続けている颯音の隣の部屋に、雅人が家族と共に引っ越して来た時に挨拶を交わしては、互いの母親から仲良くするように言われて、互いの母親に連れられて度々お互いの部屋に行き来するようになって以降、否応なしに遊ぶようになったのである。
雅人が芸能人になるまでは。
(雅人が芸能界入りしたのは、十二歳。それから十年間。音沙汰なかったのにな)
『ストレス発散には料理が一番なんだが、僕だけでは食べきれないので入れて置く。合鍵は持っているから勝手に冷蔵庫に入れて置く』
雅人が二十二歳、颯音が二十七歳の時である。
大抵の家具、電気製品を持って田舎へと引っ越して行った両親を見送っては、ずっと同じマンション部屋に居続けた颯音の元を訪れた雅人の最初の言葉であった。
(まさかまだ俺の家の合鍵を持っていたなんてな)
颯音の母親がいつでも来ていいわよと、五歳の雅人に合鍵を手渡していたのである。
まさか十七年間も持ち続けていようとは誰が信じられようか。
(なんか、信じられない事ばっかだな)
「………相変わらず美味い」
颯音はタッパーのまま電子レンジで温めて四人掛けの食卓に座り、いただきますと手を合わせて、フォークを手に取って、とんかつから口にした。
サクサク肉ジュワである。
おーまいがっである。
実は俳優ではなくて料理人ではなかろうか。
食べ終わってはゲンドウポーズを取った颯音は、渋い表情になって考えに耽ったのであった。
(………なんか、大丈夫か?)
副食、デザートと主食だけではないのだが、なにがしか大小様々なタッパーが入っているのである。
二週間毎日である。
颯音と雅人は十年ぶりに再会して以降、顔を突き合わせた事はない。
ただ、冷蔵庫のタッパーだけが、雅人の存在を強く知らしめていた。
(ストレス発散って。言ってたよな。んん)
小さな冷蔵庫を前に胡坐を掻いて腕を組んだ颯音は、首を傾げて口を強く結んだのであった。
(芸能人だから、超美味いもん、いっぱい食ってる。よな。超高級品。ばっか。だよな。んんんんん。そんじょそこらのもんは口にしないんだろうか?)
「邪魔するぜっと」
昼間の事である。
合鍵を使って颯音のマンション部屋へと入った雅人は、部屋の間取りに対して似つかわしくない小さな冷蔵庫に眉根を寄せつつ、食卓にタッパーが入った紙袋を置いては手洗いをして、紙袋から取り出したタッパーを冷蔵庫に入れようとした時だった。
「………あ~あ」
スーパー、コンビニではなく、どこかの菓子屋で買った物だろう。
いつもありがとう。
そう書かれたメモがセロハンテープで貼られた瓶詰の窯焼きのプリン一個が目に、否、胸に飛び込んできたのである。
「あ~あ~あ~。もう………嘘だよもう、」
棚の上に置かれた小さな冷蔵庫の下で雅人は蹲った。
ストレス発散で料理を作っているというのは、半分本当で、半分嘘である。
一人分だけ作れる料理方法を会得したのだ。
誰かにお裾分けをする量はない。
わざわざお裾分けする量を作っているのである。
下心から。
胃袋を掴んで、好印象を持ってもらおうという下心から、お裾分けをしていたのである。
(同性だし、年下だし、好きだ結婚してくださいって言ったって、ありがとうごめんなって爽やかに言われる未来が丸わかりだったから、意識してもらう為に、テレビに出ている自分とは違う自分で接したわけだし、家事もきちんとできますよっていうアピールも兼ねてお裾分けをしてるわけだし。あああああもう! 配達員で日焼けして、身体もますます逞しくなって、男気が増して、色気が増して、快活さが増して、人当たりがさらに増して、人たらしがもっとまして。あああああもう! どんだけ僕を夢中にさせるんだよもう!)
小さな冷蔵庫でよかった。
雅人は小さな冷蔵庫に傅いては、祈りを捧げた。
(冷凍庫とか野菜庫とかない、小さな冷蔵庫を持つような男でよかった。生きていく上で避けられない料理でつけ入る機会がある男でよかった)
「よしっ」
雅人は食卓の上に置かれた空のタッパーとメモ付きの窯焼きプリン一個を紙袋に入れてのち、るんるん気分で颯音の部屋を後にしたのであった。
二年後。
「今までありがとうな」
「ありがとう」
颯音と雅人は壊れてしまった小さな冷蔵庫を車で不燃廃棄物取引所まで持って行ったのち、雅人が使っていた冷蔵庫を颯音の、いや、颯音と雅人のマンション部屋へと迎え入れたのであった。
幅、五十四センチメートル。
高さ、百六十一センチメートル。
奥行、六十七センチメートル。
二百八十六リットル、スリードアの白い冷蔵庫を。
(2025.7.1)
ワンドアからスリードアへ 藤泉都理 @fujitori
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