紙の月、夏の蝉
津多 時ロウ
紙の月、夏の蝉
灼けたアスファルトの上に、腹を出した蝉が転がっていた。
避けもせずに常の歩みのままに踏めば、それはゴムの下で枯葉のような感触を残して崩れていった。
暑い。
猛暑、酷暑などという言葉には風情がないと思っていたが、いざ自分の体がその環境に置かれてみれば、実に的確な表現であったと言わざるを得ない。このまま倒れてしまえば、いずれ私もあの蝉のようになれるのだろうかと、そんなことを益体もなく思う。
視線を戻せば、私の目の前にあるのは、幅の広い上り坂だ。
坂の上には何があるのだろうかと、そんなことを考える道程ではない。この歩道を上り切ったところで目の前に現れるのは、高度経済成長期に建てられた築ウン十年の公営団地だけである。
昔は団地とともにこの坂も賑わっていたことだろうが、すでに活気は失われ、当の文化住宅はゴーストタウンなどと公然と揶揄されているのだから、坂の有様もさもありなん。
しかし、私の住まいは、そのゴーストタウンにある。
坂を上りきり、所々にひび割れや雑草が見えるその墓標の中を、片手にレジ袋をぶら下げた私はのそりと歩く。
影の強い入り口で一度立ち止まり、目が慣れた頃にまたじっくりと足を出して、人の営みが感じられぬ階段を上り始めた。
私もこの廃墟のような団地と同じで、至る所で老朽化が進み、軽やかに足を進める事はできない。薄暗い階段を一歩一歩、ゆっくりと上るだけだ。
そうして白い板に無機質に書かれた自分の名前を見つけ、解錠する。重い金属のドアを開けると、冷えた空気が足元を通り過ぎていった。
「ただいま」
靴を脱ぎつつ中に向けて声を掛けると、いつものように「おかえり」と二つの声が返ってくる。
私は小さな冷蔵庫の前に買い物袋を置いた後、崩れるように椅子に腰掛けた。部屋の中は冷房が効いていて心地いい。
目の前には先ほどの声の主が二人。「外は暑かったでしょう」と労うのは私の妻で、「パパ、美味しいものは見つかった?」と期待のこもった目で無邪気に笑うのは、五歳の息子である。
「とても暑かった。けど、今日は美味しそうなキュウリが売ってたよ」
この酷い暑さも「ただいま」と言って、「おかえり」と返ってくるだけで、少しはましになろうというものだ。欲を言えば、その道中に妻と息子が一緒なら、もう少し楽しい散歩になるかもしれない。
だが、二人が外へ出掛けることはない。
私が買ってきた肉や野菜を食べることもない。触れることも叶わない。
この二人はただこの部屋にいて、私の家族で在り続けてくれているだけだ。
幽霊なのではないか。
私自身、そう思うこともある。
だが、答えは否だ。
幽霊などではないし、本当の家族でもない。更には、人間でもなかった。
生成AIという言葉が世界に溢れてからどれくらい経っただろうか。
目の前で微笑む妻と息子は、つまりそういうことである。
陳腐な言葉になってしまうが、私の妻と息子そっくりに作り上げられたそれは、そういう者であり、そういう物なのだ。
部屋の四隅から投映されて作り出された像に破綻はなく、会話も流暢。
中高年の独居世帯を対象とした導入試験に選ばれました、などと役所から連絡があった際には随分と訝しんだものだ。だが、何の気紛れか、このまま虚無に枯れてゆくよりは幾分か刺激があった方が良いと、当時の私はやる気なく承諾した。
お陰で、無味乾燥とした生活に多少の意味ができたのだから、この試験の効果は出ているのだろう。
「パパ、おやすみ」
「おやすみなさい、あなた」
今日も息子が偽物の欠伸をしたことを合図に、私は寝床で横になる。
何も言わず、書置きも残さず、突然消えた妻と息子を思いながら。
*
天色を泳ぐ真白な入道雲の輪郭を、右手の人差し指でついっとなぞった。
紺青の海は穏やかで、細波がざあん、ざあんと静かに鳴いている。
あのときの私は、麦わら帽子の大きな庇の下で、『美しい』を捉えようと必死にもがき、さまよっていた。
何を描けば良いのか、芸術とはなんなのか。日本の美しい景色を目の当たりにすれば、何かが変わるのではないかと期待していたのだ。
印象派の画家たちは、光を求めて旅をした。
レオナール藤田は本物の芸術を求め、パリに旅立った。
だから私も、大きなトランクにありったけの画材と少しの希望を詰め込み、旅をした。
あれはその旅の途中で立ち寄った、日本海側の少し大きな町でのことだった。
海に突き出た屏風のような岩を左に据え、ここは日本のエトルタであり、分不相応にも私はモネになるのだと、血気盛んに筆を動かしていたときに、後ろから若い女性の声がした。
「きれい……」
振り返り、声の主を見て目をみはる。
けれど、ハッとしたのはその整った顔に対してでもなければ、黒く艶やかで繊細な髪にでもない。
その瞳に対してだった。
感嘆を零したその瞳の、なんと感情の無いことだろうか。誤解を恐れずに言えば、死んだ魚のような目をしていた。それ以外に表現のしようがない。
いや、あった。
大学に入ったばかりの頃の私の目だ。ほんの何年か前までの私の眼だ。毎朝、鏡で合わせていたあの瞳だ。この女性は、私と同じなのだ。
「この絵が気に入りましたか?」
絵を眺めたまま彼女は小さく頷き返すも、我に返ったのか、少し慌てたように小さく手を振る。
「あ……、ごめんなさい、邪魔をしてしまって」
「良かったら、そのまま眺めていきますか?」
「え、いいんですか?」
「見てるだけなら構いませんよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
その日、彼女は夕方までそこにいて、次の日も、その次の日も、お昼過ぎに海辺の公園に来ては、私の作業風景をじっと眺めていたものだった。
見られることには慣れているから、制作の邪魔になるものではない。
しかし、私は彼女の瞳がどうしても気になって、ついつい用事もないのに話しかけてしまうことが多かった。
いいことだったのか悪いことだったのか、それは未だに分からない。
だけど、少しずつではあるが彼女の瞳には色が乗り、私は別の土地に移動した後も、昏い海の底にいるような佇まいの彼女を、忘れられなくなっていた。
半年、一年を経ようとも、ずっと、ずっと。
*
私には感情がなかった。
生まれつきかどうかは分からない。
それでも問題はなかったから、大学に入るまで気付きもしなかった。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。
興奮して、笑って、泣く。
もしかしたら、少しは存在していたのかも知れない。けれど、私は、私自身は無いと自覚していた。
いつしか私は、感情が無いことは心が無いことと同義であり、普通のことではなく、この先も人間として暮らしていくためには不利だと思い込むようになった。
そのときから、私は感情を模倣し始めた。
人間とはどんなときに笑い、どんなときに泣くのか。喜び、怒り、哀しみ、楽しむのはどんなときなのか。よく観察して、一緒に笑い、一緒に怒り、一緒に哀しみ、一緒に楽しんで、よく、真似た。
その結果、私ができた。
けれど、私は本当に私なのだろうか。
模倣に模倣を重ねたこの感情は、果たして私のものなのだろうか。
私の感情は紛い物なのではないだろうか。
或いは、私という存在そのものが偽物なのではないだろうか。
「――どう思う?」
私は彼女に聞いてみた。
暗い海の上では、光の花びらが大きな音をたてて舞い散っている。
私はあれから一年ぶりに彼女と再会し、正式に交際を始めた。これは何回目のデートだったろう。黒い浴衣に身を包んだ彼女の顔は、初めて出会った頃よりも、だいぶ色付いているように見える。
それは夏の花火のせいだけではないはずだ。
「私も、あなたと同じようなものだった」
少し考えてから口を開いた彼女の瞳は、私を真っ直ぐに捉えている。
「感情がなんなのか分からなくて、人の表面だけをなぞってやり過ごしていた。感情ってなんなんだろう、心ってなんなんだろう、私はどこでそれを失ったんだろうって、ずっと、ずっと悩んでた。けれど、あなたと出会ってから、なんとなくだけど、感情が分かったような気がする。だから、この自分の心は決して偽物ではないと思ってる。これが、この私の心が本物ではないと言うなら、私は感情なんていらない」
そう言い切る彼女の瞳には光の花が輝いていて、それは美しかった。
*
「あ、また蹴った」
結婚二年目。扇風機に髪を揺らされる妻の顔はとても柔らかく、幸せそのものに見えた。
開け放した窓からは、湿気を含んだ空気と共に、命を叫ぶ蝉の声が飛び込んでくる。
妻には申し訳ないが、気が付けば大きくなっているお腹と、それを慈しむ彼女の表情に、私は生まれて初めて幸せという感情を知ったように思う。その頃になると、私の絵にも安定して買い手が付くようになり、生活に余裕が出てきていたせいもあっただろう。
だが、同時に二つの不安も抱えていた。
一つは、果たして自分が父親になれるのだろうかという不安。しかし、それは大したことではない。
多くの父親が乗り越えてきたことだろうし、今はもういない私の父も乗り越えてきたことだ。自分自身でどうにかしなければならないことではあるが、それでも周りがどうにかしてきたのだから、自分もどうにかなるだろうと思える。
私が深く心配しているのは二つ目だ。
そして二つ目は自分のことではない。妻に関することである。
もちろん、体のことは心配だ。
だが、違う。体のことはなるようにしかならないし、医者に任せるより他ない。私ができることと言えば妻を肉体的にも精神的にも支えることくらいで、私の度を越した心配で妻が不安を深くするのであれば、それは実に馬鹿げたことである。
そうではない。
妻の抱えている心配が彼女自身の心を蝕んでしまわないかと、とにもかくにもそのことが一番の不安なのだ。
感情の無かった自分が父親になれるかどうか不安だと、私は彼女に零したことがある。妻の不安など知らなかった或る日のことだった。
「あなたは勝手に父親になれるから、大丈夫よ」
それから何かを言おうとして口を開き、けれど言葉は出さずに目を伏せて、彼女は右手で左手をぎゅっと握る。
やはり彼女も母親になれるかどうか不安なのだろうと、私は至極簡単に考えた。
瞬間、ペトリコール。
彼女の記憶が浮かび上がる。
雨がばたばたと心に打ちつけ、彼女の瞳と口が私の思い付きを肯定した。
「私、不安なのよ。ちゃんと子どもと向き合えるか不安なの。私、子どもを叩かないでいられるかな? 子どもに酷いことをしないで子育てできるかな? もしも……もしも、あなたが、そんなことあって欲しくないけど、想像するのも嫌だけど、もしも、ある日突然消えてしまったら、私、子どもの首を絞めずにいられるかな?」
「大丈夫、大丈夫だよ。突然いなくなったりしないし、君がそんなことをすることはないから。大丈夫」
本当はもっと気の利いた言葉を用意できれば良かったのだけど、今にも泣きそうな妻を目の前にして、私の口から出たのは気休め程度のものだった。
あのとき何と言えば良かったのかは、今も分からない。
出産予定日が近づくにつれ、彼女の口からは虐待への不安が呪詛のように吐き出されるようになり、何の前触れもなく床や壁を殴りつけることも増えていった。
それでもいざとなれば彼女は強く意志を持ち、母子ともに無事に出産を終えられたことに、私はたいそう安堵したものだった。
ガラス越しに見た生まれたての我が子は、率直に言って子猿のようだと思ったが、それでも、そのか弱い体は生命力に満ちて輝いていた。
初めて両腕に抱きかかえたときに感じられた体温に、その気持ちはますます強くなり、妻と子は、幸せが形を成して目の前に表れたのだと、そう感じずにはいられなかった。
*
午後六時。外から防災無線のメロディーが聞こえてくる。
これは夕焼小焼か、七つの子か。つい先日までは、違うメロディーだったような気もするが、どうもその辺りの記憶は判然としない。
そうして部屋の床の一部が薄っすらとオレンジ色に染まる頃、私は一人台所に立ち、いつものように晩御飯の準備を始める。
料理をするといっても、暑い時期は何をするにも億劫で、坂の下で買ってきた特売品の素麵に、あれこれアレンジを加えて腹に流し込むだけである。
いつからか味もにおいも分からなくなってしまった私には、それも虚しいものではあるのだが、そんな一人の食卓も、今は話し相手がいるから寂しくはない。
私と妻のスマートフォンに残っていたデータから、再現サービスの業者が作り上げてくれた妻と息子がいるからだ。この二人は……この二体は、突然消えた妻と息子の代わりを十分に果たしてくれている。
ただの高精細な立体映像でしかない。ただのデータの塊でしかない。そして、本物とはやはり何かが違う。しかし、話しかければ今はもう会えない顔と声で反応するそれは、間違いなく私の家族だった。いつかの写真館の、月の前で微笑む家族そのものだった。
たとえそのすべてが紛い物だとしてもだ。
「ねえ、あなた」
ささやかな晩御飯が終わり、三人でテレビを見ていたときに、妻のデータが私の目を真っ直ぐに見つめて言ったのだ。
「もう、絵は描かないの?」と。
私はそれに曖昧に頷き、そして目を合わさずに妻の顔を見る。少し視線を外すと、視界の端ではいつの間にかテレビが消えていた。
妻がまた、口を開く。よくできた偽物の口を。
「もう、絵は描かないの? 私、あなたの絵が大好きだったのよ」
それに息子も続いた。
「パパ、絵を描けるの? 僕、見たい!」
五歳を永遠に繰り返す息子が、無邪気な瞳で私に期待する。老いることのない妻と、成長することがない息子が、私に絵を期待する。模倣された感情が期待する。
できることなら、この二人に私の絵を見せてあげたい。
だけど、私はもう筆を捨てたのだ。絵を描かないと誓ったのだ。
けれど、いったい何に誓ったというのだろう。
どうして私は筆を捨てたのだろう。
目の前に、壁に掛けられた絵画が浮かび上がる。
私がギャラリーを借りて開いた個展だった。来訪者が沢山いた。ほとんどの絵に、一日で買い手がついた。
その次も、その次の次も、次の次の次も、絵を描くたび、個展を開くたび、すぐに買い手がついていた。そんな状態が続いても、私は傲慢にはならなかった。自分が描きたい絵を、美しいものをひたすらに追い求め続けた。
いつしか絵は売れなくなり、個展もただ開催するだけに終わることが増えていった。
何が悪かったのかは分からない。
私は迷った。自分の絵に自信がなくなった。自分に自信がなくなった。
そうして私の絵は再びさまよった。『美しい』が分からなくなった。何を描けば売れるのか大いに悩んだ。売れそうなものばかり追い求めるようになって、私の絵は消えていった。
何のために絵を描いていたのかも忘れた頃には、もうすっかり身も心も壊れ、病院で無為に過ごすようになっていた。
もう、何もかもがどうでもよかった。
ああ、嫌だ。
思い出すだけでも吐き気がする。
私の苦労も知らず、無責任に絵を描けなどと、なぜそんなことが言えるのか。どうして、私の絵を見たいなどとお世辞を言うのか。
所詮、お前たちは偽物なのだ。偽物はどこまでも偽物で、紛い物で、だから人の心が分からないのだ。偽物に私の心の何が分かるというのか。腹が立ってしょうがない。
感情が、どうしようもない。
偽物め、どうして私の平穏を奪うんだ。なんというものを思い出させてくれたんだ。もうすっかり忘れていたというのに。
食卓が倒れ、妻と息子の脚をすり抜ける。
勝手に倒れたのではない。私がやったのだ。私の感情がそうさせたのだ。
偽物は悲鳴を上げもせずに、無言で私を見ていた。表情の消えたその顔が、いっそう私の行き場のない心を刺激する。
拳を振り上げ、息子の顔を叩こうとした。しかし、その手は当たることなく、顔を通り過ぎた。
妻のシャツの胸ぐらを掴もうとして、やはりその手は空気を掴む。
だから今度は、椅子を掴んで振り回した。よろよろと弧を描いたそれは、息子が座る椅子に当たり、床に落ちただけだった。
二人はずっと私を見ている。紛い物の顔で、偽物の心で、そんな私をずっと観察している。
「何か言えよ、言ってみろよ!」
恐らく人生で初めての怒鳴り声に、偽物はやはり表情を作らず、淡々と答えた。
「私たちのことは、壊さないで下さいね」
ああ、嫌だ。
どうしてこの偽物は、こうまで私を追い詰めるのだろう。もうすっかり忘れてしまったことなのに、これでは思い出してしまうではないか。
まったく全てが嫌になる。嫌で嫌でしょうがなくなる。
笑顔を浮かべ始めた偽物も、この狭苦しい部屋も、床に転がる机と椅子も、ひび割れた家族写真も、この世界も、そして自分も、もう何もかもが嫌になる。
だからもう、寝てしまおう。
眠っている間だけは、何もかも忘れていられるのだ。
あのときの私は、死のうとは思わなかった。愛する家族とやり直したいと思った。すべて覚えている。あの手の感触も、絶望した顔も。
そして最後には私だけが残った。意気地なしの私だけが残ってしまった。
あれは完璧だった。バレるはずがない。バレているはずがない。
このまま闇に沈み、夢に縋り、そうして明日の朝になれば、きっといつも通りの一日が始まるに決まっているのだ。
私は布団に横たわり、目を閉じた。
深く息を吸って、長く吐く。私の体が暗闇に沈むように。
深く、長く、呼吸をする。その安寧の裡に居られるように。
どこかで、秋蜩が鳴いていた。
そのまるで透明な声は、ハリボテの月を閉じ込めてコツンと落ち、暗闇の奥へと転げていった。
*
柔らかく、少し冷たい感触が私の手を包み込んでいた。
目を開けたその霞む視界に、薄暗い天井が見える。
上部に穴の開いた薄緑色のカーテンが見える。
半透明のチューブが視界の端に見える。
白髪混じりの女と二十歳くらいの男が、目を見開いているのが見える。
規則正しい電子音が聞こえる。
私によく似た男は、女に一言二言声を掛け、視界から消えていく。
女が顔を近づけて言った。
「お帰りなさい、あなた」
私の顔に、ばたばたと温かい涙が落ちる。
時間が、心が、感情が、うねり狂い、私の紛い物を押し流していく。
体を駆け巡るその奔流は、ついに私から溢れ始めた。
どこかで秋蜩が鳴いていて、君に二度目の恋をした。
紙の月、夏の蝉 了
紙の月、夏の蝉 津多 時ロウ @tsuda_jiro
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