第10話 君を忘れない

 事件から一年が経った。


 国立記憶図書館は、新しい姿に生まれ変わっていた。


 正面玄関には、記念プレートが設置されている。


『記憶は、人と人を繋ぐ架け橋である。

 過去を忘れず、未来を恐れず、今を生きる。

 —— 夕影町事件の教訓として』


 アキラは、プレートの前で立ち止まった。この一年で、多くのことが変わった。


 図書館は、より開かれた施設となった。記憶の閲覧制限が緩和され、市民が自由に過去の記憶にアクセスできるようになった。もちろん、プライバシーは守られた上で。


 そして、夕影町の記憶も、特別展示室で公開されている。


 悲劇を繰り返さないために。


   *


 第七区画のオフィスに入ると、玲奈が書類の山と格闘していた。


「また増えてる」


 アキラは苦笑した。


「だって、記憶の重要性が認識されて、保管依頼が急増してるんだもの」


 玲奈は大げさにため息をついた。でも、その表情は明るい。


 この一年で、玲奈も変わった。実年齢に合わせた姿で生活することを選び、新しい人生を歩み始めた。時々、若い頃の姿を懐かしむこともあるが、今の生活に満足している。


「そういえば」


 玲奈が顔を上げた。


「今日、面会の予定でしょう?」


「ああ」


 アキラは頷いた。


 月に一度の、黒崎との面会日だった。


   *


 刑務所の面会室で、黒崎は静かに座っていた。


 一年前とは別人のように、穏やかな表情をしている。


「来てくれて、ありがとう」


 黒崎は頭を下げた。


「いえ」


 アキラは首を振った。


「約束でしたから」


 事件の後、アキラは黒崎と約束した。月に一度は面会に来ると。憎しみの連鎖を断ち切るために。


「最近はどうですか」


「毎日、被害者の方々のことを考えています」


 黒崎は静かに語った。


「山崎さん、田中さん。私が奪った命の重さを」


 そして、小さな本を取り出した。


「これを、玲奈さんに」


 それは、手製の記憶録だった。黒崎の父の、本当の姿が記されている。


「父は、確かに過ちを犯しました。でも、晩年は後悔していたことも事実です。その記憶も、伝えるべきだと思って」


 アキラは本を受け取った。


「伝えます」


「ありがとう」


 黒崎は、初めて心からの笑顔を見せた。


   *


 図書館に戻ると、カオリが待っていた。


「お帰り。どうだった?」


「少しずつ、前に進んでいるようです」


「そう。よかった」


 カオリは、新しい館長となっていた。事件を乗り越えた職員たちの信頼を得て、満場一致で選ばれた。


「ところで、嬉しいニュースがあるの」


 カオリは微笑んだ。


「花子さんが、回想録を出版することになったそうよ。夕影町の思い出を」


「それは素晴らしい」


 記憶を形に残す。それは、未来への贈り物だ。


 氷室も、定期的に図書館を訪れていた。記憶犯罪対策局と図書館の連携を深めるために。そして、個人的にも、アキラや玲奈との友情を大切にしていた。


   *


 その夜、アキラと玲奈は、アパートの屋上にいた。


 街の夜景を眺めながら、ワインを傾ける。


「一年前のことが、嘘みたいね」


 玲奈が言った。


「君が消えかけていたなんて」


「でも、あなたが忘れなかった」


 玲奈はアキラの手を握った。


「それが、私を繋ぎ止めてくれた」


 アキラは、ポケットから小さな箱を取り出した。


「玲奈」


 膝をついて、箱を開ける。中には、シンプルな指輪が輝いていた。


「これからも、ずっと一緒にいてください」


 玲奈の目に涙が浮かんだ。


「もちろん」


 指輪をはめ、二人は抱き合った。


 五十年の時を超えた恋が、新しい形で実を結んだ。


   *


 ——そして、さらに十年後。


 アキラは、娘の手を引いて、夕影町記念公園を歩いていた。


「パパ、ここが、ママのふるさと?」


 五歳の娘、ミライが無邪気に聞く。


「そうだよ。ママが子供の頃に住んでいた街」


 玲奈は、ベンチに座って二人を見守っていた。年を重ね、白髪が混じり始めているが、その笑顔は変わらない。


「ミライ、こっちにおいで」


 娘は母親の元へ駆けていく。


 アキラは、記念碑の前に立った。


 ここには、新しいプレートが追加されていた。


『記憶は消えても、愛は残る。

 愛は時を超え、人を繋ぐ。

 —— 夕影町の子供たちより』


 風が吹き、桜の花びらが舞った。


 まるで、夕影町の人々が、新しい命を祝福しているかのように。


 アキラは、空を見上げた。


 祖母も、きっと見守ってくれている。


 記憶は、確かに人を繋ぐ。


 過去から現在へ。そして、未来へ。


 愛と共に、永遠に。


   *


 『君を忘れない』


 それは、記憶を超えた約束。


 時を超え、形を変えても、決して消えることのない絆。


 夕陽が、家族三人を優しく包み込んだ。


 新しい物語が、ここから始まる。

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記憶編纂室の密室殺人 ―消された街の最後の証人― ようさん @yousanz

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