かみとき

藤泉都理

かみとき




 雷を操る神解き一族が建国した『飛電国』城の一画の後宮。

 ここはさらなる進化を遂げるべく様々な種族が入り乱れて後宮の主から子種を、権力を得んと日夜画策する幽遠の地。

 後宮の主が孕ませる事ができるのは、後宮の主を孕ませる事ができるのは男のみ。

 ゆえに男のみが集まる狭き地は男の園、とも呼ばれていた。

 梅雨を迎えたばかりのここは年中見頃の竹林と共に紫陽花が見頃を迎えていたのである。






 ポメガバース。

 ポメガは疲れがピークに達したり体調が悪かったりストレスが溜まるとポメラニアン化する。

 ポメ化したポメガは周りがチヤホヤすると人間に戻る(戻らない時もある)。

 周りの人がいくらチヤホヤしても人間に戻らない時は、パートナーがチヤホヤすると即戻る。

 ポメガはパートナーの香りが大好きだから、たくさんパートナーの香りで包んであげるととてもリラックスして人間に戻る。





 漆黒の艶やかな髪の毛を真っ直ぐに垂らし、両目を長方形の漆黒の布で覆い隠し、着物の下着である長襦袢と全体に透けている紗の黒着物をやわく身に着け、物憂げな雰囲気を醸し出す男性の名は、鳴神なるかみ

 後宮の主であった。

 糸雨がじれったくも地を濡らす中、鳴神は三日月に漆黒の空が描かれた蛇の目傘を掲げながら、飛び石を伝いながら紫陽花畑へと向かい紫陽花を愛でていると、或るものが目に入った。紫陽花と同化している毛玉である。

 ぴくりとも動かぬ毛玉に見切りをつけて歩き出そうとするも、地を濡らす雨の種類が糸雨から篠突く雨に変化した事により停止。溜息を吐き出しては毛玉を摘まみ上げ、しっとりと濡れている毛玉に眉根を寄せつつも、抓んだまま紫陽花畑に背を向けて歩き出したのであった。




「………んあ」

「起きたのか?」

「んん? あ。なるかみさま」

「また酒を飲んだのか?」

「梅酒を一杯だけですよ」

「一杯だろうが貴様は飲むだけで酔っ払い、ポメラニアンに変化する体質だという自覚はいつになったら持つようになるんだ?」

「自覚は持っていますよ。ですが、梅酒が好きなのでどうしようもないですね」

「連れ帰らずに紫陽花畑に放っておけばよかったな」

「お優しい鳴神様はポメラニアンを放っておけないでしょう?」

「ただのポメラニアンだと思ったから連れ帰ったんだ。貴様だと分かっていれば放っておいた」

「分かりました。そういう事にしておきます」

「………年下のくせに生意気な」

「生意気な方が可愛げがあるでしょう?」

「もう自分のへやに戻れ」

「はい。鳴神様。介抱をありがとうございました」

「体力が自慢だからと、あれやこれや引き受けるなよ」

「はい」


 イ草の寝具に寝かされていた男性の名は、天瀞てんせい

 純銀の長い髪の毛を三つ編みにし、片目に漆黒の眼帯を身に着け、八重歯のある後宮男官である。

 鳴神より五つ年下の天瀞は幼い頃は鳴神付きの後宮男官であったが、今は庭園を管理する後宮男官へと自ら望んで転じていた。

 ただ、人当たりがいい性格から、庭園管理に関わりのない雑用まで任されては快く引き受けてしまった結果、後宮男官の通常勤務時間の二倍三倍働いているのではないかと疑ってしまうくらいにあちらこちらで目にするのである。


「おい」

「はい」


 鳴神はイ草の寝具を持って出て行こうとする天瀞を呼び止めると、天瀞は振り返り鳴神に穏やかな笑みを向けた。

 いつから。

 鳴神は天瀞に聞こえぬように溜息を吐き出した。

 いつからこんな落ち着いた態度を取れるようになったのか。

 年下のくせに、いつから己よりも年上のような雰囲気を纏えるようになったのか。


(………何故私付きの後宮男官を辞めたのか。など、今更。もう、十年以上前の事を尋ねてどうなる?)


「鳴神様?」

「………わざわざイ草の寝具を持って行かなくていい。洗濯をする後宮男官に任せる。貴様は庭園管理に集中しろ。他の事も安請け合いして、庭園が無様な様になったらどうするんだ?」

「………分かりました。では、丸めた状態で置いておきます。鳴神様。ありがとうございました」

「ああ」


 天瀞が腰を下ろした状態で襖を開き、その姿勢のまま廊下に出ては静かに襖を閉める様子を見届けたのち、イ草の座椅子に腰をかけていた鳴神はやおら立ち上がると、襖の近くに置かれたイ草の寝具を手に取っては広げ、その前に腰を下ろした。


「………貴様は何故、私から離れた」


 ますます雨脚は強くなるばかり。

 雷が轟きそうな暗さも引き連れてくるが、雷は鳴らず。

 そう。天が雷を鳴らす事はないのだ。

 二度と、

 雷は神解き一族が天から奪い取ったのだから。


 鳴神は厳かに立ち上がると、一族の衣装へと着替えては、外へと歩き出した。


 天の代わりに、雷を鳴らすのである。




 雷は大気中の窒素を酸化し、雨に溶けて土壌に供給され、植物が成長に必要な窒素を吸収しやすいようにする。

 雷は植物の成長の助力を担うのである。

 ゆえに、雷は恵みをもたらす存在として崇め奉られていた。

 いわんや、神解き一族も、である。




(くそっ。厄介な体質なのは、私もだ。まだまだ。未熟という事か。己を律せられぬとは)


 力を使い雷を鳴らした後、鳴神は興奮状態を抑えられずにいた。

 発散したくて堪らなかったのだ。

 これが食欲や睡眠欲に向けばいいものの、性欲に向くのだから質が悪い。

 ここは後宮。しかも後宮の主だ。

 発散し放題ではないか。

 下世話な声がねっとりと耳元から体内へと注ぎ込まれるようだった。

 あまりの気持ち悪さに、両の手で口を強く押さえ込み嘔吐を防ぐ。

 後宮の主として子種を他者に注ぎ込む行為と、欲を発散する為に子種を他者に注ぎ込む行為。

 どちらも心を伴わない点では同じ。

 では、何故そこまで躊躇うのか。

 矜持だった。

 ただ、後宮の主としての矜持があるか否か。

 今の己は後宮の主としての矜持はない。

 ただのケモノである。


(何人も抱いてきた。何人も抱かれてきた。より神解き一族が進化する為に………そうだ。天瀞が離れたのではない。私が手放したのだ。天瀞は。道具のように扱いたくなかった。いつからか。私も。私を抱いてきたやつも。私に抱かれたやつも。道具のように思うようになってしまったのは、)


 ただただ、神解き一族を進化させる為の道具。

 ただただ、それだけの存在なのだ。

 などと、

 どうしてこんなに様変わりしてしまったのだろう。

 誇りだったはずだ。

 神解き一族を進化させる誇りのある行為だった。

 ゆえに、抱こうが抱かれようが、血肉の通う生物だと、愛しもうと、慈しもうと、決めたのに。

 いつからだ。

 いつから、ただの行為に成り果ててしまったのだ。

 快楽の為、権力の為、憂さ晴らしの為、優越感の為。

 ろくでもない理由ばかり。

 進化させるという誇りある理由はどこに消えた。


(後宮は魔物が棲むという。その魔物に絡められたが最期。人間である事はできぬという。私はもう。もしも。天瀞を失ってしまったら。抱いてしまったら。抱かれてしまったら。私はもう。人間に戻る事は完全にできなくなってしまう。道具として生きて行くしか。できなくなるのだ)


 嫌だと叫ぶ己をよそに、それでもいいとほくそ笑み己も居た。

 ただの道具と張り果ててもいい。

 ただの一度。

 一度だけでいい。

 天瀞に、


「………また梅酒を飲んだのか?」


 鳴神は毛玉をまた見つけた瞬間、カッと目玉が焦げるように熱くなった。

 後宮の外に投げ飛ばしてやる。

 勢いよく掴んでは、天高く掲げ振りかぶろうとした時だった。

 はたと、思い直したのだ。

 梅酒を飲んだらポメラニアンに変化してしまうと、天瀞は言ったが、果たして本当にそうなのか。

 ポメラニアンに変化してしまう本当の理由は梅酒ではないのではないか。


(こいつは。よく。誤魔化す。誤魔化していただろう。私付きの後宮男官になった時からそうだ。特に。体調不良の時は、)


「………天瀞。てんせい。てんせい。私の言葉が聞こえぬほど。疲弊していたのか? 疲弊するほどに、雑用を押し付けられたのか? 雑用。とは………一体。何だ?」


 鳴神は塗れそぼった地に膝を立てては、ポメラニアンに変化してしまった天瀞を強く抱きしめた。






 己にはもう数え切れぬほどの手垢がついているというのに、

 天瀞にはただ一本の指の先すら手垢がつくのは嫌だと。

 己以外の手垢がつくのは嫌だと、

 どの口が言えるのだろうか。






「あ。申し訳ありません。またお世話になってしまいました。はは。どうしても、梅酒が飲みたくなってしまいました。これはもう医官に助けを求めなければいけませんね」


 紫陽花畑の塗れそぼった地面の上に横たわっていた天瀞は、地面に膝をつけて無言で見下ろす鳴神に違和感を覚えつつ上半身を起こそうとしたができなかった。

 鳴神が天瀞の両側の肩を強く押さえつけたからだ。


「鳴神様? どうなさったのですか?」

「天瀞。私を抱け。今。この場で。泥に塗れながら。人間として。私を抱け。そして、今日以降。私以外を抱く事も。私以外に抱かれる事も禁じる」


 思いもしない鳴神の言葉に目を丸くした天瀞。どうなさったのですかと、もう一度穏やかな口調のままに尋ねた。


「雷が鳴りました。鳴神様の雷です。ゆえに感情が溢れてしまっておられるのですね」

「理由が分かっているなら早く私を抱け」

「嫌です」

「………私が。幾人も抱いてきたからか? 抱かれてきたからか? 私が穢らわしいからか? 私が人間ではなく道具だからか?」

「どれも違います。鳴神様が本当に望んではいないからです」

「望んでいない。だと?」

「はい。鳴神様は俺に抱かれる事を望んではいません。俺には分かります」

「分かっていない」

「分かります」

「分かっていない」

「分かります」

「………貴様は何も。分かっていない。私はずっと。貴様に、」


 ずっとずっとずっと。

 出会った瞬間から。

 その屈託のない笑顔を向けられた時からずっと。

 胸を鷲掴みにされた時からずっと。

 子種を芽吹かせるのであれば、天瀞しか居ないとずっと希ってきた。

 ずっと。

 この身を捧げたいと、

 独りのみに捧げられぬと知っていてもどうしても。


「鳴神様。何故俺が鳴神様付きの後宮男官から退いて、庭園の後宮男官になったか分かりますか?」

「庭園が好きなのだろう」

「はい。でもそれだけじゃありませんよ。鳴神様をすぐに咲いた花の元へ案内できますし、鳴神様に花を贈る事ができますし、鳴神様の雷を鳴らす姿を見ていられますし。鳴神様。雷を鳴らす為の場所を毎回変えていますし、鳴神様は誰にもその場所を教えていないので知りようがないですが。でも。俺は分かってしまうんですよね。そして今まで一度も外した事はありません」

「………もしや、私の雷を鳴らす様を間近に受けた事で疲弊してポメラニアンに変化していたのか?」

「何の事ですか? 俺がポメラニアンに変化してしまうのは梅酒を飲むからですよ」

「天瀞。これ以上私に虚言を聞かせるのか?」

「………」

「疲弊したらポメラニアンに変化してしまうんだな?」

「………はい」

「………何故嘘をついた?」

「だって。かっこ悪いじゃないですか。疲弊したらすぐに分かるなんて。ポメラニアンは好きでしたけど。俺、この体質が分かってからは、少し嫌いになりました」

「私は好きだ。ポメラニアン」

「知っていますよ。だから、複雑だったんです。自分の意思でポメラニアンになるなら、鳴神様の元にすっ飛んで行けましたけど。疲弊したら。なんて。ですから。姿を見せたいけど、見せたくない。この複雑な気持ちをせせら笑うように、鳴神様はポメラニアンに変化した俺を見つけてしまいますし。俺。誰にも見つからないように、ポメラニアンに変化したら花に擬態できるように特訓したんですよ。今時分でしたら、紫陽花に。でも。鳴神様はいとも簡単に俺を見つけてしまいます。嬉しいやら情けないやら。もう複雑怪奇です」

「………貴様。よく喋るな」

「落胆しましたか?」

「何故だ?」

「………鳴神様のように落ち着いた大人ではないからです」

「………貴様には私が落ち着いた大人に見えたのか?」

「はい。ですから、俺も落ち着いた大人になりたくて、鳴神様の傍を離れたわけでもあります。鳴神様の目の届かないところで成長して、見直してほしかったのですよ。見直して。俺を選んでほしかったのですよ」

「………私は。貴様だけを選ぶ事はできぬ。後宮の主で居る限りは」

「はい。でも、いつかは、後宮の主ではなくなるでしょう?」

「なん。十年後の話だ」

「何十年後でしょう? 分かりませんが。いついつまでも待ち続けます。その為に、めいっぱい雑用をこなして、稼いで、体力も養って、腕っぷしも強くなって、情報もこさえて。いい事尽くめでしょう? 俺、百歳でも鳴神様を背負って、いえ、抱えて走れる自信はあります」

「莫迦者。貴様が百歳ならば私は百五歳ではないか。そこまで長生きする気はない」

「ええ? しましょうよ。長生き。あ。じゃあ。今から計画を立てましょう。まずは後宮の主を辞める年月を決めるところから始めましょう」

「………本当に。待ち続ける覚悟はあるのか? 私に、何人もの国夫が居ても。何十人もの子どもや孫が居ても。貴様は指一本すら触れる事なく待てるというのか? 次の後宮の主が現れるまで。本当に待てるのか?」

「はい」

「………即答するな」

「どれだけ鳴神様がいかがわしく誘惑してこようが、鳴神様が後宮の主を辞めるまでは我慢します」

「我慢。か?」

「はい。我慢です」

「後宮の主を辞めた途端、私の性欲が消滅したとしても我慢するのか?」

「俺の性欲は消滅しないので大丈夫です」

「………私はおまえから少し逃げたくなった」

「大丈夫です。ねっとりじっとりからっと大切にします。嫌だと言うなら、もちろん抱く事も抱かれる事もしません。安心してください」

「………頼もしいやら気に喰わないやら」

「鳴神様」

「何だ?」

「俺は待っていてもいいですか?」

「………」


 待っていてもいいと即断するのは癪だった鳴神。思考を巡らせたのち、一つの命令を聞いたら待っていてもいいと言った。


「私が雷を鳴らし終えた時に、必ず姿を見せて、思う存分にもふらせよ」

「………俺がポメラニアンに変化している事が前提の話ですよね」

「ああ」

「………ポメラニアンの俺を誘惑しないでくださいね」

「さてな。それは分からん」

「………いいですよ。分かりました。飛び込んで行きますから受け止めてくださいね」

「ああ」


 鳴神は漸く天瀞の両肩から手を離しては、両腕を高く上げた。

 天瀞は起き上がると両肩を大きく回しては、行きましょうと鳴神に言った。


「金平糖という紫陽花の品種が開花したんですよ。とても可愛らしいですよ。案内します」

「………私は貴様を身体を捻って抑え込んでいたから疲れた」

「………いいのですか?」

「あまりに我慢させてその時が来た時に頭から一気に喰われたら堪らないからな。じっくりねっとりからっと大切に喰ってくれるのだろう?」

「俺の忍耐力を甘く見ないでくださいね」

「っふ」

「笑わないでください。据え膳を喰わぬは男の恥と言うでしょう」

「まあ。そう言う事にしといてやる」


 天瀞に軽々と抱えられた鳴神はやはり頼もしいやら気に喰わないやらと心中で呟いたのであった。


「そう言えば。鳴神様。泥に塗れながら性交渉をするのは衛生面でよろしくないのでしませんよ」

「………貴様は夢がないな」

「………夢がない男といくら詰られようとだめです」

「っふ。仕方ない。年上だからな。年下のいたいけな望みは聞いてやろう」

「ありがとうございます」












(2025.6.22)




 ポメガバース。

 ポメガは疲れがピークに達したり体調が悪かったりストレスが溜まるとポメラニアン化する。

 ポメ化したポメガは周りがチヤホヤすると人間に戻る(戻らない時もある)。

 周りの人がいくらチヤホヤしても人間に戻らない時は、パートナーがチヤホヤすると即戻る。

  ポメガはパートナーの香りが大好きだから、たくさんパートナーの香りで包んであげるととてもリラックスして人間に戻る。


 「オメガバース」の世界観を踏まえて作られた「バース系創作」のひとつである。







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かみとき 藤泉都理 @fujitori

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