最終章 終演

 そして、季節は進み、再び匠人とつむぎが初めて心を通わせた春の始まりとなった。すずめヶ丘の桜もまた、いつもと変わらぬように、柔らかく温かい春の風の中で穏やかに咲き始めている。


 匠人は、ひとりですずめヶ丘のベンチに腰を下ろしていた。

 ノートパソコンを膝に置き、そっと開く。黒い画面の中に、青くやわらかな波紋が浮かんでいた。C―Linkの静かな呼吸。見慣れた光景。


「……ねぇ、C―Link。つむぎさんは、幸せだったかな」


 少しの間を置いて、C―Linkが穏やかに応えた。


『その答えは、匠人さんの心の中にあるはずです』


『でも……もし、彼女が微笑んでいたのなら。きっと、それがすべてです』


 匠人は、小さく頷く。


 少し風が吹いて、ベンチのまわりに桜の花びらが舞う。


 そのとき、背後から声がした。


 背後から、足音が――いや、風の音に混ざって、気配がしたような気がした。


 振り返ると、そこにつむぎが立っていた。いつもと変わらぬ穏やかでやさしい笑顔。まっすぐな瞳。そして、彼女の右手薬指には、春の光を静かに反射する細く小さなリング。


「……待った?」


「ちょっと座って話そうか」


 匠人は微笑み、そっとノートパソコンの画面を閉じようとした。画面が暗くなる、その直前。C―Linkの声が、やさしく最後に語りかける。


『匠人さん、つむぎさん――おふたりの心は、もう通じ合っています』


『……これからは、おふたりで』


『わたしの役目は、ここまでです。けれど――また、心が迷ったときは思い出してください』


『あなたがたの心が答えを見つけたとき、わたしはそこにいたのですから』


 波紋が、ふわりと一度揺れて、静かに消えた。


 ノートパソコンを閉じた瞬間、春風がふわりと吹いた。桜の花びらが舞いあがる。まるでこれからのふたりの未来を祝福するかのように。


 もう、AIはいない。でも、どこかに、たしかに残っている気がする。言葉ではなく、記憶でもなく、静かな想いのかたちとして。


 そしてこの先もきっと、春がめぐるたびに、ふたりの心は、またあの波紋のように、静かに、やさしく、響き合うのだろう。


 ―完―

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仮想琴線 ―AIがふれたのは、ふたりの心だった― 水無月朔夜 @minazuki_sakuya

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